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2022年2月20日日曜日

スペイン植民都市ヴィガン カピス窓が伝えるスペイン植民都市のおもかげ 世界遺産ヴィガンを訪ねて

 カピス窓が伝えるスペイン植民都市のおもかげ 世界遺産ヴィガンを訪ねて「フィリピン」「世界100都市」『週刊朝日百科』20021020


スペイン植民都市ヴィガン

布野修司

 





石造の大きな邸宅が両側に真っ直ぐ建ち並んでいる。石畳を渇いた音をたてて馬車が走る。一見ヨーロッパの町のようだ。しかし、よく見ると二階の窓が障子のようで何とも不思議な雰囲気だ。カピス窓と呼ばれるこの窓は、木格子枠に加工したカピス貝の殻をはめ込んだものだ。室内にいると柔らかい光が射し込んで心地いい。

このヴィガンという町は、セブ(一五六五)、パナイ(一五六九)、マニラ(一五七一)についで建設されたスペインによる植民都市である。戦災等で大きくその骨格を変えたセブ、パナイ、そして近年復原されたイントラロムス(マニラの壁で囲まれたスペイン人街)と異なり、その当初の姿を今日に伝える興味深い町だ。その歴史的意義が評価され、中心部は一九九九年にユネスコの世界文化遺産に指定された。ヴィガンという名は付近の川辺に生えていた植物ビガンに由来する。

スペインはマニラを拠点としながら、各地にまず核として教会とプラサ(広場)を建設し、現地住民の集落を集めて新しく市(プエブロ)をつくった。この市には中心町(カベセラ/ポブラシオン)とその郊外の周辺村(ヴィシタ)が含まれる。マニラから北に四二五km離れたイロコス地方のヴィガン建設にあたったのはフィリピン領有の端緒を開いたレガスピの孫、サルセドである。ヴィガンは、当時フェリペ二世の王子にちなんでヴィラ・フェルナンディナと呼ばれたという。

スペイン植民都市は一般にプラサを中心として格子状に街区が形成され、プラサは教会・行政施設・スペイン人指導階層の住宅などに取り囲まれる。スペイン植民都市の計画指針となったとされるフェリペⅡ世のインディアス法が公布された一五七三年は、ヴィガン建設開始とほぼ同時期である。街区割は整然としており、街区幅は約一〇〇ヴァラ(八三、五九m)と一定である。フェリペⅡ世の指針が届いていたことが伺われる。

フィリピンのスペイン植民都市に建てられた住宅を一般にバハイ・ナ・バトいう。バハイ・ナ・バトとは、タガログ語で「石(バト)の家(バハイ)」という意味である。一階は石造、二階は木造という混構造が一般的だが、ヴィガンでは一、二階とも石造(木骨煉瓦造)である。地震と火災のために工夫された住宅形式である。一七世紀中ごろに建設が始まるが、数多く建てられたのは一九世紀末から二〇世紀初頭にかけてである。建設の主体は都市富裕層の中国系メスティソであった。

バハイ・ナ・バトの一階には物置や車庫が置かれ、湿気の少ない二階で主な生活が行われる。二階に、サラ(居間、ホール)、食堂、台所、寝室、アソテア(バルコニー)などが設けられ、一階と二階は屋外大階段で結ばれる。中心となるのはサラである。サラは道路に面し、フィエスタ(お祭り)の際には窓から、集った親戚・友人一同でパレードなどを眺める。カピス窓がまさにヴィガンの街並みを特徴づけるのである。 





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