ワルシャワ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
E25 再現都市
ワルシャワWarsaw,マゾフシェ Masovia県,首都、ポーランド共和国 Republic of Poland
ワルシャワは、第二次世界大戦末期に壊滅的な破壊を受けた都市である。そして、戦後、市民によって「壁のひび一本に至るまで」忠実に再現された、実にユニークな都市である。
1939年にナチス・ドイツがポーランドへ侵攻、ワルシャワはドイツ軍の空襲に晒され、その占領下におかれた。ポーランド政府は、パリ次いでロンドンを拠点として抵抗運動を開始するが、ワルシャワ市内のユダヤ人はワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)へ集められ、国内の絶滅収容所(アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所)に送られた。そして、1944年8月のワルシャワ蜂起は、63日の戦闘の末ドイツ軍によって鎮圧され、多数の市民が殺戮され、市内の建物のほとんど85%が破壊された(図1)。
その後、ソ連がドイツ軍を排除し、その解体(1989年)まで、ポーランドは衛星国家となるのであるが、ワルシャワ北部の旧市街スタレ・ミアストStare Miastoとその北に隣接する新市街ノウェ・ミアストNowe Miastoは、以前の姿に忠実に再現された。再利用できる建築要素はもともとあった場所に用いられた。もともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用された。煉瓦は潰してふるいにかけられ、再生可能なのである。何故、こうした忠実な復元が可能になったかと言えば、18世紀の画家ベルナルド・ベッロットが描いたヴェドゥータ(都市風景画)が残されていたからである(図2)。また、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期にワルシャワ工科大学の建築学科の学生が描いた写生画も資料とされた(図3ab)。
ワルシャワ市民は、廃墟と化した市街地をソヴィエト流の社会主義都市計画による新たな都市に作り替える計画を拒否し、「意図と目的をもって破壊された街並みは意図と目的をもって復興させなければならない」という信念と「失われたものの復興は未来への責任である」という理念の下に復元するのである。
ワルシャワの起源は9世紀頃に遡り、要塞化した集落が存在したとされるが、その名が史料に現れるのは1285年で、当時のワルシャワは、マゾフシェ公爵領に属する漁業を主とする寒村であったとされる。その後、マゾフシェ地方はポーランド王国に編入され、16世紀末にジグムントⅢ世がポーランド王宮をクラクフよりワルシャワに移転、1611年にワルシャワは正式にポーランド・リトアニア共和国の首都となる。
ポーランド・リトアニア共和国(1569~1795)は16~17世紀のヨーロッパ世界において、オスマン帝国に次ぐ広範な領土を支配した国であった。16世紀は、ポーランドの黄金の時代とされる。ヤギェウォ朝(1386~1572)の王家は、イタリアの諸都市と親しく交流して、後期ルネサンスの影響を大きく受けた。クラクフの街の建築群がイタリアとの関係を示しているが、1543年に地動説を唱えたN.コペルニクスが学んだのもクラクフ大学である。
しかし、18世紀末に至ってポーランド・リトアニア共和国は消滅することになる。3次にわたって、周辺の強国、ブランデンブルグ・プロイセン、帝政ロシア、ハプスブルグ帝国によって分割されるのである。1795年の第3次ポーランド分割でプロイセン領に組み込まれ、1807年にナポレオンがワルシャワ公国を建てるが、ロシア皇帝アレクサンドルⅠ世がポーランド国王の座につくことになる。
独立を喪失してから、ワルシャワは繰り返し、ポーランド国家再興運動の中心地となるが、ロシアによって制圧される。ポーランドが独立を回復し、ワルシャワが再び首都となるのは、第一次大戦後のパリ講和会議においてである。しかし、真の独立を達成するのはソ連邦の解体を待たねばならなかったのである。
ワルシャワは、市内を流れるヴィスワ川の中流域に位置する。標高100mほどの平地で、ヴィスワ川は、北北西に向かって流れ、約350km先の港湾都市グダニスク(ダンツィヒ)でバルト海に注ぐ。ヴィスワ川は大きく時計回りに湾曲してクラクフに至る。
ヴィスワ川西岸に接するように位置する王宮を中心とする旧市街スタレ・ミアストは1611年のワルシャワ遷都以前に形成された市街地であり、その北に隣接する新市街ノウェ・ミアストは、1611年に市街地となった地区である。また、中心市街地(シルドミェシチェ)は、18世紀以降、主として共産主義時代に開発された地区である(図4)。
戦前期からのオフィス街とユダヤ人住宅街(ケッヒラー)の一部がその主要部を占める。第二次世界大戦中に、ナチスがユダヤ人地区にワルシャワ・ゲットーを設置したが、戦争末期に破壊されている。現在は、ワルシャワ中央駅、文化科学宮殿など、近代的な高層ビルが建つ。
スタレ・ミアスト、ノウェ・ミアスト、クラクフ郊外通り、新世界通りおよびワルシャワ市内に点在する複数の宮殿群を含むワルシャワ歴史地区は1980年ユネスコの世界遺産に登録され、2011年には再建に用いられた資料(再建局管理文書)もユネスコ記憶遺産に登録された。
【参考文献】
UNESCO/World Heritage
Center/Warsaw Heritage Center
UNESCO/World Heritage Center/Warsaw Heritage Center & NHK
図2
図3ab
図4 ワルシャワ1914
Old map of Warsaw (Warszawa) vicinity in
Poland by Wagner & Debes, Leipzig





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