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2025年10月12日日曜日

サンチアゴ・デ・コンポステラ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


B39 サンチアゴ・デ・コンポステラ

  キリスト教三大巡礼聖都

スペイン、ガリシア自治州、ラ・コルーニャ県

Santiago de Compostela, Provincia de la Coruña Galicia Spain

エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつ、聖都である。新約聖書に登場するゼベダイの子聖ヤコブの遺骸を納めた大聖堂をはじめ、数多くの修道院、教会のある旧市街は1985年に世界文化遺産に登録されている。スペイン語で、聖ヤコブはサンティアゴ、コンポステラは「星campusの原stellae」という意味である。

伝承によれば、9世紀初頭、司教テオドミーロあるいは羊飼いが星に導かれて聖ヤコブの墓を発見し、西ゴート王国の復興を目指したアストゥリアス王アルフォンソ2世(760-842)がそこに教会を建てたのが起源とされる。

新約聖書によれば、聖ヤコブは、ガリラヤ湖(イスラエル北部)の漁師で、イエス・キリストに従ってイベリアで布教活動を行った後、エルサレムに帰還、ヘロデ・アグリッパ1世の迫害によって殉教する。12使徒の最後の殉教者となったその遺骸を弟子が船で運んでイベリアの地に埋葬したという。レコンキスタ(国土回復戦争)の過程で、聖ヤコブは、イスラームと戦うキリスト教徒を守護する聖人として熱狂的に崇められるようになる。白馬にまたがって天から降って来るヤコブ像がつくられ、10世紀までには、この聖ヤコブ信仰はイベリア半島北部一帯に広まり、1492年のグラナダ陥落まで、レコンキスタを完了させる大きなエネルギーになる。

11世紀にはピレネー山脈を越え、西ヨーロッパ各地から巡礼者が訪れるようになった。12世紀には年間の巡礼者数は50万人にもなり、「案内書」も出されている。そ の巡礼路(図①)も、フランスの巡礼路と合わせて世界遺産に登録されている(1993年、1998年)。

ガリシア地方は大西洋に面し、入り江の多い美しい海岸線で知られ、海面上昇で形成されるリアス式海岸の語源-「リアス」とはガリシア語あるいはカスティーリャ語(スペイン語)での入り江(リア)の複数形-となったことで知られる。漁業が盛んであり、現在も養殖漁業が盛んである。

ガリシア地方は、都市の中心地域以外は森で覆われ、集落はその中に散在する。様々な集団の往来があったと考えられ、スペインの地名の半数近くがガリシアのものであるともいわれる。

サンチアゴ・デ・コンポステラはガリシア州の州都である。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、レコンキスタ完了後はその相対的地位を低下させていくが、現在の司法管轄区の中心であり、市内は30の教区からなる。

周囲をサール川とサレーラ川が流れる、世界文化遺産に登録された旧市街(図②)は、中世都市の形態を残していて、サンチアゴ大聖堂(図③)、サン・マルティーニョ・ピナリオ修道院、サン・パイオ・デ・アンテアルターレ修道院、サン・フィス・デ・ソロビオ教会、アニマス礼拝堂などが立地する。

1495年創立のサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学はスペイン有数の大学のひとつであり、ガリシア地方で最も伝統ある大学である。キャンパスはサンティアゴ旧市街を挟み南と北にあるほか、ルーゴにもある。学生数はおよそ3万人で、これらの学生の多くは市の人口9万人には含まれていない。 サンティアゴは宗教都市であり、観光都市でもあり、また学生の街で、州行政の中心でもあるという異なった顔を持つ街である。 

 

参考文献
サンティアゴ・デ・コンポステーラと巡礼の道 (「知の再発見」双書 ; 159)

図書 グザヴィエ・バラル・イ・アルテ 著, 杉崎泰一郎 監修, 遠藤ゆかり 訳. 創元社, 2013.5 

櫻井義夫『スペインのロマネスク教会 時空を超えた光と影』鹿島出版会、2004

 







 


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布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...