モントリオール:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
L02 北米のパリ
モントリオール Montreal,ケベック州 Quebec,カナダ Canada
モントリオール(モンレアル)は、北米のフランス植民都市を代表する都市であり、今日でも住民の大半はフランス系カナダ人を中心にしたヨーロッパ系である。人口は約170万人、カナダではトロントに次ぐ第二の都市である。モントリオール大都市圏(約352万人)の7割はフランス語を第一言語とし、そのヨーロッパ的な都市景観から「北米のパリ」と称せられる。
フランスの植民地建設の歴史は、1604年の東インド会社設立以前に遡る。そして、東インドより「新大陸」への進出がはるかに先行する。1503年から1505年にかけてブラジルに到達した記録が残されており、ヴェラツァーノがニューファンドランドからフロリダ半島までの北米東海岸を4回にわたって探索している(1524~28年)。そして、ジャック・カルティエ(1494~1554)が1534年,1536年,1540年と3回、イロコイ族が居住する今日のカナダの東海岸に到達、ヌーヴェル・フランスと名づける。しかし、カルティエは入植には失敗する。
本格的な植民が開始されるのは1603年であり、サミュエル・ド・シャンブラン(1567~1635)によって、太平洋に面するポート・ロイヤル(1604)、セントローレンス川の河口に近いケベック(1608~1763)に続いて、モントリオールに拠点が設けられることになる。
セントローレンス川を遡り、オタワ川が合流する地点にある小さな川中島にポール・ド・ショメディ・メゾンヌーブに率いられた一団が入植し、ヴィル・マリー(マリアの街)という名の開拓地を建設したのがモントリオールの起源である(1642年)建設当初の図が残されているが、小さな広場のまわりに要塞、教会、そして北米最初の病院とともに複数の住居が描かれている(図1)。
ヴィル・マリーは毛皮取引の中心として、また、フランス人探検家たちの拠点として発展し、1665年までに居住者は約500人、1680年には約1,400人に達している。そして、ヌーヴェル・フランスがイギリス軍に占領されてイギリス領となる1760年頃には8,000人以上が居住する都市となった。
当時の都市図(図2)が残されているが、初期のフランス植民都市と比較するとケベックやルイスブルグ(図3)とは極めて対照的である。すなわち、ケベックはヨーロッパの中世都市の伝統、ルイスバーグはルネサンス都市の計画に基づくのに対して、地形に限定された線状の形態をしている。セントルイス(ミズーリ)、モビール(アラバマ)もよく似ており、ニュー・オリンズ(ルイジアナ)も同様である。モントリオールは、ニュー・オリンズで完成される北米におけるフランス植民都市の原型である。
イギリス植民地下のモントリオールは、1832年に市となり、島の南西部とサン・ルイス湖への港を結ぶラシーヌ運河の開削によって発展し、英領カナダ合同州の首都(1844~1849)となる。1860年代には、北米イギリス最大の都市であり、カナダの経済的、文化的中心となる。そして、19世紀から20世紀にかけて、英国系移民が数多く流入し、発展する。2つのカナダ横断鉄道路線がモントリオールを通り、モントリオールは経済的にカナダで最も重要な都市となるのである。
今日のモントリオールに残されている歴史的な建築物はヴィクトリア朝時代のものが多い。すなわち、一方で、英国的な雰囲気もモントリオールには残されている。ノートルダム聖堂が建設されたのは1672年であるが、現在の聖堂はアイルランド系アメリカ人のプロテスタントでニューヨーク出身のゴシック・リヴァイバルの提唱者ジェームズ・オドネルが設計したものである。聖堂の内陣の建築が終了したのは1830であり、最初の塔が完成したのは1843である。当時、聖堂は北米で最大であった。
世界恐慌は、モントリオールに大きな打撃を与えるが、1930年代半ばには回復し、超高層ビルが次々に建てられた。第二次世界大戦後、1950年代前半には人口は100万人を超える。1950年代には、新たな地下鉄システムが整備され、モントリオール港は拡大された。また、セントローレンス水路が開削されている。
モントリオールの国際的な地位は1967年の世界博覧会と夏季オリンピックの開催で確固たるものとなる。大リーグ野球MJPのチーム・エクスポスは、1969年~2004年、モントリオールを本拠地とした。モントリオールは、1980年頃まではカナダ最大の都市であった。トロントにその地位を譲ることになったのは、1970年代におけるケベック・ナショナリズムの高まりによる。1883年に周辺町村を合併した際、フランス語を公用語に戻した経緯もある(~1918年)。歴史的に経済、金融などは英語ベースで行われてきたのであるが、フランス語を単一公用語とする措置をとったことから、主要な企業の本社がトロントへ移転することになるのである。
とはいえ、モントリオールは、フランス語圏においては、パリ、キンシャサにつぐ第3の都市であり、カナダを代表する都市としてその歴史を誇っている。
【参考文献】
John W. Reps, “The Making of
Urban America A History of City Planning in the United States”, Princeton University
Press, 1965
布野修司編(2008)『近代世界システムと植民都市』京都大学学術出版会
図2 モントリオール2005(John W. Reps(1965))
図3 ルイスバーグ1764(John W. Reps(1965))


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