東京:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
01 一極集中の世界都市
東京
Tokyo,東京都 Capital,日本 Japan
首都東京を核とする都市集積地域の人口は約3700万人に及ぶ。日本の総人口の約3分の1が居住し、世界最大の大都市圏を形成する(国連統計局)。
東京の起源は、徳川家康が幕府を置いた(1603年)江戸城に遡るが、もともとは扇谷上杉氏の家臣太田道灌が1457年に築いた平山城である。その名は、『吾妻鏡』(鎌倉時代末期)が初見で、入江(江)の入口(戸)という説が有力である。平安時代後期に秩父地域から荒川沿いに下ってきた一族の中から江戸氏が生まれるが、室町時代に入ると衰え、江戸氏の居館跡に道灌が江戸城を建てるのである。
家康が駿府から江戸城に居を移し、神田山を削って日比谷入江を埋め立てる城下町建設を開始したのは1590年である。そして、関ヶ原の戦いの勝利し(1600)、征夷大将軍となり(1603)、幕府の所在地として本格的な都市建設を行う。そして、江戸は拡大を続け、18世紀初めには100万人を超える大都市に成長する。
江戸とほぼ同時期に建設され、「東洋の女王」と呼ばれたのがバタヴィアである。関ヶ原の戦いの年、オランダ船リーフデ号が豊後の臼杵湾に漂着する。家康が八重洲の名に残るヤン・ヨーステンなどを庇護し、顧問、通詞、貿易商人として使ったことが知られる。オランダの平戸商館設立を助けたのも乗組員のひとりM.J.サントフォールトである。そして、初代平戸商館長(1609-13)となったヤックス・スペックスは、後に第7代オランダ東インド総督(1629-32)となる。江戸幕府は厳しい海禁政策を採るが、バタヴィア出島を通じて世界と繋がり続ける。
江戸とバタヴィアの都市構造は極めて対照的である。バタヴィアがS.ステヴィンの理想港湾都市計画案を下敷きにしたように極めてシステマティックなグリッド・プランであるのに対して、江戸は螺線の形態をとる。そして、江戸は、城下町について一般的に指摘されるが、江戸城を中心として、譜代大名、外様大名などが位階的に配置される空間構造をしている(図1)。また、参勤交代を制度化した中央集権の官僚中心の行政都市であり、男性人口が多いユニークな都市であった。アジアでは、大英帝国のインド首都ニューデリーの藩王を配置した都市構造が江戸に似ている。
京都、江戸を東西両京(あるいは大阪を西京として三京)と位置づけ、東京に改称され、天皇が移住するのは1868年である。以降、ロンドン、パリ、ベルリンに匹敵する近代国家の首都をめざす都市計画が展開される。その象徴が「銀座煉瓦街計画」であり「日比谷官庁計画」である。日本の首都東京計画は、その後もG.E.オースマンのパリ計画(グラン・トラヴォー)、ナチの国土計画など、ヨーロッパの都市計画がモデルにされていく。
一方、東京の都市形態を大きく規定してきたのは、戦災、災害である。戊辰戦争で江戸は大きなダメージを受けた。そして、関東大震災(1923年)、第二次世界大戦の空爆によって、壊滅的な打撃を受けた(図2)。今日の東京は、戦後、闇市が鉄道駅周辺に雨後の竹の子のように建ち並ぶなかから、そして、江戸の都市構造をベースにしながら、近代都市計画(大ロンドン計画など)の理念に基づいて再生復興を遂げてきた。そして、今日の東京にとって、決定的な転機になったのは、東京オリンピックである。
東京オリンピックの会場施設、とりわけ丹下健三設計の国立代々木体育館は、復興日本、その首都東京を世界にアピールする象徴になった。もちろん、それだけではない。東京が江戸とは全く異なる都市構造に大転換するのである。もともと、入江であり、水のネットワークで成り立っていた東京に、車を基本とする高速道路網が建設されるのである。高速道路で覆われた現在の日本橋がこの大転換を示している。
時期を同じくして、丹下健三は東京計画を発表する(図3)。それは、螺線構造の江戸、大ロンドン計画のように周辺に衛星都市を設ける都市構想を大転換する、同心円的構造ではなく、軸線をはっきりさせて、東京湾に新たに居住空間を建設する提案であった。しかし、それが実現することはなかった。当然である。都市が提案によって一気に変わるということはそうそう変わるわけではない。
1970年代の東京は、2度のオイルショックを受けて、拡大成長の限界が意識されたが、1980年代後半のバブル経済は、東京のさらなる開発の方へ向かう。ウォーターフロントへ、超高層へ、大深度地下へ、開発が求められるのである。
バブルが弾け、世界第二位の経済大国を誇った日本が低迷に向かうと、東京もその世界都市としての相対的地位を低下させていき、2011年の東日本大震災は、その防災上の問題を露呈させた。2020年の東京オリンピックの開催によって、東京の再活性化が期待されるが、世界一の一極集中都市の未来は必ずしも明るくはない。(布野修司)
【参考文献】
Shuji Funo:Tokyo:Paradise of
Speculators and Builders,in Peter J.M. Nas(ed.),“Directors
of Urban Change in Asia ”,Routledge Advances in Asia-Pacific
Studies,Routledge,2005
藤森照信『明治の東京計画』岩波書店、1982
Cybriwsky, Roman: “Tokyo: The Shogun’s City at the Twenty-First Century”,
John Wiley & Sons, 1998.
石田頼房『未完の東京計画』筑摩書房、1992年
石榑督和『戦後東京と闇市』鹿島出版会、2016年
Jinnai, Hidenobu: “Tokyo a spatial
anthropology”, translated by Kimiko Nishimura, University of California Press,
1995.
Karan, P.P. and Stapleton, Kristin (ed. ), “The Japanese
City”, The University Press of Kentucky, 1997.
越沢明『東京の都市計画』岩波書店, 1991.
内藤昌『江戸と江戸城』鹿島出版会, 1967.
Seidensticker,E., “ Tokyo Rising: The
City Since the Great Earthquake”, New
York, Alfred A. Knopf, 1990.
玉井哲雄『江戸 失われた都市空間を読む』平凡社, 1986.
渡辺俊一『都市計画の誕生』柏書房, 1993.
図3 丹下健三の東京計画 1960



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