職人大学,現代のことば,京都新聞,19960302
職人大学 005
布野修司
「職人大学」の設立を目指して、サイト・スペシャルズ・フォーラム(SSF)が設立されたのは一九九〇年の一一月であった。縁あってその集まりに当初から参加してスクーリングをお手伝いしてきたのだが、ようやく具体化の一歩を踏み出すところまで来た。
産業構造の空洞化が指摘される中で、日本の経済成長を支えてきた中小企業からの次世代人材育成の要望が次第に輪を広げ、「職人大学の設立については、興味を持って勉強させていただきます」という首相の国会答弁を引き出すまでにはなったのである。
SSFは、サイト・スペシャリストの集まりである。サイト・スペシャリストとは、耳慣れない言葉だが、日本語にすれば現場専門技能家となろうか。「優れた人格を備え、伝統技能の継承にふさわしい、また、新しい技術を確立、駆使することができる」新しい現場職人のイメージを表現したくてつくられた言葉である。
SSFが設立された頃、建設現場における職人不足の問題が社会的に大きな話題となっていた。きたない、きつい、給料が安い=3Kということで、若者の現場離れが指摘され、建設職人の高齢化が大きくクローズアップされた。そうした中で、如何に現場を魅力あるものにし、現場で働く技能者の社会的な地位をどうしたら向上できるか、そんな思いで設立されたのがSSFである。同じ頃、作業着のデザインを考えたり、ビデオ作品を制作したり、いち早くイメージアップ作戦に取り組んだのが京都府建設業組合であった。
バブルが弾け、失業率が増加し続ける現在状況は変わった。しかし、次代の建設産業を担う後継者の育成という本質的な問題は残されたままである。豊かになった日本の社会といっても社会資本としての都市環境、住環境は驚くほど貧しい。それを豊かに創りあげ、維持していくには、なによりもすぐれた職人が必要である。そして、例えば、ドイツのマイスター制度のようなサイト・スペシャリストを育てる社会的仕組みが必要ではないか。
建築教育といっても、大学や工専、工業高校で行われるのは座学中心である。ほとんど机上の学習のみで現場のトレーニングがない。現場でのトレーニングをむしろ主とするそんな大学ができないか。偏差値で輪切りにするのでなく、現場の能力を多面的に評価できないか。サイト・スペシャリストが尊敬され、その技能にふさわしい収入も保証される、そんな社会のあり方は望むべくもないのか。
職人大学の設立をめぐっては社会の編成に関わる実に多くの問題がある。従って、その実現へ向かってはさらに紆余曲折が予想される。しかし、少なくとも実験的モデルが必要である。具体的に現場でものをつくっていくすぐれた職人さんたちがいなくなるとすれば身近な環境はどうなるか。構造転換はここでも不可避のように思える。職人大学に期待するところ大である。
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