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2022年5月10日火曜日

京町家再生,現代のことば,京都新聞,199601

 京町家再生,現代のことば,京都新聞,199601


京町家再生                004

布野修司

 

 阪神・淡路大震災から一年たった。自然の力の脅威、地区の自律性の必要、重層的な都市構造の大切さ、公園や小学校や病院など公共施設空間の重要性、ヴォランティアの役割、・・・大震災の教訓について数多くのことがこの一年語られてきた。

 しかし、具体的取り組みとなるといささか心細い。復興計画にしても、関東大震災後の復興、第二次大戦後の戦災復興と同じことの繰り返しではないか。もしかすると、大震災の最大の教訓は、震災の体験は必ずしも蓄積されないということなのだ。

 大震災は、日本のまちづくりや建築のあり方に根源的な疑問を投げかけることにおいて衝撃的であった。日本の都市のどこにも遍在する問題を地震の一揺れが一瞬のうちに露呈させたのである。そうした意味では、大震災のつきつける基本的な問題は、被災地であろうと被災地でなかろうと関係ない。震災の教訓をどう生かしていくのかは、日本のまちづくりにとって大きなテーマである。

  町家の家並みを、景観資源として、文化遺産としてどう残していくか、ということは京都にとって大きな課題である。震災直後、被災度調査ということで被災建物を随分見て歩いたのであるが、その眼でみると、はっきり言って不安も沸いてくる。問題はメンテナンス(維持管理)である。白蟻や腐食による老朽化が大きな被害につながった。最低限の教訓を生かす意味で、構造躯体の耐震診断を含めて、自宅の点検はしておく必要がある。

 繰り返し強調しなければならないけれど、木造住宅だから危ない、ということは決してない。しっかりした設計がなされていれば問題ないことは今回の大震災でも明らかである。木造住宅は駄目だという風潮は京町家にとって致命的となりかねない。少なくとも、現存する町家のストックを維持していく方策が一刻も早くとられるべきであろう。

 ところで、京町家再生ということになると実に大きな問題がある。防火規定があるところでは、京町家らしい木造住宅は既に建設できないのである。震災以前に、京町家再生のための手法を色々検討したことがあるのであるが、端的に言って、文化財として凍結的に保存する以外に制度的な手法がない。いかに日本の古都とはいえ、例外を認めない全国一律の建築基準法の規定がある。

 昔ながらの木造の京町家の街並みを建設することを可能にするための唯一の方法は、ずばり、都市計画で防火規定を外すことである。もちろん、様々な防火の措置が担保されなければならないけれど、そんなことが果たして可能か。

 しかし、もし、震災が京都を襲って京町家群が壊滅的な被害を受けていたとすれば、京町家の街並みをそのまま再生する方法はなかったのである。再生の手法がないとすれば京町家の街並みは既に死んでいると言ってもいいのではないのか。 



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