中高層ビルと「目隠し塀」 中国古都の光と影,『CE 建設業界』Volume59, 日本土木工業協会,201010
中高層ビルと「目隠し塀」―中国古都の光と影
布野修司
「中国都城の系譜とその空間構造の変容に関する研究」(科学研究費助成研究)といういささか大それたテーマで、中国を移動中である(2010年8月6日~9月4日)。北京から南京、杭州、開封、洛陽、西安と、歴代古都―七大古都という場合、安陽(殷墟)、八大古都という場合鄭州がさらに含まれる―をほぼ歴史の逆向きに回って北京に戻ってくる。
中国国家文物局中国文化遺産研究院が研究拠点を置く天津大学との打ち合せのために北京経由でまず天津に入った。阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件以来だから15年ぶりである。当時は、唐山地震(1976年)の被害の痕跡がまだ残っており、旧天津城内部には、スコッター(不法占拠者)然のバラックが多数残っていたが、再開発されてその面影もない。超高層ビルが建ち並び、さらにクレーンがここそこ聳えており、渤海湾には渤海新区が建設中である。天津生まれですら、全く別の町になったようだという。それでもかつての日本租界を歩いてほっとする。15年前の記憶が蘇ってきたからであるが、日本租界のまちの作り方、そのスケール感が合うのである。
一方、イタリア租界のようにかつての建物を修復復元して再生する地区もある。古代建築の復元について、その最前線に立つのが、1930年代から実測を続けてきた天津大学である。天津大学は、この間、明・清朝の皇帝陵墓群など中国の世界文化遺産登録のための調査を一貫して行ってきた。3Dスキャンを用いたその実測とCADを駆使したその一連の仕事は、いまやカンボジアのアンコールにまで及んでいる。
問題は、天津のケースでいうと「古文化街」(天后旧門前)あるいは「旧天津城」のような復元である。「造景」といってもいいけれど、いわゆる「もどき」の復元、「○○」風の復元である。日本でも彦根のキャッスルロードのように歴史的街並みを装う「造景計画」があるが、中国全土を覆うのがこの種の復元である。歴史的一画のみそれらしく装われて残され、全体は超高層ビルで包囲される、そんな景観がいたるところで見られる。北京しかり、西安しかり、洛陽ですら既にそうである。
天津から上海に抜ける途中で、揚州、蘇州に寄ったがいずれも同じ印象である。揚州は、隋の煬帝が掘削した大運河によって栄えた町である。この大インフラが中国の千年を超える歴史を支えてきたことには感慨を覚えるが、いまや交通インフラは高速道路網あるいは新幹線に置き換えられている。揚州周辺はまるでアメリカの大都市郊外のようである。聞けば揚州は江沢民の出身地だという。旧市内にその生居がある。日本人にとって揚州は、なによりも鑑真の故郷である。彼が修行した大明寺には唐招提寺を模した記念館がつくられている。江沢民は、古代文明と現代文明の融合をうたうが、歴史的建造物や庭園を残して、あとは超高層建築で包囲しようがどうしようがいい、というのは解答ではないだろう。
「上海世博2010」で沸く上海であるが、上海でも超高層ビルの谷間に解放前に遡る里弄街区が残され、低所得者層が住んで都市の様々なサービスを支えている。南京では、明代の城壁が残る中華門のすぐ近くの実輝巷社区を歩き回ったが、路地が入り組んで迷路のようで貧相なバラック然の住居が並んでいる。一歩表通りに出ると観光客が大勢訪れる歴史的地区であり、まるで異次元の異空間である。朝夕、廃品回収の荷台付の自転車が何台も回ってくる。おかげで社区内はゴミ捨て場が要らないほどなのであるが、廃品回収が人々の生業となっているのである。コミュニティはしっかりしており、路地では様々な会話が飛び交い、夕方になると、将棋、トランプの輪ができる。
現在、実輝巷社区を含めた城南地区では、面白い試みがなされている。地区の周囲、車道に面した住宅のみについて改修が行われ、街並みの再生、修景が一斉に進行中なのである。改修と同時に看板を統一し、瓦を用いるなど一定のデザイン・コードが採用されている。大通りについては、塀が新たに建てられる。悪く言えば、「もどき」のデザインによる「目隠し壁」であるが、徐々に事業が進んでなんとなく雰囲気が出来つつある。同じように明代の城壁が残る数少ない古都である西安の場合も、城内については、鼓楼広場の下にスーパーマーケットを設け、周辺を歴史的様式の建物で囲むなど新たな取組みが見られる。一方、この鼓楼広場に隣接する歴史街区には回族(ムスリム)が数多く住む。研究室の川井操君が一年住んで学位請求論文「西安旧城回族居住地区の空間構成とその変容に関する研究」を仕上げたばかりだ。それによると社区の住民組織は南京同様極めて自立的である。
こうした都市の自立的コミュニティを維持できるのであれば、「目隠し塀」もひとつの手法かなと思う。考えてみれば、古代都城の各坊は塀で囲われていたのである。
しかし、都市には都市の歴史がある。8月15日、「南京大虐殺記念館(侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館)」を訪れて、いまさらのようにそう思う。歩き回った実輝巷社区のまさにその場所で南京攻略の戦闘が行われた。古都を蹂躙してきたのは幾多の戦争であり、日本も無縁ではない。「目隠し塀」で隠しようのない中高層のアパートはどうするんだろう、ファサード保存の手法とどう違うのか、日本に誇れる事例はあるのか、様々なことを愚考しながら杭州へ向かう。
Prof. Dr. Shuji Funo 布野修司
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