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2023年1月26日木曜日

職人大学第二回スク-リング-宮崎校,雑木林の世界53,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199401

  職人大学第二回スク-リング-宮崎校,雑木林の世界53,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199401

雑木林の世界53

サイト・スペシャルズ・フォーラム

職人大学第2回スクーリング

宮崎県宮崎校

                       布野修司

 

 今、宮崎県は綾町のサイクリングターミナルでこの原稿を書いている。後ろでは、金山金治(原建設)氏の「建設職町学(学び、教える)」の講義が行われている。職人になってからづっとつけているという分厚い日記帳をどんと机の上に置いての講義だ。迫力がある。

 サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)の「職人大学第2回スクーリング宮崎県宮崎校」が一一月二三日から開かれており、四日目の午後の最終講義である。この後、夕食をとり、恒例の超ヴェテラン鳶藤野功氏の講義がある。また、今井義雄(鈴木工務店)氏の「現場経営学(新技術への挑戦)」が続く。ハードスケジュールは、第一回の佐渡と同様である。

 今回の受講者は三一名、佐渡に続いての参加者もいる。一八才の鍋島君と興梠さんである。最年少はなんと一七才の大村義人君だ。中卒で既に三年の経験を持つ。ハンサム・ボーイで大人気である。鍋島君はアイドルの役割を譲った形になる。最年長は前回に続いて興梠(佐多技建)さんでOB会である「真渡の会」会長として参加されている。三〇代、四〇代のベテランが今回も中心である。こう書いているうちに、第一期世で「真渡の会」事務局幹事の杢尾さん(皆栄建設)がやってきた。先輩連中の講義は明日の朝、八時半からである。変わり種は、竹村君だ。京都大学の研究室を飛び出して、この九月から大工修行を始めたばかりである。田中文男さんにお願いして真木工作所で働いている。「大学まで出てどうして?」と、好奇の眼で見られても一向気にせず、一生懸命である。

 金山さんの講義が早く終わった。藤野さんの講義を急遽行うことにした。臨機応変である。藤野さんの講義を実況中継してみると次のようである。

 「五トンのものをロープで吊る。吊り角度六〇度。ロープの径はいくらか」。いきなりの質問である。前に講義を受けているからうろたえないけど知らないと面食らう。安全荷重は、円周一インチ(直径八ミリ)で五〇〇キロ、二インチで二トン、三インチで四.五トン、四インチで八トンである。

 「問題は重量見積です。鉄の比重はいくらですか。鉄筋コンクリートは。木は。」。正解は、一立方メートル当たり、七.八トン(八と覚える)、二.四トン、〇 五トン(乾いた松で)である。単に数字を暗記するのではなく、身体で覚えていなければならない。そしてロープ結びの基本実習。ボーラインノット(ハクライ結び)、シングルシートベンド、ハーフピッチ、ティンバーヒッチ、クラウンノット、何度も習って頭には入っているけれど普段やってないからちっとも身がつかない。

 午後の小野辰雄(SSF副理事長 日綜産業)氏の「安全工学と仮設構造物の先端技術」にはNHKの取材が入った。教室を飛び出た野外の講義である。野外に特別に組まれた足場に飛び乗った講義はテレビにとって絵になる。小野講師も力が入った。

 夕食を終えて、六時半から三分にわたって宮崎ローカルで放映。この後七時からのニュースで全国ネットで流されるというが、果たしてどうか。七時からは今井義雄氏の講義が始まったが、テーマは変更になって「職長さんが考える現場経営」。レジュメには「サブコンの役割の変化」、「ゼネコンの求める優良パートナー像」など七項が挙げられている。講義スタートと同時に安藤正雄(千葉大)先生とSSFニュース担当の山本直人さんが二度目の到着。忙しい中、とんぼ帰りである。

 七時のニュースでは流れない。結果的には九時のニュースで流れたのであるが、皆いささかがっかりの様子であった。

 翌日は、理事会とSSF設立三周年記念の行事「みんなでつくろう職人大学」があった。三〇〇人もの人々が集まり、職人大学設立へむけての熱っぽいスピーチが相次いだ。中でも、小野辰雄副理事長の「何故、職人大学か」は、ユーモアも交えながらの熱弁であった。

 シンポジウムに出席した僕が話したのはおよそ次のようなことである。「SSFの実験校はとにかく疲れます。頭が痛くなるというのが素朴な実感です。

 とにかくすばらしいのは、朝の八時半から夜の九時まで、食事の時間を除くとびっちりのハードスケジュールなのですが、講義の始まる前に全員が着席します。眠ったりする人はありません。眼がみんな輝いていて真剣です。大学だとこんなことはありません。平気で遅刻して来ますし、眠ります。第一、授業に出てきません。大学には、大体遊びに来ているんです。人生で唯一遊べる期間なんですね。でも実験校はみな必死です。貴重な仕事の時間を割いてやってきているんです。講師も手が抜けません。

 頭が痛い第一は、「大学の先生の話しは難しくてわからない」といわれることです。よく聞いてみると、わからないというより面白くないというんですね。現場経験の豊富な人のほうが面白いんです。

 頭が痛い第二は、課外授業、補修授業がすごいんです。お酒を飲みながら色々話しをするわけです。体験報告会と呼んでいますが、相互に職種を超えて話しをするのが本当に貴重です。勢い、寝不足になります。二日酔いになります。頭が痛いわけです。」 職人大学構想は、拠点校としての「職人工芸大学(仮称)」の設立を目指して、文部省との非公式の折衝に入ったところである。また、建設業界の理解をもとめて各団体への説明を精力的に開始し出したところである。この間のゼネコン疑惑騒動で予定が狂いっぱなしなのであるが、タイミングとしてはむしろいいのかもしれない。後継者育成のしっかりした体制をいまこそつくりあげるべきなのである。職人大学設立発起人会は来年度になるであろうか。未だ道は遠いのであるが、一歩一歩着実に進んできたことは確かである。会場ではカンパも集められ始めた。浄財を広く集めてその意義を訴えていく必要がある。

 シンポジウムでは、実験校の問題点、足りない点を問われて次のように答えた。

 「僕の考えでは、職人大学は既に出来ていると思います。目標を遠くに置くのではなく、今、既に出来ていると考えた方がいい。第三回、第四回と続けていけばいい。今のところ年二回の予定なのですが、そのうち拠点校、現場校ができる筈です。今は移動大学なんです。佐渡と宮崎がすんだわけですけれど、まだ、各県回るとすると四五都道府県も残っているわけです。年二回じゃ足りなくなるでしょう。そのうちいろんな所から手が上がってくるでしょう。現に、群馬県、神奈川県から申し出があります。とにかく、実験校を続けていく中で、もし、問題点があれば直していけばいいわけです。」。本音である。  





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