平遥:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
J03亀城-清の金融中心
平遥 Pingyao,山西省 Shanshi,中国 China
平遥古城は、山西省の省都である太原から南へ95km,中部にある晋中市平遥県に位置する。平遥古城は、明清時代の城壁とその街並みが極めて良い保存状態で残されていることが評価され、1997年にユネスコ世界文化遺産として登録された。平遥古城の周辺には、古い歴史をもつ名刹の他、喬家大院をはじめとする山西商人の大邸宅も点在している。世界文化遺産には城の外にある仏教寺院の鎮国寺と双林寺および孔子廟である平遥文廟が含まれている。
平遥古城は、漢民族が中原に形成した城壁都市の典型であり、その築城構成には漢民族の都市文化の伝統をうかがうことができ、建築史はもちろん、当時の文化、社会、経済を研究する上でも非常に価値のある貴重な現存資料といえる。
平遥古城の城壁の基礎は、2700年前の西周時代に造られたといわれ、春秋時代には晋国、戦国時代に趙国の城塞であった。秦の郡県制の下では平陶県、漢の郡国制の下では中都県が置かれた。そして、北魏時代に平遥県と改称されている。
平遥は、「龜城」と呼ばれるが、明清時代に各地に築かれた県城の原型をよく保存している。城壁(城牆)は明王朝の洪武三年(1370年)に築かれたものである。城壁は内部を土で固めて外部をレンガで築く版築で造られ、外周6.4km、高さ約12mある。現在は6つの城門と瓮城、4つの角楼、72の敵楼が残る。南門の城壁は2004年に倒壊したため再建されたが、その他の部分は明王朝のままである。これは中国に残る都市の城壁の中でも規模が比較的大きく、歴史も古く、保存状態が完全に近いものであり、世界文化遺産の核心を構成している。
城壁内部は、政務を司った建物を中心に4本の大通り、8本の裏通り、72本の路地によって巨大な八卦の図案を形成している。すなわち、城内の街路は「土」字形をなし、建築は八卦の方位に準じて配置されており、明清時代の都市計画の理念と基本を示すとされる。
清王朝末期の平遥は、中国全土の票号の半分以上の大きな票号(近代以前の金融機関)が20数家集中する金融の中心地であった。これらの票号は各地に支店を置いて金融業を営んだが、なかでも19世紀初の清王朝道光年間に設立され「匯通天下」として19世紀後半に名をはせた中国最大の票号「日昇昌」は有名である。これらの票号は辛亥革命で清王朝が倒れると債権を回収できず没落していった。これらの票号の建物は現在でも残り観光地となっている。
平遥には、以上のように、城内外には数多くの旧跡や古建築が300か所以上あり、その他明清時代の民家邸宅が4000軒近く残り保存状態も良い。街路に建ち並ぶ商店などはかつての姿を残しており、中国近世の商都の街並みの生きた見本となっている。
通りから一歩外れると、静かな住宅街へと一転して、中国北部の伝統的な建築様式である「四合院」が建ち並ぶ。古城内に学校、工場、病院なども備わっており、現代においても旧市街だけで都市機能を有しているユニークな都市であり続けている。
【参考文献】
中国古建築叢書ー山西古建築 雍振華 2015 中国建築工業出版社
平遥―古城と民居 宋昆

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