布野修司:文化住宅と住宅文化,シルバン,1995年夏
阪神・淡路大震災と木造住宅
文化住宅と住宅文化
布野修司
今回の阪神・淡路大震災において、とりわけダメージの大きかったのが「文化」である。「文化」とは「文化住宅」のことだ。関西で「ブンカ」というと「文化住宅」という一つの住居形式を意味する。ところが「文化住宅」といっても関東ではまず通じない。他の地域でも同様通じないのではないだろうか。
「文化住宅」という言葉がないわけではない。もともとは大正期から昭和初期にかけて現れた都市に住む中流階級のための洋風住宅(和洋折衷住宅)を意味した。生活改善運動、文化生活運動が展開され、家族団らんを中心とする居間中心型住宅や椅子座式住宅が盛んに主張された。そうした新しい日本の近代住宅を「文化住宅」と呼んだのである。当時、「文化住宅」の提案設計なども盛んに行われたのであった。
関西で今日いう「文化住宅」は、以上の文化住宅の流れとは違うようだ。従来の設備共用型の「アパート」あるいは長屋に対して、各戸に玄関、台所、便所がつく形式を不動産業者が「文化住宅」と称して宣伝し出したことに由来するらしい。もちろん、第二次大戦後、戦後復興期を経て高度成長期にかけてのことだ。住戸面積は同じようなものだけれど、専用か共用かの差異を「文化」的といって区別するのである。アイロニカルなニュアンスも込められた独特の言い回しだと思う。
「文化住宅」とは、一般的に言えば、「木賃(もくちん)アパート」のことだ。正確には、木造賃貸アパートの設備専用のタイプが「文化」である。「アパート」というと、設備共用のタイプをいう。「文化」と「アパート」が対概念である。もっとも、一戸建ての賃貸住宅が棟を連ねるタイプも「文化」といったりする。ややこしい。
ところで、「文化住宅」のほとんどが木造住宅である。もちろん、木造住宅だからダメージを受けたということではない。繰り返すように木造住宅であっても、震災に耐えた住宅は数しれない。木造住宅の数はもともと多いのである。木造住宅が潰れて亡くなった方も多いけれど家具が倒れて(飛んで)亡くなった方も数多い。
今回の震災の教訓は数多いけれど、しっかり設計した建物は総じて問題はなかったことは、繰り返し確認されていい。
しかし、メンテナンス(維持管理)の問題は大きかった。「文化住宅」は、築後年数が長く、白蟻や腐食で老朽化したものが多かったため大きな被害を受けたのである。今回の地震の被害が大きかったのは、築後年数の長いものであった。特に倒壊に至ったのは築後一〇年以上経ったものが圧倒的である。外壁仕上げ等から判断して三〇年以上経っていると思われるものは規模に関わらず倒壊率が高い。構法の問題として、土壁が多く、筋交いの本数が極端に少なく壁倍率が低い壁が多いということもあるけれど、蟻害、腐食による老朽化がやはり大きかったと見ていいのではないか。倒壊した「文化住宅」あるいは木造住宅のほぼ全てが蟻害にあっていたと考えられるのである。
木材の物理化学的な変化は熱や紫外線によって促進されるが、燃焼される以外は反応速度は極めて遅いとされる。問題は老朽菌やシロアリによる食害、生物劣化である。進行速度が速く、強度低下も著しい。被災地域はイエシロアリの生息地で、寒冷地にも強いヤマトシロアリも分布する。建築基準法(施行令49条)では、構造耐力上主要な部分については地面から一メートル以内の防腐措置、および必要に応じての防蟻措置を規定している。しかし、仮に防蟻措置をしていても年数を減るに従って劣化は進行する。築後年数が長いものほど蟻害が増えているのである。
さらに大きいのは腐食である。外壁下地には防水紙の仕様が規定されているが、年数が経つにつれて漏水し始める。雨樋が破損したり、外壁のクラックから雨水が進入し、腐食が進行するのである。また、内部結露の問題もある。普通、食害を受けるのは土台回りである。しかし、軒回りなど柱上部の被害もある。二階にバルコニーやテラスを設ける場合、雨仕舞いが難しい。「文化住宅」には、二回にアプローチ用の外廊下が設けられるために老朽化を促進したケースが多い。防蟻処理、雨仕舞いは実に重要である。しかし、それ以上に重要なのがメンテナンスなのである。
「文化住宅」は激震地のみならず阪神間に広範に分布している。興味深いことに南面するタイプ(東西軸配置)以外に南北軸配置のタイプがある。激震地区の例、例えば東灘区では、南北方向の壁に筋交いの無い南面タイプに被害が大きかったという。地震の揺れが南北方向に大きかったためとされる。とは言え、南面に大きな開口部を採るために壁量が足りない例も多く、壁のバランスが問題であるのは変わりない。ただ、場所によって、地震波の挙動によって被害の明暗を分けたということもあるのである。
「文化住宅」の場合、間口は狭小であり、壁量は長手(軸)方向については確保できる。しかし、耐力が足りなかったという問題がある。そして、軸と垂直方向(長手方向)の耐力をどうするかという問題がある。一般には、バルコニーや外廊下を支える柱にブレースを入れるなどの措置が執られてきたのであるが、そもそも、構造的に問題があることをそれは示している。耐力壁が少なかった、柱と土台の結合に問題があった、・・・といった木造住宅の問題は「文化住宅」にも共通だけれど、しかしそれにしても、老朽化の問題がやはり大きかったのではないか。間取りが同じで、同じ箇所に水回りが集中し、その部分のみ老朽化を進行させて被害を大きくした例も少なくないのである。
激震地からはかなり離れているのに、半数以上が半壊全壊した「文化住宅」街がある。被災度調査をカヴァーした縁から、復興計画のお手伝いを始めている。聞けば、高度成長期に古材を使って不動産会社がリース用「文化住宅」として売り出したという。不在地家主が一〇〇人近い、この三十年で持家取得した世帯が二〇〇近く、応急仮設住宅に住む借家人の世帯が二五〇、権利関係が複雑だ。復興計画もなかなか目途が立たない。
それにしても「文化住宅」とは皮肉な命名である。「文化住宅」に日本の住宅文化の一断面が浮き彫りになっているからである。
今回の阪神・淡路大震災は、日本の建築や都市がいかに脆弱な思想や仕組みの上に成り立っているかを明らかにしたのだが、とりわけ強烈に思い知らされたのは日本社会の階層性である。被害を受けた「文化住宅」、あるいは木造住宅の分布は、日本の都市の階層的棲み分けの実態を浮き彫りにしている。また、そうした都心の密集住宅地には、この間、投資が行われてこなかったことを示している。
「文化住宅」というと、間口の狭い、二間程度の住戸がほとんどである。四・五畳と六畳、あるいは三畳と六畳、玄関を開けるとすぐ一間有り、わずかのキッチンが玄関に隣接する。両方から使える押入で区切られて奥の一間へつながる。そしてトイレが置かれる。あるいは、玄関を入って二間が続いて、奥にトイレとキッチンが設けられる。居住面積は切り詰められている。半間は三尺なく、八二センチくらいしかないことが多い。「文化住宅」の実態とその命名は、日本の住宅文化の象徴といえるであろう。
今回の阪神・淡路大震災で、より大きな被害を受けたのは、高齢者であり、障害者であり、要するに社会的弱者であり、住宅困窮者であった。そうした人々の多くが「文化住宅」に居住していた。実に皮肉である。
戦後の住宅政策や都市政策の貧困の裏で、「文化住宅」は日本の社会を支えてきたといっていい。都市の単身者などの流動層、あるいは低所得者向けの住宅の供給は零細事業者による「文化住宅」=「木賃アパート」が担ってきたのである。それが最もダメージを受けた。実に悲しいことである。
「文化住宅」を如何に再生させるか。「文化住宅」を如何に誇れる日本の住宅文化とするか。阪神・淡路大震災が日本の住宅文化のあり方につきつけた課題はとてつもなく大きい。
多くの避難所が閉鎖されつつある。しかし、まだ一万人を超える人々が避難所生活を続けている。
復興計画は動かない。
応急仮設住宅生活の長期化は必至である。
阪神間には、瓦礫の取り除かれた空地が広がったままである。
0 件のコメント:
コメントを投稿