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2026年2月6日金曜日

traverse08 前記, traverse, 2007

 Traverse08 前記

 

 

 今年に入って、3度、中国に行く機会があった。6月(北京)、7月(上海)は、日本建築学会の短期の仕事であったが、中国の勢いに気圧(けお)されそうであった。とにかく、北京オリンピックを目前にした中国は元気である。中国建築学会では、200を超える新しい作品をスライド・ショウの形で見せてもらったが、その斬新性と多様性には驚くばかりであった。中国は実に広い。しかし一方、中国は大丈夫か、とも思う。北京は大気汚染がひどい。渋滞はバンコクなみである。上海の繁華街はずいぶん「柄」が悪くなった。著作権侵害の問題、食品安全の問題、異常気象・・・中国社会の闇の問題が次々に明るみに出つつある。8月中旬には、西安から洛陽、鄭州、開封、東西500キロを往復した。夏王朝の遺址と考えられる二里頭遺蹟や鄭州商城などを訪れる東アジアの都城に関する研究プロジェクトの一環であったが、いわゆる「中原」の風景に初めて触れた。黄河も初めて見た。中国は奥深いと思う。

 この中国行に先立って、ウズベキスタン(タシュケント、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ)を訪れた。シルクロードに触れるのは初めてであったが、『ムガル都市』の仕上げを現地で書きながら、改めてユーラシアの歴史を思った。また、砂漠を走りながら、地球温暖化問題を肌で感じることが出来た。パミール高原の氷河の水をアラル海に運ぶアム河とシル河に囲まれた地域は古来マー・ワラー・アンナフル(川向こうの地)と呼ばれて、ユーラシアの歴史の興亡の舞台であったが、今も世界の注視を集める。知られるようにアラル海が消滅しつつあるのである。灌漑農地の拡大によって、水不足が慢性化している。そして、マー・ワラー・アンナフルは、インド、パキスタン、アフガニスタン、イランに接する。イスラーム世界の激震地帯でもある。

 中国の次に焦点となるのはインドである。わが国の首相も遅ればせながらインドを訪れた。中国とインド、この二つの大国で25億人である。インド市場がどんどん開けば、建築家も引き寄せられるであろう。意欲ある若者は「インドへの道」を目指すべきだ。

しかし、グローバルな経済に翻弄されない道を目指すべきこともまた一貫して問われてきたのであり、模索されるべきだ、といいたいのだけれど。

 

 

布野修司/編集委員会

 

2026年2月5日木曜日

traverse07 前記, traverse, 2006

 Traverse07 前記

 

 

 9.11(同時多発テロ)以降の激動する世界において、5年の長きにわたって続いた日本の政権が変わった。日本の社会がどういう方向に向かうかは不明であるが、再び、転換の時を迎えつつあるように思える。traverseを創刊して7年、短い期間ではあるけれど、とにかく世界はめまぐるしい。

この間の政治改革、規制緩和路線は、IT企業関連のヴェンチャー・ビジネスの跳梁跋扈を招来し、新たな潮流を作り出したかに見えたが、ヒーローたち(ヒルズ族)の相次ぐ逮捕で、勢いを失ったように見える。そして、前政権が残した「負の遺産」(格差社会の拡大)の方がより強く指摘されつつある。

 建築界にとって、この間の「耐震偽装問題」(姉歯事件)は致命的であった。確認審査の民間への開放、「第三者検査機関」の導入は、民営化の一環と考えられ、日本社会全体に通底する問題がそこにはある。既に、多くの議論がなされ、問題点が洗い出されつつあるが、はっきりしているのは、この問題が、個人のモラルや能力の問題にとどまるものではなく、建築界全体のシステムの問題であることである。そして、この日本の建築界全体の構造的問題は、既に「阪神淡路大震災」によって決定的に明らかになっていたことである。建築界の構造転換は遅々として進んで来なかったのである。資格制度の強化、保険制度の導入など、これを機に制度的な枠組み設計に向かうチャンスともみるが、前途多難のように思える。

 昨年は前川國男生誕百周年、今年が没後二十回忌ということで、展覧会が各地で行われ、大変な観客を集めているという。昨年の「吉村順三展」も万単位の観客を集めた。来年には「白井晟一」展が開かれるというから、ちょっとした建築家回顧ブームである。これも時代が大きく変わっていく感覚を強めているのであろう。『建築の解体』『神殿か獄舎か』をどう読んだかの特集もあり、70年代回顧の様相もある。

 来年は『2007年問題』の年である。団塊の世代が大量退職する。この世代が、どうするのか、こそが問題である。若い諸君は、この巨大なマーケットを大いに活用すべきだと思うけれど、如何。

 

布野修司/編集委員会

 

2026年2月4日水曜日

traverse06 はじめに, traverse, 2005

 Traverse06 はじめに

 

インド洋大津波の当日(20041226日)、スリランカのゴールに居て命拾いした。その時のことは求められるままに書いたが、世界史的事件だったといっていい。スリランカなど、地震など全くなく、7世紀に編まれたという『マハーヴァムサ』という古文書に依れば、紀元前2世紀頃、王女が波にさらわれたという伝承が記されているだけだという。それが津波だったとすれば、実に2200年ぶりだったことになる。

ゴールで400人、周辺で2000人、スリランカ全体で33000人が亡くなった。何かできることはないかということもあって、7ヶ月にインド・スリランカの津波被災地を訪れてきたのであるが、特に、スリランカの場合、未だに津波の爪痕が生々しい。海岸線から100m以内に建築禁止令が出されたせいである。しかし、それにしても津波の力は相当のものである。

コロンボ周辺は死亡者こそ少なかったものの、海岸部に居住していた不法占拠者たちが大きな被害を受けた。各国のNGOがまるで援助を競うようにプロジェクトを打ち上げつつあるが、応急仮設住宅建設の段階は終わり、復興住宅建設が今後の大きな課題である。仮設住宅地は、共同施設もそれなりに用意され、コミュニティもしっかりしていて、独居老人が人知れず亡くなるといった状況には全くない。

坂茂、セシル・バルモンドといった有名どころが、復興住宅を手がけるというが具体的なプロジェクトについては不明であった。今のところ日本の影は薄いように思われた。何かうまいプロジェクトが組めないものか。

振り返って日本で、信じられないような電車事故が起こった。電車というのがかくもひ弱なボディをしていたとは。経済的合理性のみ求める管理運営体制がしきりに問題にされたが、早さを求めて軽量化を追求してきたその方向に同じような問題はないのか。

改革、改革のスローガンが叫び続けられてついに総選挙である。改革の実は果たして上がっているのか、正直わからない。確かなことは世代交代が確実に進行しつつあることである。(布野修司)

 

 

2026年1月18日日曜日

アジア国際建築交流の新段階:第4回ISACS(タイ国際建築文化シンポジウム)報告,建築ジャーナル,201002

 アジア国際建築交流の新段階:第4回ISACS(タイ国際建築文化シンポジウム)報告,建築ジャーナル,201002


建築ジャーナル海外レポート 20102月号

アジア国際建築交流の新段階:第4回ISACS(タイ国際建築文化シンポジウム)報告

布野修司(滋賀県立大学)

 

20091224日、タイのチェンマイChiang Mai大学で開かれた第4ISACSに基調講演者の一人として招かれて参加してきた。京都大学の布野研究室で共同研究者として一緒に学んだナウィット・オンサワンチャイNawit Ongsawanchai講師の強力な推薦による。3年振りに旧交を温めた。チェンマイは二度目であったが、3,000人の日本人が住む。気候のいい土地で老後を過ごす年金生活者が主体という。

ISACSとは、International Symposium on Architecture and Culture in Suwannaphumの略称で、スワンナプームSuwannaphumとは、文字通りには「黄金の土地(国)」すなわちタイのことである。第4回ということであるが、「多様性の総合:反省、再解釈、再配置Integrating Diversity: Reflection, Reinterpretation and Reposition」がシンポジウムの統一テーマである。初日に、タイの著名な文化人類学者アナン・ガンジャナパンAnan Ganjanapan教授から、タイにおける諸民族をめぐって、あるいはタイ族をめぐって、タイのナショナリズム、少数民族問題、観光とエスニシティなど鋭い問題提起があった。二日目に「地域のヴァナキュラーな価値に基づく建築を目指してーアジア都市建築研究のパラダイムをめぐってー」と題して話した。

もう30年もアジアを歩いてきたのであるが、アジアの建築界も大きく変わったと思う。タイでこうした国際シンポジウムが開かれるようになるとは、かつては想像も出来なかったことである。このISACSというのは、チェンマイ大学の他、シルパコンSilpakorn大学、キング・モンクット工業大学 King Mongkut’s Institute of Technology Ladkrabung、コン・ケーンKhon Kaen大学、ナレスアンNaresuan大学の5大学の共催の形であるが、他の大学からの参加者もある。論文は英文で審査があり、130分の発表と議論である。タイの建築系大学というと、チュラロンコーンChulalonkorn大学とタマサートThamasat大学があるが、この両大学は独自の論文ジャーナルを持っている。タイにも様々な事情がある。欧米で学んだ若い先生方も数多く、流暢な英語が飛び交う。日本で学んだ研究者も基本的には英語がベースである。ナウィット講師の教え子はヴェトナム人であり、ミャンマー人であり、ラオス人である。

国際交流プログラムに関しては、日本建築学会に、アジアの国際建築交流シンポジウムISAIAInternational Symposium on Architectural Interexchange in Asia)があり、JAABEJournal of Asian Architecture and Building Engineering)がある。中国・韓国・日本という漢字文化圏をベースとした交流が主で、その拡大への展望を欠いてきた。ISACSは、今回の運営会議でマレーシア、シンガポールに連携を拡大することを決定したという。UIAJABEEの建築家資格などに振り回されている間に、日本だけが取り残されていく、そんな危機意識を否応なくもたされた。

ほぼ正方形の形をしたチェンマイは実に興味深い古都である。シンポジウムの合間をぬってチェンマイをじっくり見せてもらった。歴史的な古都であるが、古い城壁を不法占拠して住む人々がある。チェンマイ遷都以前の古代都市ウィアン・クム・カムWiang Kum Kamの遺構の保存状態はそうよくない。3日目のエクスカーションで、近郊の伝統的な集落トン・ヘTon He村を見せてもらった。毎年のように洪水に悩んでいる。タイでは、トン・ヘ村のような伝統的集落がいま急速に失われつつある。発表を聞きながら、また、以上のような実態を見聞きしながら、連携してやるべきことが数多くあると、いまさらのように思った。





2025年8月26日火曜日

風景の哲学と景観の作法‐西郷港周辺地区デザインコンペ、驟雨異論❹,雨のみちデザインウェブマガジン「驟雨異論(しゅうういろん)」雨のみちデザイン|驟雨異論|布野修司 vol.4 (amenomichi.com)

 風景の哲と景の作法西港周デザインコンペ、驟雨異論❹,雨のみちデザインウェブマガジン「驟雨異論(しゅうういろん)」雨のみちデザイン|驟雨異論|布野修司 vol.4 (amenomichi.com), 202202

風景の哲学と景観の作法‐西郷港周辺地区デザインコンペ

布野修司

 暮れも押し詰まった昨年末(20211217日~20日)、「西郷港周辺地区デザインコンペ」の第一次審査のために隠岐の島町(島根県)を訪れた。折からの雪模様、強風にも見舞われ、フェリーは境港からも七類港からも欠航、出雲空港からの飛行機がぎりぎり飛んで事なきを得た。出雲(松江)の出身で、隠岐の島は子供のから身近なのだけれど、あらためて、同じ島根県でも、松江と隠岐の日本海を隔てた距離を思った。古くは、後醍醐天皇、後鳥羽上皇、そして小野篁が流された島である。







 

地域再生という日本の課題

このコンペ、実にユニークである。仕掛けたのは桑子敏雄[1]、『西行の風景』『感性の哲学』『風景のなかの環境哲学』『生命と風景の哲学 「空間の履歴」から読み解く』などで知られる哲学者である。学位論文は『エネルゲイアアリストテレス哲学の創造』(1994年)であるが、書斎に籠って思索に耽る哲学者ではない。一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズCCS[2]を組織、行政や市民とともに社会基盤整備を実践する。桑子先生と知り合ったのは、松江市の大橋川周辺まちづくり検討委員会(20052010)である。治水のために大橋川を拡幅する、多くの地権者が絡む難しい合意形成が必要であったが、一定の合意が得られたのは桑子流の合意形成手法に負うところが大きい[3]


 

「談義」による合意形成

「西郷港周辺地区デザインコンペ」は、単なる公共建築の設計コンペではない。再開発、区画整理を含む多くの地権者が絡む地区全体の再生に関わるコンペである。桑子先生を総合コーディネーターとして計画策定作業がスタートしたのが2018年、地区住民が参加する桑子流の「まちづくり談義」が20188月~20201月まで都合11回行われ、「島根県 隠岐の島町 西郷港玄関口まちづくり計画」がまとめられたのは20206月である(図②)。そして、計画を実行するための都市再生整備計画と立地適正化計画をつくるに当たって西郷港ターミナルエリアのデザインコンペを行うことになったので、その評価を行う「隠岐の島町都市再生デザイン会議」のメンバーになって欲しいと声がかかったのは20213月であった。

 

島根方式

これまで、少なからぬコンペの審査に関わってきた。島根県については「加茂町文化センター(ラメール)」(渡辺豊和1993)「島根県立博物館」(菊竹清訓1993)「川本町悠々ふるさと会館」(新井千秋1994)そして、西郷港へ向かうフェリー・ターミナル「美保関町七類メテオプラザ」(高松伸1994、図②)「出雲市地域交流センター(ビッグハート出雲)」(シーラカンス1996)など[4]、また、「しまね景観賞審査委員会委員」(19942005)島根県景観審議会委員(19962000)も務めた。コンペの方式として提案し、実施してきたのは「島根方式」と呼ばれるようになった、応募者が公開でプレゼンテーションし、審査委員会と質疑応答を行う「公開ヒヤリング方式」である。そうした経験を伝えたいという思いもあるし、桑子先生の依頼であれば断る理由はない。

 

 コミュニティ・アーキテクト制

対象地区を歩けば、至る所に駐車場がある。シャッターを閉じた店舗がある(図③ab)。全国の地方都市は同じ問題に苦しんでいる。議論に加わって、すぐさま理解したのは、この地区を再生するのは容易ではない、ただ計画案を求めるだけでは駄目だ、ということである。そして、港湾地区、ターミナルの設置に関わる様々な制約条件がある。県、町、地区住民の間の調整には相当の力量が必要である。そこで、最優秀案に選ばれた応募者は、長期にわたってまちづくりに関わることを前提とし、「隠岐の島町都市再生デザイン会議」のメンバーともなるというスキームが確認された。これは、コミュニティ・アーキテクト制[5]のひとつの形態といっていい。

 

2段階・公開ヒヤリング方式

 何をしたいのかを明記する、自治体の首長がその思いを訴える、実績に基づいて組織を選ぶという日本でいうプロポーザル・コンペは論外である、決まったプログラムを実施する業者を選ぶのではなく、具体的な場所についての創造的な提案が求められる、基本的には誰もが提案できるのであって、応募のための参加資格は可能な限りハードルを低くする・・・といった方針が確認されることによって、応募要項、要求水準書などが作られた。これらは、これまでかかわってきたなかでも理想に近い、モデルになりうると思う。「隠岐の島町西郷港周辺地区デザインコンペ」の主旨・公告文、実施要領、評価基準などtown.okinoshima.shimane.jpについては、多くの市町村に是非参照して欲しい。

コンペは2段階で行う。1段階目は、国内外から広く提案を求める。報酬は払わない(払えない)が、参加資格条件のハードルを低くする。1段階目で選ばれた応募者には、相応の報酬を払う[6]2段階目では、応募者が全て同席した場でプレゼンテーションを行い、審査員さらには参加者によって質疑応答が行われる。これが「公開ヒヤリング方式」である。一種のシンポジウムである。

 

住民参加―情報開示

都会をはるか離れた離島寒村であるにも関わらず、42グループの応募があった。現地説明会の参加者も多かった。町の設計業務を行うことのできる最低限の一級建築事務所主宰者がグループに含まれればいいという条件が大きかったと思う。第一次審査は、町民への徹底した情報開示と意見の聴取を求めるプログラムと並行して行われた。

(1)応募作品の公開展示:2 10 (金)~12 17 (月)応募 42 作品(A22枚)64 件の意見。

(2)小中高生とのワークショップ(総合学習授業)の実施:まちづくりの基本理念である「世代をつなぐまちづくり」の具体化として、島根県立隠岐高校商業科の 3 年生全員17 )(1216日)、隠岐の島町立西郷中学校の 3 年生全員42 )(1217日、(図④))、隠岐の島町立西郷小学校の 6 年生全員44 1220日、図⑤ab

(3)デザインコンペ意見交換会の開催12 19 日、10301230,図⑥ab):YouTube で全国ライブ配信2022 1 7 日現在で 637 回視聴)








 

空間の履歴

 第一次審査委員会[7]の結果については、公式報告[8]に譲るが、通常の建築コンペとは大きく勝手が違った。限られた敷地に一定の要求水準が設定される場合であれば、解答はいくつかのパターンに絞られるから、それぞれのパターンの代表、数作品を選定するのが一次審査の役割である。しかし、このコンペの場合、第1に、敷地が決められているわけではない、すなわち、数多くの地権者が存在する地区全体がプロジェクト・エリアである。第2に、少なくとも10年の時間が想定されている、すなわち、プロジェクトのダイナミックな実施プロセス全体を計画する必要がある。要するに、地区の現状をどう把握するか(談義の内容はすべて応募者に開示された)、そして、地区の未来をどう提示するかを応募者に問いかけたのである。応募者は、実に真摯にその要求に答えてくれた。地元住民も必ずしも意識していなかった空間の軸を提案するなど、丹念に地区の成り立ちが読み込まれている。桑子先生は「空間の履歴」(「自己(身体)の配置が空間の中で積み上げられるとき、それを「履歴」と呼ぶ」)という。いささか難しい(哲学的である)が、地区の計画に当たって、地域空間の古層に遡ってその土地の履歴を読むのは、建築家、プランナーの基本作法であり、得意とするところである。計画が必要とするのはこうした外部の眼を含めた「空間の履歴」についての議論である。全応募作品の作品集は年度末には公表される。隠岐の島町にとっての大きな財産である。

 最終審査に選ばれた6グループについて、事業スケジュールのより具体的な提案、港湾機能の取り扱い、広場の冬季対応などについて、デザイン会議メンバーとの質疑応答がその後になされた(2022114日)。既に、計画実施のプロセスは開始されている。最終審査会は、202236日午後に開催され、YouTubeで一般にも配信される。楽しみである。


布野修司 建築評論家・工学博士、

略歴

1949年島根県生まれ。東京大学助手,東洋大学助教授,京都大学助教授,滋賀県立大学教授、副学長・理事,2015年より日本大学特任教授。日本建築学会賞論文賞(1991)、著作賞(20132015)、日本都市計画学会論文賞(2006)。『戦後建築論ノート』(1981)『布野修司建築論集ⅠⅡⅢ』(1998)『裸の建築家 タウンアーキテクト論序説』(2000),『曼荼羅都市』(2006)『建築少年たちの夢』(2011)『進撃の建築家たち』(2019)『スラバヤ』(2021)他。

 

写真キャプション

図①abc「西郷港玄関口まちづくり計画」「コンペ要綱」「談義ニュース」

図② メテオプラザ(七類港多目的ターミナルビル) 設計 高松伸

図③ab 駐車場で一杯の雪の西郷港と空地が広がる対象地区 20211218

図④ 総合学習 隠岐の島町立西郷中学校

図⑤ab 総合学習 隠岐の島町立西郷小学校

図⑥ab 意見交換会

図⑦ 応募作品集

 



[1] 1951年群馬県生まれ。1975年東京大学文学部哲学科卒業、1980年同大学院博士課程中退、同文学部助手、1981年南山大学文学部講師、1984年助教授、1989年東京工業大学工学部助教授、1996年同大学院社会理工学研究科教授、東京工業大学名誉教授。東京女子大学特任教授。一般社団法人コンセンサス・コーディネーターズ代表理事。

[2] 社会的合意形成とプロジェクトマネジメントを統合した社会技術を用いて、日本の社会のなかの対立紛争を解決し、よりよい社会を実現することを目的に2014年設立。顕在化した対立だけでなく、衰退の危機にある地域の活性化支援も行う。宮崎海岸再生事業、出雲大社神門通り整備事業、広島県福山市鞆の浦の「鞆まちづくりビジョン」策定事業、沖縄県国頭村「国頭村景観計画」「国頭村景観ガイドライン」策定事業など。

[3] 大橋川景観まちづくりについては、布野修司(2015)『景観の作法 殺風景の日本』「第1章 風景戦争 4 松江」参照。

[4] 他に、島根県では、島根県鹿島町体育館(1995)島根県松江市警察署(2000)がある。公開ヒヤリング方式で実施したコンペには守山市守山中学校(2012)守山市浮気保育園(2013滋賀県新生美術館(2014守山市立図書館(2016)などがある。

[5] コミュニティ・アーキテクト制については、布野修司(2000)『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』および京都CDL(コミュニティ・デザイン・リーグ)、滋賀県立大学近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座の活動を参照されたい。

[6] 額については、自治体が想定していない場合が多く、現状では様々となるが、「島根方式」では100万円を標準としてきた。

[7] 審査委員会は、委員長、桑子敏雄デザイン会議座長(東京工業大学名誉教授)、デザイン会議委員、布野修司(滋賀県立大学名誉教授、日本大学客員教授)、橋本成仁(岡山大学大学院環境生命科学研究科教授)、秋田典子(千葉大学大学院園芸学研究科教授)、金田隆徳(隠岐の島町都市計画審議会委員)、松田照美(隠岐の島町都市計画審議会立地適正化計画検討委員会委員)、三島正司(島根県隠岐支庁長)、大庭孝久(隠岐の島町副町長8名によって構成されている。

[8] デザインコンペ審査委員会の開催(意見交換会終了後、13301700):意見交換会でとりあげた作品を中心に、審査員それぞれの専門分野および行政的視点、市民からの視点から、二次選考に推薦すべき作品を 5 作品選ぶ方針で議論を行いました。はじめ選考委員全員が全 18 件の推薦案件について、推薦理由を説明しました。町民やこどもたちの推薦案件は、この 18 件のなかにすべて含まれておりました。この 18 作品は次の通りでした。作品番号「1,5,6,7,8,10,15,17,22,24,25,26,28,31,34,37,41,42

つぎに、さらに議論を深めるために、要求水準との整合性のチェックを行い、10 作品を選びました。この 10 作品は次の通りでした。作品番号「5,7,8,10,17,25,26,34,37,41

最後に、事務局から提案者の組織体制の説明があり、委員会では、これも参考にしながら議論を積み重ねて、最終的に 6 作品を隠岐の島町に一次選考通過作品として推薦することを決定しました。

この6 作品は次の通りでした。作品番号「5,10,25,26,34,37

議論のなかで大切にしたことは、推薦理由であり、すぐれた作品である理由について議論しました。ネガティブな点については、選ばない理由にはせず、優れたものをピックアップするという形で選考を進めました。


2025年8月13日水曜日

建築時評,建築討論002,日本建築学会,201409

  建築時評,建築討論002,日本建築学会,201409

 

 

 「アジアの都市組織の起源、形成、変容、転生に関する総合的研究」(科学研究費助成)と題する研究の一環として中国東北地方を巡った。大連・旅順-瀋陽-集安―長春という行程で、清(大清国)の起源となる都城・盛京と高句麗の都・丸都城、国内城を巡ることを目的とする旅であったが、建築行脚となると、「偽満州国」の建築を見て回ることになる。西澤泰彦著『「満州」都市物語 ハルビン・大連・瀋陽・長春』(河出書房新社、1996年)を携えての旅である。

 大連は19953月以来、ほぼ20年ぶりの再訪である。その変貌ぶりは予想通り激しかった。このところ中国の古都を中心に歩いているのであるが、北京オリンピック、上海万博を開催したこの10年の中国都市の変貌はどこでもドラスティックである。

20年前、大連を訪れたのは、南山地区の住宅の保存改修の調査が目的であった。南山地区は、満鉄社宅地区、共栄住宅地区、そして個人住宅地区の3つからなっていたが、満鉄社宅の特甲住宅が建てられたのは1910年であり先行するが、他は1920年代に開発された住宅地である。調査は容易ではなく苦労したことを思い出したが、多くの住宅に多数の世帯が居住し、とても良好な居住環境とは言えない状況であった。通りには屋台が並んでいたし、道路は舗装されていなかったように思う。今回訪れて、見違えるようであった。風景区に指定されて、保存の措置がとられていた。

ただ、見覚えのある住宅は残っているのであるが、ここだ!という記憶が蘇って来ないのがもどかしかった。周りの環境がすっかり変わってしまっているのである。港近くの旧ロシア人街も観光客向けの店舗が建ち並ぶテーマパーク風の通りにすっかり変貌していた。

大連の中心、中山広場の大連賓館(旧ヤマトホテル)にも寄ってみたが、広場の周りには、かつての雰囲気はない。広場に面したコロニアル建築をさらに2重に高さおよそ2倍のビル群に囲まれる形になっていた。これは瀋陽でも長春でも同じであるが「偽満州国」時代の建物は現代建築群の中に埋もれつつあるのが印象的であった。そして、そうした中でそうしたかつての植民地建築だけを見て歩くことの意味を考えさせられた。

 高層化の流れは留まる気配をみせないようである。大連駅のすぐ近く、かつての日本人町である旧連鎖街に接して、実に垢抜けた超高層ビルが建設中であった。

 大連中心裕景。香港の裕景地産(陳承裁)による不動産開発である。1987年創設という。この間の中国における都市再開発を先導してきたディベロッパーである。さすがの中国建築界もかつての勢いを失いつつあるようであるが、まだまだ余力がありそうである。設計はアメリカのシアトルに本拠を置くNBBJ、構造はOve Arup

NBBJは、Floyd Naramore, William J. Bain, Clifton Brady, and Perry Johanson4人によって1943年創業され、当初は Naramore, Bain, Brady & Johansonと称していたという。今や、ボストン、ニューヨーク、サン・フランシスコ、ロスアンジェルスなどアメリカだけでなく、ロンドン、そして北京と上海に事務所をもつ。そしてインドのプネにも事務所を開設している。唯一、建築設計事務所として世界経済フォーラムのグローバル成長企業に選ばれたという、世界をリードする設計集団のようである。

 60階と80階の2本のタワーが捩れるようにほぼ立ち上がりつつある。足元は既に完成しているが本格オープンは先のようである。中をみることはできない。一大コンプレックスである。完成すれば大連駅周辺は一変するであろう。2層の連棟の商店街、旧連鎖街との対比は際立っている。NBBJ2009年にシンガポールにThe Sail @ Marina Bayという2本ペアの超高層ビルを建てている。今や世界の超高層のニューファッションということであろうか。

 興味深いのは、NBBJが、温室効果ガス排出量50%削減をうたう「建築2030チャレンジ」を受け入れ2030年までにカーボン・ニュートラルを実現すると宣言していることである。アメリカ合衆国でも最もグリーン建築企業のひとつという。残念ながら、その実現の技術的裏づけについての情報は得られなかったのであるが、デザインのインパクトと共に受け入れられる要素をもっているのであろう。

 注目すべきは、プネに既にオフィスを構えていることである。中国の次にインドの建設市場が開く、それを明確にターゲットにしていることは間違いないのである。

 ゴローバリゼーションの先頭をいくファッショナブル・デザインの超高層ビルとその足元に埋もれる歴史的街区、しかも、そのほとんどが植民地遺産である、こうしたコンテクストにおいて、どういう別のオールタナティブがあるのか、議論してみる価値はありそうである。

 

 大連・旅順、そして瀋陽、撫順・集安、長春とめぐって、帰国前に大連で時間がとれたので、大連・南山地区を再び1時間ほど歩くことができた。全体は景観保存地区に指定され、高さ規制はなされているのであるが、もとの満鉄社宅はほとんど残っていない。確認できたのは1棟のみ。全体は再開発で、コロニアル風の建物が並ぶ。日本の建設会社も関わり、2000年に第一期が行われていた。地区の中心にはゲートが設けられ、いわゆるゲーティッドコミュニティとなっていた。こうした住宅地の歴史も議論の素材である。









2025年7月18日金曜日

この国はいったいどこへ行くのか? Quo Vadis This Nation State of Japan? 木村草太編 山本理顕・大澤真幸共著『いま<日本>を考えるということ』河出書房新社、2016年6月30日

 『建築討論』009号  ◎書評 布野修司 

── By 布野修司 | 2016/10/12 | 書評, 010号:2016号(10-12月)

 

この国はいったいどこへ行くのか?

Quo Vadis This Nation State of Japan?

木村草太編 山本理顕・大澤真幸共著『いま<日本>を考えるということ』河出書房新社、2016630

Sohta Kimuraed.,+Riken Yamamoto+Masachi Ohsawa (2006)“What we think over Nation State of ‘Japan’ at present?”, Kawade Shobou Shinsha 

 

  安保法制をめぐって鋭い発言を続ける気鋭の憲法学者木村草太、理論社会学の先鋭として発言を続ける社会学者大澤真幸、そして、制度と空間をめぐって考察を深化させ続ける建築家山本理顕の3人の共著である。それぞれの視点から日本の現在そして未来を問い、議論を戦わせる。議論の平面は大きく共有され、議論が確実にクロスしているのは力強い。

仕掛け人は、編者となった木村草太である。まず、3人がそれぞれの問題意識に基づいたトピックスを報告し、議論するシンポジウムを行い、その後、そこで受け止めたことをそれぞれが執筆するかたちが採られている。すなわち、本書は、Ⅰ シンポジウム(鼎談「<日本>をどう見るか、これからどう生きるか」)、Ⅱ 論考の2部からなる。

 木村草太と山本理顕の出会いは、邑楽町の設計競技をめぐる建築家集団訴訟に遡る。この邑楽町の設計競技をめぐっては、建築計画委員会(布野修司委員長)でシンポジウムを開催したことがある(日本建築学会建築計画委員会,「公共事業と設計者選定のあり方-邑楽町役場庁舎等設計者選定住民参加型設計提案協議を中心として-」,五十嵐敬喜,清水勉,パネリスト:石田敏明,小嶋一浩,藤本壮介,ヨコミゾマコト,山本理顕,於:日本建築学会建築会館大ホ-ル,2007316日(「裁判は建築家の職能を守る最後の砦?」,建築ジャ-ナルNo.112120075月))。この時、若き憲法学者として参加したのが木村草太である。この邑楽町建築家集団訴訟については、本書の補論「公共建築における創造と正統性」(初出 首都大学東京法学会雑誌482号、2007年)にまとめられている。また、日本建築学会は、建築学会復旧復興支援部会(布野修司部会長)のシンポジウム「復興の原理としての法、そして建築」(2012323日)に木村草太(司会)、山本理顕を招いて議論したことがある。石川健治、駒村圭吾といった錚々たる憲法学者にも参加していただいた山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「第四部 復興と再生 復興の原理としての法、そして建築」別冊法学セミナー 3.11で考える日本社会と国家の現在 駒村圭吾・中島徹編181-224頁、2012年9月、山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「シンポジウム 復興の原理としての法、そして建築Part2」法学セミナー6914251頁、20127月、山本理顕・石川健治・内藤廣・駒村圭吾・松山巌・木村草太「シンポジウム 復興の原理としての法、そして建築Part1」法学セミナー6902739頁、20126)。

 一方、大澤真幸については、木村草太は、学生の頃からその精緻な人間分析、社会分析に学んできたという。大澤真幸の『不可能性の時代』(岩波新書、2008年)に山本理顕の住居についての言及があり、山本理顕もまた大澤社会学についての関心を持っていることを木村草太が知っていたことが本書成立の背景にある。

 「Ⅰ シンポジウム」では、まず、山本理顕によって(「住宅の起源から考える」)、前著『権力の空間/空間の権力 個人と国家の<あいだ>を設計せよ』講談社(2015年)のエッセンスが語られる。ハンナ・アレントの「ノーマンズ・ランド」が一つの焦点である。ギリシアのポリスに遡って、男女の空間、公私の空間、オイコスとポリス、市民と奴隷、自由と管理をめぐる基本的な問いが整理された上で、「1住宅=1家族」という「近代住宅」批判が展開される。この山本理顕の住宅論の展開は既にわれわれには親しいといっていいだろう。

 木村草太は、「神は細部に宿る」という建築家(ミース)が好むクリシェを枕に、細部に普遍的原理を探し出すことの重要性を問う(「憲法は細部に宿る」)。パリ同時多発テロの報道をめぐって、大澤の、殺戮が日常である戦場とテロが究極の非日常を対比する分析を引きながら、細部にとらわれて物事が見えなくなった事例だという。また、夫婦別姓違憲訴訟の最高裁判決の細部のロジックの隘路を指摘する。さらに、安倍政権における「緊急事態」がヘゲモニー的記号と化し、命令権の首相への集中へ向かう議論を「細部を伴わない神」の議論とする。

 大澤真幸は、ハンナ・アレントの最初の夫であったギュンター・アンデルスが捜索した寓話「無効だった「ノアの警告」」を冒頭にあげて、いくら警告されても耳を傾けようとしない日本人について、現代日本は既に洪水後を生きているのだ!という(「現実をどう乗り越えるか」)。洪水後とは、すなわち、広島、長崎への原爆投下後であり、3.11の「フクシマ」後である。そして、戦後日本を振り返った上で、フランスのテロと日本の集団的自衛権をめぐって、また、「サヨクの限界」をめぐって議論の空転を指摘する。サヨクの批判にも関わらず安倍政権の支持率が下がらないのは何故か。規範/反規範をめぐって、大澤社会学の現代社会分析が展開される。もちろん、批判しっぱなしということではない、現代社会の未来を展望する「スモール・ワールド」理論が紹介される(『不可能性の時代))。「スモール・ワールド」理論とは、無関係の2人の間を知人で埋めようとすれば実際には平均6人程度(6次の隔たり)で結びつくという理論である。

 大澤真幸(『不可能性の時代』)は、日本の戦後史を「理想の時代」「虚構の時代」「不可能性の時代」にわけて振り返るが、「不可能性の時代」の現在、政治思想は、多元文化主義(「物語る権利」)と原理主義(「真理への執着」)に引き裂かれている(「Ⅵ 政治的思想空間の現在」)。この2極の分離対立は、実は依存関係にあり同一の地平で通底しているのだが、その地平を成立させる超越的な一者(「第三者の審級」、神、絶対的規範…)は、それを無化する巨大な力学(資本主義、グローバリズム)によって隠蔽されている。この対立葛藤する2者(普遍主義と特殊主義、ナショナリズムとインターナショナリズム、伝統主義と進歩主義、保守主義と自由主義・・・)を俎上に上げ、その両者の隠蔽された不即不離の関係を暴くという論理展開は大澤社会学に一貫するのだが、日本の政治思想におけるこの葛藤をどう克服するか、についてひとつの手掛かりに持ち出されているのが、ダンカン・ワッツおよびスティーブン・ストロガッツの「スモール・ワールド」理論である。すなわち、多文化主義のコミュニタリアリズムと個人の自由に局限化したリバタリアニズムの対立を克服する可能性が、このネットワーク理論にあると示唆する。

 討論は、まず、パブリックと個人をどう結びつけるか、個人と家族の関係をめぐって展開される。個別に差異を持って生まれたきた個人がどう家族を形成し、集団を形成し、都市を形成するかをめぐって、「1住宅1家族」という近代システムを批判しながら「地域社会圏」を構想する山本理顕のヴェクトルが、社会システムそのものの原理を掘り下げる大澤真幸の理論が重なり合うのは当然である。

 大澤真幸が指摘するのは、ギリシアのポリスにおいて、オイコス(家)の問題はポリス(政治)から排除されていたことである。そして、現代社会においては、オイコスの問題、生命過程の問題が政治の問題になっていることである。この点をめぐっては、M.フーコーの「生政治biopolitique」「生権力biopouvoir」の概念をもとにした現代社会論『生権力の思想―事件から読み解く現代社会の転換』(ちくま新書、2013年)で展開されている。

 そして、討論の後半で議論が集中するのは、「アイロニカルな没入」である。大澤現代社会論のキーワードと言っていい「アイロニカルな没入」という概念は、具体的に語られている例を挙げれば、隣人同士が無関心な空間が望ましいとは思っていないのに、選択肢がないために閉じた空間の設計が横行すること、心底から祖国を愛するわけではないけれど、愛する証明として外国人を排除すること(ヘイトスピーチ)、サヨクやリベラルが嫌いだから、彼らが相対化しようとする民族や国家を絶対化してみせるといったことをいう。

 論考は、「19332016」(山本理顕)、「日本人の空威張り」(大澤真幸)、「地域社会圏と未来の他者」(木村草太)と題される。山本理顕は、ヒトラーが政権をとった1933年を起点としてさらに自説「地域社会圏」を展開する。大澤真幸は、日本人の「自信回復」を示す調査データを引き合いに戦後史をさらに振り返っている。

 総括は、木村草太に委ねよう。山本理顕と大澤真幸の思想的営為、理論的施策の同相性が見事に分析されている。そして、結論として、目指すべき社会のありかたについての大きな指針が示されている。

 

編者

木村草太 1980年、横浜生まれ。憲法学、公法学。2003年、東京大学法学部卒。助手。2006年、首都大学東京大学院社会科学研究科法学政治学専攻・都市教養学部法学系准教授、2016年、教授。『平等なき平等条項論――憲法141項とequal protection条項』、『憲法の急所――権利論を組み立てる』、『キヨミズ准教授の法学入門』、『憲法の創造力』『テレビが伝えない憲法の話』、『司法試験論文過去問LIVE解説講義本――木村草太憲法』など。

 

共著者

大澤真幸 1958年、松本市生まれ。数理社会学、理論社会学。社会学博士(東京大学、1990年)。東京大学文学部社会学科卒業。1987年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学、東京大学文学部助手、千葉大学文学部講師・助教授を経て、1998京都大学人間・環境学研究科助教授、2007年、同研究科教授、2009年辞職。2010年より思想誌「THINKINGO」」主宰]。『行為の代数学――スペンサー=ブラウンから社会システム論へ』、『資本主義のパラドックス――楕円幻想』、『意味と他者性』、『電子メディア論――身体のメディア的変容』、『性愛と資本主義』、『恋愛の不可能性について』、『戦後の思想空間』、『帝国的ナショナリズム――日本とアメリカの変容』、『ナショナリズムの由来』、『不可能性の時代』、『夢よりも深い覚醒へ――311後の哲学』(、『生権力の思想――事件から読み解く現代社会の転換』、『自由という牢獄――責任・公共性・資本主義』、『社会システムの生成』など

 

山本理顕 1945年北京生まれ。建築家。1967年、日本大学理工学部建築学科卒業、1971年、東京芸術大学大学院美術研究科建築専攻修了、東京大学生産技術研究所原広司研究室、1973年、山本理顕設計工場設立、200011年、横浜国立大学大学院Y-GSA教授、2011年客員教授、日本大学大学院特任教授。作品に、山川山荘、GAZEBOROTUNDAHAMLET、熊本県営保田窪第一団地、公立はこだて未来大学、東雲キャナルコートCODAN1街区、北京建外SOHO、横須賀美術館、福生市庁舎、天津図書館など。著書に、『住居論』『新編住居論』『建築の可能性、山本理顕的想像力』『地域社会圏モデル』『地域社会圏主義』『RIKEN YAMAMOTO』『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...