●建築時評02(2014.03.14)
建築討論委員会 2014年3月14日 日本建築学会会議室 17:00~19:00
出席者 布野修司
宇野 求
木下庸子
山梨知彦
和田 章
評価のスタンス-建築デザインとは?
布野 個々の作品(応募作品03~06)についてはそれぞれ書いて頂くとして、応募作品を全体として議論しましょう。全体の印象、あるいはどういう視点で見るかというようなことをお話して頂ければと思います。まず、木下先生からお願いできますか。
木下 4つを見て、建築デザインとはなんだろうということをちょっと考えさせられました。04は、『新建築』でみたことがあるんですが、デザイン的にも以前から気になっていた集合住宅です。それ以外は、材料とか、バリアフリーとか、安心、安全だとか、ハード面の充実を中心に話が展開されている印象です。デザインよりむしろ、社会的なコレクトネスというか、そういう切り口で建築が語られているように思われます。
布野 日本建築学会は、学術、芸術、技術をうたい、様々な側面から建築にアプローチしてきているわけですよね。構造、材料、エンジニアリング部門もあれば、計画、デザインの部門もある。03の老人ホームについては建築計画委員会が取り組んでいるテーマですよね。
木下 わかります。さまざまな評価軸が存在するなかで、私自身の評価のスタンスを申し上げたとご理解ください。
布野 建築の評価は多様で多面的であるべきで、評者のスタンスを鮮明にすることは大事だと思います。私も04は気になります。しかし、随分余裕のありそうな作品ですね。
木下 そうなんですよね。かなりポーラスに出来ている。大都会では可能でない、地方都市だからできる集住のあり方に興味を持ち、共感しました。中と外が交互に存在する住宅は面白いし、住み心地もよさそう。ただ、中庭の使い方がちょっと見えにくく感じました。
布野 中庭は、何か起こりそうな雰囲気がある。しかし、「都市をつくる」というんですが、何世帯ですか?8世帯ですね。何か施設が入ってるんでしょうか。アパートといえばアパートなんだけど、長屋(ロンングハウス)じゃない、長屋は一般的には連棟形式をいうと思う。タイトルは甘いかなあ、キャッチコピーとしては?
和田 こういう建築、私が住んでいる場所の近くにもあるんだけど、多分有名な建築家の作品だけど、庇がなくていいんですかねえ。日本のような雨の多いところで、あとあと困らないんですか。汚れるし。
木下 まあ・・・雨の日はつらいでしょうね。庇はつけずにスキッとしたかったんでしょう。05は、窓と床の関係など断面的には面白いところもあるけれど、形態は法規を忠実に表現した結果という感じ・・・、方位が表示されてなくても、形態から読み取れる。
宇野 限定された条件の中で面積を最大限有効に確保しようとすると、外壁を沿道に寄せて中庭をインテリアに接して配しますから、こうなりますね。
木下 06の正面ファサードのシンメトリーと大屋根は、少なからず前川國男自邸を意識した結果でしょうか。空間的には全く違うけれど。木という素材の使い方には好感をもちますが、木の存在感が強すぎるせいか、デザイン意図が見えにくい。
山梨 デザインというのは確かにいろんなアプローチがある。空間をデザインするというけれど、部分的なエレメントからデザインするとか全体から発送するとか、方法は様々あるんだとおもいました。ただ、社会に対して何をアピールするかという視点が大事だと思います。そのためには、建築家は拠って立つところをはっきりさせる必要がある。何を根拠に表現しているかですね。そうした意味で、04は拠って立つところははっきりしている。しかし、これだけクローズでいいコンテクストに置かれているのか?周辺のいろんなが見えないのが問題だと思います。
布野 04は、これがプロトタイプになるんだとしたら、どう建ち並ぶ並ぶかという問題ですね。
山梨 そうですね、コンテクストが語られていないことで、この作品の本質が語られていない気がします。「都市をつくりたい」といいながら、これだけがコンテストから浮いたスタンド・アローンに見える。意外に郊外にしか建ちえない形式かもしれない。05が唯一敷地の状況が読み取れますね。限られた敷地に可能な限りの空間を確保するうまい解答かもしれない。意外にありそうでないかもしれない。これを突き詰めてやってるのが安藤忠雄さんだから、新味はないかもしれない。ただ、周りに対して、これまた閉ざしてしまってる。
布野 隣地との境界に塀を建てていないのがいいかな?敷地境界線を突破する工夫がみたい。
宇野 典型的な旗竿敷地ですが、間口の取り方と境界の位置に工夫があります。
山梨 06は完全にエンジニアリング的な提案だと思いますが、肝心の構造壁がどうなっているかが分からない。木造を露わしで使うのは日本建築の伝統だから、あらわしの構造壁ならば見てみたい。
宇野 僕は、「建築学的多様性」といっているのですが、色々な建築を認める立場です。創る立場として、もちろんハイ・エンドな建築も好きですが、人のテイストは色々あるわけで、多様な建築を認めたい。03については、ごく普通に考えて、施設として、近所にこういう老人ホームあるといいよね、ということでしょう。シビルミニマムというか、ある程度の機能と要求を満たしている建築だと思います。作品にはならないと設計者は説明文に書いていますけれど、投稿したいという気持ちは、よくわかります。建築文化的な意味で突出していなくても、一生懸命、丁寧に作られていることが大事なのだと思います。04の建つ高崎市のこの40年ほどの経緯を見ていると、自動車がないと暮らせない街を造ってきたといえると思います。新幹線の駅前だけはマンションが集まって徒歩での生活もできなくはないけれど、それ以外のところではすべて移動は車です。それが,高崎のアーバンコンテクストでしょう。作品は、8戸の集合住宅ですが、プランに車が4台しか描いてない。本当のところは、どうなっているの分からない。デザインとしては上手だと思いますが、一点いえば、この辺りは地盤がよくないでしょうから、杭と基礎に相当コストがかかっている。とても重い建築をここに造る意味やコンクリートでつくる意図について設計者に聞いてみたいと思いました。
和田 そうだねえ。かなり過剰かなあ。
宇野 05の吉祥寺の住宅については、こうした旗竿敷地の条件下で、青木淳さんとか千葉学さんがぎりぎりの条件で非常に完成度の高い解をすでに出していますね。それからすると、全体的に少し余裕があるため、設計のつめ方が緩いのかなという印象ですね。06については、自分の仕事が論評される適当な媒体がないと書いてられる。やっているのは、合板ではなくて地元の材を使って、板材を固めて版盤にして組み立てるという構法です。これはこれで興味深い。内部空間としても質感にこだわりがあって、それなりに成功しているのではないか。建主さんも満足しているのではないか。正面のシンメトリーが強く平面が固いかなという印象はあります。
布野 私は、地(グラウンド)を作っていく建築と図(フィギュア)を創っていく建築をわけて考えるんです。それぞれに個の表現を追及するのは前提ですが、図をつくっていくのは、街なり村なりのベース、スケルトンに関わる。そこでは「型」を問題にします。研究事として、一貫して関心をもってきたのは、都市組織と建築類型なんです。05については既に「型」になっちゃってる。これでいいのかという感じです。「型」といえば制度と裏腹ですね。現実を規定する「型」を超える「型」、新たなプロトタイプに興味があります。03の老人ホームも「型」なんですけれど、制度がそのまんま自己実現している印象があります。空間の「型」になっていないんじゃないか。04は、新たな「型」になる可能性を持っているんじゃないかと直感的に思います。06は、構法的にひとつの型になるかもしれないと思います。建築生産システムを再構築するかは大テーマだと思っています。前回の二つ01、02についても同様に思います。和田先生、03~06如何ですか。
和田 それぞれ、言われていることにその通りだな、と思って聞いてました。興味あるのは景観ですね。この間、岩国に行って、江戸時代からの街並みを見たんですけど、すごくそろっててコントロールされている美しさを感じたんだけど、今の街をみていると、ごちゃごちゃしてて、みんなが好き勝手にやってる。どうしたらいいですかね。奈良の県庁辺りはいいんだけど、近鉄辺りに来ると、しっちゃかめっちゃかになっている。それぞれ一生懸命やってるんですけど、奇麗じゃない。
布野 一応、都市計画としてコントロールがなされてるんです。奈良ですと、美観地区とか風致地区がかかっている。最近ですと、景観法もあります。ただ、宇治市で都市計画審議会の会長を10年ぐらいやりましたけど、色々問題があります。街並み景観をめぐってはまた議論しましょう。個々の作品評はそれぞれお願いします。
東京オリンピックというテーマ-日本は何処へ
布野 さて、「第一回けんちくとうろん」(2014年2月25日)では、「公共建築はだれのものか」ということで議論したわけですが、大きな話題として東京オリンピック、新国立競技場をめぐって議論になりました。山梨さんは、実際に設計に関われているわけですが、具体的には話せない状況ですね。
山梨 はい、守秘義務があります(笑)。
宇野 国会で予算が通っていますから制度面と実務面からいえば、その枠内でやるしかない、ということだと思いますが、ザハの案をそのままつくると、実際のところ、コストが合わないでしょう。ですから、いずれ実行可能な代案がいくつか出されるのではないかと思います。
布野 和田先生は専門委員として審査に関わられたわけですが、ザハ・ハディド案しか構造的には可能ではないとお考えですか。
和田 あくまでプログラムを前提として、構造的要求水準を充たすという観点からですが、あと他の案では、伊東豊雄さんの案は可能性があったと思います。槇文彦先生の提起された問題は大いに議論して頂きたいですが、二年前に国が出したスペックに何かが言えたかが問われますね。構造エンジニアとしては、与えられた条件の中でベストの解答を出してもらいたいと思っていて、山梨さんのチームに期待しています。新国立競技場の問題は、今年の学会の大会で議論するんです。
布野 開閉式の屋根ということですけど、今年のドカ雪もあったし、議論すべきことはありそうですね。
山梨 新国立劇場の問題はおくとして、気になっているのはオリンピックのテーマが議論されていない。オリンピックは何のためにやるのか。オリンピックを辞めてしまえという議論は一杯あるんですが、国として国際公約した以上、何をテーマにするかを2014年は議論する必要もある。オリンピックそのものを、今の東京の中で、そして日本の中でどう位置づけるか、その前後をどう橋渡しするか、そういう大きい議論が必要だと思います。景観論も大切ですけど、オリンピックをどうするか、ですね。オリンピック景気に浮かれて、インフラに膨大なお金を使うおうといったような乱暴な議論が今後出てくると思うんですけど、その前にテーマを見据えなければいかないのでは?・・・
布野 もう出てますよ。今日午前中、テレビで予算委員会を見ていたら、環状線をつなげてください、と議員が質問していました。一方で巨大なお金を使うなという議員もいましたけどね。
山梨 オリンピックをドライビング・フォースにして、建築をどういう方向にもっていくか、東京をどういう方向にもっていくか、を議論する必要がある。
布野 同感です。前回の建築討論委員会(2014年1月13日)でも、東京の都市計画をどう考えるかがが問題だという話が出ました。
宇野 日本では、建築家と建築技術者は、大きくても小さくても敷地内で敷地に与えられた制限の範囲内で建物を設計する仕組みになっています。「公共建築は誰のものか」といえば、本来は、税を払っている住民のものなのでしょうけれど。そして、これもまた本来は、議会は納税者代表が集まって税の使い道を審議する場でしょう。しかし、実状は、建築計画、都市計画ともに役所が起案企画して外部発注して公共建築が造られています。建築家でなくとも、たとえば、いわゆるコンサルやデザイナー、あるいは代理店がコンセプトを提供し、絵を描いて、それをもとに積算の図面を設計事務所が引く。そのままでは建たないのだけれど、優秀なゼネコンが建ててくれる。建築や都市プロジェクトがそうやってできちゃう。建築家や建築技術者をインハウスで抱える必要はなく、発注者にとってとても便利な社会になってしまっています。全体的に調整調和のとれたまちづくりにはならず、ちぐはぐな公共建築が地域計画都市計画とのかかわりなくできている。不都合なところが多々ありますが、批判ばかりしても始まらないので、ネクスト・ベストというか、今の状態を所与のものとして、どうしたらより健全でよりよい造り方ができるのか、前向きの議論に持って行きたいと思います。同時に、山梨さんがいう理念やヴィジョンを議論することはもちろん大事だと思います。21世紀をわれわれはどう生きていくのかという原点から再考することが望ましい。
山梨 今、旗印が見えないから、もし何をつくればいいか見えてくれば、それをめぐって議論も起こるし、評価も違ってくる。
宇野 いまの建築界は、ものいえば唇寒しというか、ここはあまりものを言わない方がいいといった雰囲気があるような気もする。いいことではないですよね。よりよい方向と方策を見定めるためにも、異なる意見をかわして議論を続けなが前に進むようにしたいものです。
布野 僕は、東京の今後を考えるために、まず、東京オリンピック1964の直前まで帰ってみたらと思うんだけど、「第一回けんちくとうろん」で松隈さんは、1936年の東京オリンピックまで帰っちゃった。確かに15年戦争期の大東亜共栄圏の首都・東京も今日的には時代の雰囲気のような気もしないでもないんですが、・・・まずは、原発ゼロ、高速道路ゼロ、超高層ビルゼロに立ち返って、2020とその後の半世紀を展望したらどうか。
宇野 僕は、それはもう20世紀中に出してあるんです。
布野 え、それちょっとしゃべってよ。具体的な東京計画について議論した方が面白い。
宇野 仮設と常設を組み合わせる、建築とインフラをマージ(統合)する、自律分散的な修復ネットワークをつくる、都市農場を臨海部につくる、などなど・・・岡河貢さんと発表した「TOKYO計画2001」で、アイディアをまとめました。
山梨 そうなんですよ。絵を描くというとすぐ都市のハードウエアを造ろうという発想になる。僕らは既にインターネットの世界にいるんだから、そのネットワークのほうが可能性がある。環状線の話にひっかけると物質的にネットワークにならなくても、交通制御システムをつくりあげることは可能なんだけど、いざオリンピックで巨大な投資が期待されるとハードウエアの話に戻っちゃう。半世紀前には、スマートフォンの「乗換案内」のアプリをみて電車に乗る人なんか想像すらできなかったわけでしょう。
布野 もうひとつ、オリンピックを契機にこの際、高速道路をとっぱらえ、という動きが日本橋である。こういう動きはいいんじゃないかと思う。東京の歴史の層を掘り起こしてみる、東京オリンピック1960に戻ってみるというのはそういう意味なんです。宇野先生がずっとまちづくりに関わっている日本橋ですが、小泉内閣の時に、小池百合子環境相がソウルの清渓川再生をみて、提案してちょっとした騒ぎになりました。1960年に戻って考えるという意味では、日本橋の上の高速道路をとっぱらうというのは象徴的ですね。しかし、高速道路をとっぱらって、環状線もそのままでいい、交通制御は可能というわけにはいかないでしょうね。防災を考えると、巨大地震が起こったら車が立ち往生して、大変なことになることは考えておかないといけない。
和田 東京も盆、正月は、住んできれいになる。地方から出てきた人はみんな地方に帰ればいいと思うけど、どう。
布野 それは東京っ子の和田先生が言わない方がいい。けど、要するに東京一極集中の構造をどうしたら転換できるかということですよね。それはこの間一貫する問題ですね。東京一極集中のほうが効率がいい、資本の論理としては。仕事があるから人が集まって、平均収入も日本で一番高い。オリンピックは財政力のある東京でしかできない。なおかつ東京に投資するという構造ですね。
宇野 日本の特殊事情があります。中央官庁が集中しすぎている。官庁が許認可権限をもっているから霞が関に近い方がビジネスしやすいので、企業も集中してしまった。また、台頭するアジアのメガシティを考えると、国際競争力のある東京に集中した方がいいということに、どうしてもなりがち。
布野 地方分権、地域再生自立といいながらそう動かない。巨大なメカニズムというか、運動ですね。しかし、地域分散のネットトワークシステムを実現していかないと地球は持たないと思う。資源問題、食糧問題、エネルギー問題、環境問題・・・を考えるとね。原発問題については、人類の歴史と能力を考えると制御不能だから、断念すべきだと思うけれど、産業界は50ヘルツ、60ヘルツ、100ボルトの安定した電力が欲しいという。
宇野 エネルギー問題といっていますが、それは、つきるところ、ライフスタイルの問題で、なにをして食べていくのか、ということでしょう。歴史的世界的に最高水準の生活を営んでいる現在の日本社会のこれからは、価値を生み出して財とする新しいビジネスモデルと多様なライフスタイルが鍵ですから、必ずしも大量のエネルギーを要さないでも済むのではないかと思いますし、そういう方向を探るのが得策だと思います。
布野 この間、株式会社エナリスの池田元英さんに来てもらって話を聞いたんです。「エネルギー情報化とスマートグリッド関連ビジネス」というんだけど、実に興味深かった。若いんですよ、40代前半なんです。発電もするんですけど、売電、買電、電気の売買の調整するんです。大型のマンションなどから風水力発電まで扱って、上場するまでになった。電力量予測をするんです。気象予測もする。人がどう動くかが鍵だという。まあ、ビッグデータを扱っているということなんですけどね。言いたいのは、再生可能エネルギーを調整制御して使っていく技術は既にあって、実用化もされているということです。
宇野 そういう動きについて、これまで政府は熱心に後押ししてこなかった面があります。これからは、効果的な方策をうって、こうした動きを促進すべきです。
この国の構造欠陥!?-東日本大震災3周年
布野 東日本大震災3周年ということですけど、動きませんね。和田先生、地盤工学会と共同企画討論をされてリーフレット(『東日本大震災と向き合う』和田章・龍岡文夫・座庫小田・末岡徹、2014年3月15日)を出されていますけれど、いかがですか。
和田 いつも言うんですけど、なんでみんな同じパターンなんでしょう。嵩上げして木造住宅を建ち並べる、高台に島のように木造住宅団地を建てる。シンガポールの南端の町とか、シカゴの湖畔の超高層があって、高速道路が走って、広く公園があって市民はジョギングしてるという、ああいう街なら、津波が来ても平気なのに、なんで、同じように木造の昔風の建物が建ち並ぶそういう景観を目指すんでしょう。三井所清典先生(建築士会連合会会長)は、伝統的街並みの再生という方針でしょう。昔に戻そうというのは何故かなあ、とずっと思ってるんです。布野先生は、多様な解があっていいっておっしゃってるでしょう。最近の若い人は高層、といってもせいぜい10階、15階ですけど、そういう住み方をしてるわけだから。
布野 多様な解があっていいと思います。日本の戦後の団地だって、ウォークアップ可能で5階建て、階段室共用のバッテリー・タイプということでやってきたんですけど、モデルにした北欧では、高層にした集合住宅の周りに広い緑地をとるという方針でした。要するに「型」、まちのかたちが問題なんです。
和田 それと、最初は高台移転とか、防潮堤が必要といっていた人が、住んでいた場所に居させてあげたい、防潮堤は要らないなんて言い出すのはなんででしょうね。1000年後に津波が来たら、今度は助けませんよ、ということでやってもらわないと困りますね。先日、確定申告に行ったら、最後に2パーセントぐらいとられるんですよ。復興支援ということで。みんながサポートしていることを忘れないで欲しい。
布野 今度のような大津波が来ても誰も死なない、というのが原則だと思います。「フクシマ」は全く別ですけど。はっきりしているのは物理的に防ぐのは不可能だということです。高台移転にしても、これだけ長引くと、当初から予想されたことですが、合意形成できていたのに、一人かけ、二人かけして、計画自体がなりたたなくなるケースがでてきてる。非常にまずい状況ですね。宇野先生は、つい最近、被災地を回ってこられたわけですが、いかがでしたか。
宇野 犠牲者が概ね2万人、仮設居住ほか他県などへの避難者数がおよそ30万人といわれています。未曾有の被災ですが、日本の人口は1億3000万人もいますから、国民皆で支援すれば、割合(30/13000)からいって、より円滑でスピードがあり適切な復興も可能だったと思います。しかし、3年もかけて復興が進んでいないのは、社会システムに問題があるからでしょう。社会システムの設計が実状現状に適していないので、エラーとバグが続出するのだと思います。都市(計画・設計・建設・経営の)システムにも課題が多々あります。加えて、非常時に平時のそれを援用したため、機能不全を起こしたといえるのではないかと考えています。誰がいいとかいけないとか言うのではなく、現時点でうまくいっていない部分を、部分部分からバグを取り除いて修正するといった、現実的な対応がいまは大事なのではないか。現実と理想とを突き合わせて、これでは駄目だ、駄目だといっていても始まりません。復興の現場では被災者の方々が依然としてたいへんな不自由をしている。現状を見据えて具体的に前進できる対応をしていく必要があります。一方で、中南海、南海大地震の可能性に対して備えることは大切ですが、東日本大震災に対応できなくてより大規模な被災の対応をできるわけがありません。被災者の皆さんは東北が忘れられていくのではないかと思い始めている。そういうことがないように、専門家としては支援を続けるとともに世間に訴えることも必要でしょう。
布野 この間、中国支部のシンポジウム(平成25年度「中国支部研究発表会」同時開催事業「地震,戦争,大災害と建築」・石丸紀興(広島諸事・地域再生研究所代表,広島大学名誉教授)「原爆と戦後復興関連」・杉本俊多(広島大学教授)「ドイツの近代建築と戦争関連」・武村雅之(名古屋大学教授)「科学技術と防災-関東大震災から学ぶ」・布野修司(滋賀県立大学教授)「戦後復興と東日本大震災復興」)に呼ばれたんだけど、司会の、先ほど名前が出た岡河貢先生が「これから被災地に行こう」と呼びかけてました。被災地の問題を地域の問題として受け止めるのは当然なんだけど、被災地支援は息切れしてるんじゃないか、という。実際そうです。滋賀の方から被災地支援というと結構大変です。第一に旅費がかかる。陶器浩一、永井拓生先生、それに宮城大の竹内泰先生の気仙沼の大谷地区の支援ということで、総務省の「域学連系」というプロジェクトを獲って、去年は「浜の会所」を建てたんですけど、これから長期にわたって維持していくのは結構大変なことだと思っています。当該自治体も大変なんです。莫大な予算がついてそれをこなすだけで精一杯。人手が足りない。どう持続的に支援体制を組むかが問題ですね。学会の取り組みも少し息切れしてるんじゃないか。
木下 地震が起きた直後から、フットワーク軽く動けないような仕組みがあると感じてきたんです。私もこの一年半ほどアーキエイドとして釜石の復興公営住宅に関わっているんですけど、当初の予定どおりには全く進んでない。1年かかってようやく3戸が完成し、入居が済んだという状況。当然、今建設中のものもありますが、スピーディーにこなすには仕組自体から考えなくてはならないと感じてます。皆考えは同じ方向を向いているんだけど、どうもスムースに回っていかない。
宇野 建築家たちが考慮すべきことに財源の問題があります。実は財源が無い。たとえば、陸前高田では、公共(的)サービスを提供する仮設建築、復興建設が多少なりとも進んでいる公共建築は、その財源がNPOとかシンガポール政府とか企業の寄付とかの外部資金が多いようでした。公的資金つまり税を投入しようとすると、その執行において制約がとても大きく、事務手続きが煩雑かつ大量にあって、使い勝手がよくない、それも事業毎に書式手順基準がまちまちで事業相互の連携など弾力的に計画することができない・・・そこに大きな問題があります。
木下 そうなんですよ。手続きにも時間がかかりすぎる。平等と公平に則った仕組みが、結果としてかなり足枷になっている。
山梨 それと工事費が上がっちゃってる。僕もアーキエイドの事務局をやってるんですけど、計画がまとまっていざという時に、結局工事費があわないんです。つまり、きれいごと言ってるんだけど、群がってる人たちがいて、利権が発生する構造がある。建築家側が理念的に提起しても、造る側が旧態然としている面がある。それがここ一、二年で見えてきているんだけれど、政府もわれわれも何もしてこなかった。その構造が足枷になってるんですね。新聞もあんまり書かない。
木下 そうそう。入札不調を繰り返せば、工事予算はその都度あがるわけだから・・・
山梨 一部の施工者は、建築家を追い出したいわけです。旧態然たる構造側としては。アイディアだけもらっちゃってね。
宇野 地場の建設会社に直接アプローチして信頼されたならば、もっとうまくいったかもしれませんね。残念なのは、旧来の社会構造を介してアプローチしたというところなのでしょうか。
山科 僕は大きな組織に属しているから、住宅の設計をうまくやれるとは思わない、僕らが担うべきは経済基盤をつくることだと思うけれど、未だにできていない。高台移転にしても、移転する人たちがどうして食べていくか何にも無い。
布野 高台に限界集落をつくるだけだ、という批判は当初からある。
山梨 「フクシマ」が象徴的ですが、震災当日の東京で学んだことは、実は東京と「フクシマ」は密接に結びついていた。東京では一棟も建物は倒れていないのに、東京の交通は完全にマヒをして、僕らは歩いて帰らないといけなかった。そして、まったく無縁のように見える東北の各地と東京は、魚や野菜のような小さくはあるが多様な結びつきを持っていたことを、震災後の生活の中で実感していったわけです。ほんとは経済学者が提起すべきだと思うんですけど、東北に経済基盤をつくる、というのが一番かけている。先ほど東京オリンピックのテーマの話をしましたけど、オリンピックと東北の復興を結びつけて大きな話をすべきだと思うんです。東北のディスクリートな地域のミクロな経済基盤と東京をどう結びつけるかという視点ですね。そこにオリンピックのテーマもありそうな気がしています。
宇野 僕は、当初から提案しているのですが、東北の復興と将来ヴィジョンは、ノルウエイをモデルにするといいと考えています。北国の広大な土地を少ない人口で民主的合理的に統治管理経営している彼らの社会システムに学ぶのが適切だとも思います。水産加工業、ワンストップの交通インフラネットワーク、観光資源として自然物の価値を高めて観光産業とするノウハウ、都市とは異なるライフスタイルなどなど、学ぶべきところが、たくさんあります。
山梨 でも100年以上も前にもじつは、そういうシステム、東京と東北のつながりはあったんですよ。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(東洋文庫、全4巻、金坂清則)を読み直してみると、東北は一見悲惨なんだけど、東京とつながって成立している経済基盤の存在も読み取ることが出来る。あの時代にでもできていたことなのだから、もう一度そこを掘り起こしてみる必要がある。それは北欧のディスクリートな漁村のモデルとも繋がるんじゃないか。東北の経済構造を浮彫りにして、問題にすべきです。
布野 経済学の先生方も、建築学会の例えば農村計画の先生方も色々提起されているんだけど、表に出てくるのは、とにかくアベノミックスで、実体経済というより、為替と株と証券のヴァーチャルな操作による経済政策だけに関心が集まってる。
和田 文部科学省の復興プロジェクトで小学校の復興について、長沢悟先生、小野田泰明先生にお願いして学会はお手伝いしてきてるんです。昨年、石巻に行ったんですが、ようやく三つぐらいの学校を合わせて復興したんですが、浜と浜の間が意外に仲が悪かったりするんですね。そういう問題もある。
世界建築の行方-リヤドとハイチ
布野 その他、最近の建築事情はどうでしょう。山梨さん、外国へいかれてるんでしょう。
山梨 最新の建築デザインのヴィヴィッドな状況を見に行ってるわけではないですけど、興味あるのはリヤド(サウジアラビア)ですね。建築家はバブリーなところに集まるわけですが、ものすごい建設ラッシュですね。すごい量のオフィスが建設されていますが、需要は10分の1も無さそうに思える。石油が枯渇する前に、第二のドバイを建設してしまおうと狙ているかのようです。
布野 舛添新都知事は、東京をドバイに!とか言ってるようですが、大丈夫ですかねえ、ドバイは崩壊直前に行ったことがあるんですが、ロシアの富裕層が投資してたんですが、一体何処のマネーを呼んでるんですか。
山梨 石油で設けたお金がけた違いにあるはずです。は非常にすごいオフィスビルができていて、これから世界中から人を呼ぼうという、そういう順番ですね。とにかくお金は有るものの、これまであんまり開発してこなかった。ドバイは投資を呼び込んで開発したんですけど、リヤドは自らのお金でつくれちゃう。つくってから人を集めようということが起こりつつある。一方で、ムスリムの国だからパスポートがとりにくい国でもある。そういう国で、今後どういうことが起こるのか、興味芯々なんです。
布野 中国、インド、そしてアフリカかなあと漠然と思っていて、学生にはインドに行きなさいとけしかけてます。実際、スタジオ・ムンバイとか、ドーシのところに行ってる子たちもいるんですよ
山梨 そうインドでしょう。それからミャンマー、だけどミャンマーはマーケットが小さい。バブルがどうアフリカに軟着陸するか少し興味がありますね。
布野 建築家として具体的な名前があがりますか?こいつは面白いぞ!という建築家。
山梨 具体的な名前は出ないですが、スペインが終わって、これからは南米じゃないですか。スペインは素材感あふれる建築をつくる建築家が一杯いますよね。建築雑誌を開けば嫌というほど出てきてた。
布野 へえ、知らなかった。この半年、セヴィーリャ大学から学生が三人着てて楽しくつきあったけど、スペインでは就職が厳しい、日本で働きたいって言ってたけどね。ひとりは藤本壮介のファンだと言ってた。
山梨 だから、次は南米で同じことが起きるんじゃないかと思ってるんですけどね。
布野 和田先生は、地震で中国へ随分行かれてましたけど、最近はいかがですか。
和田 この前、ハイチに行きました。
布野 ハイチも全然復興してないですね。どうなってるんでしょう。
和田 人口が一千万人。島の西半分がハイチで、東がドミニカ共和国です。首都の200万人のうち30万人が亡くなってしまった、大変な災害です。
布野 ポルトープランスですね。
和田 もともとテントやトタン屋根のような家に住んでた人は大丈夫だけれど、15センチ角のコンクリートの柱にブロックの壁をつめたような家が壊れて、多くの人々が亡くなった。カテドラルがハイチ全体で11あって、首都にあったのが壊れて壁だけしか残っていない。二つはヒビだらけで、どうしたらいいかということでアドヴァイスに行ったんです。バチカンから派遣されてきた人がいて、お金はあるんです。東日本大震災の場合、津波の映像は流れるんだけど、あんまり悲惨な場面は流しませんよね。ハイチの場合、生々しくて、最初は瓦礫の下から声が聞こえているけれど、次第に聞こえなくなるとか、聞いてきました。とにかく貧富の格差が激しい。
宇野 日本で悲惨な場面を出さないのは自主規制でしょうか。ニューヨークタイムズなど外国メディアは、遺体の捜索、安置、埋葬の現場もリアルに報道していました。
和田 四川地震の場合も、亡くなった人の写真があって、残された家族はどうなるんだろう、といったコメントがその画面についていたりして、生々しいんです。
布野 いま、滋賀県立大のヒメネス・ベルデホ、ホアン・ラモン、芦澤竜一、そして森田一弥の三人の先生がフィリピンのセブ、ボホール、レイテに行って、復興支援を考えているんですが、あんまり日本で動きがありませんね。台風と地震で相当のダメージなんです。教会もかなり被害を受けています。レイテのタクラバンは未だにテント生活で、計画ができていないんです。
和田 ハイチでもいろんな問題があります。アメリカは援助ということで米を配給するんだけど、もらうほうが楽だから、ハイチの人は作らなくなっちゃう。80%は無職なんですよ。アメリカは援助によっていうことをきかせようということですね。
布野 リヤドとハイチ、両極端の世界がここで話できるのもすごいですね。僕は、スペイン植民都市研究ということでキューバと隣のドミニカ、2回カリブに出かけましたけど、ハイチ革命、1804年ですが、フランス革命の影響を受けた最初の黒人革命、カリブ海最初の独立国なんですけど、その後、苦難の道を歩んできてますね。
山梨 さっきリヤドのことを話しましたけど、イスラーム圏というのは日本から一番遠いじゃないですか。そうした中でアジアでは仏教と出会うインドネシアが注目されるんじゃないかと思うんですが、いかがですか。
布野 インドネシアには30年通ってるんですけど、僕も当初はイスラームは遠かったですね。実はムスリム人口が世界で一番多いのはインドネシアなんです。ただ、西アジアのイスラームからみると、堕落したイスラームと見られている。基層文化が違うし、気候も違う。まず、インド化があって、その上にイスラームが乗っかってます。一神教と八百万のヒンドゥー、仏教との関係は面白い。話せば切り無いですが、現在再び光が当たりつつあるように思います。とにかく資源がある。今、中間層が育ってきてて、インドといい勝負かもしれません。
山梨 いやあ、布野先生の仕事のことを思い出したらインドネシアを思い出したのですが、意外とインドネシアが台風の眼になるかもしれない。新しいコンセプトが生れるような気がするんです。また、色々お話をうかがいたいです。
布野 気を使って頂いてありがとうございます。日本の話にまでは至りませんでしたが、次回にしましょう。
(文責 布野修司)
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