四本柱のモスク,at,デルファイ研究所,199207
四本柱のモスク
布野修司
モスクといえば、玉葱坊主である。中近東の壮麗なモスクがすぐ頭に浮かぶ。しかし、東南アジアになるとだいぶ様子が違う。
東南アジアのイスラーム国家というとマレーシアとインドネシアであるが、どうも未だにモスクのスタイルを確立しかねているようにみえる。多様なスタイルが並存しているのである。もちろん、モデルはイスラームの中枢地域に求められ、玉葱形のドームが木造でつくられたりしているのであるが、何故かしっくりこないようなのだ。というより、偶像崇拝禁止の宗旨からであろう、キブラ(メッカの方向)にミフラーブ(ニッチ、窪み)をもうけるだけで、あっけらかんとした空間だけがあればいいというのが一般的態度なのである。
そこで興味深いのは、土着の建築形態や様式がまず借用されることである。インドネシアの場合、例えば、ヒンドゥー教の寺院であるチャンディがモスクとして利用された。残っている例では、東ジャワのクドゥスのモスクがよく知られている。
また、ジャワの場合でいうと、ジョグロと呼ばれる伝統的民家の架構形式が用いられた。ジャワで最初にイスラーム化されたというデマのモスクやマタラム王国の王都であるジョクジャカルタやスラカルタ(ソロ)のクラトン(王宮)やモスクもそうである。もっとも、土着の木造建築の技術をベースにするのは極く自然のことであろう。
そうした中で、インドネシアのモスクの初期形態と思われるのが、この四本柱のモスクである。これは、ロンボク島の北部山地、バヤンという村のモスクであるが、この形態のモスクは南部のスンコルという村にもある。そして今建設されるRC造のモスクの多くもこうした形態を採っているところをみると、少なくともロンボク島のモスクは木造の四本柱のものが原型になっていると考えていいのではないか。
この四本柱のモスクの形態はどこから来たのか。まったくの推測であるが、ジャワ、バリで見られるタジュクという方形(ほうぎょう)の形式からではないか。ハイサイド(高窓)から光を採る形式は、三重、五重のバリ島の寺院の塔の形式によく似ている。しかし、よく見るとプロポーションが違う。形態と規模だけでみると、北スマトラのバタック・カロの住居によく似たものがあるが、その住居には明かり窓がない。
バヤンは、イスラーム化されたにもかかわらず、土着の文化を保持するワクトゥー・トゥル(正統派ムスリムは、ワクトゥー・リマ(一日に五回お祈りするという意味)という)と呼ばれる人々の集落である。中には梁から吊るされた太鼓がある。また、ミフラブの前には水の神ナーガを象徴する装飾を施されたミンバール(聖書台)がある。イスラームと土着の文化が接合する状況においてこうしたモスクが生み出されたことは間違いないのであるが、果たしてどうか。
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