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2025年7月21日月曜日

日本建築学会編:『住まいの百科事典』丸善出版,2021年4月

日本建築学会編:『住まいの百科事典』丸善出版,20214

吉武泰水(1916年大分県生れ~2003年)

 

 西山夘三(19111994)とともに建築計画学の設立者として知られる。西山夘三研究室がいわゆる「住み方調査」をもとに住宅の型計画を展開したのに対し、吉武泰水研究室は、住宅計画の方法を学校、図書館、病院など公共施設に拡大、「使われ方調査」をもとに公共施設計画を展開した。住宅計画については、吉武泰水スクールでは鈴木成文19272010)が担当することになるが、戦後日本のプロトタイプとなる「51C」の設計は、吉武泰水の主導によって行われた。

 51Cすなわち公営住宅の標準設計1951C型の設計過程については鈴木成文『五一C白書 私の建築計画学戦後史』(住まいの図書館出版局、2006年)が詳しい。設計は、「国庫補助住宅設計構造審議会」によって1950年の秋に行われれ、実質作業したのは吉武・鈴木・郭茂林の3人である。「51C」は、やがて日本住宅公団1955年設立)の標準設計2DK型として採用され、日本全国で建設されることになった。DK型住戸は戦後最も多く建設された住戸型である。

 吉武泰水は、大蔵省営繕管財局を経て、東京帝国大学助教授に就任(1942年)、戦時体制下において様々な研究に従事するが、戦後目指したのは、建築の設計計画の科学化である。すなわち、建築構造学などのようなエンジニア系の分野に対する建築計画学の創設である。まず手掛けたのは、トイレの便器の数やエレベーターの台数などを数学モデルによって決定する規模算定論である。それを中心とする『建物の使われ方に関する建築計画的研究』よって学位を取得するが(1956年)、設計計画の理論と方法論の展開の基本に置かれたのは平面計画論である。すなわち、建築を身体に例えて、骨組は構造学、循環器は設備工学が担当するとすれば、平面図の白地の部分(空間)を担当するとする。

 吉武計画学研究は、やがて施設=制度前提の縦割り研究であり、標準設計論である、と批判されることになる。しかしもとより、設計計画の理論化の射程はその段階にとどまるわけではない。『建築計画学への試み』(1987)にまとめられるがあくまで「試み」である。その研究の全体は『建築設計計画研究拾遺』Ⅰ、Ⅱ(2004)にまとめられている。筆者は、吉武泰水が57歳で筑波大学副学長に転出する直前吉武研究室に所属したが、研究室の中心テーマは環境心理学であり、精神分析学である。その成果は、『夢の場所・夢の建築』(1997)に求められている。吉武泰水が最終的に目指したのは芸術工学の確立である。筑波大学の後、九州芸術工科大学学長(197888年)、神戸芸術工科大学学長(198998年)を務めた。

 住宅計画学の展開については、吉武泰水を引継いで神戸芸術工科大学第二代学長となった鈴木成文のその後の展開にうかがうことができる。『五一C白書』には、「順応型住宅」の展開、住宅と街を結ぶ領域論の展開などがまとめられている。

 

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