若林広幸 建築家が市長をやればいい,新たな建築家像を目指して 布野修司対談シリーズ10,日刊建設通信新聞社,19980619
布野修司対談シリーズ⑩
新たな建築家像を目指して
若林広幸
常に既成概念の解体を
お茶碗から列車まで
建築家を市長に
若林広幸の名は東京にいる頃からもちろん知っていた。ライフイン京都が鮮烈だった。でも、その印象は、正直にいって、高松伸よりうまい器用な建築家が京都にいるなあ、という程度の印象であった。祇園の建築など今でも若林、高松は混同されるから、その印象は間違っていないかもしれない。
京都に来て、何度か会った。全て酒席であった。何事かを話したのであるが、あんまり覚えていない。建築の話というより、たわいもない話が多かったからであろう。いつも何人かの建築家が同席していたせいもある。ただ、いつも、この人は建築が好きなんだなあ、という印象が残った。
今回話を聞いてみたいと思ったのはその印象のせいである。真面目に(?)建築の話をするのは初めてであった。
当然だけれど、「京都」が主題になった。京都について考え続けている数少ない建築家であることが、よくわかった。「若林京都市長」も悪くはない、と本気で思う。それに、軽々と建築を超えるのがいい。それこそ「口紅から機関車まで」なんでもござれ、である。建築家にとって、ラピートは実にうらやましい仕事だ。建築は理屈じゃない、というのも好きだ。しかし、京都じゃ苦労するなあ、とも思う。
話は弾んだ。いつもそうなのであるが、テープを止めてからさらに盛り上がったのであった。
◆工業デザインからの出発・・・とにかく、ものがつくりたかった
布野:「たち吉」にいて独立した。若林には工業デザイナーというイメージがある。
若林:僕は工業デザイン科に行ったんだけど、とにかくものがつくりたかった。同じですよデザインは。なんでもやりたいと思ってる。
布野:ものをつくる雰囲気は僕らの時代にはまだあった。特に、京都には。
若林:工業製造関係へ行く方がエリートだった。マジですよ。普通高校はすべり止めだもん。
布野:今、「職人大学」のお手伝いをしてるんだけど、日本はとんでもない国になってきた。ものをつくる人がいない。産業全体が空洞化してる。
若林:京都にぐらい物作りが残らないとまずいよ。
布野:僕は今宇治に住んでてよく見かけるんだけど、京阪宇治の駅舎の仕事が最近の仕事の代表ですか。
若林:必ずしも思うとおりにできなかったんだけど。
布野:切妻の屋根の連続と丸い開口部。誰のデザインだろうと思ってたら若林だった。前の方のビルは似てるけど違うよね。
若林:そう。一緒に出来たらよかったけど・・・
布野:京都もそうだけど、宇治も景観の問題でいろいろうるさいよね。色々苦労があったんじゃないですか。
若林:そうでもないですよ。風致課もスッと通ったし、賞ももらうし、喜んでもらってます。建設費はいつも苦労しますけどね。
布野:バブルが弾けてみんな渋くなった。建築は社会資本なんだから景気に左右されるんじゃ困るんだけどね。
若林:兵庫県の千草町で福祉センターのコンペとったんですよ。民間ですけどね。平成の大馬鹿門(空充秋作)で有名な町ね。
布野:ああ、仏教大学で大問題になって結局町が引き取ったやつね。
若林:しかし、最近あまりいい仕事がないね。僕には公共の仕事あんまり来ないしね。
布野:代表作は、ライフ・イン京都かな。やはり、南海電車ラピートだな。
若林:京都の漬け物屋。オムロンのリゾート・リゼートセンター。あまり注目されなかったけどなかなかいいんですよ。まあこれからでしょう。
◆東京は情報病・・京都の方がじっくり考えられる
布野:もともと京都出身?。
若林:京都生まれの京都育ち。伏見稲荷のすぐそば。下町の長屋みたいなところ。
布野:町中と違う?。
若林:基本的に京都は好きなんだけど、特に町中は人間関係とかごちゃごちゃして、しんどい面がある。
布野:僕も狭いと思うことが多い。デザインのソースとして京都はどう。
若林:スケールがヒューマンでしょう、京都は。東京は疲れる。京都にいる方がじっくり考えられる。東京だといつも追っかけられる気がする。情報病にかかってしまう。
布野:情報も薄っぺらな情報なんだけどね。
若林:じっくり醸成する時間的余裕は京都にある。
布野:東京は官、関西は民。東京は頭でっかち、関西は実務ということもよく言われる。
◆とにかくスケッチ 理屈より感性
若林:あんまり理詰めの方じゃない。感性の方を信頼しますよ。ものをつくるということは非常に曖昧なことですよね。理屈で説明しろといわれると頭がプッツンする。
布野:もともと工業デザインですよね、出身は。
若林:教育がそうだったのかな。とにかく、理屈を捏ねるんではなく、形でしめす。既成概念を崩すこと。崩した上で形にしていくことをたたき込まれた。とにかく手を動かしてスケッチ、スケッチですよ。
布野:今事務所ではCADを使う。
若林:ドラフターは一台もありません。便利だけど困るねえ。若い人はコンピューターの中で考えるから、駄目なんだ。数字で考えちゃう。基本はスケッチなんです。コンピューターはただの道具なんだから。寸法よりバランスが大事なんだ。模型も重要です。決まりさえすれば,CADが早い。
◆格子の美学・・・曖昧な「和」
布野:ラピートのようなデザインと建築の設計は同じなんですか。
若林:一個のお茶碗も一緒。布野:建築家になるといろいろ理屈をつけないといけなくなる。
若林:そうそう。だんだん駄目になる。でも少し理屈言おうか。ポストモダンはもう古いというけど、もともと近代建築の欠けているものを指摘したのがポストモダンだ。地域性、場所性、歴史性が大事だ、ということでしょう。京都はそうした意味で風土がはっきりしている場所だ。京都は、だから可能性がある。
布野:そこで育まれた感性に期待できる、というわけだ。
若林:そう。
布野:しかし、京都というと「和」とか「日本的なるもの」とかいうブラックホールのような議論がある。
若林:そんな難しい話じゃなくて、もっと曖昧だということ。近代の二分法じゃなくて。割り切れない多元的な部分を京都を含んでいる。白か黒かじゃなくてグレーな部分が「和」なんです。安藤忠雄さんのいう日本的なもの、というのはわかりやすい「和」だ。
布野:西欧人にはね。
若林:格子も夜と昼によって違う。音もあれば光もある。安藤さんは一旦壁をつくって自然を引き込むでしょう。内と外の交感というのはない。京都の格子は曖昧なんです。
布野:格子も京格子というけれど色々あって、京都では区別する。すごくセンシティブだ。奈良はもう少しおおらかだけど。
若林:格子の細さによって見え方が違う。間隔も大事だ。パンチングメタルでも同じことでしょう。穴の大きさと間隔によってすごく違う。
布野:お稲荷さんで遊んだことなんか関係ありますか。
若林:あれ上にのぼると行場があって、おどろおどろしいとこがある。千本鳥居を抜けていくとだんだん曖昧になっていく。
布野:わびすきの京都じゃないんだ。
若林:雅も華美もあるじゃないですか。京都には曖昧に両方があるんです。町中に。それが面白い。
布野:京都妖怪論もある。
若林:仁和寺だって極彩色だったし、京都というと枯れたお寺だけではない。激しい京都もあるんだ。
◆杓子定規の景観行政・・・混沌か混乱か
布野:景観行政とのドンパチも、そうした京都観が背景にあるわけだ。
若林:今、自宅を建ててるんだけど風致地区なんです。打ち放しコンクリートは駄目だという。何故だ、というと自然素材として認めてないからだという。
布野:どうしようもなく堅い。紋切り型だ。
若林:隣の石のようなものを吹き付けたマンションはなんだというと、あれにしてくれという。あんなもんは自然じゃないではないか。樹脂だ。
布野:吹き付け剤が自然ですか。困ったもんだ。表面のことしか言わないんでしょう。
若林:打ち放しは駄目だ、というのは絶対理解できない。裁判しようかと思ってるんです。少なくとも大討論会やるべきですよ。
布野:大賛成。機会をみてやろう。国立公園内の規定がきつい。曲線が駄目で、勾配屋根じゃないといけない。
若林:じゅらく壁にしろという、というけど、どこからも見えない、ということがある。
◆京都の虚と実・・・まちづくりにメリハリを
布野:どうすればいい。
若林:俺がチェックする。
布野:そう。誰かに任す手がある。場合によると真っ赤でもいいことあるんだから。
若林:極彩色もあったしね。布野:タウン・アーキテクト制を主張するんだけどみんなあんまり乗ってこない。なんでだろう
若林:結局ね、京都をどうしようという明確なヴィジョンがないんですよ。京都市に。
布野:集団無責任体制。でも、京都のグランド・ヴィジョンの審査したけど、五〇〇以上でてきた。そんななかになんかあると思う。
若林:問題はやるかやらないかでしょう。色々あっていい、混沌が京都の特性だ。京都は混沌では混乱し出している。僕も色々案出してるんだ。
布野:秩序と混沌のバランスが問題なんだ。
若林:風致は秩序を回復しようとしてるけど、あまりに杓子定規でマニュアル秩序だ。ぼくは京都のまちづくりについて誰もあんまり考えてないと思う。京都の建築家というのは色々考えてるようでそうでもないんですよ。
布野:確かに、小さな動きは沢山あるけれどまとまりがないように見える。
若林:外の人だって考えてませんよ。
布野:でも、京都への思いは強い。京都のグランドヴィジョンに応募してきたのは三分の一が外人だ。でも東京は少なかった。
若林:そうでしょう。東京の人だって無責任なところがあるんだ。
布野:外人の京都の捉え方はステレオタイプが多い。実際に住んでる外国人は京都は汚い町だと思ってる。
若林:京都市の方針にメリハリがないのが問題なんだ。木造にするなら徹底すればいい。凍結しろというならやればいい。超高層も欲しければどうぞ。全てが中途半端だ。
布野:地区によってやればいい。僕も思うところはあるけど、なかなか思い切ったことができない構造がある。
若林:アイデアは色々ある。小学校の統廃合にしても、あそこを木造にして職人を育てる。それで町家を維持する。布野:問題はだれがやるかだ。若林が市長やりますか。
若林:いいかもね。建築家が市長やったらいい。過去に素敵な町を残した町はみなアーティストが市長やってますよ。アートがわかる感性がないと駄目ですよ。今度のポン・デ・ザールの話でもセンスが問題だ。
布野:建築家を市長にしろって、キャンペーンしようか。
◆瓦アレルギーはナンセンス
布野:ところで、瓦をよく使いますよね。
若林:好きなんですよ。燻しは、ダイキャストみたいだし。打ち放しコンクリートにあってきれいでしょう。
布野:でも建築家は嫌がりますね。収まりが難しいんだ。
若林:なんかタブーがあるんでしょう、建築界には。
布野:勾配屋根になるからね。帝冠様式を思い出す。近代建築家には耐えられない。
若林:でも土からつくる自然素材でしょう、大昔からある。
布野:山田脩二なんか、瓦使えないのは建築じゃない、という。チーム・ズーの瓦の使い方もありますね。
若林:ああいう使い方もしたいけど、京都だと難しい。伝統的な使い方が基本になる。
布野:風土性、地域性ということで、瓦というのはイージーな感じもある。
若林:下手なんだよ、みんな。近代主義にとらわれている。周りを考えれば、自然に、瓦と勾配屋根がでてくる。京都でも場所による。
布野:祇園の建物は全然違う。高松や岸和郎とは違う。若林は京都に対してはやさしいわけだ。
◆欲求不満が原動力
若林:結局場所ですね。場所で感じたものを表現したい。東京や大阪だと何をやってもいい感じもあるけどね。
布野:東京の作品はデザインを買われたという面があるよね。
若林:ポストモダンということでね。でも、地方都市の方が興味ありますね。都会じゃない田舎ね。面白いものがみつかりそうだ。
布野:何が手掛かりになる。若林:敷地にたったときの直感だよね。千草町の場合は、石積みのすごい伝統がある。また、たたらがあったんですね。要素で使える。
布野:意外にオーソドックスなんだ。
若林:ただ、そのまんまじゃ面白くない。近代的なメタリックなものを石積みにバーンとぶつけるとか。
布野:若林流がでてくる。
若林:都市は都市で要素をみつけるんですけどね。
布野:外国だとどうだろう。
若林:上海でやったけど、同じですね。
布野:ラピートだと製作のプロセスが違うでしょう。
若林:欲求不満かなあ。いつもなんでああいうデザインなんだろう、と思うことがある。ラピートの話の時にも、どうして電車というのはビジネスライクなんだろうと思ってた。話がきた時にはすぐ手が動くんです。
◆シヴィク・デザインへ
若林:最近は土木に興味があるんです。
布野:それはいい。建築家はもっと土木分野と共同すべきだと僕は思ってるんです。建築以上に大きなスケールだし、影響力が大きい。シヴィック・デザインの領域は、建築家は得意な筈だ。
若林:この間も、学園都市について相談を受けたんですけど、何も考えずに宅地造成するんですね。山を崩して谷を埋める。自然を残してやるアイデアはいくらもある。評判はよかったんだけどもう決まっているという。
布野:そういうことが実に多い。計画の当初から参加できれば随分違うはずなんだ。土木は土を動かしていくらだから、なかなかそういかない。
若林:いや無駄ですよ。
布野:土木も変わりつつありますから可能性はあります。ダムとか道路とか、これからは無闇に造れないわけですし。ただ、建築家も実績が欲しいよね。橋梁のデザインは同じですよ。建築と。
若林:お茶碗からラピートまでなんでもやりますよ。
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