近代の空間システム・日本の空間システム:都市と建築の21世紀:省察と展望特別研究41, 布野修司,建築類型と街区組織ープロトタイプの意味ー近代的施設=制度(インスティチューション)を超えてーー,日本建築学会,2008年10月
「建築類型と街区組織ープロトタイプの意味ー近代的施設=制度(インスティチューション)を超えてー」
布野修司(滋賀県立大学)
1.1979年1月以来、アジアの諸都市を歩き回っている。当初、東南アジア地域(アセアン諸都市)をフィールドとして、「地域の生態系に基づく住居システム」をテーマとした[i]。ハウジング計画の分野における近代日本のパラダイム(マス・ハウジング、51C、プレファブリケーション)に対する批判的検討がその大きな研究動機である。そして、サイツ・アンド・サーヴィス(宅地分譲)事業におけるコアハウス・プロジェクト、そしてセルフヘルプ・ハウジング(フリーダム・トゥー・ビルド、ビルディング・トゥゲザーなど東南アジアのNGOグループ)によるセルフ・エイド系を含んだ参加型のハウジング手法に強い示唆を受けた。
2.「地域の生態系に基づく住居システム」に関する研究は、「近代」以前の、地域に固有な住居集落の空間構成原理を解明する試みであり、その現代的再生への模索である。また、異文化理解の方法を問うことにつながった[ii]。この間、グローバルに、各地域を圧倒してきたのは、近代世界(空間)システムである。
3.以上の研究遂行の過程で、スラバヤの「カンポンkampung(都市内集落)」に出会った[iii]。カンポンの空間構成原理を明らかにし、カンポン・ハウジング・システムを提案した[iv]。
4.カンポンについての調査研究は、「ルーマー・ススン(カンポン・ススン)」というインドネシア型「都市型住宅」の提案に結びついた。また、「スラバヤ・エコ・ハウス」の提案に結びついた。臨地調査―都市組織・街区組織の解明―型・モデルの提案―評価のサイクルは建築計画学研究の前提である。
5.カンポンは、コンパウンドcompoundの語源であるという説(OED)が有力である。大英帝国が世界の陸地の1/4を占めていく過程でその言葉が世界中に広がった。一方、今日の世界中の都市の計画原理の基礎になっているのは、英国を中心として組み立てられた近代都市計画の理念であり、手法である[v]。
6.英国近代植民都市は、ニューデリー、キャンベラ、プレトリアの計画―建設(1910年代~30年代)において完成したと考える。しかし、近代植民都市の系譜には、それに遡るいくつかの系列がある。近代世界システムの形成にあたって最初にヘゲモニーを握ったオランダ植民都市に焦点を当てて植民都市計画を総覧することになった[vi]。さらに、スペイン植民都市もターゲットとなりつつある[vii]。
7.カンポンの調査研究は、「イスラームの都市性」[viii]に関する共同研究によって、もうひとつの展開に導かれることになった。イスラーム都市への関心は、西欧列強による植民都市以前に遡るアジアの都市、集落、住居の構成原理に関する関心に重なり合う。アジアの「前近代」における都市空間システムの系譜は、大きく、中国都城の系譜、ヒンドゥー都市の系譜、イスラーム都市の系譜に分けられる。
8.アジアの「前近代」における都市空間システムの系譜に関する研究のきっかけとなったのは、ロンボク島のチャクラヌガラという都市の発見である。以降の展開を集大成したのが『曼荼羅都市』[ix]であり、カトゥマンズ盆地のパタンに焦点を当てた『Stupa & Swastika』[x]である。また、イスラーム都市について、まとめつつあるのが『ムガル都市』[xi]である。
9.以上の広大な研究フィールドをつないで一貫するのが、都市組織urban tissue, urban fabric、街区組織、都市型住居に関する関心である。「アジアの諸都市における都市組織および都市型住宅のあり方に関する研究」[xii]、とりわけ「ショップハウスの世界史」が近年のテーマである。
10.戦後建築計画学の出発においてテーマとされたのは、それぞれの地域における生活空間の全体である。大都市の住宅問題が大きくクローズアップされたのは、それが大きな問題であったからである。公共施設の整備についても同様である。銭湯に関する調査研究も、貸し本屋に関する調査研究も、地域空間のあり方から掘り起こされたテーマであった。
11.しかし、一方、施設=制度=institutionを前提にしてしか自己を実現することのない「計画学」研究のアポリアがある。建築計画学の成立は、近代的な施設の成立、病院、学校、監獄・・・の成立(誕生)と無縁どころか密接不可分である。
12.以上のメモが明快にメッセージとするのは、タウンアーキテクト、コミュニティ・アーキテクトとして、フィールドから、地域から、街の中から、問題を立て、返せということである。コミュニティ・アーキテクト[xiii]については京都CDL(コミュニティ・デザインリーグ)[xiv]、そして「近江環人(コミュニティ・アーキテクト)地域再生学座」(滋賀県)によって試行しつつある。
13.「建築家」あるいは「都市計画家」、ここでいう「コミュニティ・アーキテクト」の役割とは何か。プロトタイプかプロトコルか、執拗に問う必要がある。
[i] 『地域の生態系の基づく住居システムに関する研究(Ⅰ)(Ⅱ)」(主査 布野修司,全体統括・執筆,研究メンバー 安藤邦広 勝瀬義仁 浅井賢治 乾尚彦他),住宅総合研究財団, 1981年、1991年
[ii] 『住居集落研究の方法と課題Ⅰ 異文化の理解をめぐって』,協議会資料, 建築計画委員会,1988年。『 住居集落研究の方法と課題Ⅱ 異文化研究のプロブレマティーク(主査 布野修司分担 編集 全体総括),協議会記録,建築計画委員会, 1989年
[iii] 『カンポンの世界』,パルコ出版,1991年
[iv] 学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究---ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学)、1987年 日本建築学会賞受賞(1991年)
[v]
『植えつけられた都市 英国植民都市の形成』,ロバート・ホーム著:布野修司+安藤正雄監訳,アジア都市建築研究会訳,Robert Home: Of Planting and Planning The making of British
colonial cities、京都大学学術出版会、2001年
[vi] 『近代世界システムと植民都市』、京都大学学術出版会、2005年
[vii] J.R.ヒメネス・ベルデホ、布野修司、齋木崇人、スペイン植民都市図に見る都市モデル類型に関する考察、Considerations on Typology of City Model described in Spanish Colonial
City Map,日本建築学会計画系論文集,第616号pp91-97, 2007年6月他
[viii] 日本における今日におけるイスラーム研究の基礎を築いたといっていい,「比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究」という共同研究(研究代表者板垣雄三 文部省科学研究費 重点領域研究1988-90)は,まさにイスラームの「都市性」に焦点を当てるものであった。
[ix] 『曼荼羅都市・・・ヒンドゥー都市の空間理念とその変容』,京都大学学術出版会,2006年
[x] Shuji Funo &
M.M.Pant, “Stupa & Swastika”,
[xi] 山根周、布野修司、『ムガル都市-インド・イスラーム都市の空間変容』、京都大学学術出版会、近刊予定
[xii] 科学研究費補助研究、2006年~
[xiii] 『裸の建築家・・・タウンアーキテクト論序説』,建築資料研究社,2000年
[xiv] 『京都げのむ』01-06、京都CDL