文化住宅と住宅文化,現代のことば,京都新聞,19950814
文化住宅と住宅文化 001
布野修司
関西で「ブンカ」というと「文化住宅」という一つの住居形式を意味する。ところが「文化住宅」といっても関東ではまず通じない。「文化住宅」という言葉がないわけではない。もともとは大正期から昭和初期にかけて展開された生活改善運動、文化生活運動を背景に現れた都市に住む中流階級のための洋風住宅(和洋折衷住宅)を意味した。
関西で今日いう「文化住宅」は、従来の設備共用型のアパートあるいは長屋に対して、各戸に玄関、台所、便所がつく形式を不動産業者が「文化住宅」と称して宣伝し出したことに由来するらしい。もちろん、第二次大戦後、戦後復興期を経て高度成長期にかけてのことだ。住戸面積は同じようなものだけれど、専用か共用かの差異を「文化」的といって区別するのである。アイロニカルなニュアンスも込められた独特の言い回しだと思う。
一般的に言えば「木賃(もくちん)アパート」だ。正確には、木造賃貸アパートの設備専用のタイプが「文化」である。「アパート」というと、設備共用のタイプをいう。もっとも、一戸建ての賃貸住宅が棟を連ねるタイプも「文化」といったりする。ややこしい。
ところで、今回の阪神・淡路大震災において、とりわけダメージの大きかったのが「文化住宅」である。木造住宅だからということではない。木造住宅であっても、震災に耐えた住宅は数しれない。木造住宅が潰れて亡くなった方も多いけれど家具が倒れて(飛んで)亡くなった方も数多い。今回の震災の教訓は数多いけれど、しっかり設計した建物は総じて問題はなかったといっていい。しかし、メンテナンス(維持管理)の問題は大きかった。「文化住宅」は、築後年数が長く、白蟻や腐食で老朽化したものが多かったため大きな被害を受けたのである。
激震地からはかなり離れているのに、半数以上が半壊全壊した「文化住宅」街がある。聞けば、高度成長期に古材を使って不動産会社がリース用「文化住宅」として売り出したという。不在地家主が一〇〇人近い、この三十年で持家取得した世帯が二〇〇近く、応急仮設住宅に住む借家人の世帯が二五〇、権利関係が複雑だ。復興計画のお手伝いを始めたのであるが、なかなか目途が立たない。
それにしても「文化住宅」とは皮肉な命名である。「文化住宅」に日本の住宅文化の一断面が浮き彫りになっているからである。今回の阪神・淡路大震災は、日本の建築や都市がいかに脆弱な思想や仕組みの上に成り立っているかを明らかにしたのだが、とりわけ強烈に思い知らされたのは日本社会の階層性である。より大きな被害を受けたのは、高齢者であり、障害者であり、要するに社会的弱者であり、住宅困窮者であった。戦後の住宅政策や都市政策の貧困の裏で、「文化住宅」は日本の社会を支えてきた。それが最もダメージを受けた。実に悲しいことである。
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