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2022年5月23日月曜日

ポサランの教会,at,デルファイ研究所,199205

ポサランの教会,at,デルファイ研究所,199205 


H.M.ポントのポサランの教会

                布野修司

 

 

 東南アジアの近代建築については日本ではほとんど知られていないのだが、興味深いものが多い。宗主国の近代建築運動に呼応しながら植民地で活躍した建築家が少なくないのである。オランダの建築家、H.M.ポントはそうした建築家のひとりだ。

 H.M.ポントがインドネシアを訪れるのは一九一一年、二七才の時のことである。もともと彼が生まれたのはジャカルタである(一八八四年)。本国で教育を受け、デルフト工科大で建築を学んだのち、いわば帰ってくるのである。

 H.M.ポントは、インドネシアに着いて以来、時間をみつけてはインドネシア中を旅行し、土着の建築について調べている。余程魅せられたのであろう、その探求は徹底していた。やがて、ジャワ建築の研究に仕事のウエイトを移したほどである。H.M.ポントは、ジャワ建築の起源を探り、その本質を明かにしようとする。その架構の原理を解明し、それを現代建築に生かそうとする。伝統的建築の空間構成の方法を読み取り、それを自らの作品に用いようとしたのであった。

 インドネシアでの彼の作品はそうした試みの積み重ねである。代表作は、バンドン工科大学(一九二〇年)であろうか。ミナンカバウ族、バタック族の民家をイメージさせるその屋根の連なりには、いささか度肝を抜かれる。とにかく迫力がある。

 さらに、それを上回る珠玉のような傑作が、東ジャワのクディリ      の近郊、ポサラン         の教会(一九三七年)である。小さな作品だけれど、実に見応えがある。様々な、独特の形態の屋根がリズムをつくって楽しい。石積みのベルタワーやフェンスには丹念に積み上げられた味がある。架構は、伝統的形態をとるかのようで、極めて意欲的に大胆なテンション構造が採用されている。うねるような内部空間は、トップライトからの光で、さらにダイナミックに見える。H.M.ポント自身は、インドネシアン・ゴシックと呼んだのだというが、確かに、伝統の形態と近代的架構方法が緊張関係の中に釣り合っている。

 インドネシアの建築家たちは、H.M.ポントをインドネシアのA.ガウディーという。この作品をみて、なるほどそうかなとも思う。丁寧に手作りで心を込めてつくった気配が濃厚にある。構造と形態の関係についての真摯な追求がそこにある。






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