木造文化と職人,シルバン編集委員会,シルバンNO.6,1996 Summer
木造文化と職人・・・「職人大学」を目指して
布野修司(京都大学助教授)
木造建築を実際に支えるのは大工さんをはじめとする職人さんたちである。職人さんたちが居なくなれば、木造文化は滅びる。
職人さんの後継者の育成をめぐっては各地でさまざまな取り組みがなされつつあるが、ひとつの大きな動きが起こりつつある。
一九九六年初頭、「住専問題」で波乱が予想された通常国会の冒頭であった。見るともなく見ていた参議院での総括質問のTV中継で「職人大学」という言葉が耳に飛び込んできた。村上正邦議員の質問に、橋本龍太郎首相が「職人大学については興味をもって勉強させて頂きます」と答弁したのである。いささか驚いた。今まで興味もなかった急に国会が身近に感じられたのも変な話であるが、首相の国会答弁は、何か大きな動きを感じさせるものであった。
産業空洞化がますます進行する中で、日本はどうなるのか。日本の産業を担ってきた中小企業、そしてその中小企業を支えてきた極めてすぐれた技能者をどう考えるのか。その育成がなければ、日本の産業そのものが駄目になるではないか。そのために職人大学の設立など是非必要ではないか。
簡単に言えば、村上議員の質問は以上のようであった。もちろん、膨大な質問の一部であるが、日本の産業構造、教育問題、社会の編成に関わる問題として「職人大学」というキーワードが出された印象である。考えて見れば誰にも反対できない指摘である。「興味をもって勉強させていただきます」というのは当然の答弁だったかもしれない。
その後、事態は急速に展開した。
「職人大学」の設立を目指す国際技能振興財団(KGS)が認可されたのは、二月末のことであった。そして、その設立総決起大会が日比谷公会堂で開かれたのは四月六日のことである。大盛会であった。現職大臣四名(労働大臣、建設大臣、通産大臣、自治大臣)と中曽根元首相、国会議員が秘書の代理も合わせると三十有余名、「住専問題」で大変な国会の最中にも関わらずの出席であった。職人二〇〇〇名の大集会というのは、大袈裟に言えば戦後、否、近代日本の歴史になかったことではないか。
国際技能振興財団(KGS)とは何か。
一、日本の産業基盤を支える「職人」を育成しよう
一、われわれの力で「職人大学」を実現しよう
一、職人のための社会基金(ソーシャル・カッセ)を創設しよう
一、職人の社会的地位確立のため団結しよう
という四つのスローガンを掲げるのであるが、その設立の経緯と目指すところを記してみたい。
KGSには評議員で参加することになったのであるが、それにはそれなりの経緯がある。KGSのひとつの母胎になったのは、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)であり、その活動には当初から参加してきたのである。その設立は一九九〇年十一月。SSFが小さな産声をあげてからほぼ六年の月日が流れたことになる。
サイト・スペシャルズとは耳慣れない造語だが、サイト・スペシャリスト(日本語にすると現場専門技能家)に関する現場のこと全てをいう。職人、特に屋外作業を行う現場専門技能家の地位が不当に低く評価されている。その社会的地位の向上を実現するために「職人大学」をつくろう、と最初に立ち上がったのが小野辰雄日綜産業社長(SSF副理事長、国際技能振興財団副会長)をはじめとする専門工事業(サブコン)の皆さんであった。横文字を使うなとおしかりを受けるのであるが、新しいイメージの定着を願っての命名である。「職人」という言葉が、威厳をもって定着していれば、サイト・スペシャリストという言葉もSSFも必要なかったかもしれない。
小野社長から相談を受けた内田祥哉先生(前日本建築学会長、SSF理事長、国際技能振興財団最高顧問)の命を受けて、SSF設立当初からそのお手伝いをすることになったのであるが、はっきり言って、この五年間はSSFにとって順調であったわけではない。山あり谷ありであり、建設業界のうんざりするような体質にとまどったことは一度や二度ではない。
SSFは設立当初、精力的にシンポジウムを開催する。「職人問題」を広く考え、多くの人の理解を求めるためである。
設立一周年には、ドイツ、アメリカ、イギリスから職人、研究者を招いて国際シンポジウム行った。ヨーロッパのマイスター制度などに学ぶことが多く、SSFではドイツへ調査に出かけてもいる。一周年記念の国際シンポジウムの時には、京都府の建設業協会にお世話になった。作業服のユニフォームのデザインをお借りしたのである。京都府建設業協会はいち早く建設業のイメージでアップ作戦としてSAYプロジェクトを展開中であり、新しいユニフォームのデザインを公募し、試作していたのである。しかし、イヴェントによってすぐさま何かが変わるほど世の中甘くない。どうすれば「職人大学」ができるのか、SSFの理事会は真摯な議論の場であり続けた。
どんな「職人大学」をつくるのか。自前の大学をつくりたい、これまでにない大学をつくりたい、というのがSSF理事長である内田先生の方針であった。大学の建築学科にいると嫌というほどその意味はわかる。今の文部省の枠の中では目指すべき「職人大学」はできないのではないかという危惧が大きいのである。すなわち、文部省管轄の大学だと必然的に座学が中心になる。机上の勉強だけで、職人は育てることはできないではないか。
できたら、文部省の大学ではない、もっと新しい形はできないか、と思うけれど、一方で東大と対等な職人大学であってもいい、そんな職人大学が欲しいという意見も強い。文部省も新しい形のカリキュラムを受け入れるのではないかという期待もある。
大学をつくるということが、如何に大変なのかは、大学にいるからよくわかる。そして、大学で教員をしながら大学をつくろうとすることには矛盾がある。シンポジウムなどでいつも槍玉に挙げられるのであるが、何故、今いる大学でそれができないのか、それこそ大きな問題である。
言い訳の連続で答えざるを得ないのであるが、国立大がであろうと私立大学であろうと、職人を育てる教育をしていないことは事実である。それを認めた上で、現場を大事にする、机上の勉強ではなく、身体を動かしながら勉強するそんな大学はどうやったらつくれるか、それが素朴な出発点である。
居直って言えば、偏差値社会の全体が問題であり、職人大学をつくることなど一朝一夕でできるわけはない。少しづつ何かできないかとお手伝いしてきたのである。
可能であれば、文部省だとか労働省だとか建設省だとか、既存の制度的枠組みとは異なる、自前の大学をつくりたい、というのがSSFの初心である。できたら、自前の資格をつくり、高給を保証したい、それがSSFの夢である。しかし、そうした夢だけでは現実は動かない。また、この問題はひとりSSFだけの問題ではないのである。日本型マイスター制度を実現するとなると、それこそ国会を巻き込んだ議論が必要である。
この間、水面下では様々な紆余曲折があった。五五年体制崩壊と言われるリストラクチャリングの過程における政界、業界の混乱に翻弄され続けてきたといってもいい。
SSFの結成当時、バブル全盛で、職人(不足)問題が大きくクローズアップされていた。SSFを支えるサブコン(専門工事業)にも勢いがあった。しかし、バブルが弾けるといささか余裕が無くなってくる。職人問題などどこかへ行きそうである。SSF参加企業のみなさんにはほんとに頭が下がる思いがする。後継者育成を社会的なシステムとして考えるコモンセンスがSSFにはある。
筆を滑らせれば、「住専問題」などとんでもないことである。紙切れ一枚で、何千億を動かすセンスのいいかげんさには呆れるばかりである。現場でこつこつと物をつくる人々をないがしろにするのは心底許せないことである。
大手ゼネコンは一貫してSSFに対して冷たい。ゼネコン汚職の顕在化でゼネコンの体質は厳しく問われたけれど、重層下請構造は揺らがないようにみえる。ゼネコンのトップが数次にわたる下請けの構造に胡座をかいて、職人問題、職人大学問題に眼を瞑ることは許されないことである。末端の職人問題については、それぞれの企業内の問題として関心を向けないゼネコンは身勝手すぎるのではないか。SSFの会議では、しばしばゼネコン批判が飛び出す。
しかし、議論だけしてても始まらない、とにかく構想だけはつくろう、ということで、いろいろなイメージが出てきた。本部校があって、地域校がいる。建築は地域に関わりが深いのだから、一校だけではとても間に合わない。さらに働きながら学ぶこと(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を基本とするから、現場校も必要だ。カリキュラムも実際につくってみた。
そうしている内に、具体的にアクションを起こそうということになった。それで生まれたのがSSFスクーリング:実験校である。一週間から十日合宿しながら「職人大学」をやってみようというわけである。
第一回のスクーリングは新潟県の佐渡であった。SSFの理事企業を中心に職長クラスの参加者を募った。現場の職長さんクラスに集まってもらって、体験交流を行う。何が問題なのか、どういう教育をすればいいのか、手探りするのが目的であった。さらにヴェテランの職長さんの中から「職人大学」の教授マイスターを発掘するのも目的であ
SSFスクーリング:実験校は、佐渡の後、宮崎の綾町、神奈川の藤野町、新潟の柏崎市、群馬の月夜野町とSSF理事企業と地域の理解ある人々の熱意によって回を重ねてきた。
SSFの実験校は既にして移動大学である、というのが僕の見解である。粘り強く続けてゆけば、いつか「職人大学」はできるだろう、と思っていた。しかし、世の中いろいろとタイミングがある。
そうした中で、SSFとKSD(中小企業経営者福祉事業団)との出会いがあった。SSFは、建設関連の専門技能家を主体とする、それも現場作業を主とする現場専門技能家を主とする集まりであるけれど、KSDは全産業分野をカヴァーする。職人大学も全産業分野をカヴァーすべく、その構想は必然的に拡大することになったのである。
全産業分野をカヴァーするなどとてもSSFには手に余る。しかし、KSDに全国中小企業八〇万社を組織する大変なパワーを誇る。SSFには、マイスター制度や職人大学構想に関する既に五年を超える様々なノウハウの蓄積がある。KSDのお手伝いは充分可能であるし、まず、最初は建設関連の職人大学を設立しようということになった。
もとより「職人問題」は建設業に限らない。全産業分野に共通する問題である。日本の産業界を支えてきたのは誰か。産業空洞化が危惧される中で、優れた職人の後継者の育成を怠ってきたのは誰か。その提起を真摯に受けとめたのが国会議員の諸先生方にもいた。参議院に中小企業特別対策委員会が設置され、「職人大学」設立の動きが加速されることになるのである。
こうしてSSFの試みは一気に全産業分野へと拡大することになったのであるが、とりあえず建設業を主に出発を遂げざるを得ない。まず目指すべき第一校は佐渡でという方針が検討されつつある。新潟県、佐渡の市町村会とは既に接触を開始しつつある。
また、文部省の接触も開始しなければならない。この間、全国工業高校卒業者の受け皿として大学設立の検討が進められてきたのである。
第二校目は、群馬県月夜野町でという話がある。建設業以外が中心になる。しかし、すべてがこれからである。理事会、評議会も動き出したばかりである。
最大の問題は財源である。多くの維持会員の支援が必要とされる。
とはいっても手をこまねいているわけにはいかない。動き出さねばならない。KGSの設立後第一回の職人大学スクーリングは茨城県涸沼で開かれた(六月二日~八日)。当面各地でスクーリングを続けていくことになろう。関心のある方には是非協力をお願いしたい(問い合わせ先 )。
「職人大学」設立への運動は今始まったばかりだ。前途に予断は許されない。ねばり強い運動が要求されているのはこれまで通りである。
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