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2025年10月13日月曜日

トレド:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


B38寛容の都―ユダヤ・キリスト・イスラーム街区の共存

トレドToledo,カステーリャ=ラ・マンチャCastilla-La Mancha,スペインSpain

 スペイン中央部、マドリードから南西約70kmに位置するトレドは、イベリア半島の都市の歴史をそのまま重層させてきた都市の代表である。東、南、西を湾曲して流れるタホ川に囲われた島のような丘の上にトレドの街は形成されている。ギリシア人であるが、ルネサンス・マニエリスム期を代表する画家エル・グレコ(15411614)が活躍した街としても知られる。

その歴史は先史時代に遡るが、考古学的に明らかにされる都市遺構は、トレトゥムと呼ばれた紀元1世紀後半頃のローマ時代の都市で、神殿、劇場、円形競技場、舗装道路、城壁、橋、水道、下水道などの遺構が今日まで残っている。競技場は13000人が収容可能だったとされ、ローマ帝国の中でも最大級であった。

ローマ帝国に侵入してきたゲルマン系諸族のうち最初に国家建設を行ったのは西ゴート族である。当初トゥールーズ(トロサ)に首都を置くが,西ローマ帝国が滅びるとイベリア半島に支配域を拡張するが,フランク王国との抗争に敗れ,イベリア半島に追いやられる。そこで首都としたのがトレドである(560年)。西ゴート時代もキリスト教が信仰され、イベリア半島全体の首座大司教座となる。

711年にウマイヤ朝によって征服され、後ウマイヤ朝が崩壊すると、タイファ諸王朝の1つトレド王国の拠点となるが、1085年には、カスティーリャ王国によって奪還される。トレド征服はレコンキスタの節目の1つとなる。

トレド征服以降、カスティーリャ王国、そしてその後のスペイン王国は定まった首都を持たず、トレドは一時的な宮廷の所在地となる。フェリペⅡ世が王位についてトレドからマドリードに王都を移すと(1561年)、トレドは徐々に衰退を始め、現在に至っている。

トレドには、結果として、途切れることなく、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリムが街区を棲み分けながら居住し続けることになった。それ故、トレドは、「寛容の都」、「3つの文化の都」と言われる。12世紀から13世紀にかけては、トレド翻訳学派といわれる学者たちが活躍し、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリム学者の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳され、この成果が中世西ヨーロッパのルネサンスに大きな刺激を与えたことが知られる。

都市構造の骨格はイスラーム時代に形成されたものである。細く、曲がりくねった道、窓が建物の正面にない中庭(パティオ)式住居が特徴的である。また、ムデハル様式の建物が多く残されている。当時、12か所あったモスクは、999年に建立されたクリスト・デ・ラ・ルスとその少し後に建設されたトルネリアスの2つが残る。大モスクは、現在カテドラルがある場所に建てられていた。 ローマ時代の宮殿があったアルカサルやそれに隣接する現在のサンタ・クルス美術館、アルカンタラ橋辺りには、砦、軍隊の駐屯地、宮殿と、町の他の地区とを区切るための城壁があった。川に隣接した南の地区には、なめし革工場、染色工場が立地した。アルフォンソⅥ世門(ビサグラ旧門)、バド門、アルカンタラ門、ドセ・カントス門はイスラーム時代に建てられたものであり、サフォント地区の水汲み水車はイスラームの灌漑技術の遺産である。

最大のユダヤ人コミュニティがあったと考えられている「ラ・フデリア(ユダヤ人街)」に現在は2つのシナゴーグのみが残っている。かつては町全体に10のシナゴーグが建っていたとされるが、コメルシオ通り(商店街)と14世紀以降修道院に占められている敷地も、ユダヤ人街あるいは「アルカナア」として知られていた。「ユダヤの城(カスティージョ・デ・フディオ)」と呼ばれている防衛施設群遺跡は、サン・マルティン教区からアンヘル通りを真っ直ぐ上ったところまで続いていた。

レコンキスタ完了以後、トレドはキリスト教の街となるが、17世紀には「修道院の町」となり、聖職者、あるいは学校、救貧院、施療院、礼拝堂などが使用する建物は70棟を数えた。

現存する代表的な教会は、1226年にフェルナンドⅢ世によって建設が開始され、1493年に完成したトレド大聖堂、モスクを14世紀に改装したサント・トメ教会、1000年ごろに建てられたモスクを転用したエル・クリスト・デ・ラ・ルス、そして、レコンキスタ直後にカトリック両王によって建設されたサン・フアン・デ・ロス・レージェス修道院 などである。

 街全体が博物館と称せられる歴史的遺産の存在とそれを包む景観の素晴らしさが評価されて、1986年に世界文化遺産に登録されている。




 

【参考文献】

Passini, Jean(2004), “Casas y Casas Principales urbanas”, UCLM

Molenat, Jean-Pierre(1995), “Toledo A Finales de la Edad Media”, Colegio Oficial de Arquitectos de Castilla-La Mancha.

 


 


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