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2022年5月2日月曜日

私の京都新聞評「再び胸を突く「1年前の衝撃」」,京都新聞,20060514


 私の京都新聞評「再び胸を突く「1年前の衝撃」」,京都新聞,20060514

2006年5月14日

布野修司

 四月二五日、尼崎JR脱線事故一周年。一年前の衝撃が否応なく蘇った。突然身近な人を失った遺族の癒されることのない無念の思いが紙面から伝わってくる。直接関わりないものにとって、事故の記憶は日々薄れていくのが常であるが、遺族にとって、時間はとまったままである。

 事故後、JR西日本は過密ダイヤを改正し、利潤追求一辺倒の管理体制を見直した、という。よく利用する琵琶湖線は、その(慎重になった)せいか、よく遅れるが、いまだ問題があるのではないか。災害時の救急手法についても多くの課題がなお指摘されている(四月二六日紙面)。

 何よりも強烈だったのは、捻り飴のように折れ曲がり潰れた車体である。驚くべき脆さである。スピードを出すために可能な限り軽くするのが設計思想だという。経済性と安全性をめぐるより深い問題がここにはある。

 尼崎脱線事故一周年の翌日、「姉歯容疑者ら8人逮捕」。この「耐震偽装」の問題は、建築を専門とする筆者にとって、実に頭が痛い。建築というのは身近な環境を豊かにつくりあげる夢のある仕事である。この問題によって、建築界が豊かな才能をもった未来の建築家を失ったのだとすれば実に残念である。

 不況不況といいながら、この間は未曾有のマンション・ブームであった。京都の都心部、いわゆる「田の字」地区に、何本もの高層マンションが建並び、景観をめぐって大きな議論が起こったのは記憶に新しい。このブームの下で起こったのが、今回の、コストダウンのためには手段を選ばない「耐震偽装」である。「偽装」そのものは論外である。しかし、安全性と利潤(コストダウン)をめぐる設計思想の問題がここにもある。

 「耐震偽装」問題が深刻なのは、建築基準法、建築確認制度、構造計算法など建築界の依ってたつ仕組みそのものに問題があるからである。単にモラルの問題としてすまされないのである。今回はいずれも別件逮捕だとされるが、深刻なのは購買者、居住者である。再建について、開発業者や建築家の能力に限界があるとすれば、保険制度の導入が不可欠だと思える。そうした議論が起こらないのは何故なのか、実に不思議である。

同じ二六日は、チェルノブイリ原発事故二〇周年であった。世界を震撼させたこの大事故の傷は未だ癒えない。はっきりしているのは絶対安全な建造物はないということである。建築物は建った瞬間から劣化が始まる。耐震基準の問題は、いうまでもなく、われわれ全ての問題である。

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