建築計画「学」―その可能性の中心―のためのメモ
布野修司(滋賀県立大学:建築計画委員会委員長)
0. この懇談会でいう、「建築計画」とは一体何か? 「集落」とは何か? 「建築計画」は「集落」を超えることができるか、というテーマ設定は、何を問題にしようとするのか、タイトルだけから不明で、極めて奇異に思える。「建築計画学」あるいは「建築計画研究」が問題であって、「建築計画」一般が問題ではないのではないか? 「集落」と「建築計画」は、超えたり、超えられたりする関係なのか? 「集落」=「非計画」、「自然発生的」「?」という、問題の立て方は自明なのか?
1.
「住居集落」研究を問題にするのであれば、是非、『住居集落研究の方法と課題Ⅰ
異文化の理解をめぐって』(主査 布野修司,協議会資料, 建築計画委員会,1988年)、『住居集落研究の方法と課題Ⅱ
異文化研究のプロブレマティーク』(主査 布野修司,協議会記録,建築計画委員会, 1989年)を前提にして欲しい。また、この例にならって、議論を総括した論集をまとめて欲しい。この協議会では、「異文化」理解がキーとなっていたが、今日的なテーマ設定が必要だと思う(→8)。
2. 「建築計画学」をめぐっては、どういう回路(企画・設計・計画・施工)を想定して、議論するか、が問題である。あるいは、その回路の設定自体がテーマとなる。誤解を恐れずに言えば、公的な住宅供給、公共施設の設計計画(の回路)を前提として成立したのが、「建築計画学」である。「集落」ということで何が、どのような回路が、想定されているのか。
3.
「建築計画学」あるいは「建築計画学」「研究」については、一定の批判総括がなされてきている。「施設(系をフレームとする縦割り研究)」批判、「調査主義」批判、「研究のための研究(マンネリ化)」批判・・・などである。ここでは一体何を問題とするのか。
4.
「建築計画学」をめぐっては、端的に次のように考える。第一に、建築の企画・計画・設計・施工・維持・管理の全過程を対象とする広い視野がさらに必要である(学の総合性、広義の建築計画学)。第二に、地域社会との連携を基軸とした市民のための建築計画研究や活動がさらに活性化する必要がある(学の実践性)。第三に、建築計画学の固有の方法、体系がさらに追求検討される必要がある(学の固有性、体系性)。「建築計画学」の原点、初心、存立根拠を繰り返し問い続ける必要がある。
5.
「住居集落」研究については、2.でも突っ込んで議論しているが、今日われわれが臨地調査を行う「集落」をどう位置づけるのかがまず問題である。ここでいう「集落」とは一体どのようなものか。「非計画的」「自然発生的」という言葉から類推すると、ヴァナキュラーな世界がそのまま維持されてきたのが「集落」と規定されているように思えるが、果たしてそうか。相当程度古くから存続してきたと思われる「集落」が、150年ほど前に計画的に建設された移住集落であった、あるいは専ら観光目当ての農村集落もどきであった、といったことがある。また、「西欧化」「近代化」のインパクトが地域社会の「共同体」を解体するのではなく、逆に強化する場合がある。
6.
要するに、現代世界における「集落」も、産業社会の論理と無縁ではなく、大きな変容過程にあるのだとしたら、その規定について、もう少し慎重に設定すべきである。「集落」であれ、「都市」であれ、フィールドから組み立てるのが「建築計画学」の原点である。
7.
臨地調査→手法・空間構成原理の発見・抽出→空間の型の提案→設計→評価という、「建築計画学」の一連のプロセスと方法は、あらゆる対象に対して共通ではないか。プロトタイプかプロトコルか、という今年度の協議会テーマも、この一連の過程を前提にした議論である。現代社会のニーズを的確に把握することによって、新たな建築類型の提案、建設、評価といった社会実験が様々なレヴェルで展開されるべきだと考える。
8.
「集落」というキーワードによって何を問題にするのか。以上のようにもどかしいが、いささか踏み込んで勝手に思いこんで言えば、以下のようではないか。『世界住居誌』(布野修司編、昭和堂、2005年)をまとめてみて、つくづく思うのは、西欧列強が世界を再「発見」した時代になって、猶、地球上には太古の生活のままに生活してきた人々が存在し、さらについ最近までその伝統が生き続けて来たということである。逆に言うと、つい近年の変化がとてつもなく大きいということである。われわれは、その伝統を再度見直し、学ぶ必要があるのではないか。この点について、日本でも「民家研究」の歴史の流れにおいて主張されてきたし、グローバルにも、B.ルドフスキー、A.ラポポート、・・・P.オリバー・・・といった流れにおいて提起され続けて来ているところである。
9.
今日、「集落」というキーワードで直感されようとしているテーマは、建築と「自然」「環境」「生態」・・・との関係であろう。布野の場合、「地域の生態系に基づく住居(集落)システム」が、これまで一貫する関心である(『地域の生態系に基づく住居システムに関する研究(Ⅰ)』(主査 布野修司,全体統括・執筆,研究メンバー 安藤邦広 勝瀬義仁 浅井賢治 乾尚彦他) ,住宅建築研究所, 1981年。『地域の生態系の基づく住居システムに関する研究(Ⅱ)』(主査 布野修司,全体統括・執筆,研究メンバー 安藤邦広 勝瀬義仁 浅井賢治 乾尚彦他),住宅総合研究財団,1991年)。
10.『生きている住まいー東南アジア建築人類学』(ロクサーナ・ウオータソン著 ,布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会,The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East
Asia,学芸出版社,1997年)には、とりあげるべき、様々な視点が提出されている。これらの視点は、議論の対象になるのか(して欲しい)。
11.とは言え、以上のような関心に耐えうる「集落」が果たして、われわれ(日本人研究者)にとってあるのか、という問題がある。5.6.の指摘と相反する言い方であるが(5.6.の構えであれば、あらゆる「集落」は問題としうる)、目的テーマが9.10.だとすれば、ということである。もちろん、9.10.の研究関心に耐えうる「集落」は、アジアの各地にも数多く残されている。しかし、R.ウオータソンの眼の深度で各地域を「つぶす」のは容易ではない、と思う。日本に軸足を置いた場合の「集落研究」の戦略はもう少し練られて共有されるべきであろう。
12.この間、布野は、専ら「都市組織」研究に集中している。研究関心が移っていったということでは必ずしもなく、11.のような事情がある。また、都市の問題が現代社会において、特に発展途上地域において肥大化しつつあるという認識がある。また、都市組織と都市建築の型に関する研究は、建築計画研究の原点だと思っているからである。
(7月18日 ニューデリーにて記す)
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