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2025年1月17日金曜日

四本柱のモスク,at,デルファイ研究所,199207

 四本柱のモスク,at,デルファイ研究所,199207


四本柱のモスク

                布野修司

 

 モスクといえば、玉葱坊主である。中近東の壮麗なモスクがすぐ頭に浮かぶ。しかし、東南アジアになるとだいぶ様子が違う。

 東南アジアのイスラーム国家というとマレーシアとインドネシアであるが、どうも未だにモスクのスタイルを確立しかねているようにみえる。多様なスタイルが並存しているのである。もちろん、モデルはイスラームの中枢地域に求められ、玉葱形のドームが木造でつくられたりしているのであるが、何故かしっくりこないようなのだ。というより、偶像崇拝禁止の宗旨からであろう、キブラ(メッカの方向)にミフラーブ(ニッチ、窪み)をもうけるだけで、あっけらかんとした空間だけがあればいいというのが一般的態度なのである。

 そこで興味深いのは、土着の建築形態や様式がまず借用されることである。インドネシアの場合、例えば、ヒンドゥー教の寺院であるチャンディがモスクとして利用された。残っている例では、東ジャワのクドゥスのモスクがよく知られている。

 また、ジャワの場合でいうと、ジョグロと呼ばれる伝統的民家の架構形式が用いられた。ジャワで最初にイスラーム化されたというデマのモスクやマタラム王国の王都であるジョクジャカルタやスラカルタ(ソロ)のクラトン(王宮)やモスクもそうである。もっとも、土着の木造建築の技術をベースにするのは極く自然のことであろう。

 そうした中で、インドネシアのモスクの初期形態と思われるのが、この四本柱のモスクである。これは、ロンボク島の北部山地、バヤンという村のモスクであるが、この形態のモスクは南部のスンコルという村にもある。そして今建設されるRC造のモスクの多くもこうした形態を採っているところをみると、少なくともロンボク島のモスクは木造の四本柱のものが原型になっていると考えていいのではないか。

 この四本柱のモスクの形態はどこから来たのか。まったくの推測であるが、ジャワ、バリで見られるタジュクという方形(ほうぎょう)の形式からではないか。ハイサイド(高窓)から光を採る形式は、三重、五重のバリ島の寺院の塔の形式によく似ている。しかし、よく見るとプロポーションが違う。形態と規模だけでみると、北スマトラのバタック・カロの住居によく似たものがあるが、その住居には明かり窓がない。

 バヤンは、イスラーム化されたにもかかわらず、土着の文化を保持するワクトゥー・トゥル(正統派ムスリムは、ワクトゥー・リマ(一日に五回お祈りするという意味)という)と呼ばれる人々の集落である。中には梁から吊るされた太鼓がある。また、ミフラブの前には水の神ナーガを象徴する装飾を施されたミンバール(聖書台)がある。イスラームと土着の文化が接合する状況においてこうしたモスクが生み出されたことは間違いないのであるが、果たしてどうか。

2025年1月7日火曜日

 アジアの都市と集落,第七期神楽坂建築塾,20051217

 2005年12月17

 神楽坂建築塾

                                      SF.

 

 1979年1月、何かの縁に導かれて、アジアへ向かうことになった。最初の旅は、インドネシア(ジャワ、スマトラ)、タイである。以降、四半世紀、アジア各地を歩き回っている。最初にターゲットにしたのは、東ジャワのスラバヤという都市で、もう何度も通って、第二の故郷のようだ。スラバヤには定点観測しているカンポンkampungがある。カンポンというのは日本語で言うとカタカナでいう「ムラ」という感じである。都市なのに「ムラ」という。このカンポン、英語のコンパウンドの語源だと言うことをしばらくして知った。カンポンでの経験を『カンポンの世界』(パルコ出版、1991年)にまとめた後、しばらくはロンボク島に通った。チャクラヌガラという都市を発見して、何故か、インド大陸に足を伸ばすことになった。そして、また都市の世界が蘇った。経緯は省くが、・・・・・・・次々とテーマが押し寄せてきて、毎年何度もアジアに出掛けることになり、挙げ句の果てには、「オランダ植民都市」の歴史を追いかけて世界一周の旅を二度まですることになった。この間の成果が、『アジア都市建築史』(昭和堂)であり、『住まいの夢と夢の住まい・・・アジア住居論』(朝日新聞社)、『近代世界システムと植民都市』(京都大学学術出版会)、『:生きている住まいー東南アジア建築人類学』(ロクサーナ・ウオータソン著 ,布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会)、『植えつけられた都市 英国植民都市の形成,』(京都大学学術出版会)、そして、最新刊『世界住居誌』(昭和堂)である。

 まず、アジア都市建築研究の課題を議論した上で(座学)、アジアのヴァナキュラー建築の世界の魅力を覗いてみたい。

布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...