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2025年10月23日木曜日

サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

 サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


B48 サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ-イベロ・アメリカへの発進基地

スペイン,カナリア諸島,テネリフェ島

   San Cristobal de La LagunaTenerife Islas CanariasSpain

 カナリア諸島は、北アフリカのモロッコ沖100km500kmの大西洋上に浮かぶ島々である。7つの島からなり、諸島全体でスペインの自治州を形成する。カナリアの名は、その原産地として鳥の名になっているが、ラテン語の「犬」に由来するという。7つの島のひとつテネリフェ島にアロンソ・フェルナンデス・デ・ルーゴ(?1525)によって1496年から97年にかけて建設されたのがサン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナである。アロンソ・フェルナンデス・デ・ルーゴは、スペインのコンキスタドーレであり、ラ・パルマ (14921493)に続いてテネリフェ島 (14941496)を征服し、サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナの他サンタ・クルス・デ・テネリフェ、サンタ・クルス・デ・ラ・パルマを建設している。

 その建設は、クリストバル・コロンが第2次航海を終えて帰国し、第3次航海へ出立しようとする頃であり、アメリカ最初のスペイン植民都市、イスパニョール島のサント・ドミンゴの建設はまだ緒に就いたばかりの頃である。

 カナリア諸島には、古来、ベルベル系のグアンチェ族が居住してきた。その後、アラブ人、ノルマン人、ポルトガル人が往来し、領有してきた。1402年にカスティーリャ王国が入植を開始し、ポルトガルとの抗争となる。王位継承問題も絡み、1476年のアルカソヴァス条約によって、アゾーレス諸島などの航海権はポルトガルが獲得、カナリア諸島の支配権のみスペインが得ることになる。コロンの「新大陸」発見とともに、イベロ・アメリカへの発信基地として建設されたのが、サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナである。

 テネリフェ島には火山島であり、スペインで最高峰となるテイデ山(3,718 m) が南西部にそび える。島の北東の海岸から14km内陸に入った標高550mの平地に建設された街には城壁がない。初期のスペイン植民都市は、サント・ドミンゴにしろ、ハバナにしろ、城壁をもつが、先住のグアンチェ族と大きな抗争は想定されていなかったことを示している。また、後にスペイン植民都市の代名詞となる直交座標によるグリッド・パターンの街路体系を厳密に採用しているわけでもない。チェーザレ・ヴォルジアが1499年に占領し、レオナルド・ダ・ヴィンチに詳細な地図を描かせた北イタリア・ボローニャ県のイモラ(1502)(図①)を基にしたというが、年代は合わないし、そもそも城壁はない

 1588年のトリアーニの地図(図②)と現在の地図(図③)は突き合わせることが可能であり、当初の計画を窺うことができる。アデランタド広場を中心に、市庁舎、レルカリオ宮殿、コンセプシオン教会サンタ・カタリナ・デ・シエナ修道院、市場などによって構成される。 現在のサン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは、18世紀までに築かれた山の手地区とラグーンに接する下町地区からなる。1701年には、カナリア諸島初の大学(ラ・ラグーナ大学)も開学した。1819年にはヌエストラ・セニョーラ・デ・ロス・レメディオス大聖堂が建設され、司教座が置かれている。

 木製のバルコニーが特徴的な中庭式住居の街並みが残されており、1999年には、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

【参考文献)】

 布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン(2013)『グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』京都大学学術出版会










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布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...