マンクヌガラ宮殿のプンドポ,at,デルファイ研究所,199211
マンクヌガラ宮殿のプンドポ
布野修司
プンドポ というとジャワの伝統的住居に固有な建物、スペースである。壁のない屋根だけのオープンなパヴィリオンとして、主屋の前に置かれ、フォーマルな集いや儀礼に使われる。このプンドポは、ソロ(スラカルタ)のクラトン(王宮)、マンクヌガラ宮殿 の小プンドポである。ここはダイニング・ホールとして使われる。
設計者は、オランダの建築家、H.T.カールステンである。蘭領東インドでH.M.ポントと並び称せられる建築家であった。H.T.カールステンは、ポントに比べるとはるかに多くの作品を手掛けている。 年に、H.M.ポントから事務所を譲り受けると、まず、依頼を受けたのが、このマンクヌガラ宮殿の増築である( 年)。プンドポ・アグン(主殿)の改修より、この小さなプンドポがこじんまりといい。気に入られたのであろう。 年から 年にかけてもマンクヌガラ宮殿の仕事をしている。
スマランの保険会社のオフィス( 年)、ソボカルティー劇場 年 を始めとして、ソロの中央駅( 年)、ジョクジャカルタのソノブドヨ博物館( 年)などが、H.T.カールステンの代表作である。
H.T.カールステンにとって、伝統建築と近代技術をどう調和するかが大きなテーマであった。彼が力説したのは、ヨーロッパのスタイルをそのままジャワへ持ち込むことが誤りである、ということである。あくまで、生きているジャワのスタイルを出発点にすべきことである。また、彼は、伝統的な建築技術を新しい材料や建築に適用しようとしている。このプンドポの軽快な構造もその試みのひとつである。
H.T.カールステンの仕事は、さらに広い。住宅問題や都市計画の分野の仕事である。社会への関心を失わなかったのがH.T.カールステンである。その都市計画思想について詳述する余裕はないのであるが、前提として予め退けられていたのは、ここでも西欧の理論をそのまま適用すればいいという態度である。スタティックなマスタープランではなく、ダイナミックな計画、有機的な全体性の必要も彼の強調するところである。
こうしたH.T.カールステンの仕事は、一方で、都市計画法の制定につながっていくのであるが、戦前期のインドネシアで注目すべきなのがカンポン・フェアベタリング( カンポン改善事業)である。このオランダによるカンポン・フェアベタリングは、今日のカンポン・インプルーブメント・プログラム( )の先駆とも見なされる。カンポンの居住環境にも意を注いだのがH.T.カールステンである。
H.T.カールステンは、 年、日本軍の収容所で死んだ。 才であった。
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