:布野修司編:世界都市史事典,昭和堂,2019年11月30日
H04 青の都―ティムールの帝都
ウズベキスタン,サマルカンド州,
Samarkand, Uzbekistan
古くはギリシア語でトランス・オクシアナそしてアラビア語でマー・ワラー・アンナフル,そしてソグド商人の原郷としてソグディアナと呼ばれてきた,パミール高原の氷河を水源とするアム河とシル河で囲われた一大オアシス地域の中心都市がサマルカンドである。
図①ab サマルカンドとアフラシアブ |
その起源は,紀元前6~7世紀のマラカンダMarakandaに遡る。そして,アフラシアブAfrasiabという城塞都市が栄えてきた。しかし,1220年にチンギス・カンに徹底的に破壊され,現在,城壁跡とラクダ草が生えるだけの荒涼たる丘が残る(図①)。
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図② レギスタン広場 |
サマルカンドの全体は不整形であり、
図③ ティムールのサマルカンド |
バーブルは,一時奪取したサマルカンドについて詳細に記するが、各モハッラは1つの市場を持っていたという((図③))。レギスタンの北東にドームで覆われたチョルス(市場)が唯一残っているが、タキ(ターク)Taqi(Tok)と呼ばれる市場が辻々に配され、モハッラ(あるいはクッチャ)毎に独特な蝋燭形の列柱をテラスにもつモスクがつくられていた。タキあるいはチョルス,モスクは,ティムールの都市の基礎単位を構成する都市施設である。
ティムール朝の後,ブハラを首都とする3つのイスラーム王朝が20世紀初頭まで続く。そして,クリミア戦争に敗れたロシアが進出してくる。トルキスタン総督府の下にロシア領に編入され(1868),ロシア革命によって,ソ連邦の一部となって以降,社会主義的都市計画が展開される。西郊外部の整然とした扇状のグリッド区画がその象徴である。そして、ソ連時代の灌漑による綿花栽培はアラル海を消滅させるほどの激変をもたらすことになった。
【参考文献】
布野修司+山根周,ムガル都市-イスラ-ム都市の空間変容,京都大学学術出版会,2008年
Golombek, Lisa and Wilber, Donald(1988), “The Timurid
Architecture of Iran and Turan”Vol.I, II, Princeton University Press
間野英二『バーブル・ナーマの研究』全4巻,松香堂、1995~2001
間野英二編『アジアの歴史と文化8 中央アジア史』同朋舎、2000年
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