談話室という場所と『雑口罵乱』というメディアの意味 2018年3月, 『雑口罵乱』⑨(談話室,滋賀県立大学), 2018
談話室という場所と『雑口罵乱』というメディアの意味
-滋賀県立大学の10年-
布野修司
「滋賀県立大学の10年」について書いてくれ!というのが編集部の依頼である。
滋賀県立大学には、2005年4月から2015年3月まで、丁度10年お世話になった。個人としての10年は、最終講義(2015年3月14日)に合わせて、川井操先生を中心に研究室の卒業生たちが編んでくれた『布野修司の世界―滋賀県立大学の10年―』に委ねたい。また、教師としての10年は、『環境科学部報』(2015年)に「最後のホットスポット―滋賀県立大学の10年」と題して書かせて頂いた。眼にできない諸君もいることだろうから、また、『雑口罵乱』への記録の意味もあると考え、重複を恐れず、滋賀県立大学の10年を振り返ってみたい。
フィールドに学べ―歩く、見る、聞く
とにかく歩いた。コルカタ、チェンナイ、マドゥライ、ナガパットナム、コロンボ、ゴール、スラバヤ、デリー、ラホール、ハバナ、サント・ドミンゴ・・・論文を書いた都市だけでも相当の数にのぼる。近年は、北京、西安、洛陽、開封、南京、杭州など中国の古都、そしてシナ海域の港市都市、福州、泉州、漳州、広州を歩いた。
「見知らぬ街を見慣れた街のように、見慣れた街を見知らぬ街のように」(W.ベンヤミン)街歩きのスローガンである。
歩く、見る、聞く、そして考え、議論する。
どういう家を、どういう空間を、どういう街を、つくればいいのか。
実測する。記録する。それだけで意味がある。
フィールドは楽しい。常に新たな発見がある。
五感が研ぎ澄まされる、身体が鍛えられる。
それにしても、怒鳴った、らしい。
学生諸君の回顧によると、怒鳴られた話のオンパレードだ。これほど印象深く記憶に刻み込まれているとは、苦笑するしかない。「ばぁーか!」というのが口癖で、関西ではかなり強烈に響くらしい。本人はアジッてるつもりなのだけれど、今日ではパワハラと言われてもしかたがないかも。眼の前で涙を零されたことも一度や二度ではない。これでも随分丸くなったと思うけれど、褒める方が難しい。教師としては未熟ということである。理不尽なことには怒る、我儘には怒る、やるべきことをやらないのは怒る、隠し事には怒る・・・ストレスを貯めないために、とにかく怒鳴った。
書くことと、考えること
10年間、とにかく書いた。朝早く起きて書いた。書きながら考えた。書くことが、考えることが、楽しかった。『近代世界システムと植民都市』(布野修司(2005):日本都市計画学会賞受賞)以降、アジア都市三部作『曼荼羅都市・・・ヒンドゥ-都市の空間理念とその変容』『ムガル都市--イスラ-ム都市の空間変容』『大元都市-中国都城の理念と空間構造-』(京都大学学術出版会,2015年2月)の他にも『Stupa &
Swastika』(Shuji Funo
& M.M.Pant, Kyoto University
Press+Singapore National University Press, 2007)『韓国近代都市景観の形成-日本人移住漁村と鉄道町-』(布野修司+韓三建+朴重信+趙聖民(2010):日本建築学会著作賞受賞)『グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』(布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン(2013):日本建築学会著作賞受賞)をまとめることができたし、半生記といっていい『建築少年たちの夢』『景観の作法-殺風景の日本-』も出版することができた。密かに、我ながら、すごい、と思う。とりわけ、調査をしながらの執筆は最高であった。現場で原稿を書くのである。この醍醐味は、何物にも代えがたい。
「論文」と「設計」
ただ、歩いて、聞いて、見ればいいというものではない。現場で発見したものをどう言葉にして、伝えるのかが問われる。そのためには、まとめる作業が不可欠だし、その作業を繰り返すことによって、眼も耳も鍛えられる。論文を書くのはそのためである。論文を書くことと設計をまとめることの間にはそんなに違いはない、というより同じだと言い続けてきた。ただ、論文のための論文は書くな、自己目的化するな、ということも言ってきた。「左手で論文を書きなさい」ということの真意である。
指導した学位請求論文は、以下の5本である。
趙聖民『日本植民地期における韓国・鉄道町の形成とその変容に関する研究』2008年
高橋俊也『京都における墓地空間の変容と都市周縁空間の環境整備手法に関する研究』2008年
岡村智明(山根周研究室)『インドにおける歴史的港市の形成と変容に関する研究-カッチ地方のマンドヴィ、バドレシュワル、ムンドラを事例として-』2008年
川井操『西安旧城・回族居住地区の空間構成とその変容に関する研究』2010年
Chantanee Chiranthanut『メコン中流域におけるタイ・ラオ族の住居集落形態とその変容に関する研究』2010年
趙冲『福建港市における住居類型の形成、変容に関する研究』2013年
基盤としての地域
着任したのは滋賀県立大学が独立法人化1年前であり、前年2004年12月26日、スリランカのゴールでインド洋大津波に遭遇、危うく命拾いしたこと、4月25日の福知山線の脱線事故が未だ記憶に生々しい。翌年、「もったいない」をスローガンに嘉田知事が誕生、2期8年の県政が布野修司の滋賀県立大学の10年間とほぼ重なっている。
着任すると、まずお手伝いしたのが、近江環人地域再生学座の立ち上げである(平成18年度文部科学省が新たに創設した「地域再生人材創出拠点の形成プログラム」へ応募))。奥貫隆先生を中心に進められてきた、いわゆる現代GP「スチューデントファーム「近江楽座」-まち・むら・くらしふれあい工舎-」の後継プログラムが必要とされ、手伝うようにということであった。
文部科学省のねらいは明らかに地域産業を担う人材育成にあり、どういう人材育成にターゲットを絞るかという議論から始めたのであるがまとまらない。結局、ご承知のように「地域診断からまちづくりへの展開をオルガナイズできるコミュニティ・アーキテクト(近江環人)」の育成ということになったのだけれど、2000年から京都で続けてきた「京都コミュニティ・デザインリーグCDL」の活動(『京都げのむ』1号~6号)が多少のヒントになったのではないか、と思う。この京都CDLの活動には、中川君、川井君など滋賀県立大学の学生諸君も参加してきた。そういう縁もあった。
この「地域再生人材創出拠点の形成プログラム」の流れはCOC(センター・オブ・コミュニティ)プログラムにつながっていく。苦い思い出は、後継の『地域学副専攻化による学士力向上プログラム』が事業仕分けにあって打ち切りになったことである。
滋賀県立大学の特別研究は、「琵琶湖自然共生流域圏の構築 ―宇曽川流域圏モデル」(2007-2008年)と「東アジアにおける歴史的城郭都市の起源・形成・変容・再生に関する総合的比較研究-近江近世城下町の東アジアにおける歴史的意義と位置づけの解明-」(2007年)に参加した。小さな大学ではあるけれど、あるいは小さな大学であるからこそ、分野を超えた研究交流は貴重な経験であった。ただ、全てが大満足であったということではない。「アジア・エコハウス・モデルの研究開発(設計計画)(JST「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」)」といったプロジェクトには何度か応募したけれど力不足であった。
滋賀県および各自治体の仕事についても微力ながらお手伝いをさせて頂いてきた。特に、最近では、守山市の守山中学校、浮気保育園、市立図書館そして県の新生美術館の設計者選定について公開ヒヤリング方式を導入、一定の評価を頂いたと考えている。
大学の変貌
後半の5年間は、環境科学部長(2010~2011年)、副学長・理事(研究・評価担当)(2012~2014年)として管理職を務めた。振り返って、大学の変貌は著しい。26歳で東京大学の助手に採用されて以降、東京大学、東洋大学、京都大学、そして滋賀県立大学と39年間の大学生活を振り返って、大学が大学らしくなくなっていく過程を、身をもって体験してきたような気がしないでもない。大学に入学した年、二ケ月もたたないうちに学生はストライキ、大学はロックアウトされた。以降、一年以上授業はなかった。大学とは自ら学ぶところである、という思いは学生の頃から一貫する。
大学の知の退廃を告発したのが1960年代末の全共闘運動であったと思うが、その告発に共感したものが、その後どれだけのことがなしえたのか忸怩たる思いが残る。愚痴を零してもはじまらないけれど、大学に籍を置いてきたものの責任は大きいと思う。教え子たちが既に方々の大学で教授になり、後進を育てつつある。特任教授としてもう少し大学に関わることになるが、新たな職場を拠点に、しばらくは、学生たちの後方支援ができればと思う。
談話室と『雑口罵乱』
談話室には、第19回(2005年)の鈴木喜一(故人)さんから第57回の市川紘司さんまでほぼ出席した。出席できなかったのは、第29回の芦澤竜一さんと第39回の堀部安嗣さんの時だけである。それだけ大事にしたし、楽しんできた。
創刊号に「DANWASHITSUへの期待」と題して書いたことはいまも変わらない。その意義を直感し、『雑口罵乱』を出すことを条件に、講師を呼ぶ旅費補助の措置をとったのである。
『雑口罵乱』には創刊号から求められるままに何事か綴ってきた。
01「DANWASHITSUへの期待」
02「未来を創る、夢をつくる」
03「初心に還る」
04「「建築少年」たちについてのモメモランダム」
05「すべては建築である 建築を学ぶ全てのひとたちへBig Game Architecting」
06「最後の『建築雑誌』を目指してー建築メディアの死と再生」
07「建築家の生き延びる道!?」
08「あらゆる賞はコネクションである」
毎回与えられたテーマ(というよりキーワード)について、議論することの大事さを綴ってきたつもりである。
談話室は、単なる「ゼミ屋」でも「呼び屋」でもない。今、建築をめぐって、都市をめぐって何が問題でどうすればいいのかを考え、議論する場である。誰を呼ぶのかを含めて企画をして、あらゆる手配をし、議論した中身を記録し、それを出版し、売る・・・この全てのプロセスに参加することが基本である。講義に出席して単位をもらうことでは全く得られない貴重な体験の場がそこにある。
談話室と『雑口罵乱』のユニークな活動については日本全国の建築系大学に良く知られており、その評価も高い。そのますます活発な活動を期待したい。
スケジュールが合えば、時々は参加したいと思う。