07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807
木匠塾
布野修司
藤沢好一(芝浦工大)、安藤正雄(千葉大)の両先生と「木匠塾」(太田邦夫塾頭)なるものを始めて八年になる。第一回は、岐阜県の高根村、当初は「飛騨高山木匠塾」と称した。きっかけは「製品事業所(野麦峠)を買いませんか」という話であった。全国の営林局は伐採のために各地に製品事業所(宿泊所)を持っているけれど使わないものがある。もったいないから、再利用したらということだ。紆余曲折の末、一五〇坪ほどの宿舎を払い下げてもらって村に寄付した。
「木匠塾」というけれど、大学の夏期合同合宿のようなものだ。集まってわいわいがやがや。森を見たり、家具工場を見学したり、まあ、半分遊びである。最近の学生は、虫が駄目である。また、汲み取り便所が駄目である。いかに、人工的な都会の無菌状態で育っているかがよくわかる。年に一度自然の中で暮らすのも意味あるだろうというのは確信である。
そのうち、何か創ろう、という話になった。宿舎を直そう、という声も出てきた。いつの間にか八大学を超え、参加者はゆうに一〇〇人を超えるようになった。各大学でアイディアを出してそれを自分たちで造ることが中心になった。僕など「木匠塾」なのに登り釜(正確には蛇釜という)など造った。
そうしているうちに、東美濃の加子母村(粥川村長)から声がかかった。「うちでもやりませんか」。東濃檜で知られ、産直住宅を手掛ける。伊勢神宮の神宮備林も著名。学生の自主性に任せる、という条件で、拠点が二カ所になった。
学生たちは、大学対抗のコンペをやってバンガローを造った。また、バス停を直した。かなり大きな物見台も、村の大工さんと協同で作り出した。出来映えは結構すごい。何よりも学生たちが活き活きしている。
『室内』おしまいの頁で199801~199912
◎01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801
◎02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802
◎03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803
◎04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804,
◎05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805
◎06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806
◎07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807
◎08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808
◎09桟留,おしまいの頁で,室内,199809
◎10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810
◎11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811
◎12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812
◎13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901
◎14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902
◎15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903
16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904
17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905
◎18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906
◎19 ジャングル,
おしまいの頁で,室内,199907
◎20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908
◎21日光,おしまいの頁で,室内,199909
◎22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910
◎23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911
◎24群居,おしまいの頁で,室内,199912
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