プエブラ:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
L13 天使の街
プエブラ
Puebla,プエブラ州 Puebla,メキシコ Mexico
プエブラが、初代司教となるフリアン・ガルセスによって建設されたのはエルナン・コルテスがテノチティトランを征服して10年後のことである(1531年)。当初、天使の街(プエブラ・デ・ロス・アンジェルス)と呼ばれる。
コルテスは、メキシコ市(シウダード・デ・メヒコ)の建設を開始する一方、アステカ帝国領内各地にスペイン兵士と帰順したアステカ兵士を送り、1524年までにオアハカ、チアバス、ソコヌスコ、グアテマラを占領、ユカタン半島とグアテマラ以南を除くメソアメリカを支配下に置いた。そして、メキシコ市にアウディエンシアが置かれる1528年までに31の拠点、ヌエヴァ・エスパーニャ副王領が置かれた1535年までにさらに25の拠点が設置されたが、そうしたスペインがメキシコに建設した植民都市の中でも、プエブロは、西約220kmに位置する外港ヴェラクルスと北西約100kmにあるメキシコを結ぶルートの中継地として発展する。
農産物をメキシコ市に供給する一方、地域の繊維生産の中心となった。また、プエブラは,良質な土が採取できることから陶器(タラベラ)の町としても知られる。さらに、プエブラはメキシコの北部、特に1548年に最初の銀鉱脈がサン・ベルナベ鉱山から発見されて以降は、サカテカス周辺の銀鉱地帯と結びついた。当初からスペイン人が多く住んだが、先住民が、食料品や食料品を集めて人々に売るウィークリー・マーケット(ティアンギス)が開かれるようになり、先住民もサンフランシスコ川の西岸から高地に移住してきた。プエブロは、ヌエバ・エスパーニャでメキシコ市に次ぐ第2の都市となる。
メキシコで最も高い活火山,標高5426mのポポカテペトル山の麓(標高2100m)に,アステカの既存の集落とは別に全く新たに建設されたプエブラは、極めて整然としたグリッド・パターンの都市である。残された都市図によれば、17世紀末には今日の歴史地区の大半は建設されていたことがわかる(図1)。16世紀半ばまでに、ソカロ(中央広場:プラサ・マヨール)に水が供給され、噴水がつくられている。120程度の街区が確認されるが、その大部分は建設中である。
市壁は建設されず、グリッドを都市の発展に応じて延長するスペイン植民都市の典型である。グアダラハラ、オアハカなども同様であるが、プエブラの場合、軸線が北西から南東に傾いており、街区の形状が長方形をしていることが特徴的である。1794年の都市図(図2)によれば、ソカロの縦横比は1:2で、1573年のフェリペⅡ世の勅令(インディアス法)に従っている。長方形街区100ヴァラ×200ヴァラであり、2×4=8に分割される。プエブラ建設の段階で、スペイン植民都市の基本的計画モデルはできあがっていたことがわかる。
プエブラの中心となるカテドラルの建設がソカロに接して始まったのは1575年であるが、その後長い年月をかけて建設し続けられ、今日に至る。建築家としてフランシスコ・ベセラとジュアン・デ・シゴロンドの名が知られる。カテドラルはラテン十字の平面形をしており、左右各2列の身廊をもつ。1649年に奉献されているが、塔はなかった。北塔が増築されるのは1678年,南塔が建築されたのは1768年、建築家エンゾザミエントによって完成をみたのは1772年である(図3)。かつて「世界の8番目の不思議」として知られたロザリオのチャペルのあるサント・ドミンゴ教会は1650年から1690年の間に建てられたものである。メキシコバロック建築の傑作である。
1714年に新しい市庁舎が建設される。イオニアの柱とペディメントのルネッサンス様式である。プエブラ劇場は、1761年にミゲル・デ・サンタマリアによって建設されたが、現在のものは1998年に再建されたものである。街路が舗装されたのは1786年から1811年にかけてのことである。旧市街「プエブラ歴史地区」は、1987年にユネスコの世界文化遺産に登録されているが、2階建ての中庭(パチオ)式住宅が整然とした町並みを維持してきている(図4)。建物の多くが,スペイン南部からの入植者が普及したタラベラ焼きのタイルで装飾されている。
メキシコが独立(1827年)すると、スペイン人は全て追放される。1847年には米軍、1863年にはフランス軍に占拠されたが、イグナシオ・サラゴサ指揮下のメキシコ防衛軍が、当時世界で最強とされたフランス軍を撃破し、都市名はプエブラ・デ・サラゴサに変更された。メキシコ革命(1910~1917)時には、その先駆けとなる蜂起,反乱が起こった都市である。
プエブラは、約250万人(大都市圏域約325万人。2017年)、フォルクワーゲンの工場が立地する産業都市として、また、歴史文化都市としてメキシコ有数の都市としての存在感を誇示している。
(松枝朝・布野修司)
【参考文献】
布野修司・ヒメネス・ベルデホ,ホアン・ラモン『グリッド都市-スペイン植民都市の起源,形成,変容,転生』,京都大学学術出版会,2013年
Alttman, Ida, Transatlantic Ties in
the Spanish Empire: Brihuega, Spain and Puebla, Mexico 1560-1620. Stanford:
Stanford University Press 2000.
図1 プエブラ 1698年 Alttman, Ida(2000)





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