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2023年2月3日金曜日

町全体が「森と木と水の博物館」,雑木林の世界59,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199407

 町全体が「森と木と水の博物館」,雑木林の世界59,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センターセンタ-,199407

雑木林の世界59

町全体が「森と木と水の博物館」

鳥取県智頭町のHOPE計画始まる

 

                布野修司

 本誌四月号(雑木林の世界  )でも触れたのだけれど、建設省の「HOPE計画」(地域住宅計画 HO           P      E         )は昨年十周年を迎えた。建設省の施策として1983年に開始され、この10年で、200に迫る自治体がこの施策を導入してきた。地域にこだわる建築家やプランナーであれば、おそらく、どこかの計画に関わった経験がある筈である。そのHOPE計画の十年を記念し、各地の試みを振り返る『十町十色 じゅっちょうといろ HOPE計画の十年』が出版された(HOPE計画推進協議会 財団法人 ベターリビング 丸善 1994年3月)。

 『十町十色』をみると、HOPE計画の内容と各市町村の具体的な取り組みは実に多彩だ。「たば風の吹く里づくり」(北海道江差町)、「遠野住宅物語」(岩手県遠野市)、「だてなまち・だてないえー生きた博物館のまちづくりー」(宮城県登米町)、「蔵の里づくり」(福島県喜多方市)、「良寛の道づくり」(新潟県三条市)、「木の文化都市づくり」(静岡県天竜市)、「春かおるまち」(愛知県西春町、「鬼づくしのまちづくり」(京都府大江町)、「ソーヤレ津山・愛しまち」(岡山県津山市)、「なごみともやいの住まいづくり」(熊本県水俣市)等々、思い思いのスローガンが並ぶ。「たば風」とは、冬の厳しい北風のことである。「もやい」とは、地域の伝統的な相互扶助の活動のことである。地域に固有な何かを探り出し出発点とするのがHOPE計画の基本である。

 その『十町十色』に、「地域の味方」と題して一文を寄稿したのであるが、その最後で次のように書いた。

 「HOPE計画を実際にやってみないかという話しがありました。鳥取県は八頭郡の智頭町です。智頭は杉のまちとして知られます。以前、「智頭杉・日本の家」コンテストの審査で関わったことがあるのですが、その後の智頭活性化グループ(CCPT)のめざましい活動にも注目してきました。少し手がけてみようかなという気になりつつあります。十年後を期待して下さい。」。

 「十年後を期待して下さい」といってはみたものの未だに自信はあるわけではない。しかし、この半年の議論でおよそ方向性が見えてきた。以下に、そのイメージについて記してみよう。HOPE計画策定委員会のまとめではなく、全く個人的な見解である。

 「町全体が「森と木と水の博物館」」で「町民全員が学芸員」というのが基本的なコンセプトなのであるが、


2023年1月7日土曜日

木の文化をどうするの,日刊建設工業新聞,19970710

木の文化をどうするの,日刊建設工業新聞,19970710

   木の文化をどうするの
 オーストリアのウイーン工科大学、フィンランドのヘルシンキ工科大学、米国のヴァージニア工科大学からたてつづけに建築家、教授の訪問を受けた。オーストラリアからはハウジングに体系的に取り組む建築家H。ヴィマー氏。後の二大学は、学生それぞれ二十人前後が同伴しての訪問である。京都にいるとこうした交流が頻繁である。僕は専らアジアのことを研究しているのだけれど、欧米の建築家たちもアジアへの関心は高い。ヴィマー氏の作品にはヨーロッパの伝統より中国や日本の建築への明らかな興味が読みとれた。居ながらにして情報が得られ、議論できるのは有り難いことである。
 ところが頭の痛い指摘も当然受ける。
 二つの大学の学生たちのプログラムはよく似ている。京都の町を素材に特に木造建築について学ぼうというのである。ワークショップ方式というのであろうか、単位認定を伴う研修旅行である。日本の大学も広く海外に出かけていく必要があると思う。うらやましい限りである。
 修学院離宮、桂離宮、詩仙堂…、二つの大学のプログラムを見せられて、つくづく京都は木造建築の宝庫であると思う。実に恵まれているけれど、時としてその大切な遺産のことを僕らは忘れてしまっていることに気づかされる。講義を聴いていると、日本人の方が木造文化をどうも大事にしてこなかった、大事にしていないことを指摘されているようで恥じ入るのである。
 フィンランドは木造建築の国だ。だから木の文化への興味はよく分かる。しかしそれにしても、ヘルシンキ工科大学の先生方の三つの講義が、フィンランドの建築家の作品の中に日本建築の影響がいかに深く及んでいるかを次々に指摘するのにはいささか驚いた。
 しかし、日本はどうか。阪神淡路大震災以降の復興過程で木造住宅はほとんど建たない。それ以前に、日本の在来の木造住宅は大きくその姿を変えてきた。木造住宅といっても木材の使用率はわずか四分の一ぐらいである。京都では数多くの町家が風前の灯火である。建て替えると木造では許可が下りないのである。全てが木造建築を抹殺していく仕組みができあがっている。
 学生たちはただ観光して歩いているわけではない。両大学ともスケッチしたり、様々なレポートが課せられている。レイ・キャス教授率いるヴァージニア工科大学のプログラムは特に興味深いものだ。近い将来日本の民家を解体してアメリカに移築しようというのである。「木の移築」プロジェクトという。プロジェクトの中心は、京都で建築を学ぶピーター・ラウ講師である。
 まず、初年度は民家を解体しながら木造の組立を学ぶ。そして、次年度はアメリカで組み立てる。敷地もキャンパス内に用意されているという。米国の大工さん(フレーマー)も協力する体制にあるという。外国人の方が木造文化の維持に熱心なのである。複雑な心境にならざるを得ないではないか。
 問題は日本側の協力体制である。協力しましょう、という話になったけれど、容易ではない。組立解体の場所を探すのが大変である。解体する民家を探すのも難しい。なんとかうまく行くことを願う。こうした小さなプロジェクトでもひとつの希望につながるかもしれないからである。


 

2022年10月25日火曜日

秋田能代木匠塾の設立を,秋田木材通信社,19920101

秋田能代木匠塾の設立を

                                 布野修司

 

 昨年は、長年、お世話になった東洋大学を辞し、京都大学へ転勤することになった、私にとって、実に大きな転機の年でした。六月に決まって、九月には着任ということで、前後、あたふたと慌ただしかった上に、飛騨高山木匠塾の開校(七月)をはじめ、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)、建築フォーラム(AF)、出雲建築展(一一月)なんどで目まぐるしく、秋田には、すっかり御無沙汰してしまいました。京都に移って、秋田からは少し遠くなるような気もしますが、情報化時代に物理的距離は関係無いでしょう、今後とも宜しくお願い致します。

 一昨年は、三度も秋田へお邪魔したのですが、その後、秋田の木材業界は如何でしょうか。明るい展望は見えてきたのでしょうか。

 建設業界もそうなのですが、どうもこのところの業界の話題は、専ら技能者養成問題のようです。木造の需要が減ることもさることながら、木造の技術者がいなくなれば、木造建築の未来はないというわけです。確かに、京都にきてみて、そう感じることがあります。京都の景観を保存せよといっても、社寺仏閣や町家を建て、維持管理する職人さんが居なくなれば、保存もなにもないのです。京都でも木造建築技能者の問題は、いささか遅すぎるのですが、今ホットなテーマになりつつあります。京都のような木造建築のメッカのようなところで木造文化を維持していく仕組みを再生できないとすれば、わが国の木造文化も末期的と言っていいのでしょう。

 もうひとつ、テーマとなるのは、熱帯林、南洋材の問題でしょう。地球環境時代などといわなくても、一定の期間でリサイクルできる資源としての木材生産の仕組みをもう一度再構築することが本格的に日本全体で問われています。南洋材の問題でクリティカルなのは、合板で、むしろ鉄筋コンクリート造の建築なのですが、造作材にしても、合板の使用には、様々な代替策が求められるでしょう。

 飛騨高山木匠塾でインターユニヴァーシティーのサマースクールを開校してみて痛感されるのは、山と木そのものに触れることが大事だということです。この飛騨高山木匠塾の原型は、その前年における秋田・能代での大学合同合宿にあるのですが、各地に木と木の技術に触れる場所ができないものでしょうか。サイト・スペシャルズ・フォーラムでは、「職人大学」(仮称)を構想中なのですが、その前提は、各地に、木の文化を支える拠点ができることです。

 秋田能代木匠塾と仮に呼ぶ、そんな空間はできないでしょうか。楽しみにしてます。