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2025年1月29日水曜日

書評 鶴見良行著『ナマコの眼』, 日本図書新聞、1990

 書評 鶴見良行著『ナマコの眼』

               布野修司

 

 

 「ナマコを最初に食べたやつは偉い」なんてよくいう。面食いの食わず嫌いはそういって決して箸をつけようとしないのだけれど、ナマコ(にお酒)というとすぐにもよだれが出そうになるものは、「ナマコをグロテスクで気味が悪いと思うなんて全くの偏見だ」とかなんとかいいながら、秘かにそう思っている。ほんとに最初に食べたやつは偉い。しかし、ほんとに最初に食べたのは誰だろうなんて思ってみたことなどはない。大抵は、ナマコなんて昔から自然に食してきたのだろう、と考えてなんの疑問もないのである。

 ところがびっくり仰天である。本書を読んで心底驚いた。ナマコを最初に食したのが誰か、ということがどうやら解きあかされようとしているのである。というより、ナマコをめぐって思いもかけない壮大な歴史の物語が語られているのである。たかがナマコではない。ナマコをめぐって五百頁にも及ぶ本が書かれたのである。ナマコもすごいし著者もすごい。

 壮大な歴史の物語と思わず書いた。「ナマコのマナコ」と語呂合わせのようなタイトルを冠したこの大著をどういえばいいのだろう。この壮大な作品は、単なるドキュメンタリーではない。また、単なる歴史書ではない。すなわち、単なる産業史や経済史の書物ではない。アジア史、東南アジア史といった地域史の試みでも、植民地化の歴史を追っかけた本でもない。また、単なる民俗学、文化人類学の本でもない。そしてまた、ナマコの料理法の本でも生態学の本でもない。この壮大な作品は、それらを合わせた全部であり、それらを超えた何物かである。既存のディシプリンには収まりきらない。かといって単なる学際的な本といってすますわけにもいかない。「ナマコ学」の大著といえばいいのかもしれないのだが、好事家の暇にまかせた書物などでは決してない。

 ナマコにマナコなどありはしない。「これは仮空に視線を合わせ事実を追った一片の物語である」と著者は最後の一行でいう。少なくとも、僕には惑々するような物語であった。『バナナと日本人』、『エビと日本人』(村井吉敬)といった書物でとられた視点と構えがここでもとられている。すなわち、日本人の生活に欠くことのできない「もの」の生産・流通・消費の構造を明らかにすることによって、日本人の生活そのものを根底的に問う姿勢がある。また、西欧中心史観や国家史観、常識やこれまで支配的となってきた眼差しを常に疑ってかかる精神が息づいている。本書は、もはや「鶴見良行」学とでもいうべき「学問」のありようがはっきりと形をとりはじめたことを示す作品である。

 フィジーでホシナマコ加工が始まったのは一八一〇年代、採集加工にあたったのはアメリカ船であった。ナマコの加工法を伝授したのは「マニラメン」であり、ホシナマコはマニラを中継基地として中国市場に送られた。メラネシア一帯で、ナマコの採集、加工に従事する実に多様な人々の間に「ナマコ語」なる合成言語が生みだされていた。

 一七世紀後半から南スラウェシの漁民(マカサーン)が、オーストラリア北岸アーネムランドへ毎年ナマコを採りに出漁していた。彼らは浜に小屋掛けしてアボリジニーとともにナマコを煮干しにして持ち帰った。オーストラリア北岸のナマコ産業は今世紀初頭まで続き、そして廃れた。

 マルク圏は香料交易で知られるが、ナマコなど特殊海産物の生産、交易を行ってきた海域でもある。マカサーンがアーネムランドへ至る中継基地「踊り場」になったのがこの海域である。また、ミンダナオの南西に連なるスルー群島は、マカッサルと並ぶナマコの産地である。一八世紀後半から一九世紀前半にかけてスルーのナマコ産業は最盛期に達した。

 ナマコは、既に『古事記』、『風土記』に登場する。古代から調(みつき)、 (にえ)として宮廷、神社へ納められていた。北九州、瀬戸内海、能登、伊勢・志摩、北海道と五つのナマコ文化圏が古くから日本列島には存在してきた。

 本書は、四部からなる。「太平洋の島々」、「アボリジニーの浜辺」、「〈東インド諸島〉の人びと」、「漢人の北から」、と題され、四つの地域に焦点があてられている。そのそれぞれからほんの断片を抜きだしたのが例えば以上のようだ。一見脈絡のない以上の事実がどのようにひとつの壮大な物語へと組みたてられるか、ナマコを最初に食べたのは誰かという謎とともに読んでのお楽しみである。本書は下手な要約を許さないのだ。

 国境という見えない線によって僕らの眼が如何に曇らされているか、見慣れた世界地図の盲点が繰り返し告発される。海の遊牧民(シー・ノマド)たちの自前の世界が生き生きと描かれる。そして、全体を通じて、手前勝手なヒトの視点に対してナマコのマナコが鋭くもひょうひょうと対置されている。  

 

 

  

 

 

 

 

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布野修司 20241101 履歴   住所 東京都小平市上水本町 6 ー 5 - 7 ー 103 本籍 島根県松江市東朝日町 236 ー 14   1949 年 8 月 10 日    島根県出雲市知井宮生まれ   学歴 196...