スクオッターのいる風景
布野修司
東南アジアの大都市を特徴づけるのが河沿いのこうした風景である。スクオッター(不法占拠者)たちの織りなす風景だ。
農村から流入してきた人々は、空いている土地をみつけて住みついた。大抵は居住に適さないために放置されていた土地である。湿地帯が多い。あるいは未利用の公共用地が選定される。中でも目立つのが、鉄道沿線沿いの空間である。そして、スクオッターたちの居住地を最も象徴する風景がこうした河沿いの風景なのである。
スクオッターたちのこうした居住区は、しばしば、マージナル・セツルメント(境界的(周縁的)居住地)と呼ばれる。考えてみれば、古来、河川敷は河原者たちの空間であった。境界線(所有関係)が曖昧だということもあろう、異人、他所者、乞食(ほがい)人、流れ者、流浪の民が集まってくるのが河原だったのである。
写真はインドネシアのスラバヤのあるカリ(川)である。物理的な居住環境の条件として、もっと劣悪な場所ももちろん多いのであるが、ここだけは印象深い場所である。十年見続けてきたからである。幾たびに訪れる場所である。
このカリの近くに大きな市場があって、ここの住人たちは、パサール(市場)に関わる仕事に携わっていた。パサールには人が集まる。人が集まれば、色々なサービスが必要になる。例えば、人々が食事をとるから、各種の屋台が集まってくる。ラーメンや雑炊、焼き鳥に野菜サラダ(ガドガド)、実に種類は多い。仕事を分けあって、みんなで稼ぐのである。
このカリに住んでいたのは、東ジャワの農村から出てきた人々であった。同じ村から来たというグループも住んでいた。意外かもしれないけれど、こうした不法占拠地区にも、きちんとした住民組織がある。インドネシアの場合、隣組(ルクン・タタンガ)、町内会(ルクン・ワルガ)というコミュニティー組織の秩序は徹底しているのである。
住居の一方の壁は、表通りの邸宅の裏壁である。ちゃっかり借用している。河の両側とも、奥へ至る通路が真ん中を通っている。河に迫り出した部分が洗濯したりする作業スペースである。驚いた事に中程には井戸が掘られてあった。
彼らは、税金を納めているのだと主張していた。何がしかのお金を支払って、居住を認めてもらっていたのである。行政当局も追い立てても、すぐ舞い戻って来るのだから目をつぶらざるを得なかったのである。
ところが、二年ぶりに訪れてみて驚いた。住居が跡形もなく撤去され、鉄格子がはめられているのである。ついに命運つきたか、と感慨に浸りながらよくみると、なにやら、小屋掛けのようなものが見える。再び不法占拠が始まっているのだ。
また来るときには、果たしてもとのように雑然とした風景が蘇っているのであろうか。