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2024年5月10日金曜日

2022年上半期読書アンケート,図書新聞, 3553号,2022年7月30日

読書アンケート 2022年上半期

布野修司

 

❶稲村哲也・山極壽一・清水展・阿部健一編『レジリエンス人類史』京都大学学術出版会20223月❷秋吉浩気『メタアーキテクトー次世代のための建築』スペルプラーツ20223月❸アラップ+日経アーキテクチャー『ARUPの仕事論 世界の建築エンジニアリング集団』日経BP2022年1月❹水田恒樹『産業革命の原景 英国の水車集落から米国の水力工業都市へ』法政大学出版局20225月❺小川格『日本の近代建築ベスト50』新潮新書20221

❶は、わが国を代表する知性たちによる人類と地球の歴史とその未来についての論考である。全体は25章からなるが、もとより単なる論集ではない。徹底した議論が基になっており(QRコードでその総合討論・座談会も読むことができる)、人類史を5つのPhaseに分け、主概念レジリエンス(危機を生きぬく知)について3つのキー・コンセプトが立てられている。「人新世」の転換を展望するのはPhaseⅤの5本の論考である。❷は久々に現れた建築理論書である。小冊子であるが、ShopBotという木材加工機を手に入れて以降の各種木工品、家具、そして建築への実践活動の展開をもとに、これまでの建築家の試みを含み込む建築の生産流通消費の壮大な理論が組み立てられようとしている。今後の展開が楽しみである。❸は、世界を股にかける建築エンジニアリング集団ARUP東京事務所の仕事。❷と❸に大きな位相の差異はない。❹は、産業革命の原点を問う。R.オウエンのニューラナークの実態がよくわかる。❺はヴェテラン建築編集者による日本の近代建築ガイド。若い世代には最早知られない建築家も多いか?(建築批評)




 

2024年2月24日土曜日

神殿か獄舎か、わたしが選んだこの一冊 河合文化教育研究所 からの推薦図書、河合塾、202206

 わたしが選んだこの一冊             河合文化教育研究所

神殿か獄舎か

長谷川堯 

                  鹿島出版会 SD選書[定価:本体2400円+税]

 

 推薦 布野修司(ふの・しゅうじ)

島根県松江生まれ。建築計画学・都市計画学専攻。国公私立5大学・東京大学(助手)・東洋大学(講師・助教授)・京都大学(助教授)・滋賀県立大学(教授・副学長)・日本大学(特任教授)。『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究』で日本建築学会論文賞,『近代世界システムと植民都市』で日本都市計画学会論文賞。アジア都市三部作『曼荼羅都市』『ムガル都市』『大元都市』,建築論集『廃墟とバラック』『都市と劇場』『国家・様式・テクノロジー』,『戦後建築論ノート』『裸の建築家―タウンアーキテクト論序説』『建築少年たちの夢』『進撃の建築家たち』,最新刊『スラバヤコスモスとしてのカンポン』など。

 

神殿か獄舎か!という実に刺激的なタイトルを冠した本書が上梓されたのはちょうど半世紀前の1972年である。高度成長の1960年代の掉尾を飾った大阪万国博覧会Expo70の高揚,その余韻が残る中で,本書がターゲットとしたのは,戦後日本の建築界を主導してきた丹下健三である。丹下健三(19132005)と言えば,東京オリンピックの国立代々木体育館などで知られる日本を代表する世界的建築家である。その丹下健三を〈神殿志向の建築家〉として切り捨てたのである。それに対して高く評価したのが豊多摩監獄(1915)を設計した後藤慶二(18831919)である。後藤慶二は,司法省に所属する建築技師,すなわち〈獄舎づくり〉であった。

本書が出版された翌年,オイルショックが日本を襲う。年間新築住宅は186万戸から115万戸に激減,繁華街のネオンサインが消え,就職先が全くなくなる,高度成長の終焉は実にドラスティックであった。高度成長の背後で,公害,大気汚染など環境問題などが噴出し,開発・拡大・成長路線に懐疑的になりつつあった時代に本書はぴったりであった。大学生だった筆者は,多くの建築学生,若い建築家たちとともに,むさぼるように読んだ。そして,著者の長谷川堯さんに会いに行った。そんなことは後にも先にもない(全く関係ないけど,俳優長谷川博己は堯さんの長男である)。筆者と同世代で,自然素材に拘る建築家として脚光を浴びる藤森照信は,本書の復刻に際して,「モダニズムを震撼させた衝撃の名著」と書く。

こう紹介するといささかジャーナリスティックな書のようであるが,核心は,日本の大正期の建築の可能性を丁寧に掘り起こしているところにある。Ⅰ 日本の表現派,Ⅱ 大正建築の史的素描―建築におけるメス思想の開花を中心に―,Ⅲ 神殿か獄舎かー都市と建築をつくるものの思惟の移動標的、という大きく3つの論考からなるが,そこで焦点を当てる建築家の一人が夭折した後藤慶二なのである。

日本の近代建築の歴史は,幕末から明治期にかけての西洋建築の移入から書かれる。建築は,西欧では一般に人文系の分野に位置づけられるが,日本では,文明開化,殖産興業の旗印のもとに,工学の枠組み(工部寮)の中に位置づけられてきた。すなわち,建築の技術的側面が重視され,加えて日本が地震多発地帯であることから建築構造学が発達して,建築の設計のあり方を大きく支配してきた。長谷川堯は,この構造技術主導の建築思想をオスの思想とし,大正期の建築の表現を重視する流れをメスの思想として対置したのである。

近代建築(モダニズム建築)というと一般には鉄とガラスとコンクリートを素材にした四角な箱型の平ら屋根(フラットルーフ)の建築をいう。世紀末から1920年代にかけて西洋で起こった近代建築運動は,20年ほどのタイムラグで日本に移入される。近代建築の理念が根づいたとされるのは1930年代であるが,15年戦争に突入した日本で近代建築が開花するのは第二次世界大戦後である。この日本の近代建築についても,〈近代合理主義〉の建築として、その代表である丹下健三を長谷川堯は痛烈に批判するのである。

以上の乱暴な要約によって,読む気になっていただけるかどうか心もとないが,要するに,この一書を読めば日本の近代建築の歴史についての見取り図を得ることができる。しかも,建築の本質的なあり方,<獄舎づくり>としての建築家の本来的なあり方について考えさせてくれるのである。手掛かりは,3つのD-ディフェンス,ディメンジョン,ディテール-である。