木の文化をどうするの,日刊建設工業新聞,19970710
木の文化をどうするの
オーストリアのウイーン工科大学、フィンランドのヘルシンキ工科大学、米国のヴァージニア工科大学からたてつづけに建築家、教授の訪問を受けた。オーストラリアからはハウジングに体系的に取り組む建築家H。ヴィマー氏。後の二大学は、学生それぞれ二十人前後が同伴しての訪問である。京都にいるとこうした交流が頻繁である。僕は専らアジアのことを研究しているのだけれど、欧米の建築家たちもアジアへの関心は高い。ヴィマー氏の作品にはヨーロッパの伝統より中国や日本の建築への明らかな興味が読みとれた。居ながらにして情報が得られ、議論できるのは有り難いことである。
ところが頭の痛い指摘も当然受ける。
二つの大学の学生たちのプログラムはよく似ている。京都の町を素材に特に木造建築について学ぼうというのである。ワークショップ方式というのであろうか、単位認定を伴う研修旅行である。日本の大学も広く海外に出かけていく必要があると思う。うらやましい限りである。
修学院離宮、桂離宮、詩仙堂…、二つの大学のプログラムを見せられて、つくづく京都は木造建築の宝庫であると思う。実に恵まれているけれど、時としてその大切な遺産のことを僕らは忘れてしまっていることに気づかされる。講義を聴いていると、日本人の方が木造文化をどうも大事にしてこなかった、大事にしていないことを指摘されているようで恥じ入るのである。
フィンランドは木造建築の国だ。だから木の文化への興味はよく分かる。しかしそれにしても、ヘルシンキ工科大学の先生方の三つの講義が、フィンランドの建築家の作品の中に日本建築の影響がいかに深く及んでいるかを次々に指摘するのにはいささか驚いた。
しかし、日本はどうか。阪神淡路大震災以降の復興過程で木造住宅はほとんど建たない。それ以前に、日本の在来の木造住宅は大きくその姿を変えてきた。木造住宅といっても木材の使用率はわずか四分の一ぐらいである。京都では数多くの町家が風前の灯火である。建て替えると木造では許可が下りないのである。全てが木造建築を抹殺していく仕組みができあがっている。
学生たちはただ観光して歩いているわけではない。両大学ともスケッチしたり、様々なレポートが課せられている。レイ・キャス教授率いるヴァージニア工科大学のプログラムは特に興味深いものだ。近い将来日本の民家を解体してアメリカに移築しようというのである。「木の移築」プロジェクトという。プロジェクトの中心は、京都で建築を学ぶピーター・ラウ講師である。
まず、初年度は民家を解体しながら木造の組立を学ぶ。そして、次年度はアメリカで組み立てる。敷地もキャンパス内に用意されているという。米国の大工さん(フレーマー)も協力する体制にあるという。外国人の方が木造文化の維持に熱心なのである。複雑な心境にならざるを得ないではないか。
問題は日本側の協力体制である。協力しましょう、という話になったけれど、容易ではない。組立解体の場所を探すのが大変である。解体する民家を探すのも難しい。なんとかうまく行くことを願う。こうした小さなプロジェクトでもひとつの希望につながるかもしれないからである。