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2026年3月16日月曜日

建築計画「学」―その可能性の中心―のためのメモ、日本建築学会、

 建築計画「学」―その可能性の中心―のためのメモ

布野修司(滋賀県立大学:建築計画委員会委員長)

 

0.   この懇談会でいう、「建築計画」とは一体何か? 「集落」とは何か? 「建築計画」は「集落」を超えることができるか、というテーマ設定は、何を問題にしようとするのか、タイトルだけから不明で、極めて奇異に思える。「建築計画学」あるいは「建築計画研究」が問題であって、「建築計画」一般が問題ではないのではないか? 「集落」と「建築計画」は、超えたり、超えられたりする関係なのか? 「集落」=「非計画」、「自然発生的」「?」という、問題の立て方は自明なのか?

1.   「住居集落」研究を問題にするのであれば、是非、『住居集落研究の方法と課題Ⅰ 異文化の理解をめぐって』(主査 布野修司,協議会資料, 建築計画委員会,1988)、『住居集落研究の方法と課題Ⅱ 異文化研究のプロブレマティーク』(主査 布野修司,協議会記録,建築計画委員会, 1989)を前提にして欲しい。また、この例にならって、議論を総括した論集をまとめて欲しい。この協議会では、「異文化」理解がキーとなっていたが、今日的なテーマ設定が必要だと思う(→8)。

2.   「建築計画学」をめぐっては、どういう回路(企画・設計・計画・施工)を想定して、議論するか、が問題である。あるいは、その回路の設定自体がテーマとなる。誤解を恐れずに言えば、公的な住宅供給、公共施設の設計計画(の回路)を前提として成立したのが、「建築計画学」である。「集落」ということで何が、どのような回路が、想定されているのか。

3.     「建築計画学」あるいは「建築計画学」「研究」については、一定の批判総括がなされてきている。「施設(系をフレームとする縦割り研究)」批判、「調査主義」批判、「研究のための研究(マンネリ化)」批判・・・などである。ここでは一体何を問題とするのか。

4.     「建築計画学」をめぐっては、端的に次のように考える。第一に、建築の企画・計画・設計・施工・維持・管理の全過程を対象とする広い視野がさらに必要である(学の総合性、広義の建築計画学)。第二に、地域社会との連携を基軸とした市民のための建築計画研究や活動がさらに活性化する必要がある(学の実践性)。第三に、建築計画学の固有の方法、体系がさらに追求検討される必要がある(学の固有性、体系性)。「建築計画学」の原点、初心、存立根拠を繰り返し問い続ける必要がある。

5.     「住居集落」研究については、2.でも突っ込んで議論しているが、今日われわれが臨地調査を行う「集落」をどう位置づけるのかがまず問題である。ここでいう「集落」とは一体どのようなものか。「非計画的」「自然発生的」という言葉から類推すると、ヴァナキュラーな世界がそのまま維持されてきたのが「集落」と規定されているように思えるが、果たしてそうか。相当程度古くから存続してきたと思われる「集落」が、150年ほど前に計画的に建設された移住集落であった、あるいは専ら観光目当ての農村集落もどきであった、といったことがある。また、「西欧化」「近代化」のインパクトが地域社会の「共同体」を解体するのではなく、逆に強化する場合がある。

6.     要するに、現代世界における「集落」も、産業社会の論理と無縁ではなく、大きな変容過程にあるのだとしたら、その規定について、もう少し慎重に設定すべきである。「集落」であれ、「都市」であれ、フィールドから組み立てるのが「建築計画学」の原点である。

7.     臨地調査→手法・空間構成原理の発見・抽出→空間の型の提案→設計→評価という、「建築計画学」の一連のプロセスと方法は、あらゆる対象に対して共通ではないか。プロトタイプかプロトコルか、という今年度の協議会テーマも、この一連の過程を前提にした議論である。現代社会のニーズを的確に把握することによって、新たな建築類型の提案、建設、評価といった社会実験が様々なレヴェルで展開されるべきだと考える。

8.     「集落」というキーワードによって何を問題にするのか。以上のようにもどかしいが、いささか踏み込んで勝手に思いこんで言えば、以下のようではないか。『世界住居誌』(布野修司編、昭和堂、2005年)をまとめてみて、つくづく思うのは、西欧列強が世界を再「発見」した時代になって、猶、地球上には太古の生活のままに生活してきた人々が存在し、さらについ最近までその伝統が生き続けて来たということである。逆に言うと、つい近年の変化がとてつもなく大きいということである。われわれは、その伝統を再度見直し、学ぶ必要があるのではないか。この点について、日本でも「民家研究」の歴史の流れにおいて主張されてきたし、グローバルにも、B.ルドフスキー、A.ラポポート、・・・P.オリバー・・・といった流れにおいて提起され続けて来ているところである。

9.     今日、「集落」というキーワードで直感されようとしているテーマは、建築と「自然」「環境」「生態」・・・との関係であろう。布野の場合、「地域の生態系に基づく住居(集落)システム」が、これまで一貫する関心である(『地域の生態系に基づく住居システムに関する研究()(主査 布野修司,全体統括・執筆,研究メンバー 安藤邦広 勝瀬義仁 浅井賢治 乾尚彦他) ,住宅建築研究所, 1981年。地域の生態系の基づく住居システムに関する研究()(主査 布野修司,全体統括・執筆,研究メンバー 安藤邦広 勝瀬義仁 浅井賢治 乾尚彦他),住宅総合研究財団,1991)。

10.『生きている住まいー東南アジア建築人類学』(ロクサーナ・ウオータソン著 ,布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会,The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia,学芸出版社,1997)には、とりあげるべき、様々な視点が提出されている。これらの視点は、議論の対象になるのか(して欲しい)。

11.とは言え、以上のような関心に耐えうる「集落」が果たして、われわれ(日本人研究者)にとってあるのか、という問題がある。5.6.の指摘と相反する言い方であるが(5.6.の構えであれば、あらゆる「集落」は問題としうる)、目的テーマが9.10.だとすれば、ということである。もちろん、9.10.の研究関心に耐えうる「集落」は、アジアの各地にも数多く残されている。しかし、R.ウオータソンの眼の深度で各地域を「つぶす」のは容易ではない、と思う。日本に軸足を置いた場合の「集落研究」の戦略はもう少し練られて共有されるべきであろう。

12.この間、布野は、専ら「都市組織」研究に集中している。研究関心が移っていったということでは必ずしもなく、11.のような事情がある。また、都市の問題が現代社会において、特に発展途上地域において肥大化しつつあるという認識がある。また、都市組織と都市建築の型に関する研究は、建築計画研究の原点だと思っているからである。

              (7月18日 ニューデリーにて記す)

 

2025年7月9日水曜日

西山夘三年譜 西山文庫作成 :シンポジウム:「西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008年1月15日

 シンポジウム:主旨説明,司会:「西山夘三の計画学西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008115





2025年7月8日火曜日

西山夘三の住宅計画学と吉武・鈴木研究室の建築計画学の展開 内田雄造: シンポジウム:「西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008年1月15日

  シンポジウム:主旨説明,司会:「西山夘三の計画学西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008115


2008/01/15

西山夘三の住宅計画学と吉武・鈴木研究室の建築計画学の展

東洋大  内田雄

 

1西山夘三の研究領域とその立場

(1)   研究領域の大きな広が

* 建築                                川喜田煉七郎 他多

* 住宅計画学

* 住宅問題・住宅政策・住宅供給論

* 地域生活論・地域空間論・都市        石川栄耀

(2)   戦前には建築家が取り組むことの少なかった庶民住宅を研究対象とし、住み手の発展プロセスを重視した

また、都市計画においても一貫して住民主体を強調した

(3)   西山自身の主観的な意図とは別に、結果的には近代化路線を担った側面が存在する

* 西山を単純な近代化論者とは言い難いが、当時のマルキストには近代化推進、生産力重視という点で結果的に近代化路線を担った者が多かった

 

2西山夘三の建築計画学

(1)   システム科学、方法論としてはシステム分析であ

* 西山は 1930 年代後半から 1940 年代前半に独力でシステム分析の方法論を確立し、住宅計画の分野で住宅計画学を定立した

西山夘三「都市住宅の建築学研究」第一編『建築学研究』所収、1937 4 月、西山は同論文に若干手を加え、1944年発行の「国民住居論攷」に収録している

* 椅子の寸法をめぐる「転換」の主張

* 型によるアプローチマックス・ウェバーの影響があったのか?

* システム分析がアメリカやヨーロッパで発展したのは第二次世界大戦後であり、西山の住宅計画学は世界的にも評価されよう


(2)   西山は氏の住宅計画学の各パートを自らの研究対象とし、成果を挙げ


(シミュレーション

研究分     住宅問

住階層

住要求

住戸型

規格化

住宅政策

家族型

食寝分離論性別就寝論

すまい方 83 型住戸

64 型住戸

プレファブ化型別供給

図.西山夘三による建築計画のフローチャートと計画学研究

内田雄造「東大闘争と建築学計画研究」より引用

(3)   食寝分離論、就寝分離論の「発見

(4)   特定の居住者(住階層・家族型)に小住宅を供給する場合、住宅特に住戸型によってどのようなすまい方が行われるか(特に食寝分離や就寝分離の可否)を予想する技法を整備した

(5)   西山は住宅計画学の有効性を巧みに演出し「これからのすまい」の出版など社会的に影響力を発揮した

(6)   高度成長期における西山の展

* 住階層、住要求

構想計画-地獄絵と極楽図

* 都市問題

 

 

3吉武・鈴木研究室の建築計画学

(1)   システム分析の方法論を多くの公共建築分野に適用使われ方研究と称された

建築計画研究

病院計画

学校計画               施設計画の世界図書館計画

規模計画


空間計画


より抽象化された世界


一定の成功とその理由

* 戦後の価値観の変化という時代的背景管理より使い手・利用者の生活を重視

* アメリカやヨーロッパの建築という先進事例の存在

(2)  住宅計

西山の住み方調査・研究(吉武・鈴木研究室では住まい方調査・研究と称された)をより計画寄りに展開

鈴木には新しい生活にむけて建築から働きかけていくという志向が強かった

その成果(精華)としての 51C 型(2DK計画

35 ㎡の住宅において、食寝分離と就寝分離を確保

公私室型の追求

住宅地計画研究へ展開

(3)   建築計画学の限界西山研に比べ、吉武・鈴木研のメンバーの方が問題が良く見えていたと思われる

近代化・合理化こそ資本の要求利潤の拡大)であり、建築計画学はこの役割を担っている

* 吉武・鈴木研究室では公共建築を研究対象としていたので上記の構造が見えにくかった

* 規模計画、商業施設計画の分野では問題はより明らかだったと思われ

2DK も労働者のより廉価な再生産費を保証したという側面が存在する

個々の建築で近代化・合理化が進んでも、都市スケールといったより大きなところでの混乱が発生している

建築計画学をめぐって-1960 年代後半の状況

* 新しいモノが見えてこないとの焦燥感

* 生活者・使い手が計画者の操作・管理の対象となっている現実

* 科学技術の中立性や生産力理論への批判

(4)   新しい建築計画学への模索-60  年代後半から学園闘争の中で

建築計画学や都市計画学が果たしてきた、あるいは果たしている役割を


きちんと検証したい

生活者(住み手、利用者)との連携を必要と考え、連携を模索

アドボカシープランニング専門家として社会活動への参加

空間を研究対象として扱いたい

* 空間心理学を乗り越え、K.Lynch の「都市のイメージ」といった方法論を評価-「生活領域に関する研究」への取り組み

システム分析からモノづくり、空間づくりにどう関わっていくか

C.Alexand er の方法論「形の合成に関するノート」を評価

 

 

 

補 遺

(1)   内田自身は都市計画批判からまちづくり

* 特に住民参加、参加のまちづくりを追求した

(2)   西山夘三先生のこ

* 『建築計画学の足跡』所収「東大闘争と建築計画学研究」へのコメント-西山書翰参照

* 内田の学位論文「同和地区のまちづくり計画・事業に関する研究」

1990 年)への評価

明石書店から 1992 年に同書を出版した際には「同和地区のまちづくり論」と改題

 

 

 

添付資料

1) 原科幸彦「改訂版 環境アセスメント」放送大学教材、2003 3

2) 内田雄造「東大闘争と建築計画学研究」『建築計画学の足跡東京大学建築計画研究室

1942 1988』所収、1988 11

表「『北病棟の計画』に関する検討資料」を省略している

なお、『建築計画学の足跡』に収録している鈴木成文「東大紛争と計画研究」を併せて読まれることを希望したい

3) 西山夘三先生の内田宛書翰、1989 6 「東大闘争と建築計画学研究」他のレポート送付に対して


2025年7月7日月曜日

西山夘三の都市・住宅理論 住田昌二:シンポジウム:「西山夘三の計画学—西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008年1月15日

 シンポジウム:主旨説明,司会:「西山夘三の計画学西山理論を解剖するー」,住田昌二,広原盛明,内田雄三:五十嵐太郎,中谷礼仁,五十日本建築学会建築計画本委員会,建築会館ホール,2008115


建築学会シンポジウム                               1/15/08

西山夘三の都市・住宅理論

                              住 田 昌 二

 

1.研究活動の輪郭

 ①戦前・戦中期(193344)住宅計画学とマスハウジング・システムの体系化

  ○33年卒業後、設計事務所、大学院、兵役、住宅営団

  ―建築論の展開…『建築史ノート』ほか

  ―住宅計画学の確立…都市住宅諸調査→食寝分離論

  ―マスハウジング・システムの体系化…『国民住居論攷』→型計画、標準住居、住 

   宅生産システム

  ―『住宅問題』の刊行

 ②戦後復興期(194461)住宅問題・住宅政策論から住宅階層論へ

  ○京大営繕課長、建築学科助教授

  ―『これからのすまい』の刊行

  ―農村住宅調査の展開

  ―住宅階層論の提起…公団住宅の政策的位置づけ

 ③高度成長期(196174)都市論の展開

  ○京大教授時代…新設の地域生活空間計画講座担当

  ―都市論…リクリエーション論、モータリゼーション論など

  ―「構想計画」の提唱→「京都計画」「奈良計画」など

  ―『21世紀の設計』

 ④低成長期(197494)『日本のすまい』(3巻)の完成、まちづくり運動

  ―『日本のすまい』による西山住宅論の集大成

  ―景観保全運動、まちづくり運動

  【注】西山の主な社会活動

     ・大阪府地方計画委員はじめ地方自治体委員、万国博会場計画委員など

     ・学術会議(5期から10):「学問思想の自由」委員長など

     ・自治体運動:京都自治体問題研究所所長

     ・建築運動:「建築科学研究会」「青年建築家クラブ」「NAU」「NAC

     ・まちづくり運動:市電を守る会、奈良・京都・鎌倉の古都保存の連携など

     ・国際平和運動:中国、キューバ、ソ連訪問など

     ・労働運動:京大職員組合初代委員長

 ○西山の研究活動の特徴

  ―時代の転回、研究上の地位変化、研究テーマのシフトが見事に一致している

  ―研究を建築論から住宅論、都市論へと発展させた「ジェネラリスト」「啓蒙家」

  ―1911年生~1994年没、20世紀をほぼ駆け抜けた象徴的な「20世紀人」

  ―常に時代の先頭に立ち、≪近代化≫の「大きな物語」を描き続けた「モダニスト」

  ―研究スタンスは、体制の外側にあって体制批判したのでなく、批判しつつ体制に

   参加提案し改革をはかろうとした。Revolutionistでなく“Reformer”であった。

   (西山は、「計画」と「設計」は峻別したが、研究=政策とみていたのでないか)

  ―卒論の序文に掲げた「史的唯物論」が生涯通じて研究の倫理的規範であった。

2.西山計画学の成果

 1)住宅の型計画の展開

  ―「住み方調査」という科学的方法論を基礎に、「食寝分離」則を把握し、住宅の「型

   計画」を展開させていった。

  ―吉武・鈴木の就寝分離論につなぎ、2DK型集合住宅平面に結実。

 2)マスハウジング・システムの構築

  ―「型計画論」「近隣住区論」「生活圏段階構成論」により積み上げたマスハウジン

   グ・システム論の構築→『新日本の住宅建設』の提案

  ―戦後の住宅地計画理論へ発展、「団地・ニュータウン計画」の展開

 3)住様式論の提起

  ―『これからのすまい』を基礎に戦後の住まいの発展の筋道を示し、高度成長期に

   台頭した中間ファミリー層の住まいニーズに対応した「公私室型」の住宅を住様

   式論から論理づけた 

  ―清家清、池辺陽に代表される住宅作家の活動の肯定的批判

 4)住宅階層論による分析

  ―「階層」の概念をキーワードに、住宅の供給過程、テニュアの分化、居住者の社

   会的成層過程を一体的にとらえ、タイポロジー的に分析解釈することにより、近

   代日本の住宅の発展プロセスを示した→『日本のすまい』の集大成

  ―住宅階層論は、公団住宅の政策的位置づけの理論的根拠を与える

 5)構想計画論の提唱

  ―西山は、都市論の分野ではさまざまなテーマに取り組むが、いずれも啓蒙論レベ

   ルのもの。唯一注目されるのは、「構想計画」(西山はこれをImage planning   

   と呼んでいる)。都市の理想像を「極楽図」と「地獄絵」の対比で描き、ワークシ

   ョップ的にアウフヘーベンしていく方法論。「京都計画」「奈良計画」で提示

 6)総括

  ―西山の研究が目標としたのは、①住まいの封建制を打破し、②低位な庶民住宅の

   状態の改善向上をはかり、③前近代的な住宅生産方法を改めていく、の3点であ

   った。政治的には民主化、経済的には産業化、社会的には階層平準化の同時進行 

   を近代化と規定するなら、西山の研究は、「近代化論」であった。

  ―西山の学問は、徹底して「問題解決学」的性格をもち、計画学としての体系は、

   空間を機能性・合理性基準によって解析し、社会をシステム論的に構築すること

   で一貫していた。

 

3.西山計画学の歴史的考察

 1)西山計画学の原点――15年戦争との対峙

  ―西山の思想・研究の原点は、15年戦争と真正面から対峙し、非常時体制を逆手に

   とって国民の住宅、生活の水準を一挙に押し上げようと狙ったこと

  ―山之内靖は「総力戦とシステム的統合」(『総力戦と現代化』柏書房,1995)におい

   て、第2次世界大戦期の日本の総力戦体制が、戦争遂行への人的資源の全面的動 

   員を通じて社会の機能的再編成を促し、戦後の国民社会は、この軌道の上に生活

   世界を復元したと述べている。総力戦体制の下では「強制的均質化」が非日常的

   で非合理的な状況で促されると指摘している。

  ―西山は、総力戦下における「生活基地の総合的建設」を謳い文句に強制的均質化

   として要素還元された「国民住宅」を論じ、社会を「機能」と「システム」によ

   って構築する方法論を体得した。

 2)西山計画学の発展の背景――国際的に50年続いた住宅飢餓時代

  ―現役時代に西山がマスハウジングの計画思想を一貫して発展させることができた

   のは、関東大震災とそれに続く世界恐慌、満州事変から太平洋戦争の15年に及

   ぶ戦時期、戦後の混乱と復興、その後の経済急成長と大都市圏への民族大移動が

   続き、約50余年にわたり、住宅の大量供給が国民的課題として存在したからだ。

  ―国際的にみても、第一次世界大戦後の戦間期から第二次世界大戦を経て、戦後復

   興、そして高度経済成長が二度の石油危機に至るまでの50年間は、戦災と住宅 

   焼失、帰還兵の住宅難、世界恐慌によるスラムの顕在化、好況期には人口の大都

   市集中などがが生起し、住宅の大量供給が常に大きな社会的要請となった。この

   ような社会的背景のもと、イギリスの田園都市運動、ドイツのジードルング政策、

   ロシアの新都市建設論、アメリカにおける近隣住区論の展開、ヨーロッパ全体に

   ひろがったCIAMの運動など、マスハウジング理論が国際的に花開いた。西山は

   これら建築・都市思潮に大きく刺激され、理論の精緻化を図っていった。

 3)西山計画学のフェード・アウト――1973年の歴史転回

  ―戦後住宅史からみて、1973年は歴史的転換点となる。①2つの世界的経済ショッ

   クが日本を直撃した。71年のニクソンのドル防衛政策の発表に加え、73年のオ

   イルショックによって、日本の経済成長は急速にスローダウンし、成長の陰に隠

   れていた公害や環境破壊が噴出した。②1972年の田中内閣の『日本列島改造論』 

   で全国的に展開し始めた開発に急ブレーキがかかり、地価も住宅建設量も急落し、

   以後都市開発は、経済優先から生活優先にスタンスを変えていく。③戦後地方か

   ら大都市圏への人口大移動の流れは、1973年を境に、それまでの3大都市圏へ

   の集中から東京圏への一極集中に転じた。また1973年の住宅センサスは、すべ

   ての都道府県で住宅数が世帯数を上回っていることを示した。

  ―つまり、1973年をもって日本の住宅問題は「量」の問題から「質」の問題へ移 

   行し、それによってマスハウジング論は転換を迫られることになる。

  ―西山が京大を退官した1974年以降、世界経済の不安化が進み、資源問題、南北

   問題が激化する。東欧やソ連邦の社会主義国の解体が起こり、福祉国家の行き詰

   まりが露呈する。国内的には、産業構造、雇用市場の再編で情報社会化が一気に

   進むとともに、「一億総中流化」の二極分解が起こりはじめた。少子高齢社会化の

   影響も随所に現れ始める。建築・都市面ではポスト・モダン思潮が拡がる。この

   ような状況下で、西山が依拠してきた「近代性」の公準は有効性を失う。

 

4.「小さな物語」としての西山理論の超克

 21世紀を展望したグランド・セオリーが求めれるが、ジェネラリストとしての西山が

 構想した「大きな物語」は、もう描けないのも確か。私としては、「小さな物語」を愚

 直に試行していくしかない。敢えて私は、西山の超克として3点を提起したい。

  ①マスハウジングからマルチハウジングへ

  ②階層から地域へ

  ③計画から文化へ

                            ―以 上―


布野修司 履歴 2025年1月1日

布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...