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2026年8月2日日曜日

これからの建築ジェネレーション,座談会竹山聖・布野修司・高松伸・平田晃久・松岡聡・百田有希・大西麻貴,traverse 9,2008

これからの建築ジェネレーション,座談会竹山聖・布野修司・高松伸・平田晃久・松岡聡・百田有希・大西麻貴,traverse 92008


京都大学出身 若手建築家 座談会 「これからの建築ジェネレーション」

高松伸+布野修司+竹山聖

平田晃久(94年京大卒、97年京大修士、SDレビュー04,06

松岡聡(97年京大卒、00年東大修士、SDレビュー03,08

大西麻貴(06年京大卒、08年東大修士、SDレビュー07

百田有希(06年京大卒、08年京大修士、SDレビュー07

                                                      

記録:多田涼

                                         2008年7月5日、東京・渋谷にて

「建築家になる」と決意したとき

竹山;今日集まっていただいたのは何らかの形で京大をtraverse=横断し、そして今や若手建築家の登竜門となったSDレビューに入選あるいは審査された方々です。若手の皆さんにとって「建築家になる」ということ、そして「建築の原点」はどういうものだったのでしょうか。

平田;建築になんで行ったのかとよく聞かれるんですけど、いつも答えられなくて困るんです。()

小さいころから形を考えるのが好きだったんです。一方で、生物とか、分子生物学みたいなものに興味があって。ノーベル賞をとるとか(笑)。そういう発見・発明のようなものに憧れを持っていて、そっちの分野にいくかどうか、京大に入るときにすごく迷ったんですよね。迷ったんですが、最終的に物をデザインしていくというという興味の方が勝って、建築に進んだ。

入ってすぐは、「建築に進んだ限りは建築家になりたいな」「ひとりでやっていきたいな」と最初から思っていましたね。ただ本当に独り立ちできるかどうか分からなかったので、「もう建築家にならないんだったら、建築はきっぱり止めて、文系就職して、楽しい人生を送るのはどうか」とか(笑)色々考えていました。

丁度三年生から四年生になるときに、完全に決心しました。丁度三年生のときに竹山先生・布野先生がいらっしゃって。

布野;私はあなたが二回生の九月に京大に赴任したんですよ。よく覚えています。『鴨川フォリー』という課題を出した。京大生もなかなかやるなあ、と思いました。渡辺菊眞とか、竹口健太郎+山本麻子とか、森田一弥とか、すでに建築家として活躍してるのが多いですが、あなたの学年は、優秀な学生が多かったなあ。結構強烈だった。アトリエ志向が多かったのは竹山さんのせいだと思うけど。

平田;濃い連中がいっぱいいて、自分がやっていけるのかどうか悩んだんです。そういうやつらの存在は結構大きかったんですよね。

ですが、四年生にあがる研究室配属のときに無事設計の研究室に入れて、もうこれはいくしかないだろうと。そのあとはまったく迷いなくやってきたんですけども。

布野;修論の公聴会のときだったかなあ、あなたはものすごい頭いいって感じがしたなあ。僕が学生誉めることはめったにないけどね。あなたの発表を聞いて、おっこれはなかなかやるなあ、考えているなあって感じだったのを覚えてる。

平田;記憶術の話をしました。エクスポジションの建築っていうテーマで。

布野;大学に残ってほしいみたいなことを、ほかの先生も言ってたよ。

竹山;僕が覚えているのは、平田が三回生だったときの課題で。最初のエスキスチェックで、敷地にふにゃってした曲線のスケッチが書いてあって、「何コレ」って言ったら「何やったらいいか分からへんのですけど」って。(笑)それで僕が着任したばっかりで気合が入ってるから「何やったらいいか分からなかったら建築なんかやめちまえ!」って言った。(笑)そしたら、次にものすごくいいのを持ってきた。「あ、すごいな」って思った印象があるんですね。

大西;私その話10回位伺いました。(笑)

竹山;「平田」っていったらそれを思い出す。

平田;怒られっぱなしだったんですね、あのころは。(笑)

松岡;僕は理系で絵も好きだったので、親が納得してくれるところで、建築を選びました。建築を永く設計していきたいな、自分の思い通りにデザインしたいなと思ったのは、竹山先生が見ていらっしゃった最初の課題でしたね。「ミースの作品を調べて、それを元に自分なりのコンポジションを作ろう」という課題でした。そこですごく意外な褒められ方をした覚えがあるんですね。まあ実際に評価されていたどうかはちょっと自信がないんですが。「そこを褒めるの」と意外さがあって。記憶しているのは、建物の方でなく、木の位置ひとつひとつが、視線との関係でいいとか、プールの水の量と部屋の気積が同じになるといいとか、なかなか一年生の僕には分からない、建築なりの見方というか、建築の「ことば」があるということがわかりました。意表をついた面白さや、これまで考えつかなかった発想が、工学的な集まりである建物をつくる根拠になりえるということに、僕なりに目覚めまして。

そこで設計をしていこうと、できれば自分でやっていきたいと思いました。そのためにどうすればいいかということを考えたんです。僕は堕落的なので、できれば引っ張ってもらえるような、頑張っている人がいる環境に身をおくことがよいかと…

竹山;「堕落的」って「怠け者」っていう意味?

松岡;()そうですね。比較的そういうタイプなので。

      やる気はちょっとだけ()持続するので、そういう時に、これからしたいことを段取って、あとは自動的に周りにのまれて必死になれる場所にいようと考えました。

自分で選んだ環境に行って、また別の望んだ環境に移って、を転々と繰り返すうちに、自分なりの小さな遍歴が建築から抜けだせないような状態をつくってしまった感じです。

布野;あなたも成績がよかったという印象がある。偏差値的成績なんか建築とは関係ないし、滅多に気にしないんだけど、なんかそういう記憶がある。どんな設計したかはあんまり覚えてないかな。

竹山;院試の成績は平田も高かったね。

平田;一年目おちてますからね()。リベンジで行ったんで。

布野;それで三年かかってるの。勉強しなかったの。

平田;しなかったから、もー勉強して…

松岡;難しいですよね院試()

布野;日本の建築学科で一番難しい()

百田;僕が建築学科に入ったのは、もともと工作好きで、好きなことを一生続けられるぐらいの認識で建築学科に入ったんです。

はじめの本格的な課題がミースのバルセロナパビリオンだったんですけど、そのときに衝撃を受けて、まず高松先生から「建築は美しくあらなけばならない」と教わりました。模型を作っていくんですけども、みんな「ダメだ」「ダメだ」って返されて。()図面も手で触ると「手で触るな、汚れる、売れなくなるだろ」って教わって。()それまで図面や模型は、ものを作るための設計図としてしか考えていなかったんですけど、それ自体が作品でもあって、建築家はそれを通して夢を語り人の心を掴むんだということを教わりました。その課題が終わって「建築家になりたいな」と思ったんです。でも、まだ自分がなれるのかどうかという悩みはずっとあって。

それが大学院の一回生のときに、伊東豊雄さんのワークショップに参加して、フォリーを実際に建てるというチャンスを頂いて、その体験を通して「自分はもう建築家になるぞ」と決意できたのだと思います。

大西;私が、一生建築をやっていくんだと強く思ったのはやはり卒業設計です。初めて一人ではなくて、沢山のお手伝いの方と一緒に、大勢で一つの作品を作るというときに、皆で一つの大きな夢を見ているような感覚があってとても感動しました。その感動というのは、「一生建築をやって行きたい」という気持ちにつながったような気がしています。

  それに、大学に入ってたくさんの建築家の方々と出会うことによって、その言葉や、立ち居振る舞いに魅了された、というのもきっかけのひとつだと思います。

どの方もそれぞれ違うのですけれど、建築家の語る「夢」っていうものに周りの皆が巻き込まれていく強さを、ものすごく「かっこいいなあ!」と感じました。

 

言葉が建築をつくる

大西:私が高松先生に頂いた言葉で強く印象に残っているものがあります。私は大学に入学した時は、どちらかというと、過去の建築に目が向いていました。例えばヨーロッパのカテドラルのように、何百年という時間をかけて、沢山の人が沢山の思いとお金をつぎ込んで一つの建築をつくり上げるということって、もはや出来ないのかもしれないと思っていました。それで、「そうした今、あれだけの感動を人に与えられる建築を生み出すことは、可能なのでしょうか」という質問を先生に投げかけたら、先生が「可能だ」って即座にお答えになって、「たとえ今であっても、一つの図面にかける建築家の想いというのは無限に可能なんだ」おっしゃって。すごく感動して、今でも覚えています。

高松;滅多なこと言えんな。

(一同笑)

竹山;自分が忘れてる言葉を相手は覚えてますから。

大西;あと、私は四年生のときに竹山研に入ってからがらりと考え方が変わって、建築がすごく楽しくなったんです。それも竹山先生と打ち上げに行ったときに「僕は建築は感性でしか理解できないってもう諦めてるんだ」ということをおしゃって、その時には全然理解できなかったんですが。その後に竹山研究室のスタジオ課題で「ポエジー」がテーマになって、その過程で何故だかどんどん思考が自由になっていくのを感じました。まず、自分が美しいと感じる空間を持つということの大切さを教わった気がします。

竹山;それでもう建築家になろうと決意したわけね。

高松;やっぱりめったな事はいえないな。()

布野;言葉で建築家をつくるというのはすごいことだねえ。でも、結局、建築に対して言葉には力がある、ないといけないということだよね。

 

初期のSDレビュー

竹山;どうしてSDレビューを目指したか、まず、SDレビューがはじまった時の事を一番よくご存知の布野さんに。

布野;企画自体に関わった訳ではないですよ。あんまり覚えてないなあ。元倉真琴さんが声かけてくれたのかなあ。毛色の変わったやつも入れておこうということだったんじゃないの。槇先生とかSD編集部が、単なるアイディアコンペではなくて、製図台にちゃんと乗ったものを評価しようと、そういう場が必要だという発想をしたんじゃないかと思います。結果的にSDレビューは、コンセプトやアイディアをそのままリアライズする努力をプッシュする、そういう風に機能したんじゃないかと思いますね。まだ本格デビューしていない若手をちゃんと持ち上げるということに、かなり力になってきた。

既存のメディアだと、たとえば『新建築』なら『新建築』のレベルというか基準というか、載るのにはコードがあった。高松さんだって当時結構バリアがあった。『建築文化』でもそう。建築雑誌が建築学会賞の候補作を選んでいるといったそんなえらそうなところがあった。今でもあるのかもしれないけど。だから具体的に製図台に載っていれば出せるというのは新鮮だったんじゃない。

何で高松さんと竹山さんはSDレビューに出そうと思ったの?それが聞きたい。

高松:いちばん魅力的だったのは実現する建築のコンペティションということだった。それまではそんな機会は全く無かった。建築家はやはり実際に建ててこそ建築家だと思っていたから。

竹山:僕は文章を書いて最初に知られていましたから、一応ちゃんと建築をつくるんだと言うことを知ってもらえる。それから審査員の顔ぶれを見て、これは信頼できると思ったことですね。

高松:我々の上の世代には安藤さん世代、その上は原さん、磯崎さん世代というふうに頭上に厚い雲が垂れ込めている感じがあった。その雲に風穴を空けるという意味では、非常に面白いチャンスだと思った。2,3回続けるうちに入選者の色合いでSDレビューの質が見え始めたところがある。

竹山:どちらかというと、若手の登竜門の方に振れてきましたね。

 

若手ジェネレーションのSDレビュー

竹山:では若手の方々に、SDレビューにどうして出そうと思ったかと、今どんな状態かということをちょっと教えてほしい。それと、通って思ったことですね。

平田:2004年にはじめてSDレビューに通りました。大学を出て伊東事務所に入って、三年ぐらいで辞めようと思っていたんですけど、全部で8年間もいました。最終的には2005年に独立しましたから。

プロジェクトのタームが長くなって、どうしても辞める時期が来ない。2000年を越えた当たりから、自分でこういうことがやりたいということが、だんだんとはっきりし始め、沸々と溜まってきた感があって。プロジェクトを担当する中でも結構自分の考えをぶつけたりすることができる場所ではあったんですけど、そうは言ってもやっぱりちがうなあと。そういう気持ちをなんとか持っていく場所が欲しいなあと思いがあったのもひとつです。またひとつは、学生時代から知り合いだった藤本荘介とかが入選していたので。

布野:学生時代から知り合いだったの?このあいだ滋賀県立大学の「談話室」というサロンに来てくれて、仕事を見せてもらったけど、面白いことを考えてると思ったよ。

平田:友達のツテで会ったりとかして、僕が大学院の時に知り合ったんです。同期ですしね。だから伊東事務所に入った頃は、結構飲んでましたね。それで割と注目されだして、自分たちが考えていることを独り占めしているなって感じもあったし、悔しい思いをしていたので、これはもう出すしかないだろうという気持ちが盛り上がってきて、2004年にはじめて出しました。

それは両親の家で、ほとんど無理矢理、押し売り系の設計でやる感じで、自分の良いと思った設計を押し売りしたんですけど、結局実現には至ってはいない。

竹山:でもそれは一応、本当に実現するという前提はあったんでしょ?

平田:はい、そうです。そうじゃないと何となくおもしろくないなと思ったので。割とローコストでなんとかできるように、コンクリートだけでシンプルにつくるということを考えたんです。

当時から今も考え続けていることがテーマになっています。連続しているけど見通せない空間、というのによって遮断と連続の間をつくる、という。要するに、白と黒の間にあるグレーの領域を空間のひずみによってつくるということです。このときはそれを褶曲したようなワンルームみたいなもので作っていこうとしました。そういう普段考えていることをやりました。

見通せなさということに関しては、当時伊東事務所の中で主張はしたんですけども、なかなかその部分に関しては共感を得られませんでした。やっぱり自分で本当に作るしかなかなか理解されないなあと思って、そういう鬱積みたいなものを吐き出す感じで、まだ事務所にいたのに出してしまいました。

その前に一回、安中環境フォーラムというコンペに、似たようなアイディアを公共建築にしたやつを2003年に出してたんです。安中の時は自分の担当したプロジェクトがまだ終わらないのに出して、えらい怒られたんですが。(笑)

竹山:伊東さんに?

平田:はい。()まあSDレビューのときはもう2回目だったので伊東さんも慣れていて、そんなに怒られなかったというか、案を見せろと言われて、面白いじゃないかみたいな感じで、案外と平和に話しをできたんですけど、まあ、そんなのが、最初でした。

竹山:通ったらやっぱ自信になった?

平田:そうですね。やっぱり強烈にうれしかったですね。

コンペに通ったときも嬉しかったけれど、SDレビューというのはみんなが見ているという感じを持っていて。僕が学生の頃にもSDレビューは毎年楽しみなもので、普段雑誌に載っているプロジェクトよりもわくわくさせるモノがあるというか、こんな考え方もあるんだみたいなのが出てて。

布野:ちょっとSDレビューの質がSDの歴史の中で違ってきてるんじゃない?『SD』はなくなったのに、SDレビューだけは続けてる。SDレビューは建築表現の場、メディアの機能を担っているんじゃないかな。

平田:とはいえ、僕が出したときにはもうすでにその実現する確率というのは非常に低くて、明らかにこれはつくることを考えてないだろうみたいなのも結構あって、あんまりそっちに振れちゃうとおもしろくないよなっていうことを思っていました。

とは言いつつ自分のは、半分押し売りのようなモノを出してはいたんですけども、ただ、やっぱり建たないといけないという感じというか、これは建つだろうという感覚で作るというのは自分に課してた。そうじゃないとおもしろくないと。

竹山:で、もう一回通ってるよね。

平田:はい。2006年に。

竹山:そのときの審査員は?

布野:伊東・元倉・隈・平倉、と資料にはあるよ。

平田:そのときはもう伊東事務所出てたので、伊東さん審査員だけど出しちゃおう思ってだしました。あとで聞いたら、結構ぎりぎりだったぞおまえ、とかって言われて。(一同笑)

平田:「ええっ?」てなって。2回目は結構自信持って出していたので。

高松:これは建った?

平田:これも建ってないです。この構造は、合板で曲げて、お互いに保たせながら作るような屋根の建築というふうに設計しました。軽井沢の別荘です。

 

屋根のシンボリズム

高松:勾配屋根はおもしろいかもしれん。

平田:軽井沢は勾配屋根を作らなきゃ景観条例上いけないという話があったので、屋根っていうのは結構おもしろいテーマだなと思って、ポンと乗っけたような屋根ではなくて、屋根だけで出来ているような建築をつくったらどうだろうというというところからはじめました。

竹山:なるほど、面白いですね。というのも、ここに『1930年代の建築と文化』という本があります。僕が学生の時に出た本ですけど、ここで、1920年代というのは近代建築のアバンギャルドがどんどん新しい試みをして、30年代というのはファシズムとナチズムが出て、それの揺り戻しでインターナショナリズムからナショナリズムへというような流れがあって、そのときの日本やドイツの建築状況が書かれている。要するに、「屋根をかけるということはインターナショナリズムに対する裏切りである」「屋根をかけるということを言っただけでファシズムである」と。

僕らの世代ではすでにファシズム建築云々という感覚からは距離があった。僕もそういうことを知らずに、屋根をドーンとかけてたり、ドドドドと柱を並べて、屋根をかけてかっこいいじゃないかって思ったわけ。ところがこういう本を読むと、ああなるほどちょっと上の世代は、いったいどんなふうに僕らのことを見ていたんだろう、と思うわけです。一般的にいうと、屋根をかけるということが地域性とか伝統とかいうようなものに結びつくわけだから。だからこそ僕よりさらに20年くらい下の人たちが「屋根っておもしろいテーマだな」と言って、自由に作っているのがものすごくおもしろいなと思うんです。

布野:『1930年代の建築と文化』は僕がまとめたんだけど、磯崎さんの『つくばセンタービル』や大江宏の『国立能楽堂』ができて、「国家と様式」の問題を再び問うという雰囲気が当時あった。具体的には「帝冠(併合)様式」の問題だよね。躯体はRCで屋根は神社仏閣でいい、という。屋根によって、国家とか地域とか民族を表現するという、これは世界中にある。ポストモダンというよりキッチュだよね。屋根自身のシンボリズムはすごい力を持っている。だからナショナリズムとか地域性とかに結びつく。これは過去の話ではなくて、つねに問われるテーマだと思う。現在も景観法、景観問題をめぐって同じ位相の問題がある。勾配屋根をかけなさい、というコードがなにも考えずに決められてしまう。近代建築は屋根を否定した(フラットルーフ)というのも単純だけど、それがトラウマになっている世代っていうのは絶対ある。

要するに屋根の問題と、瓦の問題です。土と血の建築というのは死んでもやりたくないなという。谷口吉生さんなんて絶対そうだし、磯崎さんも身体的にはそうでしょう。それは制度と表現の問題といってもいい。

竹山:屋根を付けるにしても、例えばアルド・ロッシとか高松さんとかは切り妻でちょっと原型的なものを志向するとかして、過去のいわゆる意味論的な読みから来るであろう批判をかわしていたんですよね。そういう時代があったあと、今や全く「屋根って面白いテーマだ」と言えるのがとても面白く、楽しい。

高松:とても自由だね。

竹山:ホントとても自由ですよね。

布野:でも、それは別に全然問題ないんじゃないの?要するに、木造で勾配屋根といえば当たり前の話で、ヴァナキュラーな民家はずっとそういう解決をしてきた。問題は、それを規定とする、制度とするかどうかという一点です。景観法を根拠に、勾配屋根にしなさいという規定をつくるとしたら景観ファシズムだ。そういうステレオタイプしかないっていうのはとんでもない。

平田:屋根でもう一個今やっているのがあります。今度横浜トリエンナーレでパビリオンとして実現するんですけど。屋根って上から見ると結構山脈に似ているんだけれども、何でかというと、山脈は「水が流れることによってできる形」で、屋根は、「水を流すために作る形」なので、同じ原理を反対側からやっているんだという仮説を立てて、屋根というものがかなり自然に近いものだと見なしてみたんです。そうすると、先ほどのシンボリズムだとか意味論的な話からは、ちょっとずれた位相から見れるんじゃないかと思ったんです。

水の流れるシステムとしての自然という観点を持ち込むことによって新しい居住環境をつくろうというプロジェクトなんです。

竹山:これ(資料を見ながら)、ざらざらっとした感じがするけど、外の材料は何なの?

平田:まだ模型の段階だったので、フェルトみたいなので作って、そこから逆に素材を想像していくようなこともあります。一応アスファルトシングルを想定していましたが、FRPとか、もっと違う素材でヌメっとやっちゃうっていうのもあるだろうなと思っていました。

竹山:布野さんや高松さん達の世代まではこういうきちんと歴史的なことをおさえて、それに対して批評なり、解答なりで建築をつくっていたんだと思います。僕らになるとそれが全然なかったんだけど、後になってみて、なるほどそうかと思うこともある。で、君らぐらいになると全く知らないよね。関係ない。だからそれがすごい自由だとなと思う。もうひとつは最近の藤森建築の影響、毛深い建築、に対して、これもまた全然抵抗がない。というのがおもしろいなあ。

 

京大の設計教育改革

平田:僕は入学したときはポストモダン真っ最中で、1990年なんですけど、結構激動だったんですよね。

布野:教える側はね、完全に自信を失うというか、方針を失うっていうかね。何を教えていいかわからなくなった。ポストモダンは何やってもいい、と雰囲気で。僕が京大に行ったときには、でも、ずいぶん古典的だったなあ。ケント紙にインキングを義務づけてた。愕然としたかなあ。僕は、これでも、東洋大で、設計教えてたから、かなり落差を感じましたね。プレゼンテーションのテクニックも必要だ、とちょっとあせった。高松さんが非常勤で二年くらい一緒にやったよね、だいたい、講評もちゃんとやってなかったよね。

高松:やってなかった。

布野:竹山さんが半年遅れで来たんだけど、講評をやって、ビアパーティもやるとかいうことをはじめた。これは芦原義信さんが東大でやっていたアメリカ流のジュリーをまねしたんだけどね。私なんかそういうもんだと思って育ったから、東洋大学でもそうだった。

竹山:そう、最初。ともかく平田たちが僕らが行って最初から教育した最初の学年なんだ。

平田:そうですね。だから最初からそういものだと思ってたんですけど、そうじゃなかったんですね。

竹山:その前の年までは違ってた。

布野:私は別に建築家じゃないけど、東洋大で山本理顕さんとか毛綱毅曠さんとか、とかいろんな建築家と組んで設計教育やっていた経験があった。京大に呼ばれて行って、設計教育しに来たんじゃないと思いながら、「これは俺が教えた方がいい」って、正直思った()

 

リサーチとダイヤグラムと建築と

竹山:松岡君がSDレビューに出そうと思った経緯を聞かせてくれる?

松岡:SDレビューは、東大の大学院に入って、急にその存在が身近になりました。藤井・曲渕研の先輩方に元気な人たちがいっぱいいて、SDレビューの締め切りが近くなるとそわそわし出すという感じで、私も手伝ったりしました。また本郷に行くと藤本壮介さんが製図室で模型をコツコツと作ってるんですね、SDレビューのために。SDレビューっていう存在が東大の中ではっきり確立してたのを覚えてます。

ただそのころは自らの案を出す機会のないまま、コロンビア大学大学院へ留学をして、そこでコンピューター中心のペーパーレスの建築教育を受けました。その流れとして、UN Studioに就職したんですが、多少の落胆もありました。というのは、リサーチをしてそれをダイアグラム化すること、そしてダイアグラムを建築化すること、この2つのプロセスがいかにエレガントかということがコロンビアの大目標だったんですが、実際に行ってみるとUN Studioはそうでなく、もう少しパフォーマティブなダイアグラムをつくっていました。

竹山:パフォーマティブなダイアグラムってどういうこと?

松岡:つまり、メビウスの輪みたいな、象徴性の高いダイアグラムです。

ある刺激的なリサーチが、明快なルールで、3Dのダイアグラムになり、その微妙なサーフェイスなりボリュームをそのまま建築にしちゃいましたっていうのは、プロセスの連続性は高いんですけれども、それが本当に建築になっちゃっていいのかという疑問がまずあります。

そこにはダイアグラムから建築へ変換するための論理的なルールが必要だと思うんですが、3DCGのプログラムを研究し、難解なスクリプトを駆使し、ようやくダイアグラムを変換して、どうにか人の住める建築ができればラッキーだというのが、大学でできる建築の精一杯のレベルでした。この場合、ダイアグラムは中間的な存在なのでそれ自体のクオリティはあまり重要ではありませんでした。それに対してUN Studioでは面白いダイアグラムを作っているんですが、それを建築につなげるという奇跡的な難業は放棄していて、ダイアグラムとしてまず完成度の高いものをつくり、建築はそれとは別の、多くのことばを重ねて根拠づけをしていました。

そもそも、ダイアグラムにどこまで設計プロセス上の特別な役割を負わせるかということが、この二者の違いなんですが、でもやっぱり両者ともダイアグラムは外せないという感じです。

一方、MVRDVの建築の根拠付けは、3つのステップの精度ではなく、イメージを伝えるための精度が重要で、リサーチだろうが、ダイアグラムだろうが、パースだろうが、「伝える」ためにより精度の高いものが一つあればそれでよいという感じでした。ただ、もちろん伝えるための精度には、より強いアイディアを出せるかということが必要とされました。

MVRDVを経験し、僕がそれまでやってきたことと違うやり方に接したことで、リサーチ/ダイアグラム/建築の呪縛から解かれた感覚でした。

なぜSDレビューに出そうとしたのかということについては、そういった心のゆとりもあったのですが、今後どうしようかということで悩んでいたということもあります。SDレビューは日本のスタンダードなんだというふうに意識していて、そこに出すことが、UNMVの後の動き方に決着をつけてくれるんじゃないかという予感がありました。実はMVの後、別の海外の事務所へ行くことが決まっていて、このまま海外で経験を積むべきなのかを迷いつつ、少し日本の状況から離れてしまったことに不安を感じて、オランダからSDレビューに応募しました。

MVの後、最終的には日本に戻ることに決めて、SANAAに入りました。そこでも、更にまだ異質な場所があったんです。つまり、もしSDレビューが日本のスタンダードだとすれば、日本にもやっぱり異常な場所がいろいろあって、海外とか国内とか関係ないんだなぁって。

竹山:SANAAでは、どんなふうに違ったの?

松岡:今僕にはあたりまえのことなんですが、形に関しては貪欲にやりきるということです。形自体や、形のつくりかたに対して、好みや関心から抜け出して、純粋に形だけをリサーチするっていうリサーチの仕方があるということです。条件をリサーチするとか周囲をリサーチするっていうのでなく、形を出し尽くして、さらに評価し尽くすっていうマニアックな世界があって、それはMVRDVで自由に形態を出すってやり方とはまた別です。西沢さん、妹島さんのタフなルールのもとで、際限なく、出しつくさなくちゃいけないという状況が完成されている「場所」が楽しかったなと思います。

布野:滋賀県大行って4年目ですけど、さっきも言ったけど、藤本壮介さんとか、ヨコミゾマコトさんとか学生が呼ぶんですけど、みんな来てくれる。つい最近西沢立衛さんがきて、そのとき「西沢さんは理論肌じゃないから」っていったら怒ってね、「僕ほど理論派なのはいません!」ってムキになってたな。(笑)

 

抽象とヴァナキュラーを結ぶ技術

竹山:百田君と大西さんはどうでしたか?

大西:すごくうれしかったです。初めて実際に建つ建築を設計出来る機会でしたので、ぜひ出したいと思いました。お施主さんはもともと父の知り合いで、私も幼い頃から存じ上げていた方なんですが、とても不安だったんじゃないかと思うんです。何しろ私たちは本当に経験不足で、何もかもが初めてですから。それが、SDレビューに通った時は、お施主さんもとても驚いて、一緒に喜んで下さって。もう後にはひけないねって感じになってきたと思います。

百田:(作品を見せながら)敷地は軽井沢で、森に生えている木や、そこに住んでいる動物のように、森に対して自然と佇む建築をつくりたいと思いました。森の中にフクロウがうずくまってるようなイメージで。

竹山:フクロウ?

大西:竹山先生にお見せしたときはもっとフクロウっぽくなかったですか。先生、すごく驚かれて ()

竹山:こんなだったね。大西さんもついにモダニズムから藤森系になったかと()

百田:それをもうちょっと建築的に抽象化した形にしていこうとスタディして、ピラミッドの各面が内にたわんだ形の屋根になりました。外から見ると毛皮のような、ヴァナキュラーな外観なんですけど、屋根の中は動物の胎内のような白い抽象的な空間になっています。床には富士山のような盛り上がりがあって、頂上部には開口があいています。それが上の空間と下の空間をつなぐ井戸のような役割をしていて、屋根から入ってきた自然光をやわらかく下の空間に落としています。

構造は、4枚の単板の鉄板で成立していて、コンセプトは、自重でたわむ鉄板が一枚だとその形を保持できないんですけど、4枚が互いに支え合うと自立して安定した形になります。これが構造の解析ですね。

施工では、造船の技術を持つ鉄骨屋さんが協力して下さることになっています。躯体は鉄板でできていて同時に止水も出来るので、外装には仕上げとして木を貼って、それはお寺の茅葺き屋根にコケがはえていくように、自然と朽ちていってもいいなと考えています。

 

先に形があるんじゃなくて、形が出てくる、生成する

竹山:高松さんは一連の若手の作品を見てどうですか?

高松:我々がやってきた事とはまったく無関係な世界だな。

布野:だいぶ違うね。

竹山:ぜんっぜん違う。

高松:国籍も人種もプラネットも違うって感じだな。

ただ、あるボーダーには入っていそうな感じはする。それをどんなふうに表現していいのかわからないけど。

竹山:全然違うと思うのは、これまでのモダニズムの大きな流れのどこを切るのか、っていうことなんです。最終的にメインストリームとなった合理主義的な建築じゃなく、そのとき置き去りにされた表現主義あたりを切っている。

   ポストモダンっていうのはある表層的な意味の操作だったと思うんですが、モダニズムって何だかんだいいながら機械の美学、部分と全体を組み合わせるものでしたが、今の世代はコンピュータの進化のせいもあるかもしれないですけど、もう全部一体ですよね。特に松岡君がさっき言ったダイアグラムから建築にどう導くかも含めて、みんな微妙に違うんだけど、共通してるのは部分と全体の関係なんていうことではなく、ともかくある連続性があって、その中でどんな風に連続に揺らぎを与えるかだけ、基本的には一体。

   多分高松さんとか僕はまだ、コンポジションの世代な感じがします。部分を構成して全体にどういたるか、そして全体が部分にどう影響を与えるかっていうのが重要で。原先生の有名な論文に『部分と全体の関係』ってのがあってそういうのの呪縛にとらわれてるのかもしれない。

   平田君の場合は空間現象的だなと思います。そこに人間が立ったときに立ち位置によってどういうふうに見え隠れするのか、ってことに関心がある。

   松岡君の場合はすごく方法的。どちらかというと形を出すことにためらいがある。だからダイアグラムとかリサーチとか、そういったことからどのように、論理的に建築を導けるかってことに関心がある気がします。ただ作品を見てると同じように連続的な感覚が最初からある。

   百田君とか大西さんのやつは、物性的だよね。物にすごく寄って、物からそのまま素朴に形にいく。あるいは形をポンってだして。フクロウみたいなとか形に対してすごく素朴に信頼している感じがする。

そういう違いはあるけれども、たぶん部分と全体とかエレメントの構成とかそういうような感覚が全然ないな、と。そこが新しい。

高松:僕は、ある種の貧しさのようなものを感じる。それも強い貧しさというか、深い貧しさというか。おそらく意味を呼び寄せようとしているのではなく、無から意味を開発しようとしているからだろう。そのために全てを捨てるプロセスを辿るが故に、かがやかしき貧しさに到達しているな。僕が「貧しさ」という言葉しか使えないのは、竹山さんが言うように、我々が囚われてきた思考回路に起因しているけれども。本当はもっと適切な言葉があるのかも知れない。

平田:生まれてしまった意味を操作しようっていうのがポストモダンだとすると、僕らの世代は、その意味が生まれるところに戻ってその形を考えるというか、そういうところに興味があるのかなと思いました。

例えば、もともとどういうところから屋根のあの形がでてきて独特の意味性を獲得したのかは、もちろんあるフィクションとしてしかとらえようがないけれど、フィクションがある原点を指し示す可能性はあるわけです。そうすると屋根的なものが生まれてきた原点のところから形が生成するかのような状況を想定できる。

先に形があるんじゃなくて、形が出てくる、生成する、そういうところに我々の興味があるのかなと。

高松:とりあえず屋根があり、そこから屋根性というものを捨て去る。それはひとつの意味の生成へのプロセスであり、屋根は単にそのきっかけに過ぎない。我々は逆にひたすら意味を埋設しようとしていたように思う。

竹山:僕は屋根とか床とか壁とかっていうような言い方をしないで建築を構成したいと思ってきたんですよ。水平なものをたまたま床や屋根、垂直なものを壁と呼ぶわけだけれど、その壁が斜めだったり、斜めのものがどこまで行ったら壁なのか屋根なのか、むしろそういったものをひっくるめて全部スクリーンと見なして建築をつくりたいということをやってきた。

   それでも今みんなの作品を見て思ったのは、僕はそうはいってもやはり屋根とか壁とか柱とかいう体系はあって、これに反抗するという構えが残る。だから、平田の言っている屋根と僕らの言っている屋根は違うんだ。とにかく傾いている斜面のことを屋根と呼んでみてるだけなんだよね。山脈とも言ってみたり。それは水が流れる場所なんだ、で、じゃあこれ素材はなんなの?って聞くとなんでもいいわけだ。そこがね、違うなって。そうか、そこまでいっちゃうともっと抜けがすごいなって思う。

高松:意味の開発って言葉を使ったけれど、むしろ意味の生成過程と言うほうがいいかもしれない。それは我々年寄りには非常に面白い。我々は既に意味にまみれてしまっているから()

 

社会性なリアリティと身体感覚

布野:というか、要するに、形の意味の生成とかいう次元ではなくて、社会的なひとつの解答ということが問題だと思う。ヨコミゾマコトが鉄板を構造体として使う。狭小間口の敷地に新たな可能性が生まれてる。音だとかなんだとかいろいろ問題があるかもしれないけれど、社会的にちょっとヒットしてる感じがあるわけです。藤本壮介も木造を新たに使うシステムつくって新しい空間つくる試みに見える。われわれの時代とそういう方向はあんま変わんないんではないかと思う。

   要するに、次の段階が問題だということ。それが社会的にある種のインパクトを与えたときに、若い世代も変わっていくだろうなって感じはあります。言ってる意味わかる?()

   ある種のプロトタイプ、例えばステレオタイプになってしまっている都市型住宅みたいなのに対して、別の解答になるものは何か、それを提示する役割が建築家にはあると思う。最初は特異な作品でも、それが応用されていく。

   例えば西沢立衛の試みでいうと、敷地にパラパラってキューブみたいなのを置いて住宅を作るようなやり方ってのは可能性がある。そういうことが問われてくる段階があるんじゃないかと思う。

高松:それはおそらく先程から話している言語化と関連している。言語化と認識したとたんに社会性が問題となるから、そこからが勝負だと思う

竹山:塚本由靖さんから「伊東さんたちの時代と我々の時代では身体性が違う」って言われて、わかる気がした。

今の西沢立衛のポコポコした集合住宅、あれなんかも身体性が違うって考えないと成立しない。例えばプライバシーなんかについての身体性が変わっていないと成立しないですね。もう丸見えですし。あれも鉄板を使っていて、坪170万もするらしい。そういうものをつくらせてくれる施主がいて、喜んで住んでくれる人たちがいて。それが僕にとっての社会的関心です。

布野:地価との見合いとか、スペースとの見合いのなかで、どういう解答があるか、建築家の創意工夫というか、キラメキを見たい。

竹山:昔は美容院って見えては困るプログラムだったんだけど、今は見えても構わないっていう身体性が育っている。パブリックとプライベートのあわいを曖昧にする身体というのかな。

     使っている意味合いは違うけど、近代建築が求めた透明性っていうのを、いろんな意味で読み変えながら、透明性とか、開いていくとか、そういったことが一種の倫理として出てきた

この前、大西さんと話していて感じたんだけど、「開いていく」ってことが基本的に善なんですね。これは閉じてしまうから開いていくことが善だっていうある倫理がこの十数年つくられてきた。これは伊東さんの影響があるのかもしれない。

たぶん僕が学生の時で高松さんが活躍し始めていた頃は、開くということに対して、すごく慎重な姿勢があったと思います。社会はもっと様々な危険とか対比に満ちていたし、開かないことが自由をつくることだっていう感じだった。そこから自閉症っていう言葉も出た。閉じることが自由を得ることだった。それが開くっていうことに無条件に信頼を寄せる世代が出て、「ああ日本の社会っていうのはとても信頼のおけるものになってきたんだな」と思っていたら、ここしばらく、今の2、3回生を指導していると、全く逆で、全然窓がなかったり、すべて地下だったり、洞窟だったりして、「なんで?光は?」って聞くと「いりません」っていう答えが返ってくる。「いや、光がなかったら見えないじゃない」って言うと「暗闇がつくりたいんです」って。洞窟とか暗闇とか完全に閉じた空間がザーっと出てきて。これはまた違った感覚が生み出されつつある。開く、開くとか言ってたと思ったら最新世代はこれはやや洞窟なんだね。ここでまたちょっと線が引かれている。

自由に構成しながら、ダイヤグラムの向こうに建築の自由を生み出す、新しい形を生み出すっていう平田・松岡世代に対して、9年ぐらい下の大西・百田世代は、ひょっとすると次につながる感覚を共有していて、開く、開くと先輩たちがみんな言って、それが善だと言っていて、本人もそう思っていると言うけれども、実は開いていない建築を心のどこかで求めているかもしれない。その下の世代はもっとあからさま。

布野:身体感覚の世代による違いとかそれはそれでいい、もちろん形の生成の場面で彼らの身体感覚によるところは相当大きいと思う。僕が言いたいのは、要するにちょっと外せばいい、ということ。例えば、鉄板なんか絶対使えっこないと思ってたのに、使ってみるとある種、別の解答が出てくる、とか。塀取っ払ってみたら、周りから見えてもいいとか条件をひとつ外したら別の解答が出る、って意味であれば、別に身体感覚や世代の違いとかって説明をしなくても、今の社会的なリアリティのなかで本気で考えたときにそういう解答が出てくる。凡庸な建築家はサボってる、といってもいい。意欲的な建築家だけが新たな可能性を追求する。その試みと解答が自分の中で閉じているかどうか、それが問われますよ、ということです。それが一般化可能で正解であれば、仕事もバンバン来る。

平田:桝屋本店の仕事のとき、社長さんが言っていたのは「お店に入ってバッと全部を見渡せるような店ではものは売れない。少し入ってあるアイコンが見えて、また少し入ってまた別のものが見えてっていうような世界ではじめて人はものを買うんだ」という確信に満ちた発言で、人間を結構動物のように見ているなと思ったんです。その話と、自分がグレーと言っている、見通せない連続体の話って実はすごく結びつくんじゃないかと思います。要するに、大げさに言うとエピステーメの問題じゃないかと思ったんです。どういう空間を前提としてものを考えているかっていう、認識論的布置の問題に重なってくるような気がしたんですね。なので、それを変えていって、ものを買うとかってことにも結びついてくる、と。

理屈としてはそういう理屈で攻めたら、わりと感覚的にわかってくれて、それはすごく勇気づけてくれました。結構ものが売れるようになったと施主さんも言ってくれていて。現代的な空間に対する見方というか、ものの考え方に通じる建築的思考であれば、わりとストレートに通じてしまう。そういう社会に対する突きつけ方ってあるんじゃないかと僕は思っています。

布野:それはそこですよ。

高松:まあ、そこだけのような気もするけど。

平田:もうひとつ、言語に関してですけど、やっぱり妹島さんの影響が大きいのかもしれないです。二川さんが昔、たぶん高松さんが対談されたときに、妹島さんのことを巫女っていってて、それが面白いなと。あれを見たときに言葉を発する原点に向かって言語性を持っているなという感じがしたんです。言葉が生まれてしまってからそれをどう捉えるかっていう理論もあるけど、そういう言語を発する原点の方での思考での理論もある気がして。SANAAの仕事は言葉には濾過されていないけれども、作品そのものの方は非常に緻密で理論的だと感じるときがあって。

布野:西沢さんに「理論は自分だということ」って言ったら、「いや、それは妹島がえらい」とかなんとかだったけど。

平田:でも西沢さんが理論的で、妹島さんが理論的じゃないとは思わなくて、妹島さんもすごく理論的なんじゃないかな、という気はして。そういう見方ができると、言語と建築の関係ってすごく新しい関係ができる気はしています。

   個人的には藤森建築には結構違和感があって。というのも別に藤森さんがどうとかっていうのではなくて、あれを両手離しでいいって言える感覚が僕にはちょっとなくて。ただ、藤森さんがやっていることに人が惹きつけているというのは事実だし、惹きつけられる部分はあるんだけど。どうやって、そういった意味での魅力をもうちょっと別の筋で会得できるかはちゃんとやらないといけないんだろうなと。そういう魅力というか通じ具合というのはさっき言ってた社会性なのかなと。   

 

均質空間批判

竹山:平田君がやった商業施設もそうだし、さっき語ったことって一種の均質空間批判になっているんだよね。でもそういう言葉は使わない。僕らのジェネレーションは原広司の理論的枠組みに大きく囚われている。モダニズムというのは均質空間であってそこからどう抜けるのか。でも君たちは日常的な風景として、ごく自然に不均質な空間ができるような身体性をもっているんだなっていう感じなんだ

平田:大西さんたちはそれぐらい自由だと思いますよね。でも僕は結構、そういう枠組みから自由ではない、むしろそういう不自由さのほうが面白いとすら思っていてその枠組みで今でも考えようとし続けている部分がある。

原さんは最近、均質空間批判という言い方をされなくなったけれども、離散的という話はまさにそういうことを言おうとしているんだと思うんですね。結局はそこのところを超えないといけないなという意識は植え付けられていて、いまだにどうやったら突破できるか、っていうことを考えようとしていますね。できないかもしれないけど、そういう枠組みで考えないとあんまりおもしろくないなと。まず均質な空間があって、そのなかにものが置かれるという発想じゃなくて、どうやって自分から生まれていくような方法で外部と内部ができていくか、っていう素朴なことなんです。そのつくり方を、今この時代に説得力のある状態にまで高められれば、意外に道は開けるかもしれない、みたいな根拠のない希望みたいなのをもってやっている感じです。

竹山:伊東さんの呪縛とか影響とかってどう?

平田:もちろん影響はあると思うんですけど、あまり呪縛と感じたことはなくて。僕はイメージとしては断絶をつくる必要はないっていう意識はあります。系統樹的に育っていけば、枝葉が全然別の方向に行って、別の方向に行って…

布野:伊東さんってどんなだった?なんか理論があるの?

平田:理論がありそうな、なさそうな…。ただはっきりはしてますね、判断基準が。そこはある種の暗黙の理論みたいなのがある。もちろんきちんと文章を書かれる人なのですが、みずみずしい身体感覚のようなものを理論化しきろうとしてはいないと思います。

布野:時代との距離感がとにかく敏感な人だと思いますよね。ずっと一線で考えるっていうのは、しかし、大変だ。

高松:原さんが様相という言葉を発見する直前のことだけれど、原さんの設計した伊豆の別荘『夢舞台』で、伊東さん、山本理顕さん、石山修武さん達を含めた5人で徹底して言葉を探索したことがある。原さんの言葉に対する執拗なまでの撞着は、すさまじいものがあった。要するに、たったひとつの言葉がパラダイムシフトを招く。とにかく、その時驚いたのは、伊東さんがそのような作業に徹底して距離を置こうとしていたことだった。つまり言葉との距離を保とうとする。

布野:伊東豊雄論のためにいいヒントをもらった気がする。

竹山:「清浄なる世界風景の誘導」ってやつですね。原先生が伊東さんに送った。高松さんは確か「精神史としての建築」でしたね。

高松:まあそんな言葉をいただきましたね。

竹山:セシル・バルモンドと伊東さんの講演会で伊東さんは、

「内外のあいまいさ、境界を溶かしていくには3つの方法があると思う。1つ目はフラクタル。2つ目は穴を開ける。3つ目が切断。」というようなことを言っていたけれど。

平田:3番目が僕が最後まで納得がいかなかったところなんです。まず四角い領域を決めてしまうという時点で発想が均質空間的というか。空間がまずあって、無限に連続形式があって、それを切る、それはまさに内と外を強く発生させてしまうと思いました。要するに2つのポテンシャルになってしまう、と。そこは僕は明確に超えたいなと思っていて、それで「成長するような」種のような原理を想定することを試みている。

『せんだい』の時なんかもそうなんですけど、キューブがあっても「それはあくまで領域を規定するにすぎない」と。一見説得力があったんですけど、やっぱり均質空間的な前提のなかでの自由のような感じがしたんです。『せんだい』の持っているフレキシビリティってわりとオフィスビルのもっているフレキシビリティに近いというか、均質空間的だと思ったんです。やっぱりそういう枠組みで考えているうちはすごく近代的になってしまうんじゃないかと、僕は思って、それは伊東さんのところにいるときにかなり言ったんですけど、なかなか通用しなくて。

高松:社会言語のなかで創作をしている限り、近代的なるものは決して変えることはできない。そういう意味では伊東さんは思想家であると思う。

平田:一度、OMAと共同で超高層を何本か立てるっていうコンペをやったんですけど。伊東さんはとにかく四角い超高層を立てて、そのなかにチューブを通す。レムはブランクーシの彫刻みたいなタワーで外形をつくってしまう。伊東さんの場合、内部に流動的なチューブが走りながら外形はあくまで切断されたキューブなんです。

竹山:TODSも平田が担当したんだよね?あれも外形はシンプルだよね。

平田:そうですね。TODSも僕は最初もっと立体的な案を考えていたんですよ。そしたらこの敷地でそういうのはスケール的にどうなの、ということになって。結局どんどん表層で考えるしかない状況になってきたんです。ただ表層であっても10m程度のスパンだったんで、開口のあり方が空間を定義づけるという考え方でいいと思ったわけです。それが樹状のシルエットが影絵のように重なるアイデアのきっかけになった。そういう意味では伊東さんのコントロールがかなりきいていたといえますね。伊東さんから立体的な案が出てくることってあまりないんです。むしろこのときのように、面白い案にするにはかなりの困難が想像されるような状況でもフラットな考え方のほうにディレクションが向くことがあります。僕はそういうのにわりと抵抗していましたね。ただ、伊東さんが立体に弱いかっていうと、逆にかなり強い感じがします。立体的な案を説明すると多少複雑でも一瞬で理解されるので。

竹山:チューブと表層ペラペラってのは両方あったんだよね、昔から。チューブの中野本町とヒラヒラのモルフェーム。それをうまく進化、発展させて今日に至ってるなと思った、この間の講演会を聞いて僕は、すばらしいなと思って。

高松:そして戦略が非常に明快で、かつ操作的。自己生成的なるものは皆無。そのあたりが伊東豊雄の魅力であり、同時に次の世代から見ると物足りないのかもしれない。

 

メディアの解体

竹山:伊東さんがそういう風な形で引っ張りもし、反面教師としても立ちはだかることによって弟子が育つんだね。伊東事務所から結構建築家が出てるもんね。

布野:ある時代は菊竹事務所からいっぱい出るとか、篠原スクールから出るとか。今は特に伊東さんのところから優秀な建築家が出てる。

竹山:そうですね、丹下さん・菊竹さん・篠原さん・原さん、それで伊東さん。

布野:メディアの話をすれば、SDレビューなんかはまだ若手の登竜門になっている。でも、それ以前に、建築ジャーナリズムがもう解体しちゃったっていうのが決定的な問題ですね。かろうじて『GA』と『新建築』は相変わらずあるけども。

あるジェネレーションには、何人かスターというかリーディングアーキテクトが絶対にいるわけです。日本を代表するような人が。そういう人が考えていることを発表するメディアがないのは非常に不幸ですね。SDレビューとか「卒業設計日本一決定戦」とかは、そういう場が焦点になっている。学会は別のレベルで、「日本一決定戦はおかしい。特異な、先端的な場だ」と言って、今年から「建築デザイン発表会」ってのをはじめる。

その前は『作品選集』を一生懸命つくっていた。大学の設計教育もますます窮屈になっていて、業績をカウントしないといけないという。ますます建築の分野がポジションを得にくくなる。特に工学部なんかは大変だ。何かメディアがないと、議論をしても、載っけてもらえないし、繋がっていかないよね。なかなか大変だ。

竹山:『CASA BRUTUS』とか、ああいう風な一般誌が、平田君とかを載せていますよね。建築プロパーで建築に愛を感じている人間にとってはちょっと変な取り上げ方かなと思わないでもないけど。()「建築」っていうのを一般の文化につなげていってくれることは歓迎すべきことだと思っているのね。で、そういうメディアに乗っかったスター達になるはずだよね、彼らのジェネレーションからは。僕はむしろいわゆる建築メディアの解体というのは歓迎すべきことじゃないかとちょっと思ってますけどね。

布野:そういう見方もあるけども、一方で竹山さんがそうであるように20代で活字を書くっていうのが必要なんだ。あとに引けなくなるまで考えて書くという。そういう場があってしかるべきです。今は日本建築学会の「建築雑誌」みたいなものが受け皿になってる。それはあまりいいことではない。

高松:それぐらいしかない。

布野:ない、今ないんですよ。もっと色んな場が用意されないといけない。その上で『CASA BRUTUS』もあればと思う。

平田:『10+1』は、こないだなくなっちゃったんですよね。

布野:『10+1』もね。

平田:昔からそうなのかもしれないんですけど、雑誌は、学生をすごく意識していますよね。学生が買うってことなんですかね。

竹山:うん。学生が買うんですよ。

平田:だから最近ではこういう卒業設計のなんかもかなりメディアが取り上げて、結局学生が買うということが大きいんだなと。もう少し突き放すような内容のものがあってもいいような気がしなくもない。まあ売れないとどうしようもないわけですが。

布野:だからね、建築の研究者っていうのはピンチなわけですよ。というのはね、建築界全体がピンチだから。そう今の建築士法改正とか、相当問題がある。それからもう明らかに縮小せざるを得ない。

竹山:あとは海外を同じマーケットにして、建築家を輸出していくとかね。

平田:台湾の本屋とか行くと、結構真面目な理論書が、思ったよりいっぱい並んでて、建築コーナーの色合いがちょっと違うんですよね。だから比較的日本だけで起こっている話なのかもしれないですね。要するに日本人は今、活字を読まないですよね。まあ僕らの頃はまだ読んだと思うんですけど、今のうちのスタッフなんかも全然本を読んでないんです。結局、活字で書いたものを出しても売れないから出さないというサイクルになっているんで、読むようになればまた売れるんだろうなと思うんですけど。

布野:つい6月の頭に台湾に行ったんだけど、若手の評論家で面白いのがいた。台湾の建築家はだいたい私は知ってるけど、その連中はごそっと中国に行ってるね。そういう海外の情報も、やっぱりちゃんとフォローすべきで。今は『GA』的枠組みでぐらいしかない。

高松:ぐらいしかないね。

平田:英語で出せば意外に売れるんじゃないかとも思います。

高松:少々古いやり方だけど、単発の本を活字に出し続ける方がいんじゃない?洪水のように流すよりも。

竹山:それしか残らないんですよ、やっぱり。結局、単行本できちっとしたやつは、たとえば篠原一男の『11の住宅と建築論』とか、何度も繙くけど、雑誌とかだと「あれ何月号に載ってた?」とか()、それはもう消耗品ですよ。

高松:我々のころは、この建築家は一体何考えてんだろうって時には、必ずその建築家の書いたものを読んだね。そういう意味では今の建築家はどうするんだろうと思うね。

布野:要するに活字になってないと扱えないんですよ。若い頃から理論とか、書き物で記しておいてくれないと扱えないんですよ。作品だけあるのなら作品に聞けばいいけどね。だからそれがなけりゃ何をしてるんだろうってことになる。

高松:30年以上やってると作品もちらほら無くなってく。残るのはやっぱり本だね。

竹山:昔からおっしゃってましたよね。「写真しか残らない」って。

高松:建築は運べないからね。僕は壊しにくい建築を作ってきたつもりだけれど、それでもいつのまにやら壊されてしまう。(笑)

 

学生へのメッセージ

竹山:では京大はどのような場であったか、そして後輩たちへのメッセージを。

平田:僕はこの中でも珍しくピュア京都なんですけども、7年間京都にいました。

それで、やっぱり東京じゃないので落ち着いて状況を見れた気がするんですよね。東京で起こってることに対して距離感があった。今の京都が東京に対してどういう距離感を持っているかは分からないですけど、相対的に東京の状況を見れたのはすごくよかった。

一方で建築家がいなかったかと言えば、そうではなく、高松さんが非常勤で竹山先生がいたり、布野先生が東京ではこういうことが起こっているとか話してくれたので、身近に感じつつもどこか距離感があって良かった。そういう場所だったと思います。

学生へのメッセージですよね・・・なんか「建築家」って子供のときに想像していた大人みたいで()。学生の時と全然違う雰囲気がしたけれども、あんまり違うことを考えていないんだなーって。今考えてることを、そのままずっと考え続けた人が、多分建築を出来るんじゃないかなという気がしています。同じことを、ショートサーキットじゃだめだけれど、考え続けるってことが大事なんじゃないか、ということを伝えたいですね。

松岡:僕が学生をしていたころは、京都は建築の大きなメディアだったと思うんです。京都には歴史的な土壌があり、京都の建築家が独自の作品をつくる建築のメッカだと。京都で建築がやれるのはすごく幸せなことだなって思っていました。庭園をいっぱい見たりしていました。そういった点で十分な刺激をうけて建築に打ちこめる環境でした。

大学院で京都を離れた分、京大に関してはいいイメージがありましたね。それは布野先生との関わりだったり、竹山先生の最初のインパクトがあったり(笑)。

竹山:後輩に対するメッセージは?

松岡:僕は、建築家がどうやって設計するかという、「設計の仕方」がすごく気になっていて、それを見て比べることが非常に重要だと思っています。その場所に入って、ダイナミックな設計の動きみたいなものを、どこまで体感できるか、またその設計の仕方が別の方法と比較してどうなのかということを、昔から気にしていました。設計の動きを体感できる「場所」になるべく自分を置きつづけて、いくつか比較できたら、面白いんじゃないかと思います。それによって、自分のつくりたいものへの到達を早めたりできるんじゃないかと思います。そういった色んな場所を経験するのもいいかなって思いますね。

百田:僕も平田さんと同じで、6年間京都にいました。京都は本当に落ち着いた場所で、『GA』とか、『CASA BRUTUS』とかそういう雑誌の中の世界からはすごく遠いんですけど、建築にとって本質的なものに包まれていたような気がします。古いお寺とか。これから僕がやりたいことと、必ずしもそれらが一致してるわけではないんですけど、いいものに包まれていて、落ち着いて考えられるっていうのはすごく自分にとってよかったなと思っています。

大学院に入ってからは、大西が東京にいたので、1/3くらい東京に出てきていました。そうすると全然世界が違って、週末にはそこかしこで講演会や展覧会が行われているんですね。でもまず、京都で落ち着いて、鴨川で昼寝したり、哲学の道をふらふら散歩したりしながら、自分の好きな空間体験を発見できるっていうのは大切なことだったと思います。京都を歩いていると、東京とは全く違う厚い歴史の積み重ねを感じることが出来ますし、学生に対して寛大で、何でも好きにやっていいよ、という自由な雰囲気があるように感じます。そこから時間の流れの速い東京に出てきて、新しい世界が開けていくっていうのはすごく自分にとってよかったなと思うので、京都の学生の方には、京都にある豊かな空間をゆっくりと味わってほしいなと思います

竹山:京大の教育についてはどうですか?

百田:講評会のときに、先生同士がけんかするぐらい議論するような場面があったらよかったなと思います。はじめは、講評に選ばれる作品がいいものだって思っちゃうんですよね。でもそのなかにも実は多様な価値観があるんだ、ってことがわかると、建築を学び始めた人の視野が限定されないんじゃないかな、と。

竹山:大西さんにとっては、京都はどのような場であったのでしょうか。

大西;京都にいたときは、毎日毎日、現代の建築って言うのは、愛されているのかしら、ということをすごく考えさせられたような気がしていました。

   私は建築を始める前、「現代建築に本当に心を揺さぶられたことがない」っていう漠然とした批判意識を持っていたんです。京都へ来て、大好きなお寺へ行ってみるとそこでは今でも美しい建築の中で、風や光と共に美しい生活を送っている人がいる。そういう空間で暮らすことが日常的である方たちから、現代建築を全部ひっくるめて批判を受けるんですよ。毎週毎週、「何でそんな建築をやってはるん?」と。そういう方たちに、私が対抗できる言葉がないっていうことをもどかしく感じていました。でも、今しか出来ない、新しい空間がきっとあるはずだ、という気持ちで建築を続けています。そういう疑問って東京に来てからは感じることが少なくなってきている気がして、これはいけないなと思っています。そこは、京都にいてよかったなと思いました。

竹山:後輩たちにメッセージを。

大西:私は、どんな建築や場所を体験するときでも、自分なりの発見的な体験の仕方をしたいと思っています。動物のような勘によって新たに気づくこともあるかもしれないし、新しい言葉や、意味を与えることで全く違ったものに見えることもあるかもしれない。何かを発見できるとそれは自分のものになるような気がしています。そういうことを後輩にもお勧めしたいかなと思います。

 

建築は社会を変えられるのか

竹山:多田さんから先輩たちに質問はある?

多田:建築をつくることで、社会だとか、世の中を変えられるのかっていうことを私はずっと疑問に思っているんですが、それに対してどう思われますか?

   大西さんも現代の建築がみんなに愛されているのかしらということをおっしゃってたんですけど、例えば一般の人もブルータスとかを見てそれを「お洒落だな、でもよく分からないな」っていう理解で終わっていて。建築はこれからの社会に対して「いい空間だな」以上の何かが与えられるのか、それとも建築はその瞬間がよければそれでいいっていう存在なのか?と。

「これからの社会の人に対しての建築」っていうものをどう思われるのか、お聞きしたいです。

竹山:社会に対して建築は何ができるかっていうことですね。

大西:まず、自分にとって社会とは何か、ということをはっきりさせる必要があると思います。私にとって今実感できる社会というのは、一つは自分の周り半径30メートル以内の社会、つまり自分で見て、感じて、知ることの出来る社会。そしてもう一つは、地球という規模で建築を考えたときに、「建築をつくることは地球のでこぼこの中にもう一つ石を置くことなのだ」というような、非常に大きな視点での社会です。たった一つの小さな建築が、人間にとって根源的で普遍的な解であるということは可能なのではないかと思っていて、そういう建築が作りたいと思っていますし、そうした建築は社会を変えると信じています。

つまり、個人の生み出す何か一つの美しい建築が、ある過程を経ることによって地球の一部として刻まれることすらある、ということに興味があるのかもしれません。

百田:僕は「新しいこと」っていうのがすごく重要な気がしていて、建築家が、すごく普遍的な豊かさを持っているけれども、何か見たことのない新しいものを提示できれば、社会と接続する可能性は持っていると思います。例えばビルバオのグッゲンハイム美術館のように。これから大きな夢を見る若い自分としては、そこを目指してがんばっていきたいと思ってます。

松岡:僕は建築が社会的な何かを変える手段になると期待したことはほとんどありません。そういった構えが、建築をつまらなくするのではないかと感じるからです。例えばメッセージ性の高い音楽があって、それがたくさん売れて、みんなの意識が変わったりすることはあると思うんですが、実はそのメッセージの内容以上に、音楽そのものが、評価されているんじゃないかと思います。

建築が社会を変えるためのメッセージみたいなものや、変えるであろう社会の自分の位置を定めたとしても、それ以上に建築の気持ちよさや明るさのほうがより影響力があるのではないかと思います。僕は建築がすぐやれる、社会を変える力があるとすれば、そういった、楽しく感じるとか、気分を変えるとかっていうことだと思います。

平田:建築とか建築家の社会的影響力に関しては、非常に興味があって、政治家になるとかそういうことではないんだけれども、社会的影響力がないっていうのはやはりだめだと思います。要するに社会的影響力って何かというと、そのものがあることによって、ものすごく人生が変わったとか喜びのある体験をしたとか、あるいは楽しかったとか、今までにないような経験をしたとか、そういう素朴なことだと思うんですよ。毎日の生活像が少し変わったとかそういうことですね。それに対してちゃんと根本的な提案ができたならばしかるべき影響力を獲得すると思う。 東京で出来ている、ものすごく巨大なプロジェクトたちはひとつも発見的なものを提示していないから、建築が影響力を持っていないし、つまらない法改正があって、設計者の立場がどんどんなくなっていて、そこはなんとしても変えたいなって思っています。自分ひとりでできることじゃないけど。

本来的には建築はそういう影響力を持ちえるものだと思っていますし、そういう意味で社会を変えることができる可能性もあると思います。別に毎日暮らしている空間を建築だけが扱っているわけではないし、スコーンとストレートに伝わるときはスコーンと伝わっちゃうんじゃないかな。そこで突き抜けたいなっていうのが理想です。

竹山:最後に高松さんと布野さんから、彼らに対するメッセージをいただければと。

布野:今の話、多田さんすごいことを聞くなーって、みんなもよく答えるなって、感心して聞いてたんです。

僕ぐらいの年になるとね、降りかかってくることに対して、若いとき考えたことをいかに曲げずに、対応するかっていうので精一杯ですね。なかなか社会っていうのを変えるとかは・・・。今、すごい新鮮に昔を思い出したりしたんだけど()

高松:そういうこと昔言ってたよな。

布野:感心して聞いてました。みんな立派なことを言ったと思いますね。

高松:建築の仕事というのは、人間の存在形式の始原に触れることのできる数少ない仕事のひとつだと思う。そのことをずっと忘れないでおこうとしてきたし、これからも決して忘れないでおこうと思う。とはいえ残り時間はそれほどありそうもないので()、是非とも君たちにそのことを考えてほしいと思う。先輩のひとりとして。

 


2026年4月23日木曜日

2026年2月18日水曜日

快感進化論書評座談会,traverse05, 新建築学研究,2004

 快感進化論書評座談会

 

参加者:石田泰一郎、竹山聖、布野修司、古阪秀三、山岸常人、横尾義貫、伊勢史郎、大崎純

日時:平成16323       場所:建築本館会議室      編集:伊勢史郎

 

トラバース3号に寄稿された『ミームは快楽主義』が元に膨らんだ文章が200312月に『快感進化論』というタイトルで単行本として出版された。その出版を記念しトラバースの編集委員7名に横尾名誉教授が加わり、書評座談会をすることになった。座談会では『快感進化論』というミームがほぼ成熟した状態で複製されたことを確認し、また発見の快感と伝達の快感が生成されていたことも確認した。ここにその記録を示す。

 


1.過剰に遊ぶヒト

竹山:伊勢さんの本の中で、音声がどうしてコミュニケーションのツールとして特権的に選ばれたか、の仮説として水生類人猿説を引用していますね。僕も出たとき読んで、とてもおもしろいと思った。『女の由来』とかも。チンパンジーもゴリラもちゃんとしたコミュニケーションとして音声を使用できない。そこまで声帯が発達していなくて、人間だけがコミュニケーションできる。全生物の中で音声をコミュニケーションに使用する動物は鯨類と鳥類の一部、そして霊長類の一種であるヒトしかいない。僕も一昨年に出版した『独身者の住まい』の中で引用したのですが、鳥、特にジュウシマツを研究している岡ノ谷一夫さんがこうおっしゃっている。性的なメッセージとして小鳥は雄だけが歌うんですけど、そのうち雌は雄の歌が、過剰で無駄になればなるほど反応する。それで雄を選ぶ。そうすると今度は歌が自己目的化してより複雑なより高度なテクニックを持った歌に進化していく。それをハンディキャップの原理と言うのですが、その個体が余力を持っている証しだと。伊勢さんの仮説では、脳科学で明らかにされたA-10神経がドーパミンを分泌して、それは鞘がないからどこでも過剰にホルモンが出ていって、人間の独自の進化を遂げさせたというのがすごくおもしろくて、ネアンデルタール人と現生人類を分けるのがそこの脳の構造にあるというのがこの本のすごく説得力のある部分なんだけれども、やっぱり建築の話にひきつけて考えると、なんでこんなに建築って複雑に、高度に、無駄に、むやみやたらにいろいろなことを繰り返し、試みられてきたかを考えると、鳥が歌を進化させてきたのと同じような原理が働くのではないか。それがおそらく「美」という言葉と重なってくるんですよね。バタイユは『呪われた部分』って表現してますが。音をもとに人間はコミュニケーションを発達させたということを壮大な枠組みの中に捉えようとしたのがこの本だ、ということを強く感じました。

伊勢:クジャクの羽とかもそうですよね。

竹山:そうそう。だから進化というのはある程度科学的にいろんなことを説明してくれるんだけど、この本のおもしろさというのは大胆さ、ある意味で科学的でないところのおもしろさにある。「快感」という言葉を手がかりに、原因と結果がどっちにもつながるウロボロスみたいな構造をとりつつ、様々な事例を膨らましたというところに醍醐味がある。繰り返し言いますが、音への思い入れから、音によるコミュニケーション、それに快感を覚える人間、それによって支えられた文化というような順番で壮大な建築物を作ろうとしているんだ、と読みました。

布野:僕は、伊勢さんの本に大いに刺激を受けたんです。DNAから地球全体まで視野に収める壮大さがある。僕の読むところ、ベースはコミュニケーション論ではないかと思う。ただ、音響学的な話は少しはっきりしない。トラバース3号の時にはピンと来なかったんだけれど、この本で少し分かった。その先が聞きたい。竹山さんの話に続けると、性愛のコミュニケーションも興味深いけれど、伊勢さんが興味があるのは集団とか群れにおけるコミュニケーションでしょ。音響学の原点をそこに求めるのは面白い。集団のコミュニケーションがどういうメカニズムで成り立つかに興味がある。毛繕いの問題ね。

竹山:ただ集団に話をシフトしても、伝えること自体の快感という視点で捉えられている。さらには、小鳥のさえずりにしても、特に何かを伝える必要があるからではないのに、話すかのように独り言を含めて多彩な言語表現をする。これ人間にもあって、伝えることが快感であるということからさらに踏み込んで、伝えられなくてもいい。これを未成熟ミームと言うんでしょうか。伝えられようが、伝えられまいが、ともかく過剰に何かを表現する、それ自体が快感であるっていうようなところを示唆してある。

布野:という竹山先生的読み方はあるんだけれど、横尾先生がミーム論にものすごい興味があるというのがまた興味深いんですけど。

横尾:僕はね伊勢君と同じようなことを考えているんだよ、ずっとね。古いんだよ、僕はずいぶん。動機はいろんなことがある。学園紛争ぐらいのときからはじまって、人間っていろいろあるもんだなって、観察しだした。だけど、僕の場合は結局遊びの問題として捉えた。学園紛争のとき、こいつは遊びが足りないなと思うのが、急にこう、夜叉のごとく変貌する人があったりするもんだから、女性でも男性でもね。それが動機だって言うとぶん殴られそうだけどもね。それから遊びは非常に重要だということで思索が始まったんです。ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』という本を読んで、次はたまたま『帝王的動物』という若い動物学者の本も読んだ。これは、ようするに行動にもグラマーがあると考えているんですね。行動のグラマーを毛繕いとかいろいろと分類して、主として霊長類も包含するような哺乳類的段階で展開していたと思うんです。これが非常におもしろかった。あと、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』とかも非常に参考になった。僕の種はそのぐらい。あとは雑学で脳の話とかも参考にしますが、問題は遊びが人間のビヘイビアの根本で、ミームというのにどこか似ているような気がしますね。遊びの中にもちろん快感がありますからね。でも僕の場合は遊びの原初的タイプというのを考える。ホイジンガにしてもカイヨワにしても、トランプとかスポーツのようなものを対象にしているのだけど、僕はそうじゃなくて、もっと原初的な、一番原始的な子供の遊びのような状態のところに人間の行動原理があるだろうと、こういうふうに思っているんですよ。なまの行動原理があると、そんな気持ちから議論しているんです。だから僕はどちらかというとずっと生物学的アプローチで、伊勢君は心理学的な哲学的なアプローチ。僕のはなかなか心理学までいかないのだけどなまの行動原理として群れを考える。生物は個というよりもむしろ群れとして存在するのであって、人間も群れで生きる生物の中の一つなのだけど、人間は個としても存在する。人間の個としての存在が哲学をもったりするんですよ。でも、人間以外の生物は絶対に個では存在しない。

布野:横尾先生は、「遊び」と仰るけれど、遊びがどうして群に繋がるか、というのを伊勢さんは書いていると思う。ミーム論としてもね。

竹山:ミームっていうのは個じゃなくて群れの問題です。個に刻印される群れの問題。重要な指摘は能動的に環境を知覚しているっていう事じゃないでしょうか。例えば昔は目というのは網膜に映像が映ってそれを脳が解釈するというモデルと考えられていましたけど、そうではなくて身体の動きを含めた能動性が環境を知覚するというような事が、最近の脳科学からわかる。つまり、最近の脳科学の進歩に支えられて、この本の一番説得力のあるところは存在している、というのが僕の読みです。

布野:石田先生に言わせると、それは常識だって言うかもしれない。

横尾:その脳科学との結びつきでもさ、このごろクオリアとか、アフォーダンスとか、モダリティとか、心理学の直前のような脳の見方がありますよね。今の自然科学的なアプローチで行くと結局、ドーパミンとかノルアドレナリンとか、神経伝達物質が生じますね。そういうところの研究が今進んでいるでしょ。快感というのはそこと関係あるわけですね。そこをあなたはきれいにまとめているわけですが。

伊勢:横尾先生の遊びにヒトの本質があるという説は、僕はこの本を書く以前から知っているのですが、やはりなんらかの形で影響されていると思うんですね。おそらくネオテニーの記述の部分で影響されている。例えば動物の多くは子供が遊ぶのですが、大人になると遊ばない。

横尾:そう。大人は子供の相手するくらいね。

伊勢:それで子供のもっている形質が大人になっても持続してしまうような進化の方向性をネオテニーと呼ぶんですね。

布野:幼形成熟ね。

伊勢:例えばチンパンジーの赤ちゃんは人間に良く似ている。大人になると似ていない。特に前頭部のでっぱりが似ていて、前頭葉が発達しているように見える。チンパンジーの赤ちゃんの前頭部はでっぱっているのに、大人になると引っ込んでしまう。チンパンジーの赤ちゃんは遊ぶのが好きなのだけど、大人になると遊ばなくなる。人間は前頭部のでっぱりは大人になっても引っ込まないし、遊びもやめないことから、チンパンジーにネオテニーが働いたのがヒトだという論理ができるんです。

横尾:僕が遊びをとりあげたのもまさに、ネオテニーというか、人間は大人も遊ぶのが特色だということ。だけど、遊びっていうのは非常に生物の生きざまの根本にみんなつながっているような気がするんだけどね。それで遊びが大人までつながっていくか、あるいは生物によっては、子供ができたらそこで死んじゃうということも結構あるでしょ。だけど、人間は子供ができたあとも非常に長いわけで、それが前頭葉の発達と何か関係あるかもしれないけどね。前頭葉だけが発達することはないだろうし、脳の他の部分も発達しながら前頭葉も発達したと思うんだけどね。でも、そこにヒトの遺伝子の99%はチンパンジーと同じで、あとの1%の違いでこんなに差ができているのは何故かというのがあるわけでしょ。遺伝子からいうと差がないのに、なぜこう差ができるのかということは前頭葉が特別の仕組みをもっているというのはありえますよね。

伊勢:だから僕が言っていることは横尾先生が仰っていることとそんなに変わりがないと思います。

横尾:うん。変わりがないと思う。

 

2.建築と進化

竹山:長谷川真理子さんが認知的贅沢と言っていて、これも同じことなんですよね。無駄なことをずっとやり続けられる。遊びをし続けられる。長谷川さんは認知的贅沢を成立させる条件として二つ挙げているのですが、一つは火(fire)でもう一つは言葉なんです。僕はやっぱり建築の座談会だからというわけじゃないですけど、火と言葉のほかに建築を付け加えたい。結局、群れっていうのは人類進化を支えた理由だけれども、群れの拡大は、火と言葉と建築に負っていると思うんです。それらを手にいれたことによって人間がネオテニーを獲得した。

布野:それ僕も考えたけれど、建築は入らないんじゃないかな。

山岸:入らないんじゃない。建築は。

竹山:入る。それは最後にきたんです。ただね、表現形なんですよね。伊勢さんの言うミーム表現形という物理的な実体としてね。でね、建築もね、無意味、無駄、ともかくなんの目的もない高度な複雑性ということに進化していった。

布野:そういう意味か。建築はそんなに複雑かなあ。

竹山:言葉を進化させることによって集団が大きくなって外敵から身を守りやすくなる。火をもつことによって豹とかそういう外敵から身を守る。やはり建築というものを堅固に構築することによって、外敵あるいは他者の人間との淘汰っていうシステムをより高度に作っていったということはいえると思います。

布野:次元が違うんじゃない。

竹山:僕はそれを同じ次元に持っていきたいと思う。

布野:少なくとも18世紀末くらいまで裸で暮らしていた人たちがいるわけだからね。今だって、例えばブッシュマンとかコイサン族とかいる。マガリャンイス(マゼラン)が世界一周したときに見つけた南米南端のフエゴ島というところがあるけれど、平均気温が6度とか5度とかものすごい寒いの中で真っ裸で暮らしていた。火は使っている。伊勢さんに言わせると寒冷地適応っていうんじゃないの。人間はそういう能力を持っていて、そういうところでも暮らしてきていて。必ずしも建築は必要ない。

山岸:時間軸で考えると、やっぱり火を使いはじめるのと、建築をそういう風に表現するのとはぜんぜん重ならないし。

竹山:うん。そうですね。ただ、だから今言っているのは文化っていう位相におくと・・・

布野:建築文化はなくても人類はいますよ。

竹山:じゃなくて、もちろんコイサン族に文化がないなんて言ってないんですけれども、今、伊勢さんがここで問うている、より遊びを高度化させていくっていう文化の中で、非常に大きな役割を果たしたのではないかと思います。

山岸:そういうものだったら例えば着物とか、衣装とかがあるわけだから、建築だけ特化させることはできないんじゃないですか。

竹山:そうですね。でも着物とかは厳しい気候から守るということはありますけど、人間の集団、群れというところに着眼すると、群れのコントロール装置としてはなかなか見逃せない・・・

山岸:集団で身に着けるものってそういう役割果たさないですか、無駄なものとして。

竹山:いや、文化のコードとしては、メッセージとしてどんなものを着ているかというのは言えますけど、物理的に豹が襲ってきたりした時に着物着てたってどうしようもないわけでしょ?今はそういう素朴なレベルの話です。

山岸:建物がそれだけの機能をもっているかどうかわからない。

竹山:いや、もってるじゃないですか。壁が一枚あるだけで逃げられる。

横尾:僕はね人間関係とか政治的な問題に興味が向くほうだから群れというのは重要なの。それで文化というのは群れの中にしか存在しない。僕の定義の文化だとね。例えば言語だったらチョムスキーの言語理論、普遍文法というのがありますね。これは普遍文法という原理みたいなものがあるだけであって、その原理をもつ個が集団の中に入って、はじめて日本語になりドイツ語になり英語になったりするわけですよ。普遍文法というのはひとつの方程式のようなもので、あなたも音響学の理論式のラプラス方程式みたいなものを書いていましたね。宇宙には多分たくさんのシンプルな原理、熱力学みたいな何かシンプルな原理があって、それは自然科学者が追求していると思うけど、原理があってもそれだけではなりたたない。いろいろな群れがぶつかりあって行動していく中で、群れの中でその原理で個がつき動かされながら現れてくる姿が文化だと思うんです。それが英語とかドイツ語とかフランス語を持っているというのが文化であって、チョムスキーの普遍理論というのは基本的な何かだと。

 

3.音という実体

布野:僕も言語学とか記号論はかじったことがある。言語の発生については少し考えたことがあるけれど、伊勢さんはもうちょっとさかのぼるわけですよ。快感物質まで。それを音に即してもうちょっと説明するとどうなるか。群をなして狩りをするわけでしょう。合図してみんなで集団で狩りをするために、音とか目配せが必要でしょう。それは言葉にならなくてもいいわけでしょう。

横尾:音は全部一緒だよ。人間にとって音だけってことはない。音だけじゃなくて、触感だけでもないし、五感も含めてトータルで作用しあって、そこの中で注目するものが音であったり。音に関心が深まっているから、音が中心になってコミュニケーションをはかる種類のものもいれば、あまり音を立てないものもいると。

布野:音が聞こえない人だっているんだから。

伊勢:今の竹山先生の話から横尾先生の話までで思うことは、やっぱり僕は竹山先生がおっしゃるとおり建築とヒトの進化は関係があると思っているんです。でも裸で住んでいるところもあるじゃないかという反論があるわけですよね。だけど裸で住んでいたとしても群れは存在するわけですよ。その人たちは集まって音を出して祭りをして集団意識を高めて、狩に行こうとか戦おうとかそういう祭りをする。祭りをして、生きる動機、モチベーションを高める。僕の視点では建築というのはそういう音をより閉じ込めて集団意識を高めるための境界だっていうふうに考えているんです。

竹山:洞窟の響きっていう言葉がありますよね。

伊勢:そうですね。そういう音だけで群れとして機能できる地域では、境界は必要ないと思いますが、もっと厳しい自然の中で群れとして自分たちが生存するモチベーションを高めるために、ある境界が、枠が必要だったと思うんです。それは単に境界の枠を作ることによって敵の攻撃から守るというということだけではなくて、それよりもある閉じた中で音をだして、それは言語ではなくても、単に音でね。

竹山:それがミーム表現形ですよね。

伊勢:はい。音を出して、自分たちがつながっているんだということを感じて、自分たちは同じ群れなんだと感じることができるような境界が、生存するために必要だったんじゃないか。ヒトが群れとしてモチベーションを高めるための物理的な境界が生存するために必要だったのではないか。

布野:伊勢さんはそれを建築というけれどちょっと違う。

竹山:いや、同じです。3つの伝達形式があって、光と音とにおいだと書いてあって、それはすごく説得力があると思ったんです。まあ光については、人間は視覚をすごく発達させたけど、夜は無力である。においはあまり空間を伝達するスピードが速くない。それで人間が確実に身体のスケールで選び取ったのが音であるというところが、非常におもしろいとこだと思う。もう一つ僕は、フロイトのこの言葉が好きでね、人間の最初の文化的行為は道具の使用、火をてなづけたこと、それに住居の建設だったって言うんですね。やっぱり、集団をコントロールする、外敵から身を守る、そして内部をさらに充実させるため、これも一種のミーム表現形ですけど、建築というファクターはすごく大きかったんじゃないかなと。で、その身体的スケールに対応する群れのスケールを音っていうものは割と本質的に規定しているんじゃないかという気はしますね。

布野:さっき建築について否定的なことを言ったけれど、シェルターの有無は別として、ホームステッドという根拠地を設けることがヒトの進化に繋がったことを僕は否定してるわけではありませんよ。

竹山:レクっていうバスク語があるんですけど、これはホームなんですが、もともとの意味はカマド、あるいは囲炉裏。つまり火を囲んで皆が集う場所のことです。やっぱり、ヒトの群れが集まる場所を築くことが文化の基点にあるいうこと、それと音の広がりがヒトの群れを存続させてきたということが、この本にはずっと響いている感じがしますね。

布野:横尾先生が五感って仰ったことで、僕は腑に落ちたのだけれど。

横尾:人間にとって音は重要だと思うんですけど、でも一番重要なのは運動だと思うんですね。動物として原理的でね。運動と言うのは素朴な一番元になる。音はどうなんでしょう人類にとって、言葉は音からですからね。

伊勢:僕は音を全面的に前に出しちゃっていますが、もちろんそれだけではないと思っているんですね。

竹山:身体だよね。この言葉を使うとね。

伊勢:身体。はい。音を出すこと自体が身体運動で、例えば僕は今、喉を震わせて音を出していますよね。体をこう動かしてコミュニケーションをしているんです。僕は聴覚的快感を中心にして考えていますが、身体全体を動かしてコミュニケーションを今とっているわけです。竹山先生は視覚的快感が中心にあるように感じるんです。布野先生もまた違いますよね。

竹山:布野さんは観念的快感だよね(笑)

伊勢:ただ竹山先生の視覚的快感というのは、言い換えると空間を知覚する快感というのかな、それはおそらく目だけではなくて、体の動きと、やっぱり運動も含まれていると思うんですね。だから空間を知覚する快感というのが、やっぱり僕が言っている聴覚的快感とは別に働いていて、それが建築を駆動する原動力になってきたと思うんです。

 

4.ミーム論

石田:もう議論がどんどん白熱していて全然言葉を挟めないんですが、僕がこれを読ませてもらった最初の感想を言いますと、一つはやはりこれだけの大きなストーリーを作りあげていておもしろかったということ。もうひとつは、同僚として見るとよくこういう本を今の仕事の中で形にしたなという。

布野:よくこんなことを考えてたなって思う(笑)

古阪:隣でまだ考えている(笑)

石田:横尾先生にしてもね、皆さんそういうことをずっと考えているんですね。

横尾:僕が考えたのは暇人になってからなんだから(笑)。伊勢さんは他の仕事をしながらだから。

石田:いや横尾先生も学園紛争の頃から考えていたとおっしゃっていたし。これだけの形にするというのは、あるスイッチが入らないとたぶんできないことだろうと思うんで、それはすばらしいなと思ったことなんですけどね。それから内容もおもしろくて、いろいろ新しくわかったこともありました。ただ、僕が少し違和感を感じたことを一つ言うと、何か目的ありきというのかな。人間の進化とか行動とか、いろいろなふるまいとか、それらは要するに快感を得るために駆動されるという考えが根底にある。それはそうなのかなと思います。例えば、クジャクはメスの関心を引くために羽をきれいに進化させたのではなく、きれいな羽をもった個体がより多く繁殖の機会を得て残ってきたと解釈すべきではないでしょうか。だから、音声によるコミュニケーションをたまたま獲得したある種の霊長類が、周りとのせめぎあいの中で有利な立場にたって進化の過程で残ってきたと、純粋な進化論だとそういうふうに捉えると思うんですよね。伊勢さんの場合は進化のプロセスで音声コミュニケーションによる快感があって、それをヒトの進化の駆動力にしている。そこが伊勢さんのおもしろさでもあり危うさでもあるなと思いました。

布野:栗本先生の前書きもそういうオリエンテーションをしているからだけれど、僕はそういう風には読んでいない。コミュニケーション論が遺伝子レベルから群れのレベルや言語のレベルで語られている。でも、石田さんの言ったような印象を受けますよね。

石田:そうですね。

布野:でも、こういうタイトルをつけたのだから、責任をとらなければいけないよね。

伊勢:そうですね。いわば挑発的で怪しい雰囲気をもたせて、本に少しでも興味をもってもらえればという戦略があったわけですが、それに対する違和感も当然でてくるとは思っていました。それとヒトが進化して、存在する理由を言ってしまったわけですが、そのように理由を考えて言ってしまう性質をヒトがもつ理由もこの本に含めています。だから循環的な論理が含まれているんです。

布野:でも、まず進化論については決着をつけたい。決着はつかないとは思うけれど、言った方がいい。まだ曖昧なことがいっぱい有りますよね。ヒトとチンパンジーの遺伝子との1.2%の違いとか、スイッチがどこで、なぜ入ったのかとかね。しかし、要するに一万年くらい前に、人間の進化は止まってしまっているわけでしょ。その先の話もしたい。

伊勢:身体的にはね。

布野:身体的には止まっている。だから我々は進化のない世界に生きているわけでしょう。

古阪:蒙古斑は消えてきてるんじゃないの。

布野:(笑)それは進化って言うの?

古阪:それも進化だよ。

布野:まずは進化の話を。水性類人猿説の話もあるけれど。建築とはあまり関係ない?

石田:水生説はチンパンジーの進化系統と分かれる前に、人類がどういう身体システムを選んだかという話ですよね。数万年前には現生人類の遺伝子、すなわち身体的な進化はほぼできあがっているわけですね。そして、その後人間は言語を駆使して、文化を蓄積して、ミームを伝達できるようになった。そこで身体的な進化とは別のメカニズム、全く別ではないのだけど、一つのサイクルに入った。そのサイクルは遺伝子や身体的な制約に規定されないミームの複製による進化で、そのサイクルでは人間の進化はまだ続いていると考えるのでしょ。

布野:僕はミームの成立根拠を一番聞きたい。遊びの共有性とか、ドーパミンがどうして出るのかということ。それが伝える喜びなんでしょう。

伊勢:ミームの成立根拠ですね。僕はその根底に暗黙知を置いているんです。暗黙知を置くというのはどういうことかというと、モノあるいは空間、建築でもよいのですが、それらを身体の延長だと捉えているんです。空間やモノを身体の延長として道具化して、それをオプションとしてとっかえひっかえして、僕らは生きている。例えば携帯電話という道具、これは声と耳を空間的に延長した道具で、電波を用いて非常に遠くの人と会話をするための一つの道具で、これも身体なんですね。僕が持っている声と耳というのは標準装備で、携帯電話はオプション。とることもできるし、壊れたら取り替えることもできる。これが進化しているんですね。

布野:だけど人間は進化していない。

伊勢:物理的な人間の身体は進化していないのだけど、代謝が可能な怪我したら壊れてしまうような身体としては進化していないのだけど、道具を進化して脳の中でそれを維持することによって群れとしては進化していると。

布野:それは進化論とは違うんじゃないの。

竹山: 3万年くらい前にネアンデルタール人は死に絶えたけど、現生人類はそのまま生き延びた。これは、なぜならば現生人類の場合はコミュニケーションにおいて快感物質が脳内で出て、それによってコミュニケーション能力が飛躍的にのびたからだ、というような論理ですべて文化を規定している。でも、ネアンデルタール人に快感物質が出なかったっていうことは証明できない。そこが出発点としての仮説の面白さであり、危うさでもあるんだけど、僕はそういう仮説ありだなと思う。

布野:それは鳥とか犬は快感物質は出ないとか言う話にも繋がるの?

竹山:雄の鳥がうまく歌うのを聞いて、雌の鳥がそれを理解する能力があるらしいんですよね。それは雄にはないらしいんですが、そういうのはひょっとすると快感物質がでているのかもしれない。

伊勢:それは快感物質というよりは、情動系としておそらく科学的に分析されていくんでしょうね。

布野:鳥も群れを作るじゃないですか。ある種のコミュニケーション手段を持っている。そうすると、人間の群れとの違い、遺伝子の違いは何か。

伊勢:でもヒトと鳥とは遺伝子はかなり違うじゃないですか(笑)

布野:(笑)遺伝子は違う。じゃぁ快感物質は?

横尾:ちょっと話を戻しますが、DNAのレベルでの身体的な遺伝とは別で、群れの中で型がずっと伝承されていくことがありますね。形質的には変化がないのだけれど、群れの中で何かが伝承されることがある。例えば日本人のDNAとアメリカ人のDNAが違うという言い方をする人がいるわけだけど、それは生物学的にいうとそれはおかしいと思う。でも、日本の文化とアメリカの文化があたかも遺伝子が継承されるようなかたちで、伝承をしていく。そのように文化を変化させていくのが人類だと思うんですよ。その文化の発達というのか変化というものを進化と言うのならば、進化といってよいと思う。だけど生物学者のいう進化というのはそこじゃないんです。それは自由だけどね。言葉の使い方は。

布野:ミームは進化するんですか?

横尾:それは定義の仕方で違ってくるし。

伊勢:横尾先生のおっしゃっていることをミームという言葉で置き換えれば実体として脳の中に文化を記憶するものがあって、それが進化していると言えると思うんです。

横尾:脳の中に進化が起こっているかどうかということは、これは生物学的に実証していかなければならないし、あるいは今は仮説の世界で。

布野:ミームは後天的なものでしょう?

伊勢:個体のレベルでは後天的ですが、群れのレベルでは常に維持されていて、我々が生まれる前から群れの中で維持されているミームがたくさんあるわけです。

石田:ミームが駆動しているある種の進化と、DNAが駆動してきた進化は、自己複製システムというレベルで考えると同じということですよね。ミームは文化遺伝子と呼ばれて、ようするに文化が次の世代に伝承して、それが変化しつつまた伝承して。

布野:今西進化論で鴨川のメダカが群れでなわばりを作るというのがあって、メタファーとしてなわばり理論と人間の集合住宅理論を関連させて、あまり根拠なく議論していたことがあったのだけれど、その先があるのかどうかっていうことですよ。さっきの鳥の話にしてもミームの共有性とかが僕は気になるんだけれど。

横尾:人間をひどく愛するか否かによって変わってくるのじゃないか

布野:それは伊勢さんが書いているんですね。結局こうやって議論が成り立っているのもね、好きか嫌いかとかね、こいつには伝えたいとかね、そういうことがある。ただ、理論的にはどういう話になるのかっていうのを聞きたい。

 

5.中書島のツバメ

古阪:話が違うかもしれないけどバードイドっていう進化経済学の世界で非常に面白い話題がある。京都の例でいうとツバメが、渡り鳥として飛んでいくときに、この辺ではいろんなところから中書島に集結して、そこからどこかへ飛んでいくんですよ。それを数学的に解こうとかね。これを群れの話として考えると、伊勢さんだったらどのように考えるのかな。

布野:カラスやってほしい。

古阪:カラスはない。

竹山:いや、中書島に集まるっていうのはなんで?

横尾:遊ぶところがあるんじゃないの?(笑)

古阪:もちろんDNAに中書島という情報がはいっているわけでもない。

竹山:魚のメバルが地磁気で動いているって話しありますよね。

古阪:鳥が群れで飛ぶときは先頭が決まっているわけではなくて、うまいこと入れ替わっているわけだけど、距離も瞬間的に感じ取っている。そこまでのモデルはできる。ところが、それがなぜ中書島かっていうのがわからない。

竹山:アトラクタがあるとか。

古阪:伊勢さんの本の中にもいろんな各論があって、大きな筋があって、それにいろんなものを組み合わせて良いとこ取りをしているわけですよね。進化経済学もかなりそれに近い。サンタフェでやっているから、たまたま物理学者がいたり哲学者がいたり、いろいろな学者・研究者がやっているんですね。

布野:進化経済学って結構いいかげんじゃない。

古阪:いい加減といえばそういうところもあるが、面白い。

布野:経済学者がいると怒られるだろうけれど、そういうモデルを使って計算して、どうなるの。

古阪:モデルだけではないし、ある固まったストーリーがあるわけじゃなくて、たまたま創発的におこった考えというものがおもしろい。この本も自由大学の中で伊勢さんが感じたこと、おもしろいと思ったことをうまくまとめた。

布野:それは大事なことじゃない。

古阪:それは非常にうまいわけですよ。そうするとさっきの話に戻ってバードイドの話は伊勢論の中でどういうふうに解けるのか、あるいは解けないのか。初めての問題だから今後考えてもらったらいいんだけど。なんとか解いてやろうと思っているんだけど、解けない。

伊勢:僕は中書島にツバメが集まるのを解こうという話を聞くと、それに興味を持つ人間に興味を持ってしまうんですよ。なぜサンタフェにヒトが集まってしまうのかって。(笑)

横尾:動物のビヘイビアも人間のビヘイビアも、神様が遠いところから見た賢さにおいては変わりがないように思う。ただ人間はなんでやろうとかね理屈を考えたり、選択の幅が非常に広がっていたりする。動物の賢さというのはすごいと思うんだよね。昨日だったかな、たまたまテレビで見たんだけど、脳の中で忘却のための化学物質が作られているらしい。感覚から入力される情報はたくさんありすぎるからそれらを忘れさせるための化学物質がでるらしいの。でも、それが出ない男がいたという。だからなんでもかんでも覚えているんだって。ただね、その人は論理性が全然ないらしい。それで脳の記憶領域の中でも、コンピューターのROMのように忘れない部分と、RAMのように忘れる部分がある。他の動物と異なってRAMが大きいのが人間じゃないかと思うんです。ただ、そういう部分では人間は能力をもつけど、運動能力では他の動物のほうがすごい。

布野:速いし。飛べるし。

横尾:だけど人間というのはいろんなことを考えるから、こういう本ができてくるのかもしれないけどさ。

古阪:ツバメの話に戻るけど、鮭のような帰趨本能とはちょっと違うでしょ。

横尾:人間は中書島へ行くときは、ずいぶん考えて、あそこには何があってとか考えるのだけど(笑)。

古阪:そこに集結する数というのが、すごいらしいんですよ。

石田:中書島になぜツバメが集まるかということは私もよく分かりませんが、そこに何か目的があるはずだというように思うと、やっぱりちょっと目的論的なんですよね。

竹山:いや今、目的を求めているのではなくて、原因を求めている。

石田:何かたまたまそこに集合するのが都合がよくて、それが伝承して、同じ行動を繰り返すのではないかと。

竹山:やっぱり川が集まっているというような何か。

石田:いや理由がないといっているんじゃないんですよ。

竹山:僕は石田さんの問題意識よくわかるし、同意するけれども、目的っていう言葉を使わないほうがいい。ここで目的というとTheology(神学)になっちゃうから目的という言葉で語らない方がいいんじゃないかと思いますけどね。

石田:じゃ、理由。

竹山:理由の方がいいですよね。理由だったらわかりますよ。

布野:ツバメの話を茶化したけれど、興味は大いにあるんです。僕らは、都市のかたちを考えている。例えば家を建てるときに、隣から文句言われたり、喧嘩したり、土地を買ったり、一生懸命あれこれしている。それを地球の上のランドサットくらいの位置から歴史的に見ているとどうなるか。2000年という時間のスパンで見ると、都市ができてくる形が一瞬に見られるでしょ。遺伝的アルゴリズムとか使って解いてみると、似たような感じで都市ができてきちゃうんじゃないか。これは結構ショックなんですよ。現実の世界では喧嘩したり、快感物質だしたりしながら、生きているんだけれど。

古阪:それは個々の間隔が適当な距離で収まるというのではないかな。

竹山:やっぱりコミュニケーションの装置って事でしょうね。

古阪:経緯で見るといろいろ複雑なことがあるのかもしれないけど。

布野:マクロに見たときにはおさまっている。

古阪:2メートル離して置けば問題ないとかね。

石田:美しい秩序ができてきたり、何か特別な振る舞いを見ると、それは偶然に起きているというふうにはなかなか思いませんからね。何か意図があるはずだと、理由があるはずだと見てしまう。でも、実はそうではなくて、なんらかのちょっとしたローカルなルールで動いているだけで、全体として特別なパターンができてくるというのはよく聞く話です。だから、あまり過剰に何か意味があるはずだと追うと間違った方向に行ってしまう気もします。

古阪:いや素朴な疑問で。

石田:それともう一つ気になったこととして、伊勢さんの本がというわけではないのですが、人間のことを扱っていると、よく分からないことも多くて、そこにニューサイエンスというか、ある種怪しいものが入ってくる余地があるわけです。そこでいろいろなストーリーを組み合わせて、作り出して、ある方向に引っ張ろうとしているように思えることもある。だから、人間に関わる研究者は、ある種ストイックな姿勢で、あまり理論のふろしきを広げないようにしている側面があると思います。

古阪:それはそれで必要だけど、僕はこういうことぶちあげて、もっといろいろな人が本当にものになる学説を区別していけば快感進化論という学説がもっと洗練できるんじゃないかと思うけど。ただ、この本の範囲だけだと伊勢論あるいは伊勢さんが勝手にやっているという話になってしまう。この場も全体が見えているわけではなくて、建築関係に偏っている人しかいないけども。

布野:僕が一番興味があるのは、知と心のモデルのところなんです。例えば石田さんが研究しているような心理モデルとの関わりでも、音の心理にしても、何を根拠に研究が成り立つのかということを、かねがね不思議に思っているわけですよ。計画系では、せいぜいSD法とか、そういうツールしかない。伊勢さんの本には、そのあたりの基盤が書かれているような気がしたわけです。

石田:研究というのは最初にこういうものがありきなんですよね。こういうアイデアがあって、後はそれをみんなにどのように説得するか。一つは本を書くというのもあるし、専門的な人だったらもっと実証的に研究するということになると思うけれど。SD法というのは研究のための一つの道具、実験の道具ですから。

布野:SD法といっても、いかがわしい部分もあると思っているんです。それで、そこから先を聞きたいわけです。音なら音で。

伊勢:SD法は統計的分析手法の一つですが、結局、何を観察したいのかによってSD法の結果も違ってくると思うんですね。それほどきちんと実験をしなくてもSD法を使えば数値は出てくる。数値が出てくると一見研究をしているように見えるけど、必ずしもそうではないんです。例えば音の美しさについて心理実験をすれば、なんらかの数値は出てくるけど、その実験尺度は実験者の方で決められるわけですから、客観的な美しさというものはいえないわけです。実証的に確実なものはつまらないですし、怪しいところにおもしろさがあって、そこに暗黙的に研究が成り立つという根拠ができてしまう。だから僕は暗黙知理論を中心においています。例えば、古阪先生が中書島のツバメとおっしゃいましたが、ある分野でそこに魅力があれば、人が集まってきてコミュニケーションが交わされる。その結果として学会が楽しくなる。そして、さらに何かあるんじゃないかと人が集まってきて、多くの人を巻き込んで経済効果が生まれるというようなね。そういう研究のサイクルのメカニズムが僕は大事だと思うんですね。だから、知と心のモデルで暗黙知理論を中心においたのは、それを中心におくことによって、何かここにあるぞと思えるような研究の種がまけると思ったんです。例えば音響メーカーがそれを使ってオフィスの音環境モデルについて何かできないかと声をかけてきたりする。そして社会的なコミュニケーションが生まれる。怪しさというのは、周縁的な魅力でもあるわけです。

古阪:この本の著者としての答えは出ていない。

布野:技能の問題とか、学習の問題とか、無意識・意識の問題とか、かなり興味深い。

伊勢:もう少し直接的に答えると、例えばヒトの文化の多様性の原因として脳内の快感物質という極めて単純な原理をこの本の中で仮定してしまったんですね。つまりとても複雑に見える現象も実はごく簡単な法則に支配されていることが多く、ヒトの文化も同じでその単純な原理が何かを言ってみた。それと同じでツバメが中書島に集まることについても、原因を調べて見ると驚くほど簡単な身体メカニズムがあるような気がします。それを発見することが一つの研究テーマになりえていて、多くのヒトを惹きつけてもいる。

 

6.凍れる音楽

竹山:僕はひとつはコミュニケーションの問題として読んでいますこの本を。もうひとつ伊勢さんのオリジナルがあるとすると、いろんな進化の原因を「快感」であるとして、その根拠を実際の物質に求めている。実体であるという言葉が何度も出てくる。それから、ミームというのは一応文化的なモデル、一種の理論モデルで、これを実体としてみている人もいれば、単なる仮説であるとしてみている人もいる。これも、脳に転写されたシナプスのパターンの変化だと断言してしまった。そういうふうにして理論モデルを生理学的なものに強引に位置づけてしまったところにある。だから一番のコアはそれを人間の身体と脳に実体としてあるんだって言ったところにあると思う。

布野:全部そこへ遡って、心理や心のモデルというよりも、生理学的に実証していく作業になるのかな、ということをさっき聞きたかったのです。だけど違うでしょ。暗黙知って言っているのだから。それと脳のメカニズムはそう簡単には解けないでしょ。

伊勢:実証科学との境目に来ていて非常に苦しんでいるんですね。SD法のような統計的な心理学的手法では解けないんです。ミームは人によって違うから。物理的に同じ刺激を身体に与えても、生じる実体としてのミームは違ってくる。人によって経験が違うから、同じ刺激を与えても厳密には知覚が異なる。例えばあるミームを観察するために群れの中にいるヒトの脳内をMRIで測定してみようというのができないんですね。実証科学と暗黙知とがお互いに相容れない、非常に厳しい限界がある。

布野:理論的にもうちょっと踏み込む必要があるんじゃないの。ミームが違いますよ、って言うけれどやっぱり群れの中で共有されている。少なくとも一定の言語をしゃべる範囲とか。言葉の問題をもってきちゃうと難しいのかもしれないけれど。全部ドーパミンにいっちゃうと極端な話になっちゃう。

竹山:根っこがそこにあるけれど、そこから先の分析は難しいですね。でも僕は研究に引きつけて語る必要は全くないと思うんですね。研究として読んじゃいけないと思うんですね。

布野:ないない。もちろん(笑)。

竹山:中沢新一が東大に行くかっていう時に、蓮見重彦が応援演説をしたと。他の先生がみんなあんなもんは研究じゃないっていったら、『当たり前ですよ。これは小説なんだから』って言って応援をしたんだけれども、それで僕はいいと思ってるんですよ。そういうフィクションの喜びがあれば。そういうようなところからフィードバックして、伊勢さんが音の問題を考える手がかりになればいいし、僕は比較的リラックスして楽しめるところを楽しめばいいんじゃないかというスタンスをもっていますけど。僕の建築観が布野さんとは違うというような話がさっき出ましたが、僕は建築ってコミュニケーションの装置だと思ってるんですよ。人間はいくら大きな家に住みたいと思っても100m×100mの家は造らない。やっぱり人間の身体と音が到達する、あるいは人間同士のコミュニケーションがある程度とれるような空間を造る。それから壁を造るのはコミュニケーションを遮断するためでもあるけれども、いい形でコミュニケーションをとるためでもあるんですね。四六時中、顔をつき合わせて同じ部屋にいればケンカになってしまう人間が、別の部屋にいることによって、かえってコミュニケーションがうまくいく。そういう意味では実体としての建築と、コミュニケーションの装置としての建築は、ロジカルタイプを別にして考えています。例えば19世紀のはじめに建築は「凍れる音楽」だと言われました。凍れる音楽とシュレーゲルやヘーゲルらがいったのはゴシックのカセドラルなんですが、やっぱり音というのがコミュニケーションの装置として機能している。ゴシックのカセドラルが、音響によって神の国を臨在させるようなコミュニケーション装置だとすると、これもまた人類が築き上げた壮大なフィクションです。あるモチベーションで何事かが起こった時に、後で意味を付与して、それに目的という名前をつけたりしますが、実は目的を持って何かをしているのではない。つまり、神の国を臨在させるためにゴシック建築を造りましたというのは、途中から目的化しましたけど、あくまでも建築というのは僕はコミュニケーションの装置として出発する。これが、この本を読みながらずっと感じていたことです。

 

7.建築空間の暗黙知

竹山:暗黙知は能動性というのが基本にあって、脳は網膜に映ったものをそのまま転写するんじゃなくて、実は見たいものを見ている。人間は何か取捨選択をして見ようと思うものを見るし、そこでは能動性によって、あるいは身体の運動によって、世界を知覚している。僕はこういう暗黙知があるから設計ができるなって思った記憶がある。つまり、建築を構想するときに必須の空間加工のイメージというものは身体に即していて、全体的な構想の中である種のイメージを投射する能動性をもつ暗黙知に支えられていないと、逆にいうと出来ない。

石田:実は暗黙知について竹山先生にぜひお聞きしたかったことがあるんです。建築設計について。それは、大学へ入って設計という技能を身につけるための練習をするわけですが、学生にはある段階で何か掴んだという実感があるのか。そういうことがまずあるのかという話がひとつです。それから例えば自転車という技能で言うと、自転車を操る方法を明示的には教えられないけど、一週間も自転車にまたがって押してもらったり転んだりしていれば、大体乗れるようになるという習得の方法はわかっている。だから、みんな一生懸命練習しますよね。それと同じように設計教育でこういうことをあなたは3年間繰り返せば何かつかめるはずだというね、そういう方法論はあるのかということです。その辺はどうなんでしょう、実感としては。

竹山:設計演習やってて、図面をある程度描いている学生は、途中で自転車に乗れるようになったなという感覚はもつと思います。いくらプランをプランとして描いていても自転車に乗れないんですよね。だけど、プランと同時にポンと全ての立体が立ち上がる場面がある。立体がどう貫入して、それをどうセクションに落とし込み、プランに落とし込むかっていうことをやるようになる。立体がたちあらわれるようになった段階が自転車に乗れるということであるならば、それは身体全体の暗黙知として成立する時点があるかも知れません。

古阪:そういうところは文章も同じでしょ。同じというのはレベルは違うけれども、文章だって、皆さんを含めて稚拙な段階から始まってね、ある瞬間からうまくなっている。瞬間でなくても、結果としてね。どこかに分岐点がある。

布野:文章なら僕が答えてもいいから言うとね。基本的にありますよ。例えば、論理的な組み立てとかいうような、基本的な部分はある。僕は国語なんか大嫌いな質だったけれど、20歳くらいからトレーニングさせられたわけですよ。例えば新聞に書くとかね。だからある意味で言うと、トレーニングで文章は書けるようになる部分がかなりあると僕は証言できます。本を書いたりして校正を受けてね、これ伝わりませんって真っ赤っかにされてね。特に朝日とか読売とか新聞社でやられると、もぅ「くそーっ!」っていいながらやっぱりそっちの方がいいなって直されて。そういうトレーニングで一定程度の文章術を身につける。だから建築の話も僕が答えるとしたら似たようなところがあって、例えばスケッチを描いたりする能力っていうのは、ある人が言っていたのだけれど2歳ぐらいまででほぼ決まってしまうっていうような世界がある。ベーシックなところはね。だけど建築をどうするかというのは、一方でトレースを何回も繰り返すというようなレベルもあるけれど、僕の経験で言うとやっぱり物を見る事ね。良いと言われている作品を徹底的に見る。そして、建築の「造る」ことと「見る」ことの往復をやる。これはトレーニングで上がっていく。だから素人だっていっぱいいるわけですよ。建築家顔まけにすごく詳しい奴もいる。全然、空間音痴もいるし。

竹山:造るっていう観点でみる事も必要ですね。伊勢さんはスキーの事語ってたけど、スポーツにしたって「俺、野球ファンなんだよ、サッカーファンなんだよ」ってずっとテレビで見てるだけの人は絶対野球もサッカーもできないんでね。自分がプレイしているかのように身体を同調させながら見てる人は、ある程度のプレーヤーになる。建築もそうだと思う。

布野:そりゃそうだ。基本は、その気にならないとだめ。

石田:設計の話で言うと、技能を修得する過程は、いろいろあるということですか?

竹山:暗黙知というのは身体に埋め込まれた能動性の問題だから、例えばトレーニングも、トレースだけずっとしてたって全然だめで、知識だけいれたって全然だめ。これを身体化すること。ピアノも最初は一生懸命譜面をおって、目で音符を見ながら弾いている、身体と意識が全然バラバラなんです。ところが下手は下手なりに毎日同じ曲ばっかやっていると、そのうち指が動くようになってくる。もっとやっていると今度は音を聞きながら、全然手も見ないで、身体全体で音を表現するようになる。ここが、暗黙知に到達したとこだと。

石田:大学の教育の話に戻すと、いろいろカリキュラム変えたり、プログラム作ったりするけども、要するに身体的に身につけるレベルのものは、マニュアル化してこうすればできますよって説明できるものでもないでしょ。

古阪:設計の問題?

石田:例えばわかりやすい問題として設計としているんですがね。

竹山:それでまたこの本にひきつけていうなら、快感物質が出るような気がする。きた!ピタっといったっていう時がね。

石田:最近はイチローとかスポーツ選手の話もよく見かけるけど、彼だって飛んできたボールに対してバットをこう振ってなんて考えていないですよね。その瞬間はパシッとやっているだけなんだと思う。そのときの体の形、動きがそれこそ身体化している。

布野:個人技は、今の説明で僕はいいと思うのだけれど、一番面白いのは、サッカーみたいなやつだと思う。あれは言葉を介さずに瞬間的に反応しているじゃないですか。しかも集団で。みんなどうしてサッカーをみて快感を得るのか、というか面白がるのかというと、一番良いモデルなんだよね。もちろん言葉も出しているのだろうけれど、瞬間的に反応していくのを組み立てているわけでしょ。

竹山:センタリング来る前にブァーっといくんだよね。そこにボールが来るんだもん。

布野:だから集団の身体性みたいなの。これが僕は面白いと思う。個人でトレーニングをするのは、一方である種、文章を書いたり自分で設計をしたりする個人レベルの身体的な能力の獲得なわけだけど、群れのレベルでの身体運動は、集団暗黙知みたいなものでしょ。もちろん個人のトレーニングも要るけど、瞬間に全部判断しなければならないわけだから。群れの位置とか、相手の能力まで感知してパス出したりしているわけでしょ。失敗するのがほとんどなんだけど、うまくいったときに点が入る。

石田:時々中田のパスが全然誰もいないところにいってるけどね。

布野:それは感じあっていないわけですね。

伊勢:今の石田先生の議論、僕も設計教育を受けていないので、そのへんすごく興味があったところなんですけどね。ただ僕の研究室に来る学生は、やっぱり挫折してくるのが多い。設計の技能の獲得ができないと。建築というのはもちろん設計だけではなくて、構造系、環境系、それぞれの技能があると思うんですが、その中でどの技能を得るのに快感を感じるのかというところを自分で発見するのにかなり時間がかかっている。ロスが大きくて、かわいそうだなという気もするんですね。例えば数式に快感を見出す人もいます。言語能力や空間知覚能力はそれほど高くないかもしれない。でも数式という一つの言語には非常に快感を感じるような人もいるんですね。やっぱりその技能を伸ばして社会に放り投げる必要があると思います。卒業までにそれを発見できればよいのですけど、自分がどこに快感を得て能動的に技能を得るものがあるのかという部分で。

布野:そんな数式に快感を覚えてそれだけだったら別に建築じゃなくてもいいんじゃないの。

大崎:それは入ってみないとわからないですね。18歳のときにそういう判断はできないですね。

古阪:答えがでることに快感があるんでしょ。数式に快感があるんじゃなくって。

伊勢:数式だけに興味を持つんだったら数学科に入ればよいのですよね。でも、そうじゃなくてやっぱり現実と関わりをもちたいんですよ、多くの人はね。数式とか数学というのは一つの言語的な手がかりであって、日本語で建築に関わる人もいれば、数学という言語で建築に関わりたい人もいる。建築という現実と関りたいというのは多くの学生の望みなんですよ。

竹山:例えば大崎さんはどうして構造の道にいって、そこにどういう快感を見出したのか。

大崎:さっきの数式の話でいうと例えばまったく違う方法で式を作って同じ結果になると非常に快感を感じる。計算でもそうですけど、全然違う方法で同じ結果になると非常にうれしい。その魅力を持っている人は構造系にはいると思います。

古阪:方法がいくつかあっても答えが同じになる。僕の場合はそれとは逆なんだよね。いろんな解があるんじゃないかという。つまり、人系をいじると同じ答えはまずありえない。

布野:環境系の先生とかは数式と実験が一致する快感があるとも言いますよね。

古阪:工学の実験系の研究分野では実験した結果と数式とが一致するというのは一番大事なことですよね。

伊勢:実験の結果というのは現実の世界で、それと数学という理念上の世界、自分が獲得した数学という言語の世界を付き合わせたときに、同じだという快感があると思いますよ。自分の言語表現で良かったんだという快感。大崎先生もおそらくそうだと思うんですね。

布野:複雑な式よりも簡単な式の方が良いというのもあるでしょ。同じ現象に対して。そういう美学もあるのでは。

大崎:それはあるでしょうね。

古阪:脳の研究だって、必ずしも数式だけじゃなく、記述モデルを描いて、ここを刺激してこういう結果でれば想定したモデルと一致するとかいうのが快感になると思う。

布野:竹山さんはどう考えているの?

竹山:やっぱり快感物質がでるかどうかってことだと思うんです。上手かろうが下手だろうが。だってルイスカーンとか篠原一男とかへたですよね。それでも喜びをもってやるっていう方が偉大になる。最初に器用にうまく描ける奴なんてのは大建築家にはならないですよ。

布野:磯崎さんも絵そんなにうまくないよ。

竹山:僕も最初にバイトに行ったときにそう感じました。

古阪:大学の教育の中で快感を得るというより、いろいろなところで経験することによって快感を得るわけでしょ。トレーニングというか、その快感の味をどれくらいしめているかによるわけで、その場合にはわりとちょっとした刺激によっても大きな快感を得たり、反対にあまりそういう経験がない人だとかなり感動してもいいはずのものが、快感を得られない。いわゆるさめているという状態ですね。

石田:面白い結果が近くに見えているものは取っ付きやすいだろうけど、例えば3年くらい同じようなことばかり繰り返さないとものにならないような場合、3年間この図面をひたすら描けと言われれば、途中で挫折する学生も出てくるでしょうね。だけど3年やれば大体はどこかで設計の感覚が立ち上がってくるぞということを最初に言うことができれば、それじゃがんばって修行しようかとならないでしょうかね。

布野:身体的な技能はそうだよね。例えば大工とか、左官の技能はね。身体的な技能はやっぱり繰り返しのトレーニングでよいけれど、設計の技能は10年トレースしても駄目なものは駄目というのがある。

古阪:それはある程度は当然できる。大工だってね、トレーニングで本当に有能な大工になれるかっていうと、一通りのことができる普通の大工にはまずなれる。センスっていうのは、図面にしたってセンスはある。大工だってそうだし。そこがちょっと違うと思うんだけどね。

大崎:全員が有名なデザイナーになる必要は全然なくて、落ちこぼれても仕事はある。

古阪:(笑)そんな悲観的に考えることはなくて、もっと前向きに考えればいい。

布野:それは建築のいいところじゃない。すごい幅があって、裾野が広くていろんなことで参加できるじゃないですか。それこそ、ゴールキーパーもいればフォワードもいて、ボランチもいて、っていうようなことでできるのだから。

竹山:まあ、現実に建築を造る段階までは大学では教えないですけど、現実に建築をつくる現場へ行くと、ディティールをどうやっておさめるかっていうのは、ある意味で面白い。ただ全体を構想するというようなこととかアイディアを出すというところに快感を覚えるタイプの建築家は細かいディティールは現場のディティール家さんにまかせればいいじゃんというようなことにもなる。それで現場に行ってみると施工会社の下請けあたりでディティールばっかり書く人がいるわけですよ。でも僕割とそういう人好きで、いといろ話をするんだけど。やっぱりディティールがものすごくうまくおさまったというだけでも、ものすごく快感があるしね、様々なんですよ。

布野:あのね、調子に乗っていうと(笑)、二つなの。建築はコンセプトがあってディテールがあれば良い。これは立派な建築家になれる。あとは集団作業かな。

竹山:ほんとコンセプトとディテールだと思います。ディティールについては、トレーニングすればするほどうまくなります。ある程度のセンスがいらないとはいわないけど。

布野:物を知っていないといけない。

竹山:だから、さっきの設計教育の問題についていうならば、大学の間にお前才能ないとか、むいてないんじゃないかというようなことはいえない。

布野:窓口だけは広くしておかないといけない。

古阪:それは自分で感じる。大崎さんみたいにね。あきらめるとかね。俺はこっちよりこっちだってね。

大崎:あきらめたわけではない。

石田:選び取ったわけだよね。

古阪:それはやっぱり大学教育で一番重要なことじゃないかな。

伊勢:窓口は広くないといけないですよね。いろんなことを試してどの自転車が一番気持ちよいのかというような。

 

8.目的とメカニズム

最後に建築生産のことで古阪先生に聞きたいことがあります。やっぱり古阪先生の研究分野も視点がヒトじゃないかなと直感的に感じるんですね。ヒトの流れっていうのか。ある技能をもったヒトがどういうふうにヒトの群れの中で流れていて、それを合理的に流しながら現実である建物を作っていくという視点ではないだろうかと。

古阪:僕らのしていること、いわゆる建築生産に関していえば、組織を作ること、建築全体をどうやって創りあげるかということ、労働者の問題や全体のマネジメントを含めて、やっぱりコミュニケーションは非常に重要なんです。音によるコミュニケーションが極めて重要なんですね。そのコミュニケーションの上手い下手が、やっぱり技術的にうまく達成できたり、あるいは商売としてうまくいったりする。ところがそのトレーニングがどのようにできるのかということに関しては、他の分野も含めて学問的な基盤がない。例えば集団心理とか、個々の意思決定論とか、経済の様々な問題とか、雑学的に勉強しなければならない。だから、この話は非常によくわかる。それから僕は進化経済学とか、数理の方ではオペレーションズ・リサーチとか、いろんな分野の方とネットワークを持って勉強しているわけだけど、そのくらいやらないといけない。単にハードな技術だけではだめ。そういう意味でいうと建築の教育のあり方としては、学生をどう囲うかということではなくて、学生がどのように自由に外へ勉強しに出て行けるのかという問題として捉える必要がある。

伊勢:僕はその視点が、ある意味で建築の原因になっているのではないかなと思ったんですね。竹山先生がさっきカセドラルの話しをしましたけど、それと似た話があります。吉村作治先生がピラミッドがなぜできたかという理由として、あれは労働対策だったと言っています。

竹山:公共事業。

伊勢:そう。公共事業。ピラミッドを作るための神秘的な目的はわからないのだけど、とにかくヒトを動かすメカニズムがあったからあんなでかいものができちゃったんだというね。

竹山:いや、これ大いに勇気付けられるのは、建築家の存在っていうものを逆説的に根拠付けてくれる。つまり、面白いことをやるっていう無目的な奴がいていいんだっていうね。それが、総体としては人類の進化に貢献するのであるっていうような事が言われている。

伊勢:それは自己弁護でもあるんですけどね。

布野:そういう読み方だけで良いのかな?

竹山:冒険っていうのがあるでしょ、本の後半に「中心-周縁理論」で、森の中の村、森の人っていう、これも分かりやすいメタファーでいいと思ったんですが、このリスクをとるという行為を敢えてするという人間のさが。これも、個の遺伝子としてはマイナスだけど、集団のミームとしては成立する。リスクの中にエロスを持ってしまうわけです。僕は快感物質をエロスって言っているんですが、リスクの中にエロスを見るっていう性向が人間の進化の過程で組み込まれてね、それもミームなのかもしれないですけど、これが人類をこれだけ地球上に広げたわけだし、新しいことにチャレンジして、目的が何かわかんないけど、宇宙にも行くし、まあコロニー造るのが目的だとか言えば終いだけど、月に行ってみたいっていう気持ち、そういうようなことを特にポジティブに論じているあたりが、元気付けられる書物だなって感じがします。

古阪:月に行くのはソ連に負けたくなかったからじゃないの。(笑)

竹山:それも同じような・・・

古阪:理由にならないね。(笑)

石田:人間の具体的な活動の中では、目的を意識している行動とか計画というものが大部分でしょうね。だけど全部に全部、何か明確な目的があってやっているというふうには考えないほうがよいかもしれませんね。そう思っちゃうと、私の目的はなんだろうということでね、どんどん考え込んでしまう。

古阪:だけど工学でも計画系を除いて工学部全体がそうだし、建築でも構造とか、いわゆるシステム工学というのがそうじゃないですか。目的ありきでね。ところが目的関数がかけないものがあるんですね。社会システムのシステム論というのは目的があるかどうかわからない。大きな違いはそこにある。制約条件とかは数式でかけるけれど、目的関数を数式で表現するのを許すのか許さないのか。そこが工学部とそうじゃないところの大きな違いだよね。だから、建築の中で目的をもちろん持たないといけない学問もあるわけだけども、目的が何ぞやとか、目的すら変わっていくというようなこともある。

竹山:最初の小鳥のコミュニケーションでも、目的が仮に想定されるとすると、性的な、より広く良い異性を得るためのさえずりであるということになるかもしれないけど、そのうち、さえずり自体が自己目的化して。

石田:そうですね。そこはサイクルになるんでしょうね。

竹山:歌を作ることにことにせよ、演劇にせよ、文学にせよ、なんにせよ元はといえば異性へのメッセージだったかもしれない。それがだんだん自己目的化していく。ヒトが有性生殖する生命体と考えれば、多くの人間の文化的・芸術的な活動の目標が生殖であるという説明はすごく分かりやすい。ただ、そこの間に距離を膨大にとっていくっていうのが文化ですよね。そうした性向が人間を進化させてきた。直接的に目的に行かず、目的に距離をおくっていうね。

A-10神経のオートレセプターが欠如しているから過剰がでると。結局ピラミッドだとか、バベルの塔だとか、もうわけの分からないものを造り続ける。それに喜びを感じるっていう建築的欲望ってあると思うんですね。人類は、何かに突き動かされて。

石田:ただその欲望に従ってどんどん動いた結果、何度もひどい目にあっている。人間の根底にそういう駆動力があるというのを認識した上で、それとどうつきあうか。この本には戦争の話も最後に書いてありますが、そんなこともあるんじゃないですか。それから工学部で、最近工学倫理などで問題にしていると思いますが、おもしろいとか楽しいからだけでみんながどんどん進んだ先に何があるのかということには注意が必要だと思うんですよね。

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...