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2025年10月26日日曜日

シエンフエゴス:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

シエンフエゴス:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


L15 スペイン・グリッド植民都市の理念型

シエンフエゴスCienfuegos,シエンフエゴス州,キューバ Cuba


シエンフエゴスは,スペインの上陸当初から北海岸のハバナ湾と並ぶ良港として知られるハグア湾に面して立地する。18世紀初頭に港湾都市として北海岸に建設されたカルデナスが「北の真珠」呼ばれるのに対して,「ペルラ・デル・スルLa Perla del sur:南の真珠」と呼ばれ、カリブ海に面する。

シエンフエゴスへの入植は16世紀初頭から行われ、1512年には,ラス・カサスがハト・アリマオ近くに入植地を建設している。1738年に総督グエメス・イ・オルカシタスが湾の入口に小さな要塞を建設し,1742年に拡張している。1762年から1802年の間に,王立グアンタナモ委員会による開発計画がモポックスMopox侯爵によって行われ,ハグア湾の開発も候補に選ばれている。1798年に,その委員会のメンバーであったアナスタシオ・エチェヴァリアAnastasio Echevarriaが,シエンフエゴスの最初の計画図を描いている(図①)。 この最初の計画案で,注目すべきは,プラサ・マヨール2街区分とっていることである。これは今日まで引き継がれており,シエンフエゴスの特徴になっている。

 シエンフエゴスに関する18世紀末以降の都市計画図(図②)によると,およその都市発展過程を明らかにすることができる。1839年には市域の拡大が始まっている。さらに大きく市域が拡大し始めるのは19世紀末以降であり,順次4期(1879188219051914.)の計画案が立てられる。いずれも,100ヴァラ×100ヴァラの街区を基本としており,1820年当初の基本計画におけるシステムが一貫して用い続けられている。市域の拡張は,グリッドを延長する形で行われ,1839年に斜めに直行する道路が造られ,1879年にほぼ45度回転した街区が東北部に作られた(図③)。

1824年の最初のセンサスによると人口1283であった。1831年には公営の屠殺場と刑務所が建てられている。以後,街灯(1832),教会(1838),墓地(1839),劇場(1843),市立学校(1846)が順次建設された。鉄道がパルミラPalmira,まで敷かれたのは1851年のことであり,1860年にサンタ・クララまで延びている。人口センサス・データとして,13381861),3381899),31001907),372411919),52501931),529101943),579911953)という記録が残されている。1981年の人口は102791人である。

都市核の現況は(図④)、2街区分のプラサ・マヨールの東に教会,南に市議会と博物館,北に劇場と学校,西に文化センターと市場,というように公共施設が位置する。

キューバの植民都市の場合,長さを幅の1.5倍とするインディアス法の規定(112条)にもかかわらず,プラサ・マヨールは正方形とすることが多い。シエンフエゴスの場合も,上述のように,100ヴァラ×100ヴァラという単純均一なグリッドを用いているが,プラサ・マヨールを二街区分としている点,また公共施設をプラサ・マヨールの周辺に配置している点,インディアス法が前提とされていたことははっきりしている。建物の高さは平屋もしくは2階建てが基本で,モニュメンタルな建物でも現在も四層以下に押さえられている。かつての景観をよく残しているといっていい。

 シエンフエゴスは,キューバのスペイン植民都市のうち19世紀初頭に建設された都市の典型と言っていいが,以下のような特性をもつ。

 ①シエンフエゴスは,古くから南岸の良港として知られてきたが,本格的に都市建設が行われたのは,1819年のフランス人デ・クルーエの入植以降である。基本的に,100ヴァラ×100ヴァラを街区の単位として,街路幅も15ヴァラの単純なグリッド・システムが採用された。また,最初の都市モデルとしては5×525の街区が想定されていた。

 ②街区モデルとして,1000ヴァラ平方を単位とする10分割システムが採用されている。フランスのヴォーバンが採用した分割パターンで18世紀末以降他の地域でも見られる。

 ③市域の拡張は,グリッドを延長する形で行われ,1839年に斜めに直行する道路が造られ,1879年にほぼ45度回転した街区が東北部に作られた。

 ④発展をコントロールする都市計画法は,1856年に作られ,改定を繰り返すかたちで今日まで維持されている。

 ⑤街区分割,宅地分割は一貫して進行してきている。しかし,街区全体の影響を及ぼす合筆などは起こらず,大きな景観上の変化は少ない。

 ⑥宅地の細分化は角地において著しい。それに対して,他の宅地に挟まれる一面のみ接道する宅地は変化に対する抵抗力は強い。②の街区分割パターンは,④とも関連するが,比較的安定性が高いと考えられる。

 ⑦宅地の再分割のかたちとして新しく現れてきたのが共同住宅シウダデラスの形である。伝統的な中庭式住宅とともに密度が高まるとともに生み出されてきたのがシウダデラスである。

シエンフエゴスは、都市核としてグリッドが次々に延長されてきた。その歴史的中心地区は,19世紀初頭におけるスペイン植民都市計画の典型例として世界文化遺産に登録(2005)されている。

 

【参考文献】

シエンフエゴスを直接対象とする植民都市関連論文はない。本稿で用いる文献資料は,全て臨地調査において入手したものである。地図の大半と都市計画法(1856年)条文はシエンフエゴスの歴史博物館(MHCMuseo de Historia de Cienfuegos:館長:Iran  Millan氏)において入手したものである。

布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン2013)『グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生,京都大学学術出版会






 

 


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