鈴木成文先生の逝去を悼む,建築雑誌,日本建築学会,201007
追悼 鈴木成文先生
布野修司
3月7日未明、鈴木成文先生が逝去された。前日、東海支部設計計画委員会主催シンポ「ユーザー参加から見る学校建築」に教え子の柳川奈奈さんが基調講演をされるというので参加され、懇親会にも出席、最終の新幹線で東京駅着、地下鉄駅へ向かわれる途中で突然倒れられたという。
一昨年、大きな心臓手術を受けられ、お身体は万全ではなかったものの、完全に通常の活動に復帰され、以前にもましてご活躍であった。昨年の大会懇親会でも、若い世代を叱咤鼓舞するスピーチをされ、その回復ぶりというか、意気軒昂ぶりに舌を巻いたばかりである。どころか、5日には建築計画委員会があり、先生が娘のように可愛がられていた田島喜美恵さんから上野に長谷川等伯展を一緒に見に行ったという話を聞いたばかりであった。余りにも突然の死に絶句である。
教えを受けたものたちが拠り所としてきた先生の公式ホームページ『文文日記日々是好日』は3月3日の「雛人形/えるの会記念帳」が最後になった。「えるの会」とは、東京大学建築学科1950年卒業の同期会のことで、「鈴木家住宅」保存の近況報告を書いて送ったとある。最近は「住文化と文化遺産を守る会」の設立に尽力されていた。天寿を全うされたとはいえ、いささか無念であったかもしれないと思う。謹んでご冥福をお祈りしたい。
西山夘三、吉武泰水の両先生が切り開かれた建築計画学研究の分野を中心的に担われてきた先生のご経歴、ご業績については、とてもこの限られたスペースで振り返る余裕はない。「日本建築学会大賞」を受賞(2001年)され、名誉会員(2002年)でもある先生については本会会員にはよく知られているところである。
1959年に大阪市立大学から東京大学へ戻られた先生は、公共住宅の設計計画の分野で精力的に研究活動を展開された。研究史については、『建築計画学の軌跡―東京大学建築計画研究室一九四二-一九八八』(鈴木成文先生退官記念出版、1988年)がある。「51C」批判に対する晩年の応答が示すように、鈴木先生の建築計画学の初心は揺らぐことがなかったように思う。
70年代から80年代にかけて、量から質へ、高層から低層へ、画一性から地域性、多様性へ、建築に関わるパラダイムが大きく転換する中で、ハウジング・スタディ・グループを組織、視野を東アジアへ、韓国・台湾・中国のフィールドにも拡げられ、一貫して調査研究を展開された。
何よりも伸び伸びと活動の幅を拡げられたのは、神戸芸術工科大学に拠点を移されて以降である。「芸術工学」を拠り所とされ、デザイン教育を媒介として若い学生たちを活き活きと育てられた。晩年は、留学生の支援(「文文奨学金」)に熱心に取り組まれた。
葬儀には、鈴木先生の一番弟子といっていい、朴勇換教授(韓国漢陽大学建築大学校前学長)が駆けつけられた。朴教授は自らの研究を集大成する大部の『韓国近代住居論』を上梓されたばかりで、その前書きが鈴木先生の絶筆となった。
(滋賀県立大学、前建築計画委員会委員長)
略歴
1927(昭2)年 誕生
1950(昭25)年 東京大学建築学科卒業
1955年(昭和 30年) 東京大学大学院(旧制)修了
1955年(昭和 30年) 川村建設事務所
入社
1957(昭32)年 大阪市立大学理工学部建築学科講師
1959(昭34)年 東京大学建築学科助教授
1959(昭34)年-61(昭36)年 日本建築学会評議員
1968(昭43)年 日本建築学会賞(論文)受賞
「集合住宅の計画に関する一連の研究」
1971(昭46)年-73(昭48)年 日本建築学会評議員
1974(昭49)年 東京大学建築学科教授
1976(昭51)年-77(昭52)年 日本建築学会理事(図書)
1988(昭63)年 東京大学名誉教授
1989(平元)年 神戸芸術工科大学環境デザイン学科教授
1998(平10)年 神戸芸術工科大学学長、同名誉教授
2001(平13)年 日本建築学会大賞受賞「住まいを中心とした建築計画研究の確立と建築教育の発展に対する貢献」
2002(平14)年 神戸芸術工科大学学長退任 日本建築学会名誉会員
2010(平22)年 逝去(3月7日)
主要著書
『集合住宅 住戸』建築計画学6、丸善、1971年
『五一C白書 - 私の建築計画学戦後史』、住まいの図書館出版局、2006年
『住まいの計画・住まいの文化 - 鈴木成文住居論集』、彰国社、1988年
『住まいを読む - 現代日本住居論』、建築資料研究社、1999年
『「いえ」と「まち」 集合の論理』鹿島出版会、共著、1984年
『文文日記 日々是好日 I -
VII』、文文会KOBE、2004年 - 2009年
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