布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
01 ダマスクス 興亡のオアシス都市
旧約聖書・ローマ・イスラーム
シリア、ダマスクス県
Damascus, Syria
ダマスクスは、地中海からわずか80km、レバノン山脈を越えた東斜面、シリア砂漠を見下ろす聖なるカシオン山の麓に位置する。山からの水流には恵まれ、内陸河川が潤すオアシスのなかに、はるか古代から都市が営まれてきた。旧約聖書創世記はカシオン山の斜面でカインがアベルを殺害したとする。そして、ダマスクスのオアシスはエデンの園のモデルとされる。「最古の都市」ともされるダマスクスの地は、北東に向かってはユーフラテス川沿いの諸都市をつなぐ隊商路が伸び、南へはエジプト、イエメン、インドへ向かう紅海の港へ向かう街道がある交通の要所でもある。
トトメスⅢ世(古代エジプト第18王朝第6代,在位:紀元前1479年頃~1425年頃)時代の碑文に既にその存在が記されているというが、その名はアラム語のダルメセク(灌漑された場所)に由来するという。
紀元前10世紀にはアラム人の王国の首都が置かれたとされるが、その後、新バビロニア、ペルシア、セレウコス朝、そしてローマ帝国の支配下に置かれる。ローマ時代に建設されたダマスクスは、地下数メートルに埋まっているが、カルドとデクマヌスの南北、東西の中心軸によって構成されるローマン・タウンの伝統、「正方形のローマ」の系譜に属していたと考えられる。ササン朝ペルシアとビザンツ帝国の抗争の舞台となり、ムスリムに占領されて(636年)、ウマイヤ朝の首都(661年)となることによってイスラーム都市へと変容するのであるが、東西の大通りは今日にまで引き継がれている(図①)。
ローマ人が「ヴィラレクタ」と呼び、アラブ人が「スーク・アル・タウィル」と呼ぶ「真っ直ぐな道」の西門にはユピテル神殿があり、東門は「バブ・シャルキ」(太陽の門)と呼ばれる。そして、この道の北側には、ゼウス神とユピテル神が合体して融合したバール・バクダード神を祀る神殿があった。この神殿は、4世紀後半にテオドシウス帝(位379~395)によって破壊され、代って聖ヨハネを祀るバシリカが建てられた。
ムハンマドの没後、各地の叛乱を治めるジハードが開始され、各地にミスル(軍営都市)が建設されていくが、その拠点となったのがダマスクスである。ウマイヤ朝を創始してカリフの地位に就いたムアーウィア(位661~680)は、さらにジハードを継続し、カイラワーンなどを建設している。メッカを占領し、ウマイヤ朝の正統性が確立するのはアブド・アルマリク(位685~705)の治世であり、ダマスクスがムスリムの首都としての威容を整えるのは、ワリードⅠ世によるウマイヤ大モスクの建設によってである。
ウマイヤ・モスクが建てられたのはかつての古代神域、キリスト教のバシリカ(聖ヨハネ教会)が建てられていた場所である。東西に長い礼拝室(幅136m、奥行40m)と南に接する柱廊で囲われた中庭からなるが、中心軸は南北軸であり、マッカのある南壁にミフラーブがつくられている。礼拝室は三列の身廊からなり、中央にドームを頂いている。その構成については、キリスト教会のバジリカの構成との関係が指摘される。ムスリムは西側、キリスト教徒は東北、ユダヤ教徒は東南に居住する棲み分けが行われる。アッバース革命(750年)によって、ウマイヤ朝の宮殿は徹底的に破壊されたが、ウマイヤ・モスクだけは破壊を免れている。ウマイヤ・モスクの幅広横長の空間は、以降のモスクの形式に大きな影響を与えることになる。
イスラームの帝都から一夜にして一商都に転落することになったダマスカスであるが、やがて、十字軍の暴虐から逃れてくる難民たちを受け入れることで再生を果たしていく。11世紀末以降、大いに繁栄し、イスラーム都市としての街区形成がなされ、城壁も楕円形に変じていく(図②③)。
1300年にモンゴル軍、1400年にティムール軍の襲撃によってダメージを受けたが、オスマン帝国の支配下で中庭式住居が密集する街区形態がさらに形成されていった(図③④)。
1920年以降のフランス統治下において、西側に西欧風の新市街が建設される。独立後、新市街を中心に、歴史都市を取り囲むように近代都市が建設されていくが、中東情勢が揺れ動く中で、ダマスクスをとりまく環境は不安定である。
陣内秀信・新井勇治編『イスラーム世界の都市空間』法政大学出版局、2002年
三浦徹『イスラームの都市世界』山川出版社、1997年
K.Wulzinger & C. Watzinger, “Damaskus”,
Berlin, 1924
J. Sauvaget, “Les monuments historiques de Damas”, Beyrout, 1932
図① Kostof, S(1991)“The City Shaped: Urban Patterns and Meanings
through History” Thames and Hudson, London
図② 1968 Master Plan for Damascus
図④ 陣内秀信・新井勇治編(2002)
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