ストーンタウン:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
G21 ストーンタウン-
ザンジバル・シティ Zanzibar,首都 Capital,ザンジバルZanzibar(タンザニア連合共和国Tanzania)
スワヒリは、アラビア語で海岸を意味し、東アフリカ海岸沿いのソマリア南部のキスマユ辺りからザンベジ河口のソファラ辺りまで、南北約2,000km、幅約20Km程の細長いベルト地帯をいう。キルワ・キシワニ、ザンジバル、ペンバ、モンバサ、ラム、マンダなどスワヒリ都市の多くは、アフリカ大陸に近接した小島やラグーンに位置し、島嶼社会を連ねるネットワークのなかで発展してきた。大陸内部のバントゥー文化圏とインド洋海域世界とを媒介してきたスワヒリ地域には、他にも世界文化遺産に登録されたキルワ・キシワニとソンゴ・ムナラ遺跡群(1981年)、ラム旧市街(2001年)、モンバサのジーザス要塞(2011年)がある。
東アフリカ沿岸の最初の歴史記録である紀元1世紀にアレクサンドリアのギリシア人航海士が書いた『エリュトゥラー海案内記』には、紅海、アラビア、インド、セイロン、中国間の交易ルートが記され、アフリカ東部海岸の港市ラプタ(キルワ付近)とアラビア半島のムーザ(現モカ)との間で交易や通婚が行われていたことがわかっている。しかし、考古学的な遺構として最古の農漁村の存在が認められるのは紀元6世紀である。そして、インド洋交易が盛んになるのは、8世紀半ばから10世紀にかけてであり、この時期にザンジバルはスワヒリの中心的港市となる。ザンジバルという名称はアラブ語で「黒人の海岸」という意味である。ただ、都市ザンジバルについての記録は15世紀の終わりまで存在しない。
ヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を拓いて以降、ポルトガルは東アフリカ沿岸を支配下に置いたが、ザンジバルには要塞を建設せず、駐屯地も置いていない。ポルトガルがザンジバルを含む東アフリカ沿岸北部から撤退すると、オマーン勢力によって東アフリカは支配される(1698~1890年)。
マスカットの領主サイイド・サイードが1828年にザンジバルを初めて訪れ、1832年にマスカットからザンジバルへ宮殿を移し、ザンジバルの最初のスルタンとなる。ザンジバルが大きく繁栄するのは、これ以降である。スルタンは大陸部における欧米人の商取引を禁止しグジャラートの商人の誘致をはかった。そのためアラブ商人に加えてインド人ムスリムが数多く居住することになる。1873年の奴隷市場の閉鎖、1897年の奴隷制廃止によって、ザンジバルは一気に衰退する。19世紀末のヨーロッパ列強によるアフリカ分割によってタンザニアは、イギリスの保護国となる(1890~1963)。20世紀に入ってアラブ系住民による民族解放闘争が展開され、1963年にザンジバル王国が独立するが、翌年ザンジバル革命によって王政は廃止され、大陸部のタンガニーカと合併して同1964年4月にタンザニア連合共和国が成立した。以後、ザンジバルは大陸部のタンガニーカから強い自治権を確保したザンジバル革命政府によって統治されている。
ストーンタウンはザンジバル島の西端、海と東のクリーク・ロードに囲まれた三角形の半島に位置する(図①)。オマーンは1710年頃にポルトガルが建てたチャペルを中心に初期の小さなフォートを建設し、1780年頃にメインエントランスと5つの稜堡を持つ形に拡大している(図②)。この要塞に接してかつての王宮(現在ハウス・オブ・ワンダーと呼ばれる美術館)(図③)そして市場がある。税関は、奴隷市場は海岸部にあったが、1860年代後半にムクナジニに移された。1837年にアメリカは領事館を設置し、1841年にイギリスが、1844年にフランスがアメリカに続き、領事館を設置した。
18世紀以降、スワヒリの木造土壁の伝統的住居は石造に建て替えられていくが、18世紀末にはまだその数は少なく、1840年代には、多くの3,4階建ての家が建設されたけれども、大多数は平屋または2階建て家であった(図④)。建て詰まるのは19世紀中葉以降である。
街区はミターと呼ばれ、各ミターには、血縁や氏族、先祖を共にする集団が居住した(図⑤)。興味深いのは、各住戸の扉のデザインがそれぞれの出自集団毎(ザンジバル、オマーン、グジャラート)に異なっていることである(図⑥)。また、ストーンハウスのバルコニーはグジャラートの影響である。
(上田哲彰+布野修司)
【参考文献】
・Sheriff, A. , The History & Conservation of Zanzibar Stone Town, The
Department of Archives, Zanzibar, 1995
・Sheriff, A. , Slaves, spices & ivory in zanzibar, Mkuki na Nyota Publishers,
Dar Es Salaam, 1987
・Mwalim, M. A., Door of Zanzibar, HSP Publications, Zanzibar, 1998
・Korner, A. R., Stone Town Style of East Coast Africa, Bell-Robarts Publishing,
South Africa, 2003
・富永智津子『スワヒリ都市の盛衰』山川出版社,2008
・富永智津子『ザンジバルの笛−東アフリカ・スワヒリ世界の歴史と文化』未来社,2001
【図写真数点】
図⑥ ストーンハウスのドア 撮影 布野修司
0 件のコメント:
コメントを投稿