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2025年12月12日金曜日

ジャカルタ原住民・ベタウィの住居,at,デルファイ研究所,199303

  ジャカルタ原住民・ベタウィの住居,at,デルファイ研究所,199303


ジャカルタの原住民・ベタウィの住居

ジャカルタ・チョンデット

                布野修司

 

 人口800万人を超える大都市ジャカルタ、そのジャカルタの南西部にチョンデット      と呼ばれる地区がある。現在の行政区域でいうとバレカンバン、カンポン・テンガ、バトゥ・アンパルという三つのクルラハン(行政単位 連合町内会)からなるチリウン川沿いのかなり広大な地区である。

 ジャカルタの歴史的地区というと、まず、北のコタ地区である。かってバタビア城があり、市庁舎を始め、コタ駅など歴史的建造物が建ち並ぶ旧市街である。それともうひとつ、現在の都心、ムルデカ広場を中心とする地区、およびそれに隣接する高級住宅地メンテンがある。この二つの地区は誰でも知っているのだが、もう一ケ所、その保存が計画されつつある地区がある。それがこのチョンデットである。

 ジャカルタは、スンダ・カラパ(             カラパは椰子を意味する)と呼ばれた頃からチリウン川とともに発達してきたのであるが、その遥か以前、先史時代からこのチョンデットには人々が居住してきた。様々な出土品がそれを物語るのである。

 住民の八割は、ベタウィ        と呼ばれるジャカルタ・アスリ(原住民)である。五〇万人と推定されるベタウィは、もちろん、他の地区にも分散して住むのであるが、その中心がこのチョンデットである。タルマヌガラ王国時代の港湾地区であり、今猶独自の文化を保持していることで知られのである。

 今、訪れてみると、チリウン川は、汚染され淀んで強烈な臭いを放つ河口の様子からは想像できないほど豊かな樹木に覆われ、美しい。辺りには、果樹園が多く、のどかな農村の風景が広がる。家々が密集し、車が走り回る、騒々しいジャカルタにもこんなところが残っているのかと思う。

 独自の衣食住文化を保持するといっても、残念なことにベタウィの伝統的住居として、その原型をとどめるものは極めて少ない。ジャカルタ市の建築保存課のウイスヌ・アルジョ氏に半日案内してもらったのであるが、なかなかみつからない。イスラム化、植民地化の過程で様々な要素が混じり合ってきたし、時代と共に変化もしてきているのである。

 原型と思われるベタウィの住居は数十件程になってしまったというのであるが、そのプランはカンポンでよくみるもののように思えた。

 屋根の形態は、寄棟、切妻などいくつかタイプがあるが、テラス、ルアン・タム(客間)、ルアン・ティドゥール(寝室)、ダプール(厨房)、カマール・マンディー(浴室・トイレ)、スムール(井戸)が前から後ろへ一列に配置されるのが基本的パターンなのである。

 むしろ特徴は装飾である。ベタウィは、木彫を得意としたという。今でもチョンデットには、大工や職人が多く、家具や材木屋がやたらと目につくのである。

 

 

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布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...