生きている世界遺産,現代のことば,京都新聞,19961102
都市型住宅:生きている世界遺産 10
天沼俊一先生の『印度仏塔巡礼記』(一九三六年)とモハン・M・パントさんの『バハ・マンダラ』(一九九〇年)を携えてカトマンズの地を初めて踏んだ。バハとは仏教の僧院ヴィハーラからきたネパール語で、中庭を囲んだ住居形式をいう。アジアにおける都市型住宅の比較研究のための調査が目的でネパールの後インドへも足をのばした。ネパールではハディガオンという町の調査とトリブバン大学での特別講義が任務であった。
カトマンズ盆地は京都盆地のおよそ四倍ほどある。ヒマラヤをはるかに望む雄大な盆地の景観はそこにひとつの完結した宇宙があるかのようである。古来ネワール人が高密度の集住文化を発達させてきた。カトマンズ盆地には、パタン、バクタプル、キルティプルといった珠玉のような都市、集落を見ることができる。カトマンズの王宮、パタンのダルバル・スクエア(王宮前広場)、バクタプルの王宮、そしてスワヤンブナート(ストゥーパ)などが世界文化遺産に登録されたことが、その建築文化の高度な水準を示している。
カトマンズに着いて、いきなり、インドラ・チョークを抜けて王宮へ向かった。バザールの活気と旧王宮の建築の迫力に圧倒される。パタンのダルバル・スクエアにしても、バクタプルの町にしても同様である。世界遺産といっても遺跡として凍結されているのではなく町は実にいきいきと生きているのである。
そのひとつの理由はすぐさま理解された。広場や通りに人々が集う空間的仕掛けがきちんと用意されている。具体的にはパティと呼ばれる東屋、ヒティ(水場)が要所要所に配されているのである。様々な用途に今でも使われている。
そしてもうひとつは、都市型住宅の型がきちんと成立していることである。バハの他にバヒという形式もある。バヒはもともと独身の僧の施設で、バハは妻帯を行うようになってからの施設をいう。中庭式住宅であることは同じである。このバハ、バヒといった住居形式が都市の建築形式として、段階的に展開していく。それをパタンという都市に即して論じたのがパントさんの論文である。
天沼先生の本を見ると多くの写真が載っていて丁度六〇年前の様子がよく分かる。一九三四年に地震があった直後の訪問で多くの寺院が破壊された様子が生々しいけれど、チャン・ナラヤン寺院、パシュパティナート、チャバヒ・バハ、ボードナートなど、今日の姿とそう変わらない。
もちろん、カトマンズは急速に変容しつつあり、スクオッター問題も抱えている。しかし、今日までまちの景観を維持してきたきちんとした形式がある。カトマンズ盆地に日本のまちづくりを考える大きなヒントを得たように思う。アジアにも都市型住宅の伝統は息づいきたのである。特に京都には町家の伝統の上に現代的な都市住居の型を生み出す役割があると思う。
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