家づくりの会,雑木林の世界10,住宅と木材,(財)日本住宅・木材技術センター,199006
雑木林の世界10
家づくりの会
布野修司
「家づくりの会」の公開講座(*1)については、以前ここで触れたことがある(*2)。今年の二月に、無事に五回目を終えたのであるが、僕自身なかなかに刺激的な講座であった。そこで考えたことを振り返り、「家づくりの会」に期待することなどを綴ってみようと思う。「家づくりの会」とは、住宅の設計を主とする建築家の集まりである。結成されて、七年になる。
住宅の設計を主として設計事務所を経営して行くのは容易ではない。はっきり言ってそれだけでは食べてはいけない。どんな組織であれ、どんな地域であれ、その事情は同じことである。いきなり脱線すれば、そういう状況に本質的に日本の住まいの貧しさを見てとることができる。住宅を建てる人々に設計料を払う理解と余裕が無い。住宅=町づくりを担う「建築家」が生きて行けないような社会に「いい」住まいと町が出来るわけはないのである。 もちろん、「建築家」の側にもより大きな問題がある。住宅の建設を責任を持って行う体制をつくりだしてきたかどうか疑問だからである。代願設計に甘んじたり、設計料をダンピングしたり、ということは日常的に行われているのである。「家づくりの会」は、そんな中で住宅の設計に真正面から取り組んでいるグループである。公開講座のテーマの中心は、実は、まさに「今、住宅設計に何が可能か」ということであった。
小さなアトリエ事務所の場合、また、地縁的関係をもたない建築家の場合、仕事を入手するのが難しい。営業活動をする余裕もないし、手掛かりも少ない。設計者を必要とする施主は一定の地域に集中しているわけではないし、安定的にそうした施主がみつかる保証はない。一般的には、口コミを通じたり、住宅関係の雑誌や週刊誌のようなメディアを通じて、施主を獲得するのが仕事を得る方法となっている。
そうであるとすれば、営業活動をもう少し組織的にできないか。設計者を必要とする施主をもう少し積極的に組織できないか。「家づくりの会」結成のモメントはおそらくそうしたことだったのではないか。ユーザー教育、住宅相談などの情報サービス、建築家の職能のアピールなど、結成の目的と理念はもちろん掲げられるであろう。しかし、本音を追求すれば、実質的な目的は会員が安定的に仕事を確保することである。もちろん、それが悪いとかいいとかいうことではない。それが会の出発点だということだ。
「家づくりの会」の具体的な活動として基本となっているのは家づくりセミナーを開催することである。マスコミを通じて、セミナー参加者が募られる。そして、参加者に対して個別の相談も行われる。会の事務所には、会員の作品集および設計図書が置かれ、住宅の設計を希望するユーザーは、好きな設計者を選定する、そんな仕組みが基本である。
「家づくりの会」のメンバーは、首都圏、大都市近郊をその拠点とする。世代的には、団塊の世代、地方出身者が多いという。それぞれ設計の腕には自負がある。建築の専門誌にも時々作品を発表する。しかし、デザインの新奇さのみを追っかける建築ジャーナリズムには概して批判的である。施主は、住宅メーカーの住宅にはあきたらない層が多い。「家づくりの会」のプロフィールを独断と偏見にみちていうと以上のようだ。
最初、公開講座の話があった時、正直いって不意をつかれた感じを受けた。というのも、この間、地域の建築家のありかたについて考えたりしゃべったりしてきたのだけれど、この大都市という地域の住宅=町づくりの問題が頭の中からすっぽり抜けていたような気がしたからである。大都市については問題が大きすぎてどこから手をつけていいのか、判断停止といった感じだったのである。しかし、「家づくりの会」のような会の結成と存在は、考えてみれば当然である。大都市という地域の住宅=町づくりを考える実に大きな手がかりになるというのが直感であった。
もちろん、「家づくりの会」が単に会員だけのための仕事の受注組織にとどまるとすればそう興味はない。同じ様なやりかたをとる組織も多いし、その活動はそう広がりをもたないであろう。しかし、展開によっては様々な可能性をもっているようにみえる。公開講座での議論を踏まえて、その可能性について思いつくまま列挙してみよう。
①小さなアトリエ事務所でも、二〇、三〇と集まれば大変な組織である。競争的共存より、共同的共存を追求すべきである。会員相互の情報交換、デティールの蓄積のレヴェルから共同設計、資材の共同購入、等々手掛かりは多い。
②ユーザーのみならず施工者(技能者・職人)を含めたネットワークを組織する必要があるのではないか。職人問題はこれからの大きな問題である。設計者が特権的な立場にたった発想には限界がある。ユーザー参加やデザイン・ビルドが積極的に考えられていい。
③不特定のユーザーをのみ対象とするのではなく、それぞれがそれぞれの拠点で住宅=町づくりを都市生活者として、あるいは都市環境モニターとして展開していくことが必要ではないか。大都市圏のHOPE計画を会として展開してみる手もある。タウン・アーキテクトとしての行政との関係も意識されていい。
④地方の住宅=町づくりチームとの連携を計る方法がある。単なる情報交換ではなく、産直や職人の交流を含めたネットワークができれば活動の幅は大きく広がる可能性がある。
⑤オリジナル部品の開発および販売など、新たな事業展開も考えられていい。設計(デザイン)の質を具体的な物で保証していくことは大きな武器ともなる。うまくいけば会の基盤を安定化することもできる。
⑥住宅メーカーにあきたらない比較的余裕のある層だけでなく、もう少し、別の層、より一般的な層をターゲットにする手はないか。ローコスト住宅のモデルを追求してみる意義がある。その活動の社会的意味をもう少し拡大する可能性がある。
⑦都市型住宅のありかたを共同提案できないか。戸建住宅だけでなく、集合住宅が支配的である大都市圏では、都市型住宅の提案が求められている。コーポラティブ・ハウジング含めて共同住宅についてより積極的に取り組むことで新たな可能性が開けないか。
⑧自主性、自律的な活動を前提とした上で、住宅メーカー各社との連携も考えられていい。自ずと役割は違う筈であり、相互に棲みわけていく路はいくらでもある。質の高い住宅=町づくりこそが競われるべきである。
⑨もう少し、住宅=町づくりに積極的に取り組む建築家を広範に組織する必要がある。その活動を建築界に向けて積極的に表現していくことも必要である。若い会員が積極的に参加することも不可欠であり、あらゆるメディアを通じた広報出版活動も極めて重要である。
*1 「建築家と住宅ー--建築家は、いま、住宅の設計にどう取組むのか」。テーマ日程は以下のようであった。
●テーマ
これからの日本の住まいがどうあるべきか、を「建築家」の立場から論じてみたい。「建築家」にとって、住宅が全面的なテーマであった時代があった。そして、住宅の設計は「建築家」の基本であると言われ続けてもいる。しかし、いま、「建築家」にとって、住宅は主要なテーマであるようにはみえない。また、日本の住宅のあり方に対して何を貢献しているかも疑問なしとしない。平たく言って、住宅の設計の仕事で食べていけるかどうかも疑問である。一方、「建築家」が日本の住宅のあり方に対して果たす役割は、依然として、あるのではないか。具体的にどういう活動が可能か、住宅をめぐる様々な問題をめぐって考えてみたい。
Ⅰ 住宅生産の構造と建築家 1989年 9月30日
ゲスト 植久哲男
Ⅱ 建築家と住宅の戦後史 1989年 10月21日
ゲスト 平良敬一
Ⅲ 工業化住宅と住宅設計 1989年 12月 2日
ゲスト 松村秀一
Ⅳ 地域住宅計画の可能性と限界 1990年 1月27日
ゲスト 山中文彦
Ⅴ ハウジング計画論の展開 1990年 2月24日
*2 雑木林の世界4 1989年12月
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