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2026年4月13日月曜日

『SSF News』(サイト・スペシャルズ・フォーラムSite Specials’ Forum)000-012 1991-1996


SSF News』(サイト・スペシャルズ・フォーラムSite Specials’ Forum

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2025年4月7日月曜日

2024年12月18日水曜日

職人大学へ,新建築,199907

 職人大学へ,新建築199907


職人大学へ

布野修司

 

 いまムンバイ(ボンベイ)である。かってのネイティブ・タウンを歩き回っている。立ち寄った本屋ですばらしい写真集を見つけた。”The Indian Courtyard Houses"(T.S. Randhawa, Prakash Books,1999)。今年出たばかりだ。ジャイプールやアーメダバードのハヴェリなど多少調べだしたけれどインド各地にはさらに奥深くすばらしい都市型住宅がある。都市の伝統の厚みの違いであろう、日本の都市が実に薄っぺらに思えてくる。冒頭に「本書は、これらのすばらしい建物を設計し建設した無名の職人たちに捧げる」とある。職人世界の活き活きとした存在とまちの景観は密接不可分なのである。

 1990年11月27日、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)という小さな集まりが呱々の声を上げた。サイト・スペシャルズとは耳慣れない造語だが、優れた人格を備え、新しい技術を確立、駆使することが出来る、また、伝統技能の継承にふさわしい、選ばれた現場専門技能家をサイト・スペシャリストと呼び、そうした現場の専門技能家、そして現場の技術、工法、機材、労働環境まで含んだ全体をサイト・スペシャルズと定義づけたのである。横文字にせざるをえなっかたのが癪であったが、要は建設現場で働く職人の社会的地位の向上、待遇改善、またその養成訓練を目的とし、建設現場の様々な問題を討議するとともに、具体的な方策を提案実施する機関がSSFである。スローガンは当初からわかりやすく’職人大学の設立’であった。主唱者は日綜産業社長小野辰雄氏。中心になったのは、待遇改善に極めて意欲的な専門工事業、いわゆるサブコンの社長さんたちである。

 顧問格で当初から運動を全面的に支援してきたのは内田祥哉元建築学会会長。内田先生の命で、田中文男大棟梁とともに当初からSSFの運動に参加してきた。最初話を聞いて、大変な仕事だという直感があった。藤沢好一(芝浦工業大学)、安藤正雄(千葉大学)の両先生にすぐさま加わって頂いた。また、土木の分野から三浦裕二(日本大学)、宮村忠(関東学院大学)の両先生にも加わって頂いた。それからかなりの月日が流れ、その運動はいま最初の到達点を迎えつつある。具体的に「国際技能工芸大学(仮称)」が開学(20014月予定)されようとしているのである。バブルが弾け、「職人大学」の行方は必ずしも順風満帆とは言えないが、SSFの運動がとにもかくにも大学設立の流れになった、ある種の感慨がある。

 当初はフォーラム、シンポジアムを軸とする活動であった。海外から職人を招いたり、マイスター制度を学びにドイツに出かけた。議論は密度をまし、職人大学の構想も次第に形をとりだしたが、実現への手掛かりはなかなか得られなかった。そこで兎に角はじめようと、SSFパイロットスクールが開始された。第一回は19935月の佐渡(真野町)でのスクーリングであった。その後、宮崎県の綾町、新潟県柏崎、神奈川県藤野町、群馬県月夜野町、茨城県水戸とパイロットスクールは回を重ねていく。現場の職長さんクラスに集まってもらって、体験交流を行う。参加者の中から将来のプロフェッサー(マイスター)を見出したい。そうしたねらいで、各地域の理解ある人々の熱意によって運営されてきた。

 そして、SSFの運動に転機が訪れた。KSD(全国中小企業団体連合会)との出会いである。SSFは、建設関連の専門技能家を主体とする集まりであるけれど、KSDは全産業分野をカヴァーする。”職人大学”の構想は必然的に拡大することになった。最早、SSFの手に余る。KSDは全国中小企業一〇〇万社を組織する大変なパワーを誇っている。

 KSDの古関忠雄会長の強力なリーダーシップによって事態は急速に進んでいく。「住専問題」で波乱が予想された通常国会の冒頭であった(19961月)。村上正邦議員の総括質問に、当時の橋本首相が「職人大学については興味をもって勉強させて頂きます」と答弁したのである。「職人大学」設立はまもなく自民党の選挙公約になる。

 めまぐるしい動きを経て、国際技能振興財団(KGS)の設立が認可され、設立大会が行われた(199646日)。以後、財団を中心に事態は進む。国際技能工芸大学が仮称となり、その設立準備財団(豊田章一郎会長)が業界、財界の理解と支援によってつくられた。梅原猛総長候補、野村東太(元横浜国大学長)学長候補を得て、建設系の中心には太田邦夫先生(東洋大学)が当たることが決まっている。用地(埼玉県行田市)も決まり、1997年にはキャンパス計画のコンペも行われた。

 国際技能工芸大学(仮称)は、製造技能工芸学科と建設技能工芸学科(ストラクチャーコース、フィニッシュコース、ティンバーワークコース)の二学科からなる4年生大学として構想されつつある。その基本理念は以下のようである。

 ①ものづくりに直結する実技教育の重視、②技能と科学・技術・経済・芸術・環境とを連結する教育・研究の重視、③時代と社会からの要請に適合する教育・研究の重視、④自発性・独創性・協調性をもった人間性豊かな教育の重視、⑤ものづくり現場での統率力や起業力を養うマネジメント教育の重視、⑥技能・科学技術・社会経済のグローバル化に対応できる国際性の重視

  教員の構成、カリキュラムの構成などまだ未確定の部分は多いがSSFの目指した”職人大学”の理念は中核に据えられているといっていい。もちろん、「職人大学」がその理念を具体化していけるかどうかはこれからの問題である。巣立っていく卒業生が社会的に高い評価を受けて活躍するかどうかが鍵である。


2024年12月17日火曜日

食うことと建てること,学芸出版社,建築思潮Ⅴ,1997

 「建築家」の居る場所,世紀末建築論ノート,学芸出版社,建築思潮1997(『裸の建築家』収録)


世紀末建築論ノートV 「建築家」の居る場所

布野修司

 

食うことと建てること

 

 SSFは真摯な議論の場であり続けた。どんな「職人大学」をつくるのか。自前の大学をつくりたい、これまでにない大学をつくりたい。大学の建築学科にいると嫌というほどその意味はわかる。今の制度的枠組みの中では限界が大きいのである。すなわち、普通の大学だと必然的に座学が中心になる。机上の勉強だけで、職人は育てることはできないではないか。とにかく構想だけはつくろう、ということで、いろいろなイメージが出てきた。本部校があって、地域校がいる。建築は地域に関わりが深いのだから、一校だけではとても間に合わない。さらに働きながら学ぶことを基本とするから、現場校も必要だ。

 しかし、議論だけしてても始まらない。それで生まれたのがSSFスクーリング(実験校)である。一週間から十日合宿しながら「職人大学」をやってみようというわけである。職長クラスの参加者を募った。何が問題なのか、どういう教育をすればいいのか、手探りするのが目的であった。ヴェテランの職長さんの中から「職人大学」の教授マイスターを発掘するのも目的であった。

 SSFの実験校は既に移動大学である、というのが僕の見解である。しかし、世の中いろいろとタイミングがある。SSFが飛躍する大きなきっかけになったのは、KSD(中小企業経営者福祉事業団)との出会いである。産業空洞化が危惧される中で、優れた職人の後継者の育成を怠ってきたのは誰か。その提起を真摯に受けとめたのが国会議員の諸先生方にもいた。参議院に中小企業特別対策委員会が設置され、「職人大学」設立は大きな関心を集め出すことになった。しかし、「職人大学」設立への運動は今始まったばかりである。専門工事業に限らず、建設産業界全体の取り組みが問われている。問題は、建設業界を支える仕組みなのである。

 

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...