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2023年9月15日金曜日

高谷好一、第2回 地球文明学会で高谷が発言したこと、20151110

 2回 地球文明学会で高谷が発言したこと

 

20151110

高谷好一

 

 都市とは何かということだが、抽象的に議論するとわかりにくくなる。皆がそれぞれに違った都市を想像して、それで議論して、混乱が起こる危険がある。

 それで、私の提案は、具体的な都市を並べてみて、それで都市とはこういうものだというのを前にして、そこから議論したらどうかと思う。

 そのとき、二つの方法があるが、人類史の中で実際に存在した都市を縦に並べてみることだ。例えば、紀元前3000年頃のメソポタミアの都市、それから紀元前後のギリシアやローマの都市、もっと後になって現れるイスラームの都市、それからヨーロッパの都市、特に産業革命後の都市、それから今日の東京のような大都市。それを一度、縦に並べてみる。しかし、たぶんこれでも都市の一部しか出ていない。だから本当は、いくつかの生態区を想定して、それぞれの生態区における都市の歴史を定義する。例えば、砂漠・オアシス地帯には、どのような都市が生まれたのか?東南アジアのような森の多い多島海では?あるいは日本のような稲作をやる盆地では?などと並べてみて、生態という横軸と歴史という縦軸の中で都市群のマトリックスを作ってみると、よくわかるのではないかと思う。皆、共通したイメージを持つことができて、議論がしやすい。もっとも、この作業自体が大変な作業になるのだけど。

 『野生が都市を救う』は素晴らしかった。ずいぶん前に出版されているのだが、今読んでも新しい。言い出したのが早すぎて、当時はあまり売れなかったのではないかと思った。

 ところで、本の主張の一つが、「都市の中に自然を作ろう」ということだったと思うが、私は「なるほどな」と思った。都市はあまりにも人工物に満ち満ちていて、殺風景すぎる。何とかしてもう少し自然を入れなきゃいけない。と同感した。

 しかし、すぐ後にこんなふうにも思った。「俺の住んでいる守山のあたりの田舎のことが忘れられているのではないか」。都市はどんどん大きくなっている。やがて、地球全体が都市になってしまうのではないか。少なくとも、平野部は全部都市になる。そんなときには、中自然をわざわざ作るよりも、今ある田舎を中自然として積極的に活かした方が手っ取り早いのではないか?そんな、いささかいじわるなことを考えた。

 東南アジアの森の人たちは、本当に多くの植物の名前などを知っている。その用途を知っている。これは腹痛の薬だとか、これは蛇に噛まれたとき傷口に塗ればよいとか。その知識は多様で深い。森の中で木や草とともに、それを十分に利用して生きている、といってよいかと思う。その知識は私たちが本で読んだものの何百倍もある。

 彼らはまた、森の中で迷ったりしない。私たちは地図とコンパスをもって森に入り、それでも迷って慌てふためき、パニックに陥る。しかし、彼らはそんなことはない。仮に一時k迷ったとしても、2、3分すると自分がどこにいるのかを知り、行くべき方向をちゃんと見出す。これは彼らが「物語」の地図を頭の中にもっているから。この木は村で一番大事にしているドリアンの木だ、とか、この背面にべったり苔の生えた岩は、昔から化け物の住処とされているところだとか。この小さな流れは、魚毒草がたくさん採れる小川だとか、森に散らばっている木や岩や泉や流れなど、あらゆるものに物語があって、それでたとえ一瞬自分の居場所がわからなくても、すぐに物語の地点を見つけ出し、そこからは安心してその物語の途をたどって行く。

 この「物語」の地図は、単に標高や距離だけが無機的に示されているのではなく、それにまつわる一連の話があって、それは昔からの言い伝えや、場合によっては見えない地下の話にまで広がるものなので、それは豊かで深いものである。東南アジアの人たちはそういう世界に住んでいる。日本の団地に住んで、地面とも木とも草とも、隣人とさえ切り離された生活をしている人と比べると、その豊かさは何万倍もあるといってよいのだと私は思っている。

 田舎がよいのは、そこには汲めども尽きぬ「物語」があるからだ。例えば、「この杉の木には天狗が住んでいた」とか、「この松の木には五寸釘が打ちつけられていた」とか、「この小溝沿いには細道があって、お宮に集まった一行が列を作ってお伊勢参りに行ったのだ」など、いっぱいある。お宮だけではない。ちょっとした曲がり角や道傍にころがっているような地蔵さんにも、あるいはもっと新しい消防ポンプ小屋にも、供出米の検査場にも、みな物語がある。これらの物語は、住民がみな知っている。小さな話で、それ自体大きな論理や思想につながるものではない。しかし、皆でそれを共有しているということは、大変なことなのだ。そんなことは、学校での教育や読書からは得られないものだ。長い歴史をかけて、共にその地に住んできたということの中で出来上がったものだ。土地の文化、土地が持っている物語というものだ。

 たしかに、団地にも物語はあろう。町に作られた公園にも物語は作られよう。しかし、それが本当の「物語」になるには、やっぱり時間がかかる。何百年という時間がかかる。中にはこの社会に染み込んだ「時間」がある。

 私自身が田舎に住む人間として、この田舎に何を感じているのか、どう見ているのかを言わせてもらいたい。それは納得の世界だということ。私の母などは納得して死んでいった。私の母の人生は決してよいことばかりではなかった。没落したので、大変な貧乏だったし、それで京都に女中に出ていた。生まれ故郷に帰っても、苦しい生活ばかりだった。そんな中で近所の人たちや親せきたちともよくいさかいもあったようだ。もちろん、楽しいこともあった。要するに、このあたりの普通の田舎の社会の例にもれず、相互監視の中で、それでも精一杯、なるだけ楽しく生きてきたようだ。

 年老いてからは、私と二人だけの生活が長く続いた。その頃は、もう90歳を過ぎていたが、天気が良いと、毎日屋敷の草むしりをしていた。1日中していた。ナンマンダブツナンマンダブツと言いながら、草取りをしていた。これは口癖だけで、決して素晴らしい仏教信者というのではなかった。私はそれをよく知っている。仏教の教えではないが、何か独特の安堵心のようなものをもっていた。それをもって、ただ口癖のナンマンダブツを繰り返して、ひたすら草むしりをしていた。草に話しかけているようでもあり、自分の一生を思い出しているようでもあった。

 そんな母を見ていて、いつも私は思っていた。「おふくろは、納得の人生を送ったな」ということ。苦しかったことも楽しかったこともみな昇華してしまって、ただ「これで良かったのだ。おかげさまで。ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と言っていたようだった。

 田舎に生きるというのは、こういうこと。そこにある「物語」の中に自分も溶け込んでしまって、一生を終えるということ。ここにあるのが、「納得の世界」。

 私は土「土地の主」というのを自分自身の分担する研究の中心に据えたいと思っている。もともとは、その土地の本当の持ち主は誰なのか、ということをはっきりさせることだ。ご先祖様であるのかもしれないし、自分たちとは無関係の先住者がいて、その人の魂が土地に染み込んでいて、これを「土地の主」と私自身が感じているのかもしれない。

 この「土地の主」という言葉は東南アジアではよく聞く言葉だが、最近ではラオスで聞いた。ラオ人の村に行くと、たいてい社があって、「プー・ター」を祀っていると話してくれた。多くの場合、クメール人だ。彼らが入植してくる前には広くクメール人がいて、その人たちの魂がこの土地にはこびりついている。粗末に扱うとたたられる。だが、大事にすると守護神になる」という。この種の「土地の神」が今の時点での私の最大の関心事だ。

 ただ、この「土地の主」は全世界的にあるものではないのかもしれない。私のいう「生態型世界単位」の範囲、すなわちもともと森林の卓越していたところだけにあるものなのかもしれない。たぶん、砂漠地帯などにはないだろう。欧米にもない可能性がある。森といっても北の森は東南アジアの森と違って、オオカミとクマのいる森だ。草・木の卓越する南の森とは違う。それに、北の森にはキリスト教が早くから入り込んでしまった。地球文明を考えるとき、やはり私としては生態区を抜きにしては考えらえないように思う。

 

【お酒をのんだとき、吉村が言ったこと】

 「野生→コモンズ」という言葉をキーワードにしてきた。

 コモンズの次のキーワードを考えねばならない。皆で考えよう。「コスモロジー」というのが一つの案かと思う。

 この研究会では、できたら具体的なプロジェクトをやってみたい。例えば、内湖を復活して「本当にきれいな湖畔を作り出す」ということを具体的にやってみることだ。

2022年9月22日木曜日

現代の建築構造ー実践の内と外ー,2015年6月12日18:30~20:00 建築会館 建築書店,八束はじめ・布野修司対論シリーズ 第6回:ゲスト アラン・バーデン(英国生まれ 構造設計家),建築討論006,日本建築学会,201510

 https://www.aij.or.jp/jpn/touron/6gou/tairon06.htmlhttps://www.aij.or.jp/jpn/touron/6gou/tairon06.html

日本建築学会「建築討論web」

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6回八束はじめ・布野修司対論シリ

現代建築構造実践

 

日時201561218:3020:00
会場日本建築学会 建築書店

日英にかけて活躍中構造設計家実践研究
日本欧州での現場実践及大学での構造へのアプロチのいにれる、制度的文化的相違についての討論構造設計構造学
建築のその分野将来瞥見する。

ゲスト

アランデン(構造設計家 ストラクチャエンヴァイロンメント(SE)代表)

1960 イギリスまれ。東京とロンドンを拠点として活躍中日本構造デザイン受賞 
ロンドン大学インペリアルカレッジで学士及修士号東京大学博士号取得土木工学)。木村俊彦構造設計事務所構造設計集団SDG)を1997SE設立現在る。元関東学院大学教授芝浦工業大学非常勤講師 
作品 オレンジフラット(意匠設計長谷川逸子)、キへリング美術館意匠設計北川原温)、森山邸意匠設計西沢立衛

 

八束はじめ(建築家建築批評家芝浦工業大学名誉教授

布野修司建築計画、アジア都市建築史建築批評日本大学特任教授


八束それでは時間になったので、討論シリ6回目をはじめます。このシリズでは、最初からめているわけではなかったのですが、せっかく建築学会でやるんだから、建築学構成するいろいろな分野をおびしてやろうよと、から布野さんに提案しました。まで建築計画があり、建築史があり、建築設計があり、それから建築生産があり、都市計画工学)がありということなので、今回構造にしようというわけです。今回はアランデンさんをおびしていますが、バデンさんは元々ロンドン大学土木学位られて…

布野土木カレッジというんですか?

デン:インペリアルカレッジという…

布野すごいそうだね()

八束ロンドン大学って、日本大学とは全然違っていて、我々には理解しがたいカレッジの集合体でしょう?  われわれがっている建築はバトレットというに、一緒場所にもないみたいですね。バデンさんは建築ではなくて土木のカレッジにばれたわけですが、ここでばれた修士からは日本学位られて、東京とロンドンをったりたりの生活をされています。日本建築学科大部分工学部しています。美術系学校にあるのは一割たないといますけど、イギリスでいうと、有名どころでは、大学ですらないAAArchitectural Association)スクルや、さっきいったロンドン大学トレットなどはデザインスクルで、エンジニアリングの学校ではない。日本とロンドンの建築教育環境はずいぶんうといます。バデンさんが関東学院にいらしたのは10年以上前ですか?

デン:97着任して、2008まで大体11年間いました。

八束いわゆる構造設計家大学専任になるケスは、日本でも最近えてきていますがまだそこまでくない。構造実践とアカデミでの「」というのは、現場建築設計建築計画学よりももっときながあるのではないかというはしていますが、イギリスではどうなのかということをめて、国際的比較論をやって、メリットとデメリットを一般的におしてみたい。もちろんバデンさん個人構造設計家としてのフィロソフィなどもおありでしょうけど。この対論シリズは「はこれしかやらない」とじこもった議論をするよりも、もっと文脈展開したいといますので、そう意味めてバデンさんをおびした次第です。さんがえるためのいろいろな素材提供できればといますので、よろしくおいします。とはいえ、言葉だけではバデンさんの仕事じないといますので、最初自己紹介ねたいスライドレクチャ口火いてきたいといます。

ロンドンから東京へ civil engineering ということ

デン:紹介ありがとうございます。今日はじめて対論シリズにましたので、期待しているようになるかわかりませんが、頑張ります。

八束先生が、イギリスと日本比較教育実務など、いろいろなテマをしてくれましたが、それを全部話すのはもかかりそうですけれど、紹介り、のケしくて、日本には外国人のデザイナはいますけれど、構造エンジニアはほとんどいないですね。関東学院大学にも、常勤外国人教員工学部全体しかいなかった。ですから、とても戸惑いましたが、に、自由きなようにプログラムをんでやっていました。八束先生からイギリスの教育・実務土木出身というがあったといますが、イギリスでは構造家皆土木工学卒です。建築学科には構造をやるがいませんし、授業にも構造授業はありません。も、当時学士3年間でインペリアルカレッジを卒業してからはじめて建築家出会ったんです。土木領域には建築空間論社会的学問くなくて、卒業後にそれにぶつかりました。 

 まずはのバックグラウンドとして、きなエンジニアを紹介してからすことにしましょう。このトマステルフォ1有名土木エンジニアですが、このろに水道橋があってそこに運河れています(1)。産業革命以前時代で、鉄道ネットワクがなく、運河のネットワクが重要だった時代です。このから品物運河運搬して、どんどんこのネットワクががっていったんです。はいろいろ設計した土木設計者で、イギリス土木構造学会初代会長でもあります。でもその水道橋観光化されて、ることができます。15家族旅行両親れてってくれたにはじめてこの出会いました。鉄道本格的産業革命時代になると、このブルネルというエンジニアが鉄道関係仕事をやっていて、は、線路はもちろん駅舎設計しました2晩年汽船設計していて、写真ろにあるのはで、入水式った写真です。本当幅広いエンジニアリングをやった天才的ですけれども、この大好きなで、ロンドンからコンウォルのにある電車です(2)。120mスパンがつあって、右上写真のようなジャッキアップ工法えたものです。このはよく授業使でもあって、はもともと空間ではなく、もっと物理的なデザインをやろうと、土木んだのです。あまり空間興味がなくて()、どっちかというと躯体的なところに興味があったんです。これがブルネルの作品であるロンドンのパディントンですね(3)。ヒスロー空港からロンドンにく、ヒスロエキスプレスの駅舎になります。飛躍する屋根というか、苦労しない構造で、スパンのいアチになっていて、そこから自然採光ができるようになっています。 それと八束先生がよくご存知の、ロシアのシュホフというエンジニアがいます。1920年代のロシア革命期活躍したです319世紀鋳鉄錬鉄主流でしたが、20世紀ると鋼材普及して、鋼材使って設計しました。有名なのはモスクワのラジオアンテナです(4)。人件費くて材料いですが、当時で、素材のコストがとてもくて、極限までく、鋼材をなるべく使わないようにしてつくったものです。それはまさにエンジニアの役目で、それはよりない材料・資源で、よりきな効果すという役目です。がそれを天才的たしたといます。写真はモスクワの広場しているGUMという「デパト」ですが、建物があって、そのにアドのような屋根っています。ロシアのしい積雪えられるように、いア屋根られていますが、よくるとそのにそれを補強するのロッドがとして安定させています。その後彼はロシアのあちこちの通信塔とか、モスクワ郊外にテントのような屋根をつくっています。これは初期膜構造ですね。

八束しだけ言葉ませてさい。シュホフのタワは、つい最近ディベロッパがあれをして高層マンションをつくろうとして世界中建築家構造家大反対したというきな事件がありました。にもシュホフのおさんからアピルがってきて、川口衞先生などにをかけさせてもらいました。日本でも署名めて、一応即座しはれましたが、メンテナンス費用がどこからるかまっていないのでまた楽観できない状況です。って失礼しましたが、をどうぞ。

デン:それとアラップです4当時はロンドンのさなコンサルタントだったんです。シュホフもわりですがアラップもわりで、食事をもっと能率的にしようと使っていました。日本きなだったらしいです。代表作のシドニー・オペラハウスですが(5)、アラップはデンマまれで、コンペでったウッツォンと同郷です。コンペ模型をアラップが解析可能なように球面からせるように合理化しました。屋根面のタイルもすべて曲率ですから、生産的にも経済性くなるです。10に、現場写真てかっこいいなぁとって、こんな仕事ができればとっていました。左上がミックルイスという数学得意で、右下がジャックズンツ。アラップ事務所初期のリー達です。アラップは建築だけでなく、イギリスのほとんどのエンジニアとじように土木構造物もたくさん設計していて、このカイレスキュー橋大好きな道路橋です(6)。ものすごく地形にかみっているような、りのじようなで、自然えてきたなんじゃないかとうくらい風景とフィットしているです。

 そしてのロンドン時代のボスで、ティムマクファレンさんというで、事務所にいたのは86から882年間だけでした5。これは事務所めた物件ですが、ヨクシャー州にあるガラスの博物館です(7)。これまで二次部材として使われていた強化ガラスを、メインの構造部材として使っています。

 ガラスの、ガラスの屋根全部ガラスでできています。ると1ではなく3からできていて、ガラスが一枚割れてもいいようにってあります。そしてこれはグラスゴー市内地下鉄屋根じようにガラスの屋根でできています。 

 これは渡辺邦夫さん6東大留学している3年間橋梁技術んで、その1年間木村俊彦さんの事務所にいました。当時京都駅設計をしていましたので、それにわりました。雑誌掲載されていた渡辺さんの東京フォラムの実現しないだろうとっていました(8)。原先生梅田スカイビルのジャッキアップの渡辺さんにめておいして、をしました。木村事務所ではあまり模型らなくて不満だったので、92から97大学着任するまで渡辺さんの事務所SDGにいました。くて、東京国際フォラムの工程遺跡発掘調査のため延期になっていたで、その事務所りました。発掘調査中一年間設計のやりしがあったので、ガラスのアトリウムの設計わることができました。構造表現強烈参加できてよかったです。その2年間現場常駐していました。ケブルを使って安定させるとか、鋳造したりとか、なかなか体験できない現場本当がよかったです。それと大桟橋のタミナルです(9)。じつは東京国際フォラムの建築家ヴィニョリさんがSDGをポロさんたちに紹介してくださって、仕事まりました。1年間だけでしたのでかいところまでは参加しませんでしたが、これも渡辺さんのとてもいい作品だといます。

    布野影響けたエンジニア6で、えばそれぞれに共通するか、あるいは、影響けたけれどそれぞれ影響なのか、バデンさんとしては一番影響けたエンジニアがいて、はそれにプラスするとか、バデンさんは自分独自方法をどうっているのか、そういういてみたいんですが。しいかな。

    バデン:それぞれのエンジニアからそれぞれの影響けました。ただし共通点としてはがその時代しい素材工法最大限かすように構造システムを発想したわけです。それまでそのようなものがなかったのにしい可能性いて、それを具現化する行為素晴らしい事例しているとう。一人ばなければならないのであればブルネルになりますね。イギリスではがもう神様のような存在です。数年前世論調査では、史上重要なイギリスとして、第二次世界大戦のイギリス首相チャチルの二位になっていた。

    布野一番最初にでてきたテルフォドは土木学会会長だそうですが、土木学会は「ロイヤルチャド」なんですか?

    デン:これはChartered勅許収得済)の学会ですが、RIBAってICEinstitution(=royal institute)とのんだんですね。RIBAIinstituteになっています。

    布野発足RIBA王立英国建築家協会)よりいですよね。そこからAAまでつなげてもらうと、背景がわかるとったんですが。

    デン:教育資格関係いといます。イギリスの場合各学会資格える役割になるんです。王室勅許でその勅許をメンバえるようなことで、国家試験はないんです。建築家とエンジニアも。その意味では資格制度自由ですが、それでまたいろいろ混乱じるのですが、イギリスでは建物設計法律上だれでもできます。そののおばさんが構造設計をしてもいい制度制度とはばないかもしれない())になっています。布野シビルエンジニアの学会で、それに対抗してRIBAができる。それ以前にミリタリー・エンジニアにしてシビルエンジニアがらの職能主張していく段階があった。するに、学協会設立には業務独占問題んでいて、ロイヤルチャドなのかどうかはきな問題だった、そのために熾烈いの過程があったんではないかと勝手っているのですが、それとインペリアルカレッジの関係はどうなんでしょう?

   デン:インペリアルカレッジの場合は、エンジニアとサイエンス専門大学で、当時はロンドン20から30あるロンドン大学つのカレッジだったんです。卒業した15年位前ですかね、結局ロンドン大学から分離して、独立した大学になっています。バトレットはユニバシティカレッジの建築学科理解しています。ロンドン大学にユニバシティカレッジがあって、その建築のバトレットがあって、それとはにエンジニアの土木工学科があるというになっています。

   八束布野さんがミリタリー・エンジニアリングとシビルエンジニアリングというをしたので、ベシックなことなんだけれど、聴衆のために解説しておきたいといます。日本では、明治以降西洋からくの専門分野輸入して翻訳したわけですけど、アキテクチャを「建築」とか「造家」としたのはわからなくないとしても、シビルエンジニアリングは「土木」としたわけですね。そのまませば「公民エンジニアリング」ですけど。えばフランスのヴォバンは築城名手で、はミリタリー・エンジニアですよね7をかけたり道路舗装したりというのはすべて軍事事業だったわけで…

    布野ヴォバンは、ルイ14えた、コルベルの重商主義政策えた、一大ミリタリー・エンジニアであり、都市計画家であり、建築家であり、それらが一体化した存在ですよね。ヴォバン勝手ってるんですが、西欧列強植民都市街区割に、ものすごい影響えています。当時、エンジニアっていうのはつまりミリタリー・エンジニアで、それこそ大砲製造もやったかもしれないし、ルネサンスのユニヴァサルマンのようになんでもやるような存在だった。そういう存在から、シビルエンジニアが分化してきたという過程がある。

    八束フランスでうとナポレオンの学制改革てきて。たぶんイギリスもそういうことなのだろうとうのだけれど、軍事技術からもっと一般公民生活した技術分野というのが独立したわけですね。それが日本殖産興業的明治ではじなくて、公民とはの「お発想になってしまった。だから日本土木うものとヨロッパのたちがっているcivil engineeringのイメジとは、随分違うのじゃないかとうのですが、バデンさんがイギリスの土木学校て、また日本東大土木かれて、そのはすごくじるのではないかといます。

    布野説明だとインペリアルカレッジというのはずしもシビルエンジニアリングのカレッジではない。サイエンスにい、もっと理論的なこともうカレッジですね。バデンさんは、そうした基礎んだで、シビルエンジニアというか、建築構造デザインへの応用興味をもった。そういうセンスが面白いんじゃないか、たぶんインペリアルカレッジの影響きいんじゃないかと理解するんですが。

    デン:イギリスの教育制度日本より随分専門分岐いんです。自分場合普通いといますが16になると歴史英語外国語美術音楽地理、の科目全部終え、それから数学物理学科学三科目だけを18まで勉強する過程ました。大学ではしだけフランスをやりましたが、基本的には一年生から土木関係科目しか履修できない制度です。日本やアメリカからるとめて専門的教育制度えるといます。皆大体14時点理科系芸術系めなければならないのは事実です。

    八束このa+uが、友人今芸大えているトムヘネガンがゲストエディタでジェムススタリングの特集をやっていました。トムと時々スタリングってもうらないよね、かわしいことだとかしていたのですが、はそのじてa+u編集部しかけた結果特集をやるということになったらしいです。あの特集ていても、初期大学煉瓦建築三部作(レスタ、ケンブリッジ、オクスフォド)はぜったいにイギリスじゃないとやれない仕事だし、そのああいう仕事がなくなっていったのは非常残念なことだとっています。そののハイテックとうのともうし。トムはAAスクルの出身で、そのスタリングの事務所にいたのですが普通AAスクルというのは非常にコンセプチュアルなドロイングが90年代流行っていた―だにそうだといますが―イメジがいですよね。はバトレットやグリニッジのほうが過激表現になってきているんだけど、いずれにせよ基本的にはコンセプチュアルな美術表現ですよね。でもそればかりではない。ほどイギリスの建築学校構造授業がないとおっしゃっていましたが、そうなんですか?

    デン:物凄簡単授業はありますが、日本みたいに建築家住宅をすべて担当できるというのはありないんです。バトレットのにも専門的構造教育はないといます。設計できないんです。単純梁設計する能力もないです。にインペリアルカレッジの教育は、デザインの教育はまったくなかったですね。ものすごくハドで、毎日偏微分方程式をとかなければならない。ほとんど数学者じくらいの教育をやっていました。それでおまけみたいにってスケッチしろという課題はあって、でも三時間かけてスケッチしたという程度で、エスキスのしかたとかそういう教育はなくて、ハドな工学系教育ばかりでした。

   八束AAのディレクタだったモセンムスタハビというがいて、AAにハGSDGraduate School of Design)のディンをやっていました。でもそうかな? 四年くらい丹下さんの展覧会とシンポジウムがハドであって、ばれてったんですね。そののパティでモセンが最初に「ハドではHow to buildえない」とったので、はひっくりかえりそうになった()。日本建築学科主任がこんなことをったらたちまちクビになりそうだなとった記憶があります。松下希和)がハGSD卒業生なのでいたですが、GSDでも一応構造授業はあるみたいですね。だけど、当時日本から、にゼネコンの設計部から留学していたたちがいて、このたちがスラスラとラメンの計算をしすと連中見張ってくんだそうです。すると日本人のほうが ()日本場合工学部くと、将来意匠専攻でも構造専攻でも、最初2くらいは構造もスタジオも両方必修ですから、やらなきゃいけない。建築史志望でも、都市計画志望でもやんなきゃいけない、というような教育をしている。そのことによるいこと、いことというのはどうなんでしょう。

   デン:それはよくえることです。建築生産としては日本のやり総合的いといます。そういった統合的なやりかたをとっているのは、っているりでは日本韓国だけですよね。はエンジニアリングと建築学科分離している。

   八束韓国も、ソウル国立大学学科ですね。全部がそうかわからないけれど。

   布野歴史的には、韓国は、教育制度めて日本様々制度んでいますから。戦後も、日本勉強した先生方指導していった。金寿恨などは東京芸大んでますね。最近UIA建築家資格への対応で、5年生導入などわってていますが、韓国日本出発点のベスは一緒です。

   八束ソウル国立大学日本でいう東大みたいなところでしょ。学科うだけではなくて、年限う。

   布野UIA規定って5のトレニング期間めたので、大学でもエンジニア4とデザイン5と、年限うのが一般的になったようです。

   デン:建築生産としては日本のやりいでしょうけれど、意匠のみでなく構造設備電気と、いろいろ統合的教育なので。でもどうでしょう。西洋のやりすと、両方極端最先端まで頑張るので、わせでうまくいけば、おいに刺激しやすいようにじるんですけれど。統合的教育ですと、建築家がリドするので、エンジニアが下請立場にしかなりない。

   1. トマステルフォ Thomas Telford(1757-1834) スコットランドの土木エンジニア。とくに道路橋梁運河港湾、トンネルなどの建設なった。「道路巨人」ともされる。初代土木技術者協会長

2. イザムバキングダムブルネIsambard Kingdom Brunel1806-1859)イギリスの鉄道技術者鉄道関連様々構造物がけ、今日でも名前した国際的鉄道デザインがある。佐藤建吉 『ブルネルの偉大なる挑戦 日刊工業新聞社2006

3. ウラディミシュホフ Vladimir Shukhov (1853-1939) ロシアの鉄道技術者1929ニン賞受賞。モスクワのラジオ資材不足原設計半分以下になったが、原設計350m)ではエッフェル1/4鉄量計算であった。

4. ー・アラップ Sir Ove Arup (1895-1988) デンマク=イギリスの構造設計家傑出した構造家であったばかりか、総合的なアラップアソシエツをも組織し、それは現在世界中にブランチをする大技術事務所になっている。

5. ティムマクファレン Tim Macfarlane 1951)ガラス構造られるイギリスの構造設計家

6. 渡辺邦夫1939 日本構造設計家 日大理工学部出身構造設計集団SDG主宰

7. セヴァスチャンプレストルヴォバン Sébastien Le Prestre, Seigneur de Vauban 1633-1707)ルイ14えた著名軍事技術者建設のみならず後略などの実践 なった軍人である。

日本的事情建築vs.土木

八束なるほどね。日英比較に、っておくべきだとうのは、日本での土木建築分離なんです。えばじコンクリトでも、土木のコンクリトと建築のコンクリトは全然違うじゃないですか。ほとんど共通言語がないくらい。

布野基準がない。

デン:もったいないといます。ほとんどじものがダブって指針したり、教育過程をつくったり、それはやっぱりもっと能率よくできるとうんですね。だから、ヨロッパの場合はコンクリ構造物指針があって(Eurocode)、ヨロッパ連合一般的なコドになっているのですけれど、それは建築物でも土木構造物でもどちらでも適用できます。そのがいいとうのですね。日本分離する弱点のひとつはそこにあるといます。土木場合法律りはあまりないのですが、土木学会指針すんですね。建築学会じようなコンクリトとか鋼構造物とか木造構造物とかにじようなものをしていて、なおかつ建築場合建築基準法があるから、なかなか素早時代変化った対応出来ない。えば許容応力度などをえるとすれば、法律になると国会議事になってくるわけですから、たいへんじゃないかなとうのですね。学会だけに一任するならもっと柔軟対応できるとう。

八束この間私審査わっていたトウキョウ建築コレクションで、最優秀獲得した修士論文関東大震災のいわゆる「百号報告」をったもので、煉瓦造べてRC決定的有利であるとう、佐野利器筆頭にする建築構造技術者がやった報告が、はサンフランシスコの事例めた実施調査が、さしたる件数をしていなかったにもわらず、佐野たちの予断されたものだったという議論でした8当時、その報告信憑性しては土木側からは疑念されていたのに、日本建築耐震化にこれで決定的をとられたというのですね。その方針としての是非はともかく、建築土木っていなかったというひとつのです。

布野何回られそうになったよ。

八束に? 建築構造先生に?

布野建築構造先生に。まえをしてもいいけれど。土木建築のストラクチャエンジニアリングは一緒にやればいいじゃないの、と何度ってみたことがある。おうかって、れられる。建築にはいろいろある、二次部材とか、土木構造計算とはうんだ、とわれる。シンガポルのような岩盤くて、地震いようなところなら、設計者だけでできますよね、なんて暴言くからなんだけど。

八束土木基本的公共工事建築公共工事もあるけれど、民間いからというのはわからなくはないのだけれど指針のつくりまでうとね。発注仕方問題もありますよね。 磯崎さんとやっていたくまもとアトポリスで、牛深のハイヤ大橋というプロジェクトでレンゾピアノと岡部憲明、ピー・ライスのチムを指名したのですね。アトポリスでものプロジェクトはにもあったけれども、あれだけの規模めてだから、色々とびっくりすることがありました。日本土木では、さっきバデンさんにせていたような構造表現になっているという発想はもともとなくて、意匠というのは極端うと欄干設計なんだな。デザイナ基準うのがまずない、コストのめて。それでスパンとかアチとかの基本形式でマトリックスをつくってりこんでいくのですが、それは普通にやることだからいいとしても、最後には、ピアノとコストミニマム両方実施設計やらせる。つまり完全にひとつダミをつくるのです。そっちは協力してくれたエンジニアリング事務所がやったわけですが、そしてピアノとの差額でみましょうという。

宇野建築でも、じです。日本公共発注であれば、じことです。とくに地方では、そうしたことが常態化しています。

八束でもそれは、もうちょっと手前段階じゃないですか。対案実施設計というか、配筋図とか施工図みたいなのまで全部やらせる。10センチくらいはある設計書をつくって積算する。その膨大無駄たるやいです。

宇野戦前土木技師内務省ほかの政府技官でしたから、全体統括する主任技師という立場からトタルな設計工事管理ができましたが、戦後日本では、られた予算大量いで土木構造物をつくる必要があり、基準づくりと標準設計重要だったので、設計者工事者はすべて入札める仕組みとなって、そのため下部構造上部構造別々設計者設計したり、別々施工者工事をしたりと、全体統括することがなくなってしまいました。また、明治時代に、江戸時代普請作事奉行による都市建設分担のまま欧米技術導入、それで土木建築技術基準別々展開してきてしまった問題もあります。そうしたことを丁寧じないと…。日本仕組みがうとっていても、解決できないのではないですか。

八束その宇野さんのほうがよりしそうだから、解説してください。戦前戦後でどうったの?

宇野戦前といいますか、近代日本基本的軍事技術優先して西洋技術導入してきたようにいます。たとえば、帝国大学前身とする東京大学建築学科では、西洋建築技術工部大学校いたお建築家によって導入されたというようにわりますが実際は、薩摩などは英国関係もあり、幕末にはすでに大砲といった軍事技術導入していました。そういう意味では、構造工学とか造船技術がすでに幕末のころから日本ってきている。建設技術同様です。大学ができたのが明治20すぎ。その帝国大学となり、それで日本には大学じて近代技術導入されましたという歴史かれてきましたけれど、本当はそれより半世紀ほどから、英国から日本にヨロッパの技術ってきていた。軍事民事中央政府から各地方近代技術導入展開してきたのだといます。民間都市建築造営内務省統括していたのでトタルな設計工事ができたのですが、戦後は、内務省解体され、自治省創設され、事業官庁としてしく建設省運輸省がつくられます。そうした過程で、公共事業統括する主任技師立場われていきました。

 たとえば、一物二価問題もあります。断面のアルミのすり、あるいは同量仕様のコンクリトでも鉄筋でもいいのですが、以前は、建築土木工事単価がまったくものになっていました。市場がちがうために、建材でもそういうことがこります。明治以来土木建築技術基準別々発展してきたこともありますし、戦後日本社会は、資本主義市場主義)と社会主義併存しながらやってきたようなところがあって、市場としても両者分離していたというわけです。ゼネコンなども、同一会社形態をとっていますけれど、建築土木縦割りになっています。このままではグロバリゼションの時代日本建設市場はあまりにガラパゴス状態だから、さすがに調整しなければというはありますが、国内的には相変わらず八束さんがったように不合理なことがありますし、バデンさんが指摘したように非効率でもあるといます。

布野まずう。金額10100倍違う。がびっくりしたのは篠原修先生った委員会で、橋梁のデザインがどうしようもない、コンペにできないかとったら、ああいいよってって、平気800万円分浮かすんですね。計算やりしている。それでコンペにして、デザイナ最優秀賞をとって実施された。委員だったんだけれど、え、そういうことができるのと。するにコスト感覚とか、見積もり感覚全然違う。あるいは工程感覚相当違う。

八束ピアノのでもうひとつびっくりしたのは、単年度発注していくからいっぺんにはできないわけだよね。そうすると最初予算がいくらで、たとえば1000とかでまったとすると、それを三年度でやるなら三分づつとうじゃないですか。ところが二年目以降になると、それがどんどんがっていくんですよ。トタルで最初見込みより圧倒的がるのは土木ではたりということらしい。

布野それはで? 人件費とか資材費がるからかな、理屈としては。

八束一回発注してしまうと二度目からは競争原理かないというのもあるでしょうし、ひょっとしたら一度めは入札つためにれておいて、というのもあるのかもしれません。それを新聞かれて知事がびっくりしたということがあってね。でも担当土木課長さんなんかは平然としていた。新国立どころではなくて、どうなんだろうといましたね。

布野ロッパでもたようなことがあるのかな。

八束デンさんそのイギリスとかではどうですか?

デン:担当エンジニアにもよります。のスライドでせたカイレスキュー橋はアラップ事務所橋梁ムによるものですが、とてもいいだといます。きくないですが、世界的評価されていて、いろいろなえられた。当時のアラップ設計三人中二人はデンマ出身ですので北欧っているかもしれない。日本れた事例えるとすぐ葛飾かぶでしょう。首都高速道路公団がいくつかのコンサルやのグルプに設計委託したものですが(新日本技研日本建設コンサルタンツ、M+Mデザインオフィス(大野美代子さんの事務所)、埼玉大学田島先生)、その日本的委員会スタイルのプロセスから素晴らしいまれてきました。名前でさえ近所住民めてもらったそうです。結局どちらのシステムがいい結果すのはしい問題だ()。

布野ストラクチャエンジニアにとって、力学的計算というのは共通なのに、何故一緒にやらないのか。欧米一緒じゃないんですか。基準うのはどうえてもおかしい。でもそういうことをうと、社会的けているんだっていう。けの問題次元いますよね。

八束けといういい現状肯定ということでもあるわけですね。もうひとつの問題のあるけは、構造学構造設計けなんですね。一年生入門講義担当していて、全部分野してざっとしていたんです。そこで、構造だけじゃなくて建築計画設計があるし、設備もそうだし、するに各分野原論応用論がある、大学でやっている現場でやっている技術があるというをします。設計教員だけはプロフェッサー・キクテトであるにせよ実践家である建築家がやっているわけだけど、分野はそうではなくて、大学人原論担当している。構造くの日本大学建築学科教員原論である構造学解析をやっている、実験めて。だけどらは、トタルとしての建築構造物わないというか、えない。ある有名大学構造先生自宅友達設計して、当然その先生構造をやるかとったが、できなかったんですって。トタルのシステムとしての建築いは架構構造学はやらない。要素還元してモデルをてはするけど、それをインテグレトする作業はしない。このはどうわれますか?

デン:建築家じようにがいろいろあるんですよね。出来と、できないと。日本にも構造エンジニアがたくさんいますから。たまたまできなかったのかもしれない。いはあまりやりたくなかったかだといますけれど。 

 ただ、土木建築分離したことで、柔軟性がとんでいってしまいましたよね。そのために、えば、バス設計などでは、あまりいい結果がでていないようにいます。いは駅舎ですね。最近くなったのですけれど、はじめて日本には、すごいもったいないなといました。構造デザインという言葉きではないのですけれども、構造設計をしっかりやれば、におかけなくてもすごくいいものができたのに。なぜ、あんなにひどい駅舎ができているのかわからない。それはたぶん土木建築のかみうところがくなかったからだといます。ってきたのですけれど、それをしたのはたぶん土木建築のエンジニアが一緒になったことではなくて、まちづくりとか都市のデザインのたちが影響力えられるようになってきたからだといます。

八束土木建築関係というだけではなくて、建築でのけの問題だとうんですけどね。

8. 浦山侑美子関東大震災における建築物被害報告する一考察周辺史料してる『百号報告』の信憑性―」(九州大学大学院 人間環境学府 空間システム専攻 平成26年度修士論文

最適設計とフェルセ

布野構造先生自分設計出来ないというがありましたが、それとはに、構造先生全然違次元建築えているところがある。構造力学先生最適設計ということをおっしゃる。計算のためだけの計算える場合がある。数学的なきれいさをめるということもある。最適設計というのは、いといますが、単純化すると、ての部材同時れるということですよね。9.11に、ミノルヤマサキのWTCビルが一瞬崩壊した理由について、これが最適設計だといった構造先生実際にいるんです。常識的には、てが同時崩壊することはありえないから、それをえた設計するとうんですけど、バデンさんの意見きたいですね。
デン:WTCですけど、構造エンジニアはレズリー・ロビンソンさんというで、そのI.M.ペイと一緒に、香港のあのバッテンがいている超高層があるじゃないですか。
八束中国銀行Bank of China Towerですね。
デンそれとか超高層沢山やっていたです。あれは7374年頃ですかね、着工したのは。当時彼か、32貿易センタ設計したんです。でもまあ、あの、飛行機んでくるのは…
布野予想していなかった?
デン:なにか、さい飛行機るように予想していた、というか荷重た、というのはどこかでんだことがありますけど。
布野そうですか。
デン:巨大飛行機んでくるのは当然予測できなかったとうんですけど。施工中写真をみると、あれはのエレベコアはしたものではなくて、外周間隔っているのですね。1トルから1.5トルの細間隔っていて、それが横梁一緒きなラメン、フィレンディルをむんですが。まず、くと水平力抵抗できる能力がすごく欠損されるんですけど、それだけじゃなくてが、20mいスパンのトラスがっていて、それが接合する部分がれて、がれて結局柱座屈して、崩壊したんです。連鎖崩壊問題ですが、極端なケスですね。システムをぶときには、ひとつの構造部材をとっても、フェルセ設計というか、建物全体極小なダメジか欠損影響されないように設計しなければならないんですよね。まあ、極小が、どれくらい極小かというのは問題ってくるんですけど。
布野9.11のときにですね、タイのバンコクかなにかで、日建設計構造エンジニアの先生一緒にテレビてたんです。そしたら、あんなにストンとちるのは「おかしい」というんですよ。一階辺りに爆薬仕掛けてたんじゃないか、そうじゃないとえられない、と。日本場合の、りを前提にして設計しているから、という、直後説明はそうだったんですけど。
八束でも、燃料をいっぱいんだ飛行機んだんだから…
布野一挙崩壊するわけですか? 問題にしたいのは本当最適設計とはなにかということなんですよ。最適設計だったからとった構造先生は、「どの部材もミニマムに断面設計をしてあった。それが理想だ」というをしたんで、それはうでしょ、ということなんです。

    デン:あの、日常外力して最適設計があるとうんですけど、やっぱり現代ではテロのこともえないといけない。なにか爆発があったりとか、なにかぶつかってくることにしてもまた最適設計をしなければならない。フェルセ設計をおししてみますと、東京フォラムの最後だったんですけど、有楽町線に、ガラス構造のキャノピをつくったんですね(10)。はじめは鉄骨だったんですが、ある日渡辺さんが「いや、ガラスでりましょう」としたので、がさきほどのティムマクファレンさんのことをしてロンドンに電話したら、がすぐに模型をもって東京てプレゼンをしたんです。そのを、いろいろ詳細設計をしだしたんですが。まあこれ、はねしですけど、鉄砲をそのったがそのたったりしたとすると、強化ガラスですから、ガラスみたいに破片になってしまって、耐力一瞬失われるんですけれども、さっきのガラスミュジアムとじようにツを三枚入れたんですけれど、それだけではりなくて、ガラスの透明部分えますか? あれはアクリルなんです。アクリルはらかいから普段荷重負担にはかないんですが、かの爆弾みたいなもので全部強化ガラスがわれたに、落下しないようにさをえてくれる、極端なフェルセ設計れたんです。当時は、建築センタ評定をとり、安全性証明するプロセスに参加しました。

   布野旭硝子ですね? ガラスを構造材使っただといたことがある。

   デン:屋根部分旭硝子ですけど、はね部材はイギリスでつくって飛行機ってきたんですね。ティムさんがっていたサンゴバンというメがガラスをり、ロンドンにあるファマンがパツを強化してもらいました。当時は、予算がありましたから出来たんですね()。

   八束蛇足だけど、神戸設計した建物つあるんですよ。で、大震災のときに構造家がいちったら、りの建物みんなれているのに、らの建物平気だったんです。がそれにどうコメントしたか、というと、「かった」じゃなくて、「構造家としてはちょっと忸怩たるものがあります」と。

   布野最適設計でなくて、過剰だったということ。

   八束は、設計はいつも「梁太いよな、これ」とかってたから、やっぱり、とったんだけど、まあそのかったわけ()。つまりさっきの日建のエンジニアののいいね。安全率何処まで見込むかというのは、ルルでもまった基準はあるにせよ、結局その裁量になる。皆現場えていることでしょうけど、そのはなかなか微妙なところですよね。けどフェルセフというのは究極的には福島のように千年一度津波問題だってあるわけだからね、さじ加減ではまされない。


コラボレション―構造家建築家

八束話題じますが、さっきバデンさんは、ロンドンで土木めたは、関心空間よりはシステムだったとおっしゃっていたけれど。でもそれはスタ時点であって、でもそうではないのではないでしょうか? 駅舎でも、さっきのしい構造のようなものは空間だとう。空間ではないとうけれど、でも景観かれた構造物というのは空間的意識でしょう、物理的なシステムにまらず。からるにせよ、からるにせよ、そういうトルな架構というのは、エステティクスでないにせよ、そういうものをもっている。これは原論として、としての構造学われることは日本教育現場ではだといます。あれは建築家からみるととても違和感があるのだけれど、どうですか。

デン:エンジニアによるとうのですけれど。がさっきったように、空間はもちろん認識しますけれども、その物理的なところは、ではより重要になっている。多分キテクトは空間可能性すことにして、エンジニアは物理的可能性すという根本的関心いがある。えば接合部とかは、エンジニアの設計チャンスですよね。素材をきりかえられるところですし、いろいろな物理的表現ができるところですから。ですから構造家数学者彫刻家混合になっているものだとよくわれます。もし日本従来教育けていたら、じような感覚をもっているかわからないのですけれど。布野構造苦手なんだけれど、接合部とかディテルで材料えられるというのは、とてもおもしろい。

八束接合部力学的にも意匠的にもフォカスですからですね。アランさんのご自身設計は、さっきなさいませんでしたけれども、最近拝見していると、空間のことに非常関心のある設計家んでやってらっしゃるお仕事いようにいます。そこを橋渡しするというか、建築家構造のことを理解し、構造家設計のことを理解し、という関係ができないとなかなかしくて、そういう教育というのは、これは非常しいですね。昔丹下先生坪井先生のコラボレションのことをいたことがあるのだけれど、ふたりがわせをすると丹下先生構造ばかりして、坪井先生意匠ばかりするんですって。あるときに坪井先生海外留学されて一年間いなかった。その構造講義丹下先生がかわりにやられたらしいんですよ。丹下さんは数学かったらしいけれど、解析まで授業でやったともえないから、たぶん建築家としてれと空間架構は、こういう関係があってというを、実作してやられたのだろうといます。それはいてみたかった。

デン:代々木体育館きました。それはすごく健全関係だといます。エンジニアが空間提案したり、建築家構造についてして、徹底的においに信頼って、それをベスにしてコラボレションをしていけば傑作ができるかもしれない。八束でもそういうことができる建築家とできない建築家がいますよね。1990大阪博覧会でフォリをつくるプロジェクトをやったのですが、当時AAのディレクタだったアルヴィンボヤルスキ磯崎さんとふたりで人選をしたんです。自分てましたけれど、全体のコディネとしてたちの面倒なければならなかったのです。AA中心海外組今話題のザハハディドもめて、当時ほとんどてたことがない連中でしたが、わせしていると、直感的にではあっても構造のことを、あるいはろうとすると、まったくそうでないがいるんですよ。後者はとにかくアラップに相談すればとかしてくれると神頼みなんです、がとはいませんけど()。丹下坪井関係とはい。 

もっと最近ですけれども、佐々木睦郎さんとをしていて、たようなことがありました。佐々木さんは自由曲面構造デザインをたくさんされていますけれども、ハドとかAAとかのスタジオにったら、ているんだけれど、全然下わっていかないようなてくる、あれ全然わかっていないよ、というんです。当然重力くということはあるとしても、からにはかない。そのへんの教育というのは建築家にしても構造家にしてもある程度共通のベスがないとうまくいかないのかなと。しろディンが、we dont teach how to buildってっているところだからというがしました。で、そういう学生卒業してどこにくのかなとって、バトレットにった学生いてみたら、SF映画のアニメになるか、日建設計みたいなところにってそういうデザインはめちゃうかのどっちかだとっていました。例外的がザハの事務所みたいなところにくと。

          デン:建築家とのコラボレションについてですが、もアイディアがあれば空間について提案します。わせのには自由にそれを発言できるような環境必要ですよね。でも上手くいくわせはないですね。エンジニアとしては建築家才能ないと、つまりたちのがもっと上手くできますということだったら、つまらなくなるとうのですよ。もっと意匠自分よりできることをじたうえで、会話でおいに自由提案できるような環境重要だといます。 

場合渡辺邦夫さんみたいに、工学スにしてものすごく空間をつくろうという方針ではないから、建築家からの提案があれば、なるべくそれをじて、ダメになるまでは追及していこうといます。改善できるところがあれば、提案するのですけれど。のやりは、ディテルとか接合部とかはどんどんやりたいとうのですけれど、全体のコンセプトにはあまり影響しないようなでしょうね。そういう方針がエンジニアによっていますね。川口先生代々木体育館参加されたとうのですが、はエンジニアのベスが極端にしっかりしているで、システムを提案するからそれをけば空間影響することになりますけれども、デザイナ提案している空間をわざとして、エンジニアとしての方針そうとするタイプではないといます。

   八束代々木しては、現場担当だったのは建築だってくなられた神谷さんで、構造川口さんですけれども、お二人うと面白いです。でも理解ったりするんだな、お二人で。建築家とコラボレションするときに日本建築家とイギリスの建築家とそれぞれ、個人いではあるけれど、トレニングのいで日本がうまいとか上手くないとかじられることはありますか。それとも、それは個人差ですか。

   デン:日本ではくていい建築家ばかりとむことがいのですけれども、イギリスではまだ本当無名でまだほとんど設計経験のない建築家うので、全然違うんですね。仕事内容として。ティムマクファレンさんの事務所にいたがいろいろAAスク建築家仕事をしていましたから、時々素晴らしいコラボレションの場面目撃できた。わせがうまくくと魔法のように1+12以上になるような人間コラボレションをめてわいましたね。日本て、しばらくそれがなくて、東京フォラムにったころはまた、ヴィニョリさんたちのスタッフとわせをするときにまたそのような関係がうまれ、本当しかったです。建築家もそれをめているとうのだけれど、なかなかないですよね、本当生産的わせは。

   八束さっきの丹下さんと坪井さんの関係非常ているなとったのは、関西新空港のピアノとアラップの関係で、岡部憲明さんとしかったので、コンペに応募したりのにプロジェクトをせてもらいました。アラップは構造だけでなく環境もやる総合エンジニアリン事務所ですから、オプンダクトとかきくデザインにわってくるような議論しながら、めていったということを岡部さんが説明してくれて、非常感銘をうけて、これは絶対勝つだろうなといました。アラップにめばなんでもできてしまうとっているさっきの花博のフォリのデザイナたち(全部ではなくて)とは対極的です。こうしてほしいんだとっても、構造物はできない。そういうところのトレニングの問題こうでもあり、日本でもやちょっと問題になりつつあるとう。

   デン:かに時代当然変わっていくし、ロンドンでも建築家がいないケスがてきたりしているのですけれども、エンジニアが全部デザインしようとするとたぶんうまくいかないというがします。ピー・ライスも、パリで数回建築家なしで全部設計したことがあるのですけれども、講演会写真せていたのですが、失敗作でしたとご自身もおっしゃっていましたね。

   八束ヴィレットの博物館かな、改装の? 失敗原因は、どういういうことですか?

   デン:ヴィレットではなく、レクチャでみせたのはパリのあるビルにある屋内渡廊下だった。たちはたぶん真面目すぎるから、ないところ、いは裏切るところ、とか、そのもっと人間らしい部分りなくなっちゃうのだとうのですね。やっぱりどうしても力学的先入観すぎて、なかなか三角形せないとか、なかなかアチの放物線せない。それをすのはやっぱりデザイナ一緒わせをしながらだといます。その影響がないとおいに失敗だと。デザイナもエンジニアもいろいろ失敗があるとうのですが。コラボレションがものすごく重要です。

デザインとエンジニアリングの臨界


布野建築というのは、られた時間で、いはられた施工者とか、られた資源解答すわけですよね。それで結果として非常にうまくいく場合もあるし、失敗することもある。そこで一番大事にされているのはか、ということなんです。それはバデンさんが影響けた先人たちに共通しているものはか、といにもわってきますが、さきほどアラップの設計した自然からたようなだといわわれたのだけれど、それが一体何なのかといてみたい。するにキドをりたいのです。渡辺邦夫先生一緒日本建築学会賞審査員二年くらいやっていたのですね。そのときに藤森照信先生熊本県立農業高校て、は、これは絶対ダメだというんです。食堂なんかはどこにっているのかわからない非常幻想的空間ができていて、すごくいい。ったのは、これは20たったらとったかな、バランバランになりますよ、とおっしゃった。つまり構造エンジニアとしてここまではせるというか、コラボの許容範囲というようなもの、それがあるのではないか。それをキドだとすると、接合部とディテルかなともうんですが、どうですか。

   古瀬敏静岡文化芸術大学名誉教授しいいえてみてもいいですか? デザイナがこういうのをつくりたいというのが非常野心的だけどかなりしいものがでてきたときに、ストラクチャエンジニアが、ここまでならできる、これはできないとえての代案提案できる、それが、コラボレションで1+12以上になるというのひとつではないかとうのですが。アランさんは、造形物としての実際やりたかったことのつということでしたけれども、完成したその機能たし、なおかつ非常しいというそこのセンスがおありになるから、アキテクトとのやりとりが非常にいいところにいき、ちゃんととしどころが出来るようになるのではないかと、いました。

   デン:たちのトレニングとしては、さっきったように、教科書めば、トラスの場合三角形をつくりなさい。アチのときは放物線、リングのときにはちゃんとじてとか、そういうトレニングばかり、長年やってきました。いエンジニアはそういう原則まえてキャリアをはじめるのでしょうけれども、だんだん、いい建築家とコラボすれば、それをして、空間だけでなく、イキイキとした彫刻的なものが出来ることがわかってくる。ただ、たちだけではとてもできない。建築家対話しながらそれがてくるわけで。 三角形だったらどこでそうとするかとか、じたリングをどこから変則的にするかとか、布野先生がおっしゃった最適解をどうすか、そういうことは自分たちではできない、自信てないわけです。今日、そういう意味せようとっていたのですけれども、このビルは2004内海智行さんとやった建物で、ではどこにでもあるのですけれども、当時しかった構造です。せっかく敷地だったから、みたいな構造をやりましょうと、そういうんできたのですが、内海さんが提案してきたのかはれましたが、その構造がだんだん三角形じゃなくて、接点っていない外部柱というか、半分柱半分筋違という構造になってきた(11)。構造解析安全性確認できるんですけど、なにか方向性がないといけないんですよね。意匠方向性とエンジニアからの方向性から。これは割合とうまくまとまったので、では建物べると数十倍面白いとうんですけど()。集合住宅みたなのは、憂鬱になりますよね。

   八束くわかります。でも、「憂鬱になる」というその建物も、大学建築学科構造設計者がいるわけですよね()。で、その人達がそういう感覚共有しているか、っていうのが非常きな問題なわけで。多分そういうたちと、じアキテクト、内海さんなら内海さんがんで、こういうのができたかどうか、っていうのはわしいとうんです。一方通行ではいけない。退職した大学大学院で、意匠学生諸君構造のことをちゃんと理解してもらおうとって「構造設計特論」という、いろんな構造家にかわるがわる講義をしてくという授業って、バデンさんにもそれをおいしました。もちろん構造専攻学生にもてもらいたいとった。これは第一歩ですけれども、そこの感覚を、構造にも、意匠学生さんにもってもらって、という教育のシステムをつくっていくっていうのはなかなか大変だとはいます。この松村さんをゲストにした建築生産対論で「もかも四年間でというのはかすぎる」というをしたんですけれども、これは構造意匠問題だけではなくて、次回予定している環境にせよ、そういうインテグレトするような教育仕方はこれから議論していかなくてはいけないな、とっているわけです。

        数学造形臨界事例としてのコルビュジエとクセナキス

   布野数学造形関係として、クセナキス9とコルビュジエのコラボみたいなのは最悪だったのかどうか、ちょっといてみたいんです。クセナキスはクビになったんですね。たまたま、上杉春雄さんが、札幌にいる脳神経外科医でかつプロのピアニストですが、クセナキスをきながら、そういうことをってくれたんですよ。

    デン:まず、クセナキスは、どのくらいコルビュジエと一緒にやっていたかわからないんですけど。音楽をやっていたんですよね。数学から音楽をつくったり、エレクトロニクスな音楽ったり。

布野どっちがだろう? もともと数学者だよね。

12 八束いや全部同時んでいたみたいですけど、なくともパリにてコルビュジエの事務所入所したには、いずれにせよエスタブッリシュされた存在ではなかったはずです。は、作曲はダリウスミヨとかオリヴィエメシアンに師事したんだけれども、紹介したのはコルビュジエらしい。フィリップス12)とかではちゃんとクセナキスの名前はクレジットされているし、コンセプトも尊重されているから、二人関係はそんなにマズかったわけじゃないとうけど。

    布野「フィリップス」の評判くなってきた、コルビュジエが「これには、オリジナルはなにもない」とった。それで、コルビュジエに「あんたのつくっているものも、からやっていた、三角四角ですね」ってったらクビになった、っていてるらしい、上杉さんによると。

   デン:昔読んでいて、かに確率理論とかそういうような数学がたくさんげていて。まあ、確率とかリズムとかがではものすごく重要なことのようですけれども。もしかしたら。

布野そういう方向う?

   デン:普通のエンジニアとはちょっと方向ですかね。数学美めてたんですかね。自分がティムさんの事務所たときAAスクルで一回非常勤講師月間していました。ちょうどクセナキスがAAにレクチャをするがあって本人とボヤルスキー学長たちと食事しにった。らのくと建築よりクセナキスの音楽みが主題になっていて、コルビュジエとのコラボレションあるいは建築設計はほとんどなかったとう。布野建築理論って、古来音楽理論わってきていますよね。プロポションの理論とか、相互通呈するものがある。上杉春雄さんは、楽譜ながら全部説明してくれる。ピタッとるんですよね。上杉さんは、建築狂といってもいいくらいで、全部見ている。毛綱モンのを全部見た、とか、白井晟一全部見た、とかね。お何者だ、という、すごい外国行くとみんな大体全部見ている。ラトゥレットもた、当然ですけど。

   八束のことばでいえばアルゴリズムですけど、コルビュジエ自身がモジュロルとか、トラセレギュラトゥルとか数学化するのがきでしょう。そこへもっと数学いクセナキスがってきて、確率論とかで寸法決めをやったということですね、ラトゥレットだと波動ガラスというサッシュのけで、フィリップスになると三次元複雑なシェルの形状になる。だから構造ですよね。力学的計算までしたのかどうかはらないけど。布野さんが多分聞きたかったであろうことでいうと、コルビュジエもクセナキスも最初から数字ありきではなくて、もこんなじという直観的なことからはじまって、それを近似していったみたいですね。そこで一致するものがないとコラボにはならない。

9.ヤニスクセナキス Iannis Xenakis1922-2001)ギリシャの作曲家建築家 確率論取込んだ設計作曲なった。1997年京都賞受賞


リノベションの諸問題

八束で、話題にしたいんですが、これはフィルドとしては、より布野さんにわるとうんだけど、これからはリノベションがえていくだろうということです。これは前回松村さんが強調していたことでもあるけれども、たとえば、東京電機大今川憲英さんなんかも、今後はそれだということでかなり頑張ってらっしゃるようですけど、この分野構造家たす役割っていうのは意匠家以上きいものがあるのではないかということです。意匠担当であっても、勝手あけられてもるから構造のことがある程度わからないといわけですね。バデンさんのイギリスでのお仕事はやはりこの分野いようだと いうことでとりあげてみたい。それから、ほどのおにもありましたが、バデンさんはしい材料わせということに大変関心がおりだとうんだけど、そういう資質は、リノベションでは材料しい材料わせということでインベンティブな仕事可能にするのではないかというがあります。そのへんについてはどのようにおえでしょうか。

   デン:うん。たぶん10年位まえから「これから日本ではリノベションの仕事えます」とみんないってますけど、まだまだ、えてなくて。いろいろ問題があるといますね。まず、法律的にあまり簡単ではないですね。建物安全性証明して、もう一回確認申請をとる、というのは色々面倒くさいところがあって、簡単ではないので。でも、ほんとうには、可能性がたくさんあるといますね。オフィスビルを住居用途変更をしたり、リノベションするとか。もいろいろ提案するんですけど、なかなか。この関東学院大学4階建てのRC建物だったんですけど、耐震補強するかえるかっていうがあった。は、撤去して解体して、もっと4ともしかしたら5鉄骨でつけたして、もしかしたら耐震補強しは必要となるかもしれないですけど、建物くして耐震性くする。ただ乱暴補強するというやりだけではなくて、もう使って建物重量らしたりだとか、そういう可能性があるといます。

   八束けれども、のレヴェルでは、布野さんなんかがアジアのいろんな中国とかインドネシアとかんなところで調査をやってらっしゃるけど、近代的最先端構造建設技術やファブがない途上国今後起こってくるであろう、既存のストックとの一種のハイブリッドでやってかざるをない状況というのは、おなじリノベションといっても分野ですよね。最近、ネパルとかで地震があって、あれは人災だということがよくわれていますが、途上国では、そういうものをないから全部壊してしいものにえるっていうのはリアリティのあるではないので、それを補強しながらしいユスにえていくというのは大事業としてありうるとうんだけど。

   デン:あれは現代社会のエンジニアリングのきなミスですね。ネパルの歴史的組積造建物は、100年前からないっていうことを結構みんなわかっていて、それを立入禁止にするか、ある程度耐震性えるような計画てないのは、本当無責任だとうんですね。中国地震じようでしたよね。小学生沢山犠牲になっていた地震が、10ほどですかね。ありましたね。自然災害とよくわれるのですが、本当人工災害です。エンジニアが十分関与していないからいは関与させられる制度ができていない。

   布野は、地震はいろいろみてます。1976のバリ地震とかね。ネパルは、1936大地震経験しているんです。たまたま、そのときに訪問していた天沼俊一10先生かれているんですよ。

   八束京大建築史の?

   布野建築史天沼先生一冊「インドなんとか紀行」というね。だから、わかってたですよ。で、だいたいやられているのは補修方法ね。バリでも、モダンな手法れたのがやられていて、多分相当被害けたのは伝統的というような補修補修をいれていて、わかりませんよ。多分、セメントをめたりとか、いろいろやってきたのが多分ダメジをけた、というのがある。

    八束つまりずしもいものの問題というより中途半端改修問題であるというわけですね?

   デン:イギリスの場合はなかなか、建物さないから、たちがやっているものも、平凡なものがくて。数件だけおせしますけど、こういう、100かどうかわからないですけど、建物にお金持ちが地下をつくってプルをれたいというわけです(13)。で、煉瓦建物保持しながら、しづつったりする場合に、建物をどうやってえていくか、安全仕事めるか、そういう仕事なんです。鉄骨れたりしているわけですが、地下鉄筋コンクリトですから、結構、プロセスが複雑になってしまいます。あるいは、これは数百年前からある工場だったのですけれど、その2層建てのマンションを鉄骨して、住居スペスをる(14)。イギリス事務所では100くらいやってるんですけど、平凡なテラスハウスで、のアパトとのアパトとか、あるいはごと二分割とか、色々分割されていますけど、三層分を、ったり、もっと空間じるように鉄骨れたり、鉄骨わせたりとかしています。はビクトリア時代のものなので当然いじることができないのですが、近代的空間にしている。こういう仕事いですね。日本のリノベションとイギリスとでは、用途変更のプロセスもまったくったり、目的うし、使っている素材全然違います。イギリスではレンガ自体構造ですので、材料使えるわけですけれども、日本では地震があるから材料使えない。靭性のある鉄筋コンクリトか鉄骨になりますね。

   布野五重塔は、免震的といわれますね。ヴァナキュラ民家もそれなりの耐震性とか耐風性とかがあって、台風についても、地震についても、それなりに対応する工夫をしてきた。バリ1976地震のときれたのは、バリ伝統的住居ではなくて、みんなしい材料しい構法てた建物だった。日本でも、昭和のはじめの地震では筋交いをいれたほうがやられている。日本木造は、ったり、いだりして、100200年持たせてきたでしょう。リノベションについては、そういうことがこっていくんじゃないか。コンクリトに鉄骨れるとかね。無様だろうがなんだろうが、鉄骨先生だったら、それでいけますよ、という。ただ、日本基準うと、ヘンテコになりそうですね。耐震補強ってうとじブレスをれないといけないとか。するにね、リノベションでも、アランさんは平凡仕事ってうけど、現場現場工夫できることとか面白いことをつけてやられているんじゃないかっていうふうに、想像するわけです。だから、もっと多様なことがこっていくなかで、面白表現こっていく可能性があるのではないか、とっているんです。

   宇野いま自分研究室には、トルクメニスタンから留学生ています。ソヴィエト時代には、ソヴィエトが近代建築ってきたようです。1970年半ばに、コルビュジエに傾倒した設計上手建築家がいたらしく、写真ると、なかなかいRC近代建築があります。独立後20数年たったわけですが、現在、ソヴィエト時代建築されつつあって、フランス、ドイツ、そしてロシアから、また中国からも、さまざまな会社がやってて、それぞれのスタイルと技術建築っているそうです。様式技術がバラバラで、それをなんとかしたいってはいっています。また、一方で、1940年代きな地震があって、それまでの伝統的建築全部崩れてしまったとのことでした。日本関東大震災とほぼじような状況で、震災後RC近代建築普及したようです。僕自身は、トルクメニスタンにったことありませんし、しい情報もないんですけど、世界には、そういうところが結構あるんだなあっていました。つまり、その土地土地建築技術伝統近代建築出会った地域、さらには、その、さまざまな様式技術外国から導入されるときの混乱のようなものがあるわけです。 今日話題は、英国日本建築制度歴史的いとか、エンジニアとアキテクトのコラボレションのですけど、ら(日本社会)は経験してきていて、ある程度、どうすればより合理的になるか方向性えているといます。戦後社会制度としての近代急激普及したために、一般国民理解がまだ十分じゃないっていうことで、いろいろ問題があるのは事実ですけど、エンジニアリングの問題ではない、っていうか、そういます。

   八束それって、さきほどの日本がガラパゴスだという裏返しみたいね。

   宇野デンさんにおきしたかったのは、えば、トルクメニスタンみたいなところは世界にはいくつもあるわけで、そうすると、エンジニアというか、十分近代化した技術っている我々は(英国日本は)どのようにうべきか、っていうことです。えば、トルクメニスタンにはいろいろな建築んできていますけど、構造的えて耐震性めるにはどういう提案がありますか?ってかれたに、どうえればいいのか、はわからなかった。

   デン:もトルクメニスタンに全然詳しくないですし、ったこともないんですが。鉄筋コンクリ建物ですか?

   宇野伝統的には組積造で、鉄筋コンクリ近代建築導入される大地震一度壊れています。その鉄筋コンクリ建築導入されました。ただ、耐震性いソヴィエトの建築なので…

   デン:だったらそれを、一軒ずつ調査しなければならないですよね。調査して、耐震性強化して、方針えるしかいとうんですけど。調査なしでただ解体するとか、歴史的なものだったらそれが勿体無いわけですよね。

   宇野勿体無いですよね。耐震補強とかするといいのに、っています。ソヴィエトから独立してまだわずかですから建築基準ってないところに、他国がたくさんやってきて建築っているのです。トルクメニスタンは、天然ガスが豊富資源国で、お金持ちのです。そこをっていろいろな参入してきているというわけです。エンジニアリングの問題として、コンサルテションできることがいくつもありそうです。

   八束中国なんかだって、じことがこっているんじゃない? するに、中国だとかソだとか、あれだけいところで、一律基準くわけはないんで。アメリカなんかだったらごとに全部基準法うじゃないですか。そういうことが多分、きちんとできていない。世界遺産というがあったから、もうひとつついでに話題として提供しておくと、世界遺産たるものだけど、アンコルワット。日本では早稲田中川武さんのチムが修復やなんかにわっているんだけど、結構危ないらしいんですよ。一部禁止だし。友人構造家新谷眞人さんが結構コミットしていて、あれって全部石んでいるわけではないんですね。なんですけど、それの総重量計算して比率推測するというようなをだいぶにされていました。

   デン:地震があるからでしょう? 腐食して。

   八束んでいる結構流動化していくみたいなんです。その解消しないと、すぐにというのではないかもしれないけどない、っていうのを新谷さんにいたことがあります。だから構造家近過去のリノベションどころか、大過去のコンサベションまでってやる仕事現時点でもているということですね。

10.天沼俊一 18761947建築史家東京帝国大学工科大学造家学科卒業京都帝国大学・助教授・教授192036)。『日本建築史要』(1926)、『日本建築史図録』(1933-1939)、『成虫楼随筆』(1943)、『日本古建築提要』(1948)


構造家のレゾンデトル

デン:そういう耐震補強もそうですけど、リノベションもコンバジョンもものすごく可能性があるとっているんです。それでそのプロセスには、構造エンジニアが不可欠だといますね。エンジニアが存在しないとできない仕事で。その最適化色々コンピュタで最適設計というか、ボタンをせば、単純な、両側に、3とラメン構造があれば、ボタンをせばえがてくるかもしれないですけど。 そういえば、先週日曜日横浜大桟橋学会というかセミナがありましたよね。いらっしゃいましたか?

   宇野いていますけど、あいにく、くことはできませんでした。

   デン:さんと渡辺さんと、アレハンドロザエラポロさんがいましたけど。「THE SAGA OF CONTINUOUS ARCHITECTURE」「連続的建築はこれからどうなるか?」というようなテマだったんですけど、そのなかで、アメリカからたジェフリー・キプネスさん、オハイオ州立大学建築評論家がいるんですけど、が、渡辺さんの発表わったら「いや、でも渡辺さん、もうそろそろ構造エンジニアの時代わったといませんか」という質問をしたんですね()。通訳がうまくなかったから、渡辺さんにはその発言衝撃さが理解できなかったみたいですけど。でもそれをいて、建築をやっているでもそういうふうにえているはまだまだいのかな、とすごいしいいがしました。いかに構造エンジニアがやっていることが、社会わっていないか、コミュニケトしていないか、えました。

   八束キプニスはアイゼンマンのポスト構造主義理論家としてられていますが、元々物理学なんかをんだ本来理系のはずですけど、どういうもりでったのかな?

   デン:構造家不要とかいわれても、リノベションなんかだって、全然自動化できなくて、エンジニアの判断必要で、そのでどうやってコンバジョンが上手くいくかという発想必要で、構造がわからないと発想できないとうんですよね。コンバジョンの場合は、やっぱりみんな真剣えてないとうんですね。絶好のチャンスは新国立競技場ですよね。

   布野それきたい。

   デン:もうしたんですけど、競技場補強するとかいろいろながありたとうんですけど。

   布野まだっていて、使うかどうか。設計案がわからない段階で、全部とったりするのは、またおがかかる。

   デン:いや、学会が、再利用指針しているんですよ。

   布野そうか()。

   デン:そういうやりもできるとうんですけど。もっと地球にやさしい、日本わったということを絶好のチャンスだったとうんですね。

   八束この問題簡単には議論出来ないし、宇野さんたちがまた企画をおえみたいだから、時間えたし、今日はこんなところにしましょう。じゃあ、バデンさん、うございました。

文責八束はじめ)