職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡,雑木林の世界48,住宅と木材,日本住宅木材技術センター,199308
雑木林の世界
職人大学(SSA)第一回パイロット・スクール佐渡
布野修司
一九九三年五月三〇日(日)から六月五日まで、SSF(サイト・スペシャルズ・フォーラム)の第一回パイロットスクールが新潟県の佐渡の真野町(佐渡スポーツハウス)で開催された。職人大学へ向けての第一歩である。まだまだ先は長いのであるが、ようやく、ここまできたと感慨深い。
僕自身は残念なことにわずかに一泊二日だけしか参加できなかった。しかし、その熱気は肌で感じることができた。以下にその一端を報告しよう。プログラムは次のようであった。
五月三〇日 受付/オリエンテーション/開校式/懇親会
5月三一日 建設産業とサイトスペシャリスト(安藤正雄 青木利光)/地域ツアー/職人大学設立に向けて
六月 一日 建設物の構造と仕様(藤澤好一 安藤正雄)/計画作成参画者資格 労働大臣の定める研修(1)(池田一雄仮設工業会専務理事)/体験報告会(1)(安藤正雄)
六月 二日 計画作成参画者資格 労働大臣の定める研修(2)(森宣制仮設工業会会長)/体験報告会(2)(布野修司)/新技術・新工法(藤野功)/討論 職人大学構想(三浦裕二)
六月 三日 施工管理 現場学・リーダー学(田中文男 斉藤充)/スポーツ/モニュメントを考える(三浦裕二)
六月 四日 土木学と技(三浦裕二)/総括シンポジウム(参加者全員)/懇親会
六月 五日 総括および修了式(内田祥哉SSF理事長)
参加人員三〇名。全国各地から受講者が集まった。その顔ぶれがすごい。ほとんどがヴェテランの職長さんたちである。年齢は一八才から五〇才まで、多士才々である。
まず感動したことがある。朝八時~夜の一〇時まで、ぎっしり詰まったプログラムは予定通りに実施されたのである。まずそれ自体驚くべきことだ。居眠りする人が全くいない。授業の一〇分前には皆着席して講師を待つ。大学では考えられないことだ。いまさらのように、大学の駄目さを痛感させられたのであった。
体験報告会のコーディネート役を務めたのであるが、体験を語り合うだけで、大変な勉強である。現場を知らない僕などは当然であるが、お互いの情報交換がとても役に立ったようだ。例えば、こうだ。
若い職長さんから、若者教育の悩みの話が出された。新しく入った若者がすぐやめてしまうというのは共通の問題である。仕事をさせずに、重いものを運ばせたり、後片づけばかりやらしてるからじゃないか、という意見がすぐさま出た。大半の職長さんは心当たりがありそうな反応だった。しかし、そう簡単ではない。
新しく入ったある若者を職業訓練学校に通わせた。もちろん、給料を払いながらである。一年して実際に仕事を始めると先輩とうまくいかない。先輩が仕事を教えないのだという。それに対しては、仕事は教えるものではない、盗むものである、という反論がすぐ出た。教えていたら仕事がはかどらないというのである。また、そういうときは、ひとつ上のランクのヴェテランにつければいい、というアドヴァイスもあった。若者が建設産業に定着しない大きな原因に初期教育の問題があるのである。
ある鳶さんの話が面白かった。原子力発電所の建屋専門の鳶さんである。何故、鳶になったか、という話である。高い足場に登って見ろ、と言われて、ついやってやる、と言ったんだそうである。意外にすいすい登れたんだけど、降りるときは怖くて怖くて足が震えたのだという。しかし、その経験が結局は鳶になるきっかけになったのである。今日本の社会において、そんな機会はほとんどなくなりつつあるかもしれない。職人が仕事をしている様子はなかなか伺えないのである。
この四月に入ったばかりの若者の話も面白かった。失敗談である。トイレが詰まって、掃除を命じられたけど、水の代わりに灯油を流してしまった。以後、ことある毎にからかわれているのだという。明るい職場のようであった。
技術についての交流も当然あった。斜張橋の現場をひとりで取り仕切った話には次々に質問もでた。収入の話も出た。最初は、躊躇いがあったけれど、全てオープンにということで、みんなが年収を言い合った。情報公開である。かなりのばらつきがある。能力さえあれば、若くても年収一千万円をとっても少しもおかしくない感じであった。
講義として迫力があるのは超ベテランの講師陣の話である。現場学、リーダー学は経験の厚さが滲み出る。また、体験に裏つ
けられた安全学はなんといっても説得力がある。ロープの結び方やワイヤロープの架け方など、次々と実践的知識を畳み掛けるように話した藤野功氏の講義など実にすばらしかった。
総括の様子を後で聞くと、受講生全員にとって、とても有意義であったようである。最後の夜、真渡の会という一期生の同窓会が結成されたのだという。これからも交流を続けようというのである。実にすばらしい。こうしたスクーリングを続けていけば、SSFも確実に成長していく筈だ。職人大学の教授陣は、同窓会の中から出ることになろう。
ところで、職人大学の構想はどうか。是非成功させて欲しい、成功させようと言うのが第一期生の声である。九月末には、職人大学設立発起人会が行われる。具体的に基金集めに向かおうという段階である。果たして、どれだけの賛同者が得られるか。どれだけの基金が得られるか。それが将来の鍵になる。
まず、第一段階として、現場校を考える。全国の建設現場の中から、認定指導者が配置されている、しかるべき条件を備えた現場を認定し、現場での実習を中心に養成訓練を行なう。
第二の段階として、地域校を考える。現場校において資格を得た職人を県または地域ブロックレヴェルに開設する地域校で、専門職人たちのチームを指導コントロールできる技術的知識や処理能力を身につけた職長(リーダー)を養成する。
第三の段階として、本部校を考える。地域校で資格を得た職長が指導者としての教育を受ける最高学府で、全国に一ケ所設立する。建設業を文化的、技術的、あるいは経営的に幅広くとらえる教養やマネージメントの力を身につけた指導者を養成する。
以上の全てが「職人大学」である。およそのイメージができるであろうか。大変な構想であるが、本部校一校だけつくればいいというのではないのである。
まずは、職人大学教育振興財団といった財団法人を設立するのが先決である。九月の発起人会はそのための第一歩である。皆様のご支援をお願いしたい(連絡先 SSF事務局)。
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