布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
A10 一神教の聖都
エルサレムJerusalem、エルサレム県、イスラエルIslael
現在のエルサレムは,ユダヤ,キリスト,イスラームの3つの一神教の聖都である。世界の都市のなかでも実にユニークな都市である。その歴史は,メソポナミア文明の中枢に位置するその立地からして世界都市史の起源に遡るが,考古学的遺構としては紀元前18世紀に築かれた城郭址が最古である。また,古代エジプトの第18王朝のファラオ,ツタンカーメンの父であり,多神教の古代エジプトにあって,太陽神を唯一神とする宗教改革を行ったことで知られるアメンホテプⅣ世(位, 紀元前1377~1358)の残した『アマルナ文書』にエルサレムの名前が記されていることが知られる。当初の町はオフェルの丘にあったとされる。
『旧約聖書』創世記に拠れば,アブラハムとその一族は,ウルの地から「カナンの地」すなわち「約束の地」パレスティナへ移って来た。アブラハムの孫ヨセフの時代にエジプトに移り住み、やがて奴隷化されたイスラエルの民は,紀元前13世紀ごろモーゼに率いられて脱出,シナイ半島を流浪した末に再びカナンの地に侵入する。
紀元前1000年頃,イスラエルの民十二支族を統合し,ヘブライ王国を建てて王となったのがユダ族出身のサウルであり,エルサレムを攻略,ユダヤの拠点としたのが第2代ダビデである。3代目ソロモンによって王国は絶頂期を迎える。ソロモンは,自ら神殿や宮殿を建設した大建築家として知られる(図1a)。
ソロモンの死後,紀元前932年頃に王国は南北に分裂,エルサレムはユダ王国の都となった。王国はその後300年存続するが,新バビロニア王国のネブカドネザルⅡ世によって滅ぼされた(紀元前586年)(図1b)。エルサレムは完全に破壊され,住民はすべてバビロンへと連行された(バビロン捕囚)。
新バビロニアがハカーマニシュ朝に滅ぼされると(紀元前539年,ユダヤ人のエルサレムへの帰還が認められ,エルサレムは再建された。その後は,アレクサンドロス帝国,プトレマイオス朝,セレウコス朝シリア,そしてローマ帝国の支配下に置かれる。この間,ユダヤを弾圧したことで知られるヘロデ大王が出て(紀元前37年),精力的に建設活動を行っている。ユダヤは,ローマ帝国に執拗に抵抗し続けるが,紀元66年に勃発したユダヤ戦争に敗北,エルサレムは陥落,ユダヤ人の居住は禁止される。
紀元132年にも第二次ユダヤ戦争と呼ばれる叛乱(バル・コクバの乱)を起こすが再び敗北,以降,ユダヤ人はディアスポラの民として流浪することになる。エルサレムはローマ植民市アエリア・カピトリナとして再建された。313年にはローマ帝国がキリスト教を公認し(ミラノ勅令),キリスト教の聖地として市名はエルサレムに戻され,聖墳墓教会が建てられた。そして,ユリアヌス帝の時代には,ユダヤ人のエルサレムへの居住が許可されるようになった(図1c)。
イスラームの成立まもなく,エルサレムはイスラームの支配下に置かれる(638年)。エルサレムを第三の聖地とするイスラームは,岩のドーム,アクサー・モスクなどを建設していった(図1d)。
1099年に第一十字軍が占拠,エルサレム王国を成立させ,ムスリムやユダヤ人は居住を禁止された(図1e)。しかし,1187年にはアイユーブ朝のスルタン,サラーフッディーンがエルサレムを奪回し,再びイスラームの支配下に入った。このときカトリックは追放されたが,正教会やユダヤ人の居住は許可された(図1f)。以降,マムルーク朝(1250-1517)(図1g、図2),そしてオスマン朝(1517-1918)(図1h)の支配下に置かれた。
19世紀後半になると,聖都エルサレムへユダヤ人の移住が急増していく。そして,第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れると,英委任統治領パレスティアとなり,第二次世界大戦後,国際連合のパレスティナ分割決議(1947年),そして,イスラエルの建国独立宣言以降,パレスティナは,今日に至る紛争状況にある。
エルサレム旧市街は、アルメニア人地区、キリスト教徒地区、ユダヤ教徒地区、ムスリム地区の4地区からなる(図3)。最大のムスリム地区は旧市街の北東端に位置し、ライオン門、ヘロデ門とともに神殿の丘の北壁と接している。北西端に位置するのがキリスト教徒地区で、十字架を背負って歩いたとされる「悲しみの道」があり、その終着点がキリスト教徒たちにとっての最大級の聖所のひとつ聖墳墓教会がある。南に接するのがアルメニア人地区である。アルメニア人はキリスト教徒であるが、その総司教座は一定の独立性を保っている。かつては混住が行われていたが、60世帯程度のユダヤ人家族が居住するのみである。ユダヤ人地区は、アルメニア人地区の東、旧市街の南東部に位置し、嘆きの壁があって神殿の丘に接する。エルサレムの旧市街とその城壁群は、1981年に世界文化遺産に登録されたが、翌年危機遺産リストにも挙げられ、そのままの状況が続いている。
主要参考文献
Cohen, A.(1973), “Palestine
in the Eighteenth Century: Patterns of Government and Administration”,
Jerusalem 
高橋正男(1996),『イェルサレム』,文藝春秋
Armstrong, Karen(1996), “Jerusalem
One City, Three Faiths”, Ballantine Books, New York
高橋正男(2003)『図説 聖地イェルサレム』河出書房新社
布野修司+山根周(2008)『ムガル都市-イスラ-ム都市の空間変容』京都大学学術出版会
臼杵陽(2009)『イスラエル』 岩波書店
笈川博一(2010)『物語 エルサレムの歴史』 中央公論新社




 
 
 
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