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2025年11月6日木曜日

パラマリボ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日

 パラマリボ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日


L19 ニューヨークと交換された街―南米ワイルドコーストの木造首都―

パラマリボParamaribo,パラマリボ地方,スリナムSurinam

 


スリナム(旧蘭領ギアナ)の首都パラマリボの起源は、1499年にアメリゴ・ヴェスプッチに率いられた船団によるいわゆる南米ワイルドコーストが発見に遡るが、本格的に植民地化されていくのは17世紀以降で、1651年に英国人フランシス・ウィルビー卿がタバコとサトウキビ農園を開発し成功したことに始まる。さらに、166567年の第二次英蘭戦争中にオランダが占領、戦後、ニーウ・アムステルダム(現ニューヨーク)と交換されたのがスリナムである。以後1975年の独立まで約300年、オランダ支配が続くことになる。パラマリボの名は、スリナム川河岸の先住民の村であったパルマルボParmarboあるいはパルムルボParumurboに由来する。

奴隷制廃止以後、プランテーション経営のために中国やインド、ジャワ、カリブ地域などから大量の労働力が導入され、首都パラマリボにはそれら多様な民族が混住する。また市街地中心部には植民地時代の建築が多数残り(図①)、2002年に世界文化遺産へ登録されている。

 オランダはまず、スリナム川河口にフォート・ゼーランディアを建設する。要塞は正五角形の各頂点に稜堡を備えたプランで、周囲には濠も建設された。オランダ支配の下で次々とプランテーションが開発され、要塞の西に市街地が形成されるようになる。その形成過程は以下のようである(図②)。

① 17世紀後半にゼーランディア要塞の西に市街地が広がり始める。排水のための運河に平行に、貝殻層の土地に沿うように3本の主要街路が 設けられ、その後の市街地発展の方向を決定づける。

② 18世紀初頭に3本の主要街路がさらに西に延長され、要塞から約2キロほど西まで市域が拡大する。また、より河口に近いコランティン川との合流地点に新たな要塞が築かれた。

③ 18世紀半ばに、従来の西方向への拡張に対し、ほぼ45度の角度をなす斜めのグリッド・パターンの市街地が形成される(図③)。

18世紀後半になると、プランテーションの維持を管理人に任せた農場主が多数パラマリボに移住するようになり、そうした人口増加を反映して、フォート・ゼーランディアの北および従来の市域の南の運河によって区切られた地区に、新たな居住地区が形成されていくことになった。

1863年に奴隷制が廃止され、自由の身となった多くのアフリカ系黒人がパラマリボに移り住むようになった。またプランテーション維持のため、インド、インドネシアを中心とした国々から多くの労働力を輸入したことで人口が急増し、市域は北側と西側を中心にさらに郊外へと拡大していく。

市街地の建物はほとんど木造であったため、しばしば火災がおこり、特に1821年と1832年には大火によってパラマリボ中心部の大部分の建物が灰と化した。今日、17世紀、18世紀の建物は数えるほどしか残っていない。

1800年頃までにパラマリボ中心部の骨格が形成されるのであるが、大きくは18世紀半ばまでのプランテーション開発期における要塞および都市機能の整備による都市域の拡張と、18世紀後半以降のプランテーションの衰退に伴うパラマリボへの人口の集中による居住地の拡張という2つの局面がある。そして市街地においては、現在も当時建設された街区ブロックが、ほとんどそのままの形で維持されているのが大きな特徴である。

 パラマリボの市街地はスリナム川に注ぐ排水用の運河によって土地が分割されている。市域の拡張に際しては、そうした運河で区切られた地区が1つの拡張の単位となっていた。基本的な街区割りは、正方形グリッドに基づいているが、運河や斜めの街路と接する部分では台形のブロックがつくられている。当時オランダではいくつかの寸法単位が使用されていたがパラマリボで用いられたのはラインラントの単位ラインラント・ロット=12フィート(377.7cm)である。1ラインラント・フィートは約31.48センチメートルとなる。基本となる正方形ブロックは、東西に3分割された内の東西両端の敷地がさらに南北に3等分されている(図4)。

 オランダ西インド会社WICによって1718世紀に建設された交易拠点は、アジア、アフリカ、南北アメリカの広範囲におよび、その数は150以上にのぼるが、その中で、パラマリボは、首都とは言え、人口25万人に満たない小都市にすぎない。そのパラマリボは、その起源において、ニーウ・アムステルダムと交換された植民拠点である。大メトロポリスとったニューヨークと比べると実にユニークな珠玉のような木造首都である。

 

 参考文献

 布野修司編(2005)『近代世界システムと植民都市』京都大学学術出版会。

 Bubberman, F.C. et al Links with the Past: The History of the cartography of Suriname 1500-1971”, Theatrum Orbis Ter.r.arum B.V., AmsteRdam, 1973

Fontaine, Jos, “Zeelandia De Geschiedenis van een Fort”, De Walburg Pers Zutphen, 1972

Fontaine, Jos,” Zeelandia De Geschiedenis van een Fort”, De Walburg Pers Zutphen, 1972

Goslinga, Cornelis Ch., “A Short History of the Netherlands Antilles and Surinam”, Martinus Nijhoff, Hague, 1979

Goslinga, Cornelius Ch., “The Dutch in the Caribbean and in the Guianas 1680-1791”, Van Gorcum, Maastricht, 1985

Urban Heritage Foundation Suriname “Plan for the Inner City of Paramaribo”, Vaco Press, 1998

Urban Heritage Foundation Sruriname “PARAMARIBO Image of the past, vision on the future”, Paramaribo, 1997






 

 


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