ハバナ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
ハバナ―スペイン植民都市の原像
ハバナは初期スペイン植民都市の代表であり、サント・ドミンゴ(ドミニカ共和国)とともに、インディアス法(『フェリペⅡ世の勅令』1573年)に理念化されることになる都市計画以前に都市建設が行われた都市である。サント・ドミンゴにアウディエンシア(聴訴院)が設置された1511年以降、ディエゴ・コロン総督の命でディエゴ・ヴェラスケス・デ・クエリャルによってキューバへの入植が本格的開始される。ヴェラスケスに先立って、セバスチャン・デ・オカンポがキューバ沿岸部を全て探索し(1508年)、良港となる湾としてカレナスとジャグアシエンフエゴスを発見している。このカレナスが今日のハバナとなっている。ヴェラスケスがキューバの6番目の拠点としてカレナスを築くのは1515年のことである(定礎8月15日)。カレナスはメキシコ湾への入口に位置し、湾流に乗りやすいことからスペイン植民地の主要な港湾都市に成長していくことになる。
都市全体が描かれているものとして、形成過程の変化をわかりやすく示していると思われるものを図1に示す。最も古い地図は1567年に描かれたものである(図1-1)。街区割りが示される最も古い地図は、1603年に描かれた図で、市の拡張と市壁計画を示している(図1-2)。今日のハバナの骨格が示される図は1691年のものが最も古い(図1-3)。歴史地の地図の中で最も新しいのは、1866年のもので、スペイン植民地期の都市拡張のほぼ全体を示している(図1-4)。



1558年には,ハバナは,広場周辺の住居を撤去し,「新世界」で最初の本格的石造要塞建築であるレアル・フエルサ城塞を建設する。以降,広場はアルマス広場と呼ばれる。ハバナは17世紀に入って大きく拡張する。教会や病院などの公共施設も広場とともに建設されていった。アルマス広場,プラサ・ヴィエハに加え,1628年に船着き場として整備されたサン・フランシスコ広場,さらに1640年西側市壁付近にサント・クリスト教会と広場が建設された。多くの宗教施設や公共施設が,隣接するプラスエラと呼ばれる小広場とともにつくられた。インディアス法(「フェリペⅡ世の勅令」1573)第118条に「市街地のところどころに小広場を設け,その広場に付随して教会を設置する」と規定するが,ハバナでも実施される。
ハバナ湾の入り口の警備を強化するため要塞が次々に建設されていく(図2)。まず、西岸にプンタ要塞(1589~1600、図中2),東岸にモロ要塞 (1589~1630、図中3)が建設された。さらにラ・チョレラ (1645、図中4)とサン・ラザロ (1665、図中5)も続いて建設された。そして,1674年に市壁建設が計画され,1740年に完成する。完成した市壁は,計画よりも広く,市壁の全長は約1700m,高さ10m,9の砦,180の砲台を備え,城門は,建設当時は2つであった(1998)。18世紀半ばのハバナの人口は7万人以上であったと推測されている。カリブ海域の交易拠点として栄え,リマ,メキシコについでイベロアメリカ第3の都市であった。シルベストレ・アバルカとペドロ・デ・メディナにより建設されたカバ-ニャ要塞 (1763~1774、図中8)は,「新世界」で最も大きいスペインの要塞である。西部には,造船所を防御するために,アタレス城塞(1767、図中7)、続いてプリンシペ要塞 (1767-1779,図中8)が建設された。東部には,サン・ディエゴ要塞(1770、図中6)が建設され,ハバナの防衛は次々に強化されていった。人口の増加とともに,市壁の外にも建物が建設され始める。1777年にカテドラルが完成し,前面にカテドラル広場が建設されている。1863年から1875年にかけて,市壁が壊され,市街地はさらに西へ拡大し,1859 年から1883 年にかけてラ・コレーラ城周辺が市街地化される。この時の計画図によると,新しく計画する道路は全て15m,新築の建物は間口12m以上,敷地面積の半分は庭もしくは中庭としており,これが都市計画規定となった(1865).ハバナは,スペイン植民地時代の最後(1889)頃の骨格を今日までとどめている。
街路体系における寸法の単位として、ヴァラ (0.848m)が用いられていたと考える。キューバ通りからビリェガス通り間は,ほぼ一定で,およそ90ヴァラである。初期に計画された街区より小さく計画されているが,街路幅を10ヴァラとみれば,80ヴァラが街区の単位になっていたのではないかと推測できる。
住居の基本要素として,通りに面するエントランスの空間(CM),一般の部屋(Cm),中庭(P),台所(K)があり、大きいスパンと小さなスパンが一般に区別される。奥行に応じて裏庭(TP)が設けられる。裏庭には,井戸,浴室,トイレが配置され、また中庭と裏庭の間の部屋が台所と食堂(C)が設けられる。中庭に接して半屋外のガレリア(G)が設けられる場合がある。二階建ての住居には,その上部にバルコニ-が設けられる。各室から中庭へのアプローチはガレリアを介する。街路に面する出入口としてザファン (Z)という部屋が配置される場合がある。ザファンは内部空間と外部空間を結ぶための主動線となる。2階建ての場合,クルヒア・マヨールに階段が設けられる場合と,ガレリアに階段が設けられる場合がある。また,集合住宅の場合には,ヴェスティブロ (V)と呼ばれる階段室が設けられる場合がある。以上のような基本要素に着目すると,図3のように住居類型を区別することができる。
A:原型=CM+Cm+K
B:基本型=A+ガレリア
C:標準型X=B+ザフアン、(2階建て)
D:標準型Y=CにCMとCmが付加されて中庭型となるもの。ギャラリーは中庭の一面のみに設けられる。
E:標準型Z=中庭の周囲にギャラリーが設けられる。
F:集合住宅=専用の階段室ヴェスティブを持つものF1
Fについては、集合住宅として共用のザファンを持つものF2、や直階段で2階以上とつながるものF3に分類する事ができる。

0 件のコメント:
コメントを投稿